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2020/03/31

【研妻哲学78】外出自粛に、ルーチンのすすめ

ルーチンという、変わらない安心感

日々刻々と変わる状況下において
日々変わらない何かを実行することは
健全な心を保つ秘訣となるようだ

不安定な環境が続く毎日の中で
何かしら同じことを繰り返し
実行するルーチンワークが
僅かながら心に平穏を
与えてくれる可能性がある

実際に私がこうして毎日ブログを
更新するのも、
そういった意味を持ち始めている
さらに大きな理由としては
いつもそこにいる安心感を
届けるためである
いつもそこにいる安心感を
届けたい相手が
いるからにほかならない

さらにこの場合のルーチンは
自分のためだけでなく、
できれば誰か他の人の役に
ほんの少しでも立つ方がいい
続けやすくなるだけでなく
時折内省することを促されるだろう
つまり自分と静かに対話する
時間の創造に繋がる
自分による、自分のための、行動対話

幼い子供が自分のためだけに
有り余るエネルギーを発散させるのは
なかなか難しいが、自分や身近な親以外の
祖父母や先生のためとなると
取っ散らかっていたエネルギーが
穏やかに変容して創作活動に
没入する様子を目の当たりにした

何をルーチンとするかを
自分に問いかけ
心の声に素直に従い
ほんの少し誰かのために
続けてみることを
外出自粛を機に考えてみるのも
わるくないだろう


今これを読んでいる人の心が
少しでも穏やかであることを
願ってやまない





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


不安定で不確実なときこそ、いつもと変わらない何かがあるといいかもしれない


可能性に賭けられる、行動対話力を持っているといいかもしれない





2020/03/30

【研妻哲学77】コロナ終息まで2年だとしたら

今の試練は何のため?


毎日生きていると何かしら
危険信号が見えてくる

研究者夫と海外で帯同生活していた頃は
欧州でテロが多発した時期でもあり
難民や移民を大勢受け入れた
混乱や波乱の時期でもあった
一年、また一年と治安が変化していく
様子を目の当たりにした

特に隣国フランスを中心とした
被害が報道される機会が多くなると
ドイツの小さな田舎町に住んでいても
緊迫感が漂ってくる

当時は精神的に追い詰められ
打ちのめされ、何をしても
辛い日々だった

そして他人事ではいられない
社会の変化を
今また改めて世界規模で感じているが
もし新型コロナが収束するまで
2年だとしたら、打ちのめされて
ばかりだった帯同生活より
はるかに短い期間である

既に長期間に及ぶ試練の連続だった
日々を経験していると
次にやってくる試練への気構えが
変わってくるようだ



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


次の試練のために、今の試練があるのかもしれない


人生は試練の連続なのかもしれない


ならばその試練を飲み込む大きな口(心)と、咀嚼する丈夫な歯(脳)を持ちたいものだ




2020/03/29

【研妻哲学76】定年退職を27歳で疑似体験してから

定年退職を疑似体験


社会人となり企業で働きだして
結婚をした後、27歳のときに
海外での帯同生活がスタートした

これを以前、定年退職のようだと
表現させてもらった

語弊があるかもしれないが
体はまだまだ働けるのに
仕事を奪われ、生活が変わる
そんなところが、似ていると直感した

当時は心身ともに削られていく状況に陥り
それ以来、価値観が変わった
まずは健全な精神を保つために
自分の役割、側面を増やすことが
優先事項となった

そしてそれまでの26年間にはなかった
「年齢を重ねても楽しめるか?」
という視点が、27歳のときに
急浮上してきた

ひらたく言えば、ライフワークだ
これはひとつだけでは足りない
心理学的に複数あるといいと言われている

再び暗黒時代を迎えることがないように
細く長く、ひっそりと数を増やし
続けていきたい




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



見た目はおばあちゃんでなくても、心はおばあちゃんかもしれない







2020/03/28

【研妻哲学75】海外での帯同生活で知った、行動対話の重要性

世界に通じる、行動対話力


研究者の多くは長年学業に励んでいる
大学に長く通ったという事実だけで
優秀な方と思われがちである
そして海外で研究生活をスタートさせると
大きな壁にぶち当たる研究者も少なくない

日本で研究内容が優秀だと判断された
研究者が、柔軟な適応力を持った
優秀な人物である保証はない
うかつにも研究内容への評価を自己評価に
繋げていると、現地で痛い目にあう

受けてきた教育も
暮らしてきた国の文化も異なる人々と
仕事をすることになる海外挑戦において
自分の言い分に納得してもらう必要に
迫られる機会が多くなる

その時に求められるのが、行動対話力である
行動力だけでなく、対話力だけでもない
繋がりを重要視している

自分とは大きく異なる価値観を持った
相手と仕事をしていくには
行動と対話を通じて理解し合う
時間を持つことが大切である

しかもその相手は
同業者だけにとどまらない
現地の受け入れ先のスタッフから始まり
新しく住む家の不動産、家主
仕事上お付き合いが発生する業者スタッフ
提携企業、タクシー運転手、
家電量販店、レストラン、
カフェなどの店員
そのほかビザ申請から銀行口座の開設
郵便局窓口でのやりとり
スマホなど必需品の購入や契約といった
日常生活において、常に誰かに
はたらきかけるという小さな行動と
そこでの対話が求められる

大きな町ではある程度アプリやAIが
代わりになってくれるかもしれないが
小さな町や、電気や電波が
使えない状況がくれば、やはり
行動して対話することが重要になる

さらには初対面となる現地の同僚と
親睦を深めるのにも、この小さな行動と
対話が役に立つ

学会に参加すれば尚更のこと
加えてリトリートと呼ばれる研究合宿では
寝ても覚めても対話を求められる
環境に身を置くことになる
ほぼ初対面という隣の研究室の相手と
楽しく談笑する余裕を持てるだろうか

小さく行動した先に待っている
1対1の対話に慣れておくといいと言える
意外と疎かにされがちで
研究に没頭していると忘れがちな行動対話

海外に限らず、新しい環境に身を置き
適応していくには、行動対話力が試される
ここでの対話は、対面に限らない
オンラインでの対話も含まれる




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


非日常の今こそ、行動対話力を鍛えるのもいいかもしれない






2020/03/27

【研妻哲学74】新型コロナと、ホスピタリティ業界

心の癒し、ホスピタリティ業界


日常生活で私たちの憩いの場となる
レストラン
カフェ
ホテル
結婚式場
居酒屋といった
飲食を、人生を楽しむ場所が
新型コロナの影響を強く受けている

外食産業、旅行も関わるサービス業
ホスピタリティ産業と呼ばれ
基本的に動かない
お店はその場所を動かない
まるで動かない木のようである

不動の木の中に
小鳥や虫たちが暮らし
エサを食べる

不動のホテルに
人々が寝泊まりし
食事をする

そこには動かない安心感がある

自然界で大事な役割を果たす木々のように
ホスピタリティ業界で働く人々の
存在価値に気づかされ、その想いを
噛み締めている人も少なくないだろう

雨が降っても
風が吹いても
動かない安住の場所
いつまでもそこにあってほしいと
願いたくなる安息の地

だけれどもこの世に存在する限り
変化させられる

強風で折れた枝
大雨で根っこが飛び出す大木のように
予期せぬ変化に見舞われる
大きければ大きいほど
太ければ太いほど
外観は様変わりする

それでもその場を動かない木もあれば
人の手が加えられる木もある
再び美しい葉で覆われるには
愛情ある手入れも栄養になるが
栄養は与えるだけでは届かない
人の体は赤血球がいないと
酸素が行き渡らないように
与えた栄養を届けてくれる役目が重要だ

凡人の私は食べ物として
愛情を与えることはどうにか
できるかもしれないが
隅々まで行き渡るように
届けることはできない

栄養をデリバリーしてくれる
そんな役割を背負える偉人に
心からの敬意を表したい




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



草木が自らの力で水を吸い上げ生い茂るように、相手の力を信じてもいいかもしれない


人の気持ちのようには動かないから、安心感を得られるのかもしれない






2020/03/26

【研妻哲学73】親子の対話で知る、子供の成長

親の心配と、子供の成長。対話の記録


遠方に住む祖父母になかなか会えず
近所の公園で遊んでばかりのわが子
たまにはいつもと違う大きな公園に
連れて行くことにした

母の私は久しぶりに両腕が筋肉痛になり
その痛みを騙しながら
この文章を書いている

公園に着くと
まだわが子には早すぎるかなと
思わせる大きなアスレチックがあり
そこで遊びたいと言いはる子供

わが子より大きな子供たちが
勢いよく遊んでいる丸太でできた
アスレチックの前まで来た

母は何本も重なる丸太の途中まで
行ったら引き返すように言った
まだ小さいわが子には
丸太を全部渡り歩いてその先にある
梯子をおりるのは困難だと判断していた

それでも
どうしても進みたいと言う子供と
丸太の上で親子の対話が始まった
「途中で戻ってきなさい」という
親の私に対して
子供がこう答えた

「やりたい事に
 最後まで挑戦するのが
 大事だと思う」

まさかこんなセリフが出てくると
思っておらず、この一言で
丸太のアスレチックを最後まで
やり抜くことを許可することになった

結局梯子のところで
多少親がサポートすることになるのだが
最後までやり遂げてしまった
子供はご満悦
自信に繋がったようだ

この時、私はある対話を思い出していた

海外生活中に現地の
スーパーマーケットで
買い物をしている最中
ヨーグルトを買ってとねだる子供
好きなものをひとつ選ぶように言うと
ふたつ持ってきた

母「ひとつって言ったけど、
  なんでふたつ持ってきたの?」

子「こっちは飲むヨーグルトで、
 「こっちは食べるヨーグルト」

つまり、ひとつずつと言いたいらしい

まるで一休さんのとんちのようであった




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


子供のとんちで、成長に気づくのかもしれない





2020/03/25

【研妻哲学72】海外で妊娠中に緊急入院。帰国を断念

海外妊婦生活、緊急入院


研究者夫がドイツ留学していた頃
二人目を妊娠し
酷いつわりに苦しんでいた

身も心も追い詰められて
夫以外の手助けもほしくなり
安定期がすぐそこまで来ていたので
一人目の子供と一緒に、日本に帰り
里帰り出産しようかと
日本での生活を想像して過ごしていた
つわりで気持ちが悪いなかの
唯一の楽しみであった

そんなある日、家の水道管が破裂して
その日以降、住めなくなってしまう

急きょ町外れにあるホテル暮らしを
余儀なくされ、浸水した部屋を
片付けるためホテルと往復する生活

つわりで吐きそうになりながらも
様変わりした住み慣れた部屋の中を
無理のない姿勢で
できる範囲で片付けていた

遠いホテルに滞在しながらも
水浸しの家から新しい家に
なんとか引っ越せることになり
事前に移動しやすいよう
ホテルをチェックアウトして
新しい家の近くに住む友人宅に
泊まらせてもらうことになった

バタバタと荷物を運びおえて
一人目の子供と友人の子供を
遊ばせていた矢先
妊婦の私に訪れた予期せぬ出血

どうやって病院に向かったのか
覚えていないが、慌てて医師に
診てもらったところ
今日このまま帰らせることはできない
と言われてしまう

緊急入院することになり
頭の中が不安で埋め尽くされる

引っ越し当日に立ちあえず
荷物の選別や掃除もできず
周りに迷惑をかけた
つわりをいいことに掃除を
疎かにしていた薄汚れた部屋の
掃除を、友人家族が手伝ってくれた
と後になって夫から聞いた
恥ずかしいやら、情けないやら
申し訳なくて、ありがたい気持ちだ

その後もたまに、
今でも何か必要なものが出てくると
「あの家に置いてきてしまった」
と思い返すことがある

入院中は大半を泣いて過ごし
どん底の気分を味わった
退院後も再び出血しないように
しばらく寝たきり状態が続いた

寝室の天井を見つめながら
いつもなら思いつかないようなことも
頭に浮かぶようになってしまい
普段の精神状態ではいられなかった

日本での出産を諦めて
現地で出産することになった





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



奇跡に遭遇する場所は、絶望の淵かもしれない






2020/03/24

【研妻哲学71】物理とカウンセリング。未来の変え方

物理とカウンセリング


物理は小さな初期値の違いが
大きく異なる結果を
導きだすことがある

カウンセリングは
最初の返答の一言が
カウンセリング全体の流れを
大きく変えることがある

まだドイツに住む前
まだ夫が日本で研究していた頃
英語を勉強していた私は
夫と待ち合わせした大学近くで
カフェ勉しながら待つことにした

するとそのカフェに外国人女性が
入ってきた
この女性が注文と会計を済ませ
席につくところを視界に入れて
席に着いたタイミングで
英語の練習を兼ねて声をかけた

「お隣の席、座っていいですか?」

この出会いがきっかけとなり
連絡先を交換して
その後改めて駅で待ち合わせをして
東京を案内することになった

お蕎麦屋さんで一緒に食事をした後
日本のお土産選びから靴といった
普段の買い物まで付き合い
記念のプリクラを撮影する仲になった

後にこの女性が
ドイツ人物理学者だと知った

この時、この数年後に
ドイツに住むことになると知っていたら
ドイツ語がわからず苦労することになると
未来が予測できていたら
どんなに良かったことだろうと
悔やんでも仕方がない





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


今も昔も「初めが肝心」なのと、「後悔先に立たず」なのは変わらないのかもしれない


過去は変えられないが、未来は行動(アクション)して対話(会話/チャット)することで、変えられるのかもしれない





2020/03/23

【研妻哲学70】仕事を失うこと、自分を見失うこと

誰にでも起こる自我の喪失


自分の都合ではなく
結婚相手の仕事の都合で
海外で生活することになると
周りからの羨望とは裏腹に
現地で自分を見失うようになる

それまで自分というものを
作り上げていた家族や友人
仕事や住まいから身を引き剥がされ
自分の一部を失ってしまう
いわゆる自我の喪失が起こる

これを仕事に置き換えてみる
仕事の多くは人と人が接することで
成り立っていたが
それを自粛することにより
仕事を失うことになる人がいる
自分という存在を作り上げるものの
一部が仕事であるならば
自分が欠けていくような感覚ともいえる
自我の一部を喪失するのである

なんだかよくわからない気持ちを
わからないまま過ごすのは
苦痛以外の何物でもない

まずは自分の一部が欠けていると
理解を深めてみる
血が滲むほどでなくても
自分の一部を失っているのだから
不安になって当然
心配になって当然
悩んで当然
人はそういう生き物だと再認識してみる

悩みは、悩まなければなくなると
頭ではわかっていても
悩まずにいられないのが悩みである

ひとりで大いに悩み続けるのもいい
誰かに話して聞いてもらうのもいい
答えや方法はひとつとは限らない





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


答えは案外身近にあるのかもしれない

気づいていないだけかもしれない

気づかない答えとの架け橋になるのが、カウンセラーの役割のひとつかもしれない






2020/03/22

【研妻哲学69】あえてウイルスを話題にしないイタリア人

イタリア人と日本人の会話


欧州在住のイタリア人と
話す機会があった
こんな時期なのでもちろん
直接会ってはいない
インターネットを通じて会話をした

話題は仕事だけでなく、日常生活にも
及んだが、今世間をざわつかせている
非日常については一切触れなかった

正しくは、触れられなかった
話題にできなかったと
言うべきなのかもしれない

お互いがお互いの国の状況について
ある程度ニュースをみて知っている中で
こちら側から切り出すこと
話を深く聴くことが
時には鋭い刃になることを知っているから
私の方から話題にすることはなかった

聞くことによって
相手を傷つけたくなかった
もしかしたら
既に傷ついているかもしれない
相手の心に、さらに刃をかざして
よくない方向に流れることを
避けたかった

相手側からウイルスの話題を
切り出されたら
聞くための心の準備は
していたつもりだった
けれども、結局その話題に
ならなかったことで
どこか安堵している自分がいることを
認めなければならない

相手を思いやっているつもりが
自分を大事にしていただけなのかと
自分を疑いたくなる瞬間であったが
人の話を冷静に聴くには
自分にある程度余裕が
ある方がいいのは事実

洗練されたホスピタリティで
お客様をもてなす
一流のサービスパーソンも
そのホスピタリティを実現するには
自分にある程度余裕が必要だという

ふてくされたホテリエから
おもてなしの心を感じるお客様は
おそらくいないだろう
お客様を笑顔にするのは
ホテリエの心から生まれる
笑顔だったりする

こんな時期に心に余裕を持つのは
容易ではないけれど
自分に近い、親しい相手ほど
冷静に話を聴くことが難しくなるもの

大切な相手ほど、接する際に
心に適度なスペースを
確保しておくことを心掛けたい

自分を戒める言葉としても繰り返すが
大変な時こそ、大切な人と、
近いけど絶妙な距離がある状態を
意識して過ごしたい
そのすごく微妙な長さの
心の小道を、相手を思いやる気持ちが
歩いて来てくれるはず

多くの人々に癒しを与え続けている絵画も
近すぎると何が描いてあるのか
よくわからないもの

相手のことがわからなくなって
心がざわつき始めたら
それだけ心を許した
仲の良い相手ともいえるし
近すぎる合図とも捉えられる

思いやる気持ちが歩いて来られるように
心の小道を封鎖しないよう
気をつけていきたい

国境は封鎖しても、心は封鎖しない




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


距離が近すぎると、相手のことがわからなくなってしまうのかもしれない


国境が塞がれても、心を塞ぐ必要はないのかもしれない







2020/03/21

【研妻哲学68】毎日が日曜日の子どもと。本の返却日

図書館の本の返却日を思ふ


幼い子どもは休み続きで毎日が日曜日
習い事は休講が延長され
図書館は臨時休館が続いている
モールのキッズスペースも休み
年間パスポートを持っている水族館も
もちろん臨時休館が延長されていた
さらに商店も休業が目立つ

人と人とが接することを
できるだけ避ける生活が続き
大人も子どもも知らないうちに
見えない何かが心身のどこかに
溜まってきたように感じられる

公園遊びが続く毎日の中で
日中の過ごし方を考えあぐねる

手元には返却日が過ぎた本が数冊あるが
返却日はすっかり返却日ではなくなった
図書館の休みとともに先延ばしになり
変更されていく返却日

昼間は元気すぎて静かに本と
向き合うことが難しい子どもたち
図書館で多目に借りていた本が
夜寝る前に心へ栄養を
運んでいることを願うばかり

図書館の本の返却日に限らず
色んなイベントや集まりが
延期や中止になっている今
予定はあくまでも予定にすぎないことを
思いしらされる





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


もはや返却日は返却日であって返却日ではないのかもしれない

そもそも人生には予定や計画通りにいかないことが、つきものなのかもしれない






2020/03/20

【研妻哲学67】科学者の夫と、哲学的な妻。夫婦の関係

科学と哲学、夫と妻の関係


科学者の夫と、ちょっぴり哲学的な妻
全く異なる分野、異なる二人にみえる

そんな夫婦の相性について
科学と哲学の側面から
思いを巡らせてみる

妻の私は若い頃から
直接手で触れることのできない分野に
心惹かれていた
そのひとつの代表枠に哲学が入る

手で触れられない
目に見えない
けれど人生にはなくてはならない
そんな大切なモノに魅力を感じていた

そして直接手で触ることのない
肉眼では見えないモノを
科学的に研究している夫と出会った

二人の思考に絞って言い換えれば
哲学と科学が出会ったようなもの

これはその昔
アリストテレスの時代にも起きた
科学の原点は、哲学であった

まだ科学の概念がなかった時代
ウイルスといった目に見えないものを
哲学的に突き詰めていったことが
後の科学の発展に繋がっていく

このように哲学と科学には
切り離せない深い繋がりがある

これを私たち夫婦に当てはめてみると
新しい関係性が生まれてくる





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



科学者の夫は哲学的な妻と出会うことで、研究が発展していく可能性もあるのかもしれない







・参考文献
書名:ヨーロッパ思想を読み解く
著者:古田博司
出版社:筑摩書房
発行年:2014年




2020/03/19

【研妻哲学66】研究者夫が彼氏になる前。初めてのデート

研究者の夫と交際する前の初デート


夫が彼氏になる前
大学生だった私たちは
二人で図書館で会う約束をした

おそらくこれが初めてのデート

彼女になる前の私の恩師が
書籍を執筆することになり
参考にする情報を集めるため
図書館で調べることになったのが理由

分厚くて大きな図鑑を広げ
データを参照していくが
なかなか終わりそうにない

そんな様子を見かねた彼が
終わらなかった部分を
少しだけ手伝ってくれた

この時まさか将来結婚するとは
お互い夢にも思っていなかったはず

こんな出来事がきっかけで
交際、結婚にまで至ったので
学生時代に出会った恩師には
感謝してもしきれない




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


人生は予期せぬ出来事の連続なのかもしれない





2020/03/18

【研妻哲学65】研究者夫と、ゴミ捨て分担の背景

ゴミ捨て分担の背景


研究者夫には、小さいごみを
ごみ箱まで持っていかないという
ありがちな習慣があった

そしてある日
結婚する前から何度か訪れていた
夫の実家で
こんな光景を目の当たりにした

ダイニングテーブルやローテーブルの上に
食べ終わったお菓子の袋や
使ったティュシュが置かれていて
そのテーブルの上のごみを
見つけた夫の母は
黙って広い集めた
そしてゴミ箱まで持っていき、捨てていた

その瞬間、妻となる私は
夫が小さなごみをごみ箱まで運ばないのは
仕方がないことだと納得した
きっと昔から自然とそうなったのだと

そんなわけで
ごみをごみ箱まで運ぶのは妻の役目だと
すんなり受け入れた
その代わり
ゴミ袋を外へ運び出すのは夫の役目となった




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



ちょっと気になる人の習慣は、その背景を知ると受け入れやすくなるのかもしれない





2020/03/17

【研妻哲学64】ドイツ移民生活。自宅のトイレで傘をさした日

ドイツで日本人家族の移民生活


日本からドイツに引っ越して1年が
経つ頃の話

一般的に1年以上生活すると
移民という枠に含まれるらしいので
わが家はドイツで生活する
日本人移民家族といえる

当時住んでいた小さくて狭い
ゲストハウスから
旧東ドイツの古びたマンションへ
引っ越すことになった

研究者夫の外国人同僚が
他へ就職することになったので
部屋を引き継いでくれる

荷物の出し入れを終えて
夫の同僚が残していった物を片付け
やっと自分達の部屋だと
実感できるようになった

そんなある日
トイレに入ろうとドアを開けると
天井から水が落ちてくる

ポタポタよりも激しい流れで
壁や床も濡れてしまっているし
便器の場所にも
結構水が落ちてくるので
仕方なく玄関に置いてあった
傘を持ってきて、さすことにした

後にも先にも
自宅のトイレで傘をさしたのは
この日だけ

上の階にはドイツでも日本でもない
国からはるばるやって来た移民家族が
住んでいるので
この水はおそらくそのファミリーの
部屋から流れ落ちてきているはず

そう思いながらも
まだ挨拶くらいしか交わしたことのない
間柄に加えて、ドイツ語の壁もあり
直接言いに行く勇気はでなかった

後日、不動産屋を通して事情を知った
旧東ドイツの配管がわからず
洗濯機の排水ホースを間違ったところに
さしていたことが原因だった

国が違えば言葉だけでなく文化も違う
なかなか正しいホースの差し込み口を
周りに聞けなかったのだろうと想像できる
異国の地で健全な精神状態では
なかったのかもしれないと想像できる




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


相手のことを思いやるとき、距離感があるほど想像が膨らむのかもしれない




2020/03/16

【研妻哲学63】不安定な経済。お金がなかった時代を想う

お金がなかった時代に想いを馳せる


経済が不安定になった今
お金がなかった時代を想像してみる

お金も経済も
人が作り上げたもの
作らなければ存在しなかった

我々の祖先には
大陸をまたがず
限られた地域社会で
物々交換をして
暮らしていた時代があった

交換の対象は物だけでなく
手で触れられない
技術や情報といったモノも含む

持っている人やできる人が
持っていない人やできない人を助ける
そして他の分野では立場が逆転して
お互いを補い、助け合う社会

そんな時代があったはずであると想像できる

よく歴史は繰り返されるという

もともと電子マネーが
使われるようになった頃から
お金を介さない時代に近づいたという、
時代を遡った感覚があった

経済の幼児化や不況は
もしかしたら
大きな繰り返しの一部なのかもしれない
時代が逆行しているだけなのかもしれない

あくまでもたくさんあるうちの
ひとつの考え方にすぎないが
昔の生活に戻るだけかと思うと
不安や恐れが小さくなるような気もする

それでも恐れが大きくなるなら
そんな人には愛を振りかざしたい





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



再び訪れる春が待てそうにない人には、手で触れることのできない愛のお届けモノもいいかもしれない






2020/03/15

【研妻哲学62】教員の友人と母親の私。コロナと春の節目

教員の友人と母親の私と春の節目


学生時代からの親しい友人のひとりは

教員としてコロナ休日と向き合っている

卒業式だけはなんとかできそうだが

生徒は準備ができないので教員がするとか

離任式や集大成だとか

毎日込み上げてくる想いで

目頭があつくなるらしく

節目を強く意識して過ごしていることが伺える



一方幼い子どもと日々向き合っている

母親の私はこの友人のように

節目を強く意識するような

成長段階に達していないこともあり

感動や感激の涙から一定の距離が

保たれているが

もし私がこの友人の立場だったら

同じように節目に熱くなっていたことだろう



生徒の成長を見守る教員と

自分の子どもの成長を見守る母親

どちらも子の成長を願うという共通点がある



学生の頃とは立場は違っても

目指す未来の方向は同じであるし

教員と母親である前に

大事な古い友人である

手を伸ばしたら届く距離で

昔のように笑いながら語り合える

そんな未来を願う春の節目





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



節目の重みを噛み締めるのもわるくないのかもしれない





2020/03/14

【研妻哲学61】ドイツ人研究者上司と、日本人研究者夫の共通点

夫の上司のドイツ人研究者と


日本人研究者のポスドク夫には

大きな共通点があった

二人とも

古い物を大切にする

という共通点



そのドイツ人ボスと初めて会ったのは

日本から引っ越してくる日に

駅まで車で迎えに来てもらった時

このとき

このボスはとても古い車に乗っていた

後日夫から聞いた話によると

とても愛着がある車なのだとか



日本人の夫は車を持っていなかったが

ボロボロになった

もう使わない古い2つ折り携帯電話を

愛着があるからとずっと大事に持っていて

15年以上経った今では

子どものおもちゃになっている



ドイツ人研究者の上司も日本人研究者夫も

愛着がある古いものを大切にしている



そんな共通点のある二人は

どことなく落ち着いた雰囲気を放っていて

周りの人々も大事にしているように見えた





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


物の扱いから、人への接し方を垣間見ることができるのかもしれない





2020/03/13

【研妻哲学60】YesとNoが反対で困る、英語とドイツ語

海外でYesとNoが反対のとき


羽田からドイツへ引っ越す日

研究者夫とふたりで

ドイツの受け入れ先の研究施設がある町に

やっとの思いで到着すると

移動中の電車の中で連絡をしていた

夫の新しい上司が車で迎えに来てくれた



まだどこに何があるのか

町の中心はどこなのかもわからない状態で

滞在先となるゲストハウスまで

案内してくれるというので

早速車に乗り込んだ



山道を上がっていく途中

食料品の買い出しを提案してくれた

初めてのドイツのスーパーマーケット

値札や商品のパッケージの文字も読めず

あとでゆっくり買いに来ようと思った矢先

上司が質問してくれた

「あの大きなショッピングカート使う?」

夫が私に目を向けるので咄嗟に

「いや」と夫に日本で返した

いや、カートは使わなくていい

と言いたかったのだが

最初の「いや」を聞いた上司が

カートを持ってきてくれた

日本語の否定ワード「いや」が

英語のYesのカジュアル版「Yer」か

ドイツ語のYesである「や」に

変換されてしまったようだった

どちらにせよ誤解を招いてしまった



これに限らず言語的に反対に答えないと

伝わらない場面に多くでくわした

例えば英語で「これまだよね?」

と聞かれて

「うん、まだ」と言いたいとき

Yesを使いたくなるのだが

Noと言わないとならないので

慣れるまで多少気苦労があった



ちなみにブルガリアでは

Yesは首を横に振り

Noは首を縦に振るそうなので

それはそれで大変なのではないかと

想像してしまう





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


Yesが「いいえ」で、Noが「はい」になる海外生活、摩擦が起こらないわけがないのかもしれない





2020/03/12

【研妻哲学59】研究者夫の仕事デスクで、タイムスリップ

海外ポスドク研究員として

海外で研究を始めた夫

渡航後すぐに受け入れ先のボスが

妻の私も研究室に招いてくれた

一通り施設を案内され

夫の新しい同僚となる関係者を

紹介された後

夫が事務作業をする小さなオフィスの

中にも入らせてもらった



そこで目の当たりにした

夫の新しい仕事デスク

妻の私は既に日本で

別れを告げてきた仕事デスク

夫にはあるけど

妻にはない机と椅子とパソコンが

用意されていて

なんとも言えない気持ちになった



その後もたまに何度か訪れた

夫のオフィスと仕事デスク

埃を見つけて掃除したこともあった

拭き始めると

そのデスクの大きさが

以前私が勤め先で使っていたデスクと

とても似ていることがわかる

一瞬あの頃にタイムスリップする

PCモニターの脇には

お気に入りの薄いピンク色の

ハート型マグカップが置かれていて

ノートパソコンには黄色い付箋が

賑やかに散りばめられている

デスクの周りは同僚たちの話し声で

空気が鼓動していて

結構気に入っていたキーボードを

私が軽やかに叩く音も聞こえてきそう



ほんの一瞬のタイムスリップで

ほんの一瞬だけ昔の思い出に浸る

現実的であり理想的でもある

一瞬を噛み締めて

新しいデスクも同僚もオフィスもない

今の自分に引き戻される



これで良かったのかはわからない

これで良かったのだと言い聞かせる

これで良かったと思いながら生活する

これで良かったと思える未来が来る




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


ないものに必要以上に気をとられるとき、あるものに目を向けるしかないのかもしれない


いつしかないものとあるものが融合して受け入れられるようになるのかもしれない




2020/03/11

【研妻哲学58】苦しいホームシックには、絵画観賞の理由

海外で生活を始めたばかりの頃


引っ越しの手続きが一段落して

周りを見渡す余裕がでてくると

言葉や文化の違いに心が折れそうになり

日本に帰りたいとホームシックになった



ひとりで国際ボランティアに

参加したときも

夫と一緒に海外生活を始めたときも

同じように

日本の良さばかりが思い浮かび

辛く苦しい時期を迎えた



そんな私を救ってくれたのは

絵画観賞である

もともと学生時代には博物館学芸員課程の

授業も履修していて

実際に東京都内の美術館での研修にも

参加したことのある美術館好きにとって

海外生活の癒しとなるのは絵画だった

足しげく美術館や博物館に通った

海外生活で日本語に触れることにも

うえていたので

日本語で書かれた絵画集を見つけては

癒されていた



その理由がようやくわかってきた

美術館や本で絵画に触れて得られる癒しが

日本で家族といることで得られる癒しに

重なっていたからだった

その当時は母国や家族の癒しを

求めていたなんて思っていなかったけれど

帰国して改めて振り返ることが

できるようになるとますます

絵画に心の癒しを求めていたのだなと

素直に認めることができる




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


母国や家族が恋しいとき、心静かに絵画と対話してみるのもいいかもしれない


様々な時代を生きた絵画たちが、何か話しかけてくるような気分になるかもしれない


2020/03/10

【研妻哲学57】辛くても研究者が幸せな理由

苦しい研究者の道

これまでも何度か触れたように

研究者の進む道は

ごつごつした岩山のように険しい

そして果てしなく遠いように思わせる

資金の問題であったり

研究内容の問題であったり

就職難であったり

できることなら事前に教えてもらいたかった

と切実に思ったくらい

夫が海外で研究者をしていたときは辛かった



それでも当の本人はどこか幸せそうだった

研究者夫もかなり苦労しているのだが

たとえば96%の苦労の中に

4%の幸せを見つけているようだった

そのほんの小さな幸せのおかげで

険しい道のりを何年も歩き続けることができて

研究者として頑張ってこれたように見える



それは一体なぜなんだろう

答えはフランスの哲学者が教えてくれた

尽きることのない幸せの基準となる

何かを知ること自体が研究者夫の

小さな幸せであること

彼は自分の仕事のために普段から

知識の更新をしているので

毎日彼には幸せが作られているというわけだ



新しく知を求めては作り出す作業は

幸せを作り出すことでもあるようだ

そんなわけで

何かを知る喜びが幸せの基準である人は

研究者のような険しい道のりでも

案外耐えられるものなのかもしれない






*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


辛いときでも何かを知ることが幸せとなる研究者は、いずれ周りの人にも幸せを運んでくれるかもしれない


そんな研究者たちのように、知の幸せを糧に生きていくのもいいかもしれない






・参考文献
書名:人生が変わる 哲学の教室
著者:小川仁志
出版社:中経出版
発行年:2010年



2020/03/09

【研妻哲学56】研究者夫と研妻の仕事。類似点

まだ結婚する前のこと


研究者夫は大学院に通う学生で

研妻の私は企業で働く社会人のとき

彼の研究という仕事と

彼女の会社での仕事が

全く違う仕事だけれど

本質は似ていて

同じであるように感じていた



たとえば彼の実験の進め方と

彼女の情報を分析する過程の大枠は

ほぼ同じだった

扱うモノや属する先は違っても

どちらも仮説があり検証していく

データを集めて考察し次に繋げていく

働いている場所や業種や業界は

全く異なる2つの仕事

その根底は同質に思えた



違うようで違わない

異なっているようで異ならない

違っているけれど同じような仕事だと

うっすら感じていた



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


仕事もそうであるように、物事の本質は似ているのかもしれない


様々な角度の視点から大きな真理に迫っているのかもしれない


2020/03/08

【研妻哲学55】ドイツ帝国と研妻の意外な縁

海外修行中の研究者夫と


まだドイツに住んでいたとき

なんの縁もゆかりもない土地に

住むことになってしまった

と内心嘆いていた



ドイツに引っ越した当初は

いろんな意味で

生活が苦しかったので

せめて言葉の壁がなければ

もっと生きやすいのではないか

という気持ちが大きくなり

学生の頃まで遡り

第二言語でドイツ語ではなく

フランス語を選んだことを

夫婦揃って後悔していた



実際にドイツで

生活することになる日まで

ドイツと無縁で暮らしてきたことに

途方に暮れていた



あんなにドイツとは何の縁もない

と思っていた

そう信じていた

そう確信していたのに

長かったドイツ生活をおえて

日本に帰国し

すっかり日本の文化に

感覚が戻った頃

ふと手にした本のある一文が

目に留まった



なんとドイツ帝国の誕生と

研妻の誕生が一緒だった



ないと信じていた縁を見つけてしまった




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


縁がないと嘆くのは、縁を見つける努力をしていないだけなのかもしれない




2020/03/07

【研妻哲学54】子どもと外出自粛。増える時間と、減る時間

新型コロナウイルスによる外出自粛


家で過ごす時間が長くなる

小さい子どもが休みで

家にいるとなると

お世話をする

親自身の時間が

減っていく



子どものお昼ご飯

が加わり

子どもの遊び相手の時間

が加わり

子どもの学習を後押しする時間

が加わるので

お世話をする人が

自由に過ごす時間は

減るだろう



子どものための時間



親のための時間



増える時間



減る時間



いっそのこと

両方同時に

実現できないだろうか



子どもも親も

一緒に楽しく過ごすため

親の好きなことを

子どもと一緒に

楽しむとしたら

親が興味を持つことを

子どもに教えて

そこから学びながら

過ごす時間は

きっと彩り豊かな時間



すべての時間が都合よく

いくわけではないけれど

子どもに与えているようで

子どもから与えられることも

たくさんある



親子はお互いに教えあい学びあえる





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


与えることは、与えられることであり、教えることは、教えられることなのかもしれない


子どもが先生になる時間があってもいいかもしれない


2020/03/06

【研妻哲学53】社会不安と、私の価値観の変化。生涯学習へ

研究者と研究者を支える人々を応援する、研妻哲学 #53

2020/3/6


海外修行をおえた

研究者の夫と

日本に帰国してから

隙間時間にコツコツと

資格の勉強をしていた

研妻の私



更新料が必要な

国家資格と

更新料が必要ない

民間の資格



前者の資格取得まで

あと一歩という所まで

たどり着いた

その矢先

新型ウイルスの感染拡大で

訪れた社会不安



資格を活用するには

大勢の人と対面し

資格を維持するには

費用がかさむ



また今回のように

経済が不安定になったら

子どもを持つ主婦としては

背負いたくないリスク



そんなわけで

どうしても絶対に必要だ

という状況が来るまでは

後者に注力してみる



もしかしたら

必要ないかもしれないし

あるかもしれない資格



時が来るのを

待つことにした



待つこと=

可能性にかけることが

嫌いではない

研妻らしい

価値観の変化が訪れた

と言うこともできるし

理想を追うのではなく

現実を選んだ

とも言える



その昔

ドイツの哲学者ヘーゲルは

理想的なものは現実的で

現実的なものは理想的

と表現している



理想が現実になったとき

また次の理想がやってくる



そうだとしたら

何にもとらわれず

自由に

好きな学びを

続けていく



幼い子どもが

遊びに夢中になるように

生涯学習に

夢中になってみる



好きなように学ぶ

という無限の羽を得た研妻が

今後どんな風に飛ぶのか

あるいは飛ばないのか

垣間見ることが

できるかもしれないし

できないかもしれない



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


理想と現実の板挟みなら、今を楽しみ続けるのもいいかもしれない


生涯学習を楽しむ秘訣は、何にもとらわれずに学ぶ姿勢にあるのかもしれない







・参考文献
書名:人生が変わる 哲学の教室
著者:小川仁志
出版社:中経出版
発行年:2010年





2020/03/05

【研妻哲学52】海外移住から本帰国後まで。私の適応段階

研究者と研究者を支える人々を応援する、研妻哲学 #52

2020/3/5


研妻の私が

日本の都会から

海外の地方に

移住し

日本に本帰国するまで

それぞれ新しい環境に

適応していくには

いくつかの段階

プロセスが

必要だった



有名な学者の理論も存在するが

ここではあくまでも

研妻の私が感じた各段階を

ちょっぴり細かく

振り返ってみる



【1】希望期

空港まで見送りに来てくれた

家族と離れ

夫と飛行機に搭乗し

現地の電車を乗り継ぎ

受け入れ先のボスの車で

ゲストハウスに到着

いよいよここから

海外移住生活が始まる

という希望を含む

わくわくした気分だった



【2】困惑期

ゲストハウスで

掃除機を借りたいが

ドイツ語でなんと言えばいいかわからず

戸惑う

スーパーに並ぶ食材が

ドイツ語ばかりで

なんて書いてあるか

さっぱりわからなくて

戸惑う

家庭のゴミの捨て方も

わからなくて

戸惑う

わくわくを過ぎて

戸惑ってばかりだった



【3】反発期

だんだん現地の人と

接する機会が増えていくが

日本のようにはいかず

イヤになる

日本語が通じない生活が

イヤになる

現地のちょっとしたことでも

イヤになっていた

心がイヤイヤを連発する

魔の2歳児のようだった




【3】葛藤期

イヤな環境が

ずっと続くと思うと

逃げ出したくなる

日本に帰ろう

いや、やめておこう

この繰り返しが続いた



【4】低迷期

長い葛藤が続き

外出が億劫になり

化粧もしなくなった

家にこもることもあった

何をするにも

やる気がおきず

気持ちが沈み

気分が低迷していた



【5】観念期

気の済むまで沈んだあと

現状に抵抗するのは

諦め

観念して

この環境を

認める訳ではないが

受け止められるようになった

まだ受け入れられないので

ただただ

受け止めるだけ



【6】受容期

受け止める

心の余裕がでてくると

周りのことが

頭で理解できるようになり

ゆっくりと徐々に

受け入れられるようになった

日曜に買い物ができなくても

そういう国なのだと

受け入れる

お店の品揃えに満足できなくても

そういうエリアなのだと

受け入れる



【7】適応期

そうして受け入れていくと

ようやく現地の生活に

気持ちが慣れていく

居住環境といった

外的な面も

人格の変容といった

内的な面も

順応していったように感じる



【8】維持期

葛藤を乗り越え

諦めて

受け止めて

受け入れて

やっと慣れたあとは

その生活を維持していく

今しかない

この生活環境を

楽しもう

という気持ちもわいてくる

今のうちに

という気持ちが大きくなり

家族旅行にもでかけた




【9】楽観期

維持期が長く続いた後

この海外生活も

いずれ終わるだろうと

楽観的になってくる



【10】解放期

日本への帰国の話が持ち上がる

いよいよ本帰国が

近づいてくる

これまでお世話になった人達へ

感謝の気持ちが沸き上がり

長年たえしのんだ心が

解放され始める



【11】対峙期

日本へ引っ越す

愁いを帯びた慌ただしさの中に

一部すっかり海外の感覚に

慣れてしまっていた自分に気づく

日本人の自分が

海外の感覚を身につけていることに

初めて対峙する



【12】悶々期

周りになかなか共感してもらえない

とわかっているので

海外生活のことを

あまり話さずに過ごす

心は悶々としている




【13】吐露期

わかってくれそうな人に

少しずつ打ち明ける

悶々としたものを

受け止めてくれそうな人に

受け止めてくれるだろうと

やや期待して打ち明ける

話すために

海外生活を思い出すとき

涙があふれることもあった

トラウマに似ていると感じていた

自分の心の底を掘り出して

吐露していくと

心と人格が

少し落ち着き始める



【14】最終適応期

時間の経過と

母国という環境がもたらす

安心感が

最終的な適応へと

導いてくれた






適応の段階は

十人十色





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


生活環境も自分(自我)の構成要素のひとつなのかもしれない


環境で人が変わる、というのは自分を構成する一部の要素が変わることなのかもしれない







*研妻の多文化適応の段階まとめ/メモ*

【1】希望期
【2】困惑期
【3】反発期
【4】低迷期
【5】観念期
【6】受容期
【7】適応期
【8】維持期
【9】楽観期
【11】対峙期
【12】悶々期
【13】吐露期
【14】最終適応期



2020/03/04

【研妻哲学51】書いた論文が批判されたときの捉え方

研究者と研究者を支える人々を応援する、研妻哲学 #51

2020/3/4


わが家の研究者夫が

過去に自分で書き上げた論文を

発表する際

パブリッシャーと呼ばれる出版側に

その分野の専門雑誌に

掲載するに値するか

審査を依頼したことがある



一発で審査に通る事は

なかなかない

らしい

このときの審査結果は

リジェクトと呼ばれる

現段階では掲載不可

というものだった



今のままでは

論文が発表できない

という訳で

匿名の審査員からの

問題点や改善点など

批判的と捉えられる

コメントと一緒に返された



これだけにとどまらず

どうにかこうにか

発表した論文に対しても

ある日

全く知らない研究者の論文で

批判的に引用される

ことがある



研究を続ける

ということは

批判にも直面する

ということ



そんなとき

その批判を

ネガティブに捉えるのではなく

淡々と捉えてみる



批判があるから

研究全体が発展する

問題があるから

克服して

次へ進める



批判を受けたら

それは個人の研究のみならず

世界各地で頑張る研究者の

研究全体が発展し

問題を克服する契機

と捉える

そうしてまた発展していく



そんな心構えも

わるくないみたい



この捉え方の根源は

その昔

ドイツの哲学者

ヘーゲルの

弁証法的思考にも

少し当てはまるようで

概念自体は

さらに昔となる

ソクラテスの時代から

あったそうだ




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


批判や問題がなければ、発展も克服もできないのかもしれない






・参考文献

書名:カウンセリングの実際問題
著者:河合隼雄
出版社:誠信書房
発行年:1970年


書名:人生が変わる 哲学の教室
著者:小川仁志
出版社:中経出版
発行年:2010年








2020/03/03

【研妻哲学50】研究者もウイルスにとって人間という住処

研究者と研究者を支える人々を応援する、研妻哲学 #50

2020/3/3


研究者でも

研究者でなくても

カウンセラーでも

カウンセラーでなくても

学校の先生でも

先生でなくても

ウイルスに直面したら

ただの人間

生き物

ウイルスが生き延びる

生命体



周りの人々が

素晴らしい

と言ってくれたり

そうでなかったりする

肩書き

年齢とともに

変化するであろう

肩書き



今の自分を

表現する

肩書き



どんな立派な肩書きも

ウイルスには

関係ない

という現実



そんな肩書きにとらわれず

自由に

気の赴くままに

学びの対象を

広げてみる



この肩書きでないと

学んではいけない

という学びはない



今の肩書きに

とらわれ

惑わされることなく

自分と向き合い

自分を深め

自分と対話し

視野や器をひろげていく



静かな時間をくれる

学びは

贅沢品



カウンセリングも似ている

相談者が

自分で自分を

見つめ直す時間をつくり

内省を促し

心に寄り添う

心静まる

贅沢な時間




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


どんな肩書きもウイルスに関係ないなら、専門分野に限らず学びの対象を増やしていくといいかもしれない


それらがいつか繋がるかもしれない








2020/03/02

【研妻哲学49】コロナ休日がもたらす、夫婦の会話

研究者と研究者を支える人々を応援する、研妻哲学 #49

2020/3/2


新型コロナウイルスの影響で

子どもの春休みが

急きょ前倒しで始まる

保護者がざわめく

教員が心を重たそうにする



家庭では

この数日前から

研究者夫との

夫婦の会話が増え始めた

会話のバリエーションが

雨上がりの虹のように

色づき始めた



目に見えない

新型ウイルスという脅威が

少なからず影響して

今まで以上に

言葉を交わすようになった



不安な環境では

人との絆や

人との繋がりが

強まるのは

自然なことで

健全な

心の状態を表す



人として

可能な限り

ウイルスを移すのではなく

言葉や愛情を

移していきたい




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


目に見えないモノの大切さは、目に見えないモノが教えてくれるのかもしれない








2020/03/01

【研妻哲学48】自宅でのストレス解消に、心理・芸術療法

研究者と研究者を支える人々を応援する、研妻哲学 #48

2020/3/1



研妻の私が若い学生だった頃

日頃のたまったストレスや

心のうやむやを

すっきりさせたくて

自発的に

自宅でコラージュ作品をつくり

部屋にしばらく飾っておいた



当時のお気に入りの

色合いの写真や

憧れの場所の写真を

貼りあわせ

簡単な飾りをつけただけの

シンプルなものだったが

その完成度に

我ながら満足していたので

壁にかけて

眺めるだけで

心が踊った



コラージュ作品とは

雑誌や写真などの切り抜きを

自由に貼り合わせて

ひとつの作品をつくること

つまり

自分の好きな雑誌

気に入った写真

広告チラシさえあれば

自宅で簡単にできて

心がすっきりする

ということ



これがいわゆる

心理療法のひとつ

「芸術療法」の

「絵画療法」に

かかわる行動であったことを

後になってから学んだ



こういった芸術作品を

作ること自体に癒し効果があり

専門用語では

カタルシス(浄化)効果

と呼ばれ

芸術に打ち込むことで

心が解放されることをいう



自宅で

自由に

気に入った写真を

切り貼りすると

心が少し軽くなる

可能性がある



大切な思い出

将来の目標や夢

旅してみたい場所

大好きな人やモノ

自分がコレだ

と思うものを貼りあわせて

過ごす時間は

きっと心に特別な栄養を

与えてくれる




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


自分を癒すことができるのも、自分なのかもしれない





・参考文献
書名:徹底図解 臨床心理学
編著者:青木紀久代
出版社:新星出版社
発行年:2010年




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