お知らせ

▼研究者を支える妻の会「研妻会」Webサイト

▼「研妻会」インスタグラム気まぐれ更新中

ラベル 学び の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 学び の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021/05/15

緊急事態宣言と親子の学び宣言・研妻哲学411

親子で机に向かう時間


幼児の学びと親の生涯学習


子供たちが机に向かう時間が
ほんの少し
確保できるようになってきた近頃

子供が机で何かに夢中になっている間
親の私は隣でなにをしようか
という新たな考え事が浮上

子供が机に向かうのは
そんなに長い時間ではないので
海外ニュースをチェックしたり
音楽を聴いたり
読書したりして
呑気に過ごせればいいのだけど

私が横でニュース映像を流したり
音楽を聴いたりすると
もちろん子供も観たがり
本を読んでいると
本に関する質問が飛んでくる

それはそれでいいのだけど
せっかく机に向かって椅子に座り
好きなことに集中しているので
できればそのまま
子供自身の世界に没頭してほしいし
邪魔はしたくない

そこで少し考えて
私も子供と同じ姿勢で机に向かい
何かを学ぶことに

スピード感を持った学びより
ゆっくりじっくりできる
学びの方が好みなので

子供の脇でサポートしながらでも
できそうなことを見つけて
ゆるりと生涯学習する
と、密かに家庭内宣言発出

以前から生涯学習に触れてはいたけれど
今回は内容と気持ちを新たに
子供に軸を置いて再スタート

家庭で生涯学習宣言をだしてみると
それに関わる準備もみえてきて

子供たちの準備にプラスされる

妻としてのサポートに
母としてのサポートが加わり

これから親子で机に向かう時間が増える

2021年5日15日、金曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



緊急事態宣言下の家庭において、生涯学習宣言を出してみてもいいかもしれない




(追記)
生活スタイルの変化に伴い、しばらくの間ブログの更新回数が減りますが、受けとったメッセージはこれまで通り確認させていただきます

子供の成長に合わせてまた回数を増やせればと考えています!






2020/11/13

外出時、子供のマスクを忘れて困惑。そこからの学び・研妻哲学305

子連れ外出でマスクをつけ忘れて


仕方なく赤ちゃん用マスクを代用


新型コロナの第3波が来たと言われる日本

上の子の習い事がある日

移動する直前まで
お昼寝していた子供たち

時間には少し余裕を持って
起こしたはずだけれど
結局、家を出るのはギリギリになってしまった

いつもなら玄関で
子供がきちんとマスクをつけているか
確認するのに
このときは慌てていたため
子供がマスクをしていないことに気づかなかった

外を歩きはじめ
習い事の教室が近づいてきた頃
ふと上の子がマスクをしていないことに気づく

上の子の習い事なので
マスクがないと受けられない

けれども
もう家に戻る時間はない

仕方なく
たまたま鞄に忍ばせていた
赤ちゃん用マスクを
代わりに使ってもらうことに決めた

このマスクは
乳児でも呼吸がしやすいよう
立体型につくられていて
大きさは幼児にはやや小さい

もうこれしかないので
多少、小さくても我慢してもらう

短時間の習い事でも
耳が痛くなったと言うので
かわいそうなことをしてしまったと思いつつ
次は幼児用の予備マスクを
鞄に常備する必要があると実感

さらには
外出時のエチケットバッグと呼べるような
小さな鞄を上の子に持たせることを習慣づけて
そこにハンカチ、ティッシュ、絆創膏に
マスクを加えてもいいかもしれないと思い始める

2020年11月13日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



日常の小さな忘れ物から学ぶことで、より大きな意味を持つ忘れ物を防げるかもしれない








2020/07/24

研妻哲学193・幼児と在宅ワークに挑戦した結果。単発の仕事でも難あり

育児と単発の在宅ワーク

フルタイムの仕事に復帰することは
既に諦めている話を以前書いたが

今回は単発のお仕事の話

会社経営をしている大先輩ママが
ワーママは子供のお世話をしながら
自宅から会議に参加して構わない
と断言していたことをきっかけに

そろそろ下の子も言葉を理解し始めているし
上の子と一緒に少しの間なら遊んでいて
くれるかなと期待して

試しに夫が仕事で不在の日中に
ほんの数分だけ仕事の電話にでてみることにした

それまでは仕事に限らず読書なども含めて
ひとりの時間が必要なときは
もっぱら自分の時間が
確実に確保できる早朝の時間帯だけで
済むようにしていたけれど

現状どこまでできるかを把握するため
子供たちが起きている間に
自宅で単発の仕事の電話に対応してみた

その結果、心が折れそうになった

リビングルームに子供たちを残し、
書斎のような部屋へ私だけスマホを持って移動

いざ電話が始まると
早くも廊下の先から
下の子が泣き叫ぶ声が聞こえてきた

用件を済ませて急いでリビングルームに戻ると
安心感からか今度は上の子が泣き出した

下の子が泣いていたので、
おそらく上の子は我慢していたのだろう

泣き顔の子供たちを抱きしめながら、
これはまだまずいと実感した

下の子の機嫌がいいときだったり
お昼寝のタイミングだったりすると
いいかもしれないけれど、
家にいても私の姿が見えないのは
子供たちにとって相当ストレスになるようだ

かといってリビングルームでは
仕事にならないことを悟った

この初めての試みにより
わが家の場合はまだ当面の間、
これまで通りに過ごすのがよさそうだとわかった

子供たちの成長と共に模索が続く

ちなみに若者は電話が苦手と聞くけれど
メールで済ますこともできる内容を
今回あえて電話で対応したのには理由がある

コロナ禍で人と接する機会にも
制限があり、相互理解を深めるには
電話の方が適していると判断した

もちろん毎回ではないけれど
ビジネスメールだと簡素になり
相手の心の熱を感じとることはできないが
電話なら口調や受け答えから
かすかに感じることができる

まさにコロナ禍で抜け落ちている
部分ではないかと思っている

まだ縫い合わせる前に
落としてしまったキルトを拾い上げて
大きなキルトに繋ぎ合わせるような
作業ともいえる
一見なんでもない無駄なような時間が
今は人々を繋げているのではないだろうか

外出するにも、仕事するにも
何かと制限がつきまとう
2020年7月24日、金曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



制限は新しい可能性に挑戦させてくれるのかもしれない







2020/06/07

研妻哲学146・ウエディング業界の博学者は「共感」から愛を生む

博学者が見つめる未来

さまざまな業界にカリスマと
呼ばれる人物がいる

ウエディング業界の
カリスマと呼ばれる人物と
出会ったのは私が18歳の頃

以来、恩師のひとりとなり
折に触れてこの女性博学者の
背中から学んだことを思い出している

▼恩師が執筆した最新記事
プレジデントオンラインのサイトへのリンク

今日はこの記事を読んで感じたことを
ここに記録していこうと思う

私の恩師は今、ウエディング業界から
スペシャリストと呼ばれるスタッフや
お客様が離れてしまう流れを受け止め、
未来に備えて活動することで
アフターコロナ(ポストコロナ)と
向き合っている様子がうかがえる

新型コロナで人々が3密を避ける
ようになった今、結婚式に呼ばれて
大勢で集い祝う機会は
確実に減ってきている

けれども、今よりもっと先の未来を
想像してみると

ウイルスと共存する道を手に入れた
未来の人々は、これまでとは
異なるかたちで再び盛大な
結婚式を挙げる可能性がある

その時、
今のウエディング業界に
それを実現させる体力があるだろうか

結婚式やホスピタリティについて
学びたい新人は、思うように
教えを乞うことができるだろうか

自粛生活で私たちは思うように
買い物もできなくなり、その不便さを
痛感したばかり

人と人との間だけでなく
時と時との間にも
間隔ができているように感じる

つまり教える側には
教えるタイミングがあり

教わる側にも
教えてもらうタイミングがあり

そこにタイムラグが
生じているという現実である

これはウエディング業界に限らず
たとえば農業にも当てはまる

日本の農家では高齢化が進み
昨年まではどうにか人を集めて
なんとかできた農作業が
今年は人を集めることさえも
難しく、年齢的にも体力や気力の
限界を感じずにはいられない状況

それでも若者は、今はできないけれど
いずれは農業を受け継ぎ、
次の世代へ繋げたいと
思っているかもしれない

そうなると、本当にやる気になった時には
もう教えてくれる人がいない可能性がある

教える側のタイミングは「今」であって
教わる側のタイミングは「未来」なので

ここにもタイムラグが生じてしまう

そういった差を少しでも縮めるために
博学者は動いているのかもしれない

人々が筋肉を鍛えるのと同様に、
ウエディング業界が再び注目されたときに
業界人が力を発揮できるよう、
筋力トレーニングができる環境を整え、
提供しているようにも見受けられる

なぜそんなことができるのだろうか

それはきっと、未来の人々に
共感しているからできること
のような気がする

相手を思いやる「共感」は愛を生み
人々がお互いに傷つけあうことがないよう
倫理観を支える土台となる

テロが多発した海外では
「思いやり」を重視した教育が
注目を集めているくらい
未来に向かう現在の生活に
なくてはならない
大事な要素となっている

駆け出しのカウンセラーや傾聴者が
最初に学ぶことも共感であり
日常生活にも活かせることばかりである

愛を生む究極のホスピタリティを
教えてくれる博学者は
自らの実践を通してその重要性を伝え
私たちをより平和な未来へと
導いてくれる気がしてならない




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


共感力の授業は、主要科目と同じくらい大切なのかもしれない






・参考文献
書名:究極のホスピタリティを実現する「共感力」の鍛え方
著者:安東徳子
出版社:コスモ21
発行年:2017年

書名:魔法の「共感力」レッスン
著者:安東徳子
出版社:コスモトゥーワン
発行年:2010年




2020/05/17

【研妻哲学125】突然鳴り響く火災報知器が教えてくれたこと

緊急事態宣言下の特定警戒区域のわが家

ある日突然、家の火災報知器が鳴り響いた

ただでさえ緊急事態なのに、
さらなる緊急事態を知らせる音に
心は動揺を隠せなかった

たまたま家族全員が家にいる
時間帯だったので

下の子は夫が抱きかかえ
上の子と私は手をつなぎ
こんな時期なので一応マスクをつけて
慌てて外へ一時避難

近所の人々も続々と避難を始めて
警察と消防が原因を調査してくれた

この時、日本では警察と消防の連携が
海外よりも強い印象を受けたが、
たまたま住んでいた海外の地域が
連携が薄かっただけかもしれない
という話は置いておいて話を戻すと

最近外出する機会が減り、遠出もしない
日々に慣れてしまい
家の中が一番安全だと思っていた
矢先に起きた出来事

これまでの思い込みを改める
きっかけとなった

家にいても避難せざるを得ない
状況もあるということを
火災報知器が教えてくれた

避難するための防災バッグについて
真剣に向き合う時を告げられた気がした

ウイルス対策に暑さ対策、
火の用心が加わった2020年5月




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


一番安全とか、絶対安全とかは、幻想かもしれない

と思っておくといいかもしれない



2020/05/13

【研妻哲学121】外出自粛の散歩。自動販売機から学べること

緊急事態宣言が出される前

まだ日常の生活様式に大きな変化が
訪れる前は、自動販売機で何かを
買う機会が少なかった私たち親子

それが一変

外出自粛で小さな子供を連れて
買い物をしずらくなった今

自動販売機の存在のありがたみを
感じている

公園や近所を散歩している途中に
小さな子供たちと一緒に
気軽に買うことができる

店内に入る必要がないだけでなく
子供たちにとって、自動販売機で
何かを買うこと自体が
ちょっとしたイベントになっている

子供たちにとっての非日常のようである

あちらこちらに自動販売機がある国は
おそらく日本くらいではなかろうか

海外生活で見かけた自動販売機は
駅構内や屋内に限られ、たいていは
鎖に繋がれていた

鎧のような柵をまとっている
自販機にも出会った

鎖に繋がれず、鎧もまとわず
外の空気を自由に吸える
自動販売機がある国に
昔の人たちが残してくれた安全な暮らしを
未来を生きる子供たちに
引き継ぎたいものである




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


私たちの暮らしは、今は生きていない人たちにも支えられているのかもしれない


今を生きている私たちは、まだ生きていない人たちを支えることができるかもしれない





2020/05/10

【研妻哲学118】新型コロナと日本昔話から学べること

新型コロナと日本昔話

かさじぞう
鶴の恩返し
三年寝たろう
といった、よく知られている日本の昔話の
主人公はたいてい貧しい

若者もおじいさんもおばあさんも
現代の我々の暮らしぶりとは
ほど遠い生活様式であることがわかる

それが昔の日本を代表するような
生活だったのだろうと想像がつく

昔と今の当たり前の境目は
はっきりしないけれど

いつしか当たり前は当たり前では
なくなることだけは確かなようだ

ということは、今の私たちの
何気ない当たり前だと思っている
日常生活は、そもそも
変化するものであると知っておくと
健全な心を保ちやすいのかもしれない

ウイルスも変異するように
この世に存在する限り
変化の連続なのだろう




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


今この瞬間も、変化しているのかもしれない





2020/04/10

【研妻哲学88】緊急事態宣言3日目。コロナから学ぶこと

新型コロナウイルスからの学び

人と人とが、距離をとるように
注意を促されている
1.5メートル、できれば2メートル

心の距離だけでなく、物理的にも
こうして距離ができることで
人間関係も変わってくるだろう

実際に人付き合いは、ある程度
距離が保たれる方がうまくいくように
現実とも距離がとれると、私たちの不安は
少し軽くなるのではないかと思う

心を癒してくれる絵画が近すぎると
よくわからないように
現実が近すぎてよく見えないと、不安になる
現実が過去のものになると、距離ができるので
見渡しがよくなるものだ

美術館や博物館の展示物は
たいてい直接触れられないように
囲われていて、来館者が
近づきすぎないように配慮され、
展示物との間隔が設けられている

現実と人付き合いとコロナに
共通して大切なのは「距離」といえそうだ

距離という言葉に何かしらネガティブな
印象を持つ場合は、「間隔」と言っても
よいだろう

この間隔の重要性を学んだ、
緊急事態宣言から3日目の夜




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



不安な現実と向き合う今、現実との間隔調整が大事かもしれない