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2020/06/30

研妻哲学169・海外から日本の幼稚園に転園して驚いたこと6つ

海外と日本の幼稚園

海外といっても
ドイツの森というより山の中にある
幼稚園に通っていたわが子

引っ越しの前日まで
現地のキンダーガーデンに通い

日本へ引っ越して
2週間後くらいには
日本の幼稚園に通い始めた

短期間で環境は激変

家族でバタバタだった

この時はとにかく
遅れないことが
最優先だった

幼稚園の制服を着るのは初めてで
持ち物の扱いにも
慣れていなかったので

登園時間や提出物の期限に
遅れないことに
必死だった

そんな変化の中
転園してまず驚いたことは
持ち物リスト

子供の持ち物に細かく指定があり
数も多い

名前を書く場所まで
きっちり指定されるものがあると驚いた

ドイツの幼稚園のお気楽さが
一気に懐かしくなった瞬間でもあった

次に上履きを毎週
持ち帰って
自宅で洗い、
翌週に持ってくる
という決まりごと

ドイツのキンダーガーデンには
約2年通ったので

汚れが目立つときや
履き古したときは
洗ったり新しく用意したりしたけれど

上履き(ルームシューズ)を
幼稚園側から
洗うように
言われたことは一度もない

そして3つ目は
雨で濡れた滑り台
使用禁止になること

ドイツでは泥んこ遊び用のつなぎ服を
着て、雪の中でもソリ遊びのように
滑り台を楽しんでいたわが子

日本で通っている幼稚園では
雨で濡れていると
滑り台にバツ印がついて
滑ることができない
と子供から聞いたときは驚いた

4つ目はベビーカー置き場

日本の幼稚園にはベビーカー置き場が
ほぼないか
あるいはとても狭いスペースである
ことが多いように思う

おそらく日本のベビーカーは
コンパクトに折りたたむことが
できて収納場所をとらないから

けれどわが家は引っ越しの前に
譲り受けた大型ベビーカー
(キンダーワーゲン)を
今も使用しているため
とにかく場所をとってしまう

ドイツでは自転車と
同じ場所に置いておくことも
多かったので

日本でも園内で邪魔にならないように
自転車の駐輪場に置いたら
ママチャリの数が多くて
逆に邪魔になってしまったこともある

気をつかったつもりが、
空回りにおわる
虚しい現実だった

ならば日本のベビーカーを
使えばいい話なのだけれど

横断歩道や電車の踏切にある
ちょっとした段差や溝には
やはり欧米の大型の方が押しやすい

それまでは大きくて場所ばかりとってと
扱いにくい部分ばかりに目がいきがち
だったけれど

日本のベビーカーだと
引っかかってしまう段差や溝で
全然とまることなく
スイスイ進めるという
魅力を知ってからは
断然大型派になった

引っ越しの際に日本へ持っていくか
迷っていた私にアドバイスをくれた
現地の先輩ママたちに
心から感謝している

そして話を戻して5つ目

先生が女性ばかりということ

海外では男女比が半々か
6対4くらいだったが
日本で通う幼稚園は
先生が全員女性で
引っ越してきた当初は新鮮に感じた

最後はお弁当

ドイツでは野菜や果物、
ハムやチーズといった
冷たいものを持たせるのが
一般的だった

しかし日本では食べ物に
熱を通すように言われる

どちらの国も
腐った食べ物を食べずに済むように
という視点からの指導と思われるが
その方法は真逆だ


そんな転園当初の驚きを振り返った
2020年6月30日、火曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


多様な人が住んでいる地球で、殻に閉じこもるのはもったいないかもしれない









2020/06/29

研妻哲学168・自己中な大人の話。その人は不安と向き合っていた

自己中な大人

まだ新婚の頃の話

かつてフルタイムで
勤務していた私

夫の海外修行が決まった矢先

勤務先に退職することを告げて
業務の引き継ぎと同時並行で

海外帯同の準備を進めなければ
ならなかった

業務の引き継ぎ
退職の手続き
引っ越しの荷造り
不動産屋のやりとり
航空券の手配
海外生活の情報収集
現地の言葉の習得
ビザに関する書類準備

といった渡航に関する
あらゆることが
頭を目まぐるしく駆け回っていた

そんな理由で
私はかなり自己中心的な
振る舞いをしてしまうようになっていた

当時を振り返ると
とても恥ずかしい

穴があったら入りたいくらい
自分のことばかり考えていた

言い換えれば
自分のことを考える余裕しかなかった

つまり
大きな環境変化を間近に控えて
強い不安にさらされ
自分のことしか
考えられなくなっていた

なのでいつもなら仕事の話で
盛り上がる会議直後の雑談さえも
うまくできず

とんちんかんな返しを
してしまったことを
今でも覚えている

当時の同僚には
申し訳ない気持ちが
今でも残る

自分が自己中になってきたら
不安を抱えていないか
今一度、確認したい

たまたま手にした1冊の本で
恥ずかしい研妻の過去を振り返った
2020年6月29日、月曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


ちょっと自己中な人がいたら、不安と向き合っていないか考えてみるのもいいかもしれない




・参考文献
書名:幸せになる勇気
著者:岸見一郎、古賀史健
出版社:ダイヤモンド社
発行年:2016年



2020/06/28

研妻哲学167・夏休み2週間、8月に終業式と始業式が初めて重なる2020年

2020年、新しい夏

幼稚園から来月の予定表が配られた

そこには
7月に夏休み開始の記載はなく

代わりに
8月の主な予定として

1学期 終業式
2学期 始業式

両方の文字が目に入る

つまり
約2週間の夏休みとなる
お盆休みを跨いで
学期が変わる

新しい夏休み

新しい経験

今までになかった
同じ月にひとつの学期が終わり
また新しい学期が始まる

なんだか目まぐるしい

園児と保護者でさえ
慌ただしく感じるので

先生方はもっと忙しく
感じているかもしれない

こんな時期なので
夏休み中も体調管理に
気を配ることになる

今月から登園しない
土日も含めて
毎日検温しているので

夏休み中も検温するように
言われる可能性もある

幼稚園はお休みでも
検温は休めない
2020年6月28日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



初めて経験する短縮夏休み、どう意味づけるかは自分次第なのかもしれない




2020/06/27

研妻哲学166・消毒液や手洗いマスクが店頭に並ぶ!数ヶ月ぶりの光景

最寄りのドラッグストア

今月から子供の登園も再開して
以前のような日常が戻って
もうすぐ1ヶ月

それまで約3ヶ月もの間
幼稚園は休みだったので
そろそろ子供たちに
疲れが見え始めてきた

そんな中、
とうとう
ついに

マスクと消毒液が
店頭に並んでいる
光景を目の当たりにした

やっと普通に買えるようになり
安堵する

子供を幼稚園に預けたあと
最寄りのドラッグストアへ立ち寄ると

液体石鹸などは
まだまだ棚の空きが目立つけれど
マスクや消毒液は、
だいぶ補充されるようになった

使い捨てマスクはあまり置かれて
いないけれど、
手洗いできるマスクが
普通に売られるようになり
大人用の予備として1袋購入した

子供はマスクをすぐ汚してしまうので
子供用を買い足したいけれど
暑さと梅雨のジメジメもあるので
どういった素材の
どういった形がわが子にあうのか
まだ判断がつかないでいる

それでも、ほしいときに
すぐに買いにいけるようになったという
ひとまずの安心感を手に入れた
2020年6月27日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


商品の品揃えだけでなく、目に見えない安心感をつくりあげるお店の存在に救われているのかもしれない





2020/06/26

研妻哲学165・私の熱中症対策。夏休み短縮に向けて準備開始

わが家の熱中症対策

まだ梅雨入りする前
今年の夏休みは短縮されるらしい
と噂されていたときから
何かと気になっていた熱中症対策

最近は、大人でも送り迎えの往復だけで
かなり体にこたえる暑さの日もある

そんな中、できる範囲で
徐々に対策アイテムを増やしてきた

まず買いそろえたものは
ネッククーラー

百貨店で売られていたものを
保冷剤を入れて使用するものと
水に濡らすだけのもの
2種類を用意した

今のところは
水に濡らすタイプだけを使っている

ちょうど首にあたる厚手の部分を
水に濡らして首に巻くだけなので
とても簡単に、気軽に
身に着けられる

生地が厚手の部分だけを
湿らせれば水が垂れることもなく
快適に使えることが最近わかった

ところが、子供たちは
首に巻くことに抵抗があるようで
なかなか身に着けよとしない

困った母親の私は、次に
子供用の冷えピタを購入

最近ドラッグストアに行くと
やたらと目につく場所に
冷えピタが置かれているな
と思っていたら

発熱時だけでなく
どうやら熱中症対策としても
需要があるようで
これなら子供も使ってくれるかなと
少し期待して買ってみた

海外にいた頃は買いたくても
買えなかった冷えピタは、
あるだけで安心感を与えてくれる
女神のようなアイテム

こんなに簡単に手に入るなんて、、、
と、日本の便利な生活を噛みしめる

特に未入園児の下の子は
首に巻くのも酷く嫌がるので
好きなキャラクターが
印刷された冷えピタなら
はってくれるのではないかと思い
試しに買ってみた

家に帰って早速
お気に入りのキャラクターに
良い反応をしめすわが子

ところが
いざ、首のうしろに貼ると
物凄い勢いで泣いて嫌がる始末

これもダメか、、、
と落胆する私

園児の上の子はどちらも
説明すれば使ってくれるけれど
手ごわい下の子の熱中症対策

ベビーカーにつける保冷剤
起きている間はつけさせてくれない

寝ているときだけ
赤ちゃん用の保冷剤が活躍しているが

これからくる猛暑にどう対応するか

果たして「暑いから休みます」
が通用するのか
まだ模索する日々が続く
2020年6月26日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


初めて尽くしの2020年、楽しむといいのかもしれない





2020/06/25

研妻哲学164・塾に行きたい子供、体験前の学力テスト

幼児向けの塾

幼児のわが子が塾に行きたいと
言い出してから数日が経ち

近所で幼児向けの塾を探すと
あまり選択肢がないおかげで
候補はすんなり絞られた

早速、電話で予約

予約した日にちまでに
子供のやる気が消えてしまったら
どうしようかとも思ったけれど

無事に消えることなく
予約当日を迎えて

体験レッスン前の
学力テストと呼ばれるものを
受けてきた

テストと言っても
堅苦しいものではなく
優しい先生が付き添ってくれて
楽しく会話しながら
進めていくわが子の後ろ姿を
見ているだけだった私

その場でテストの結果を
知ることはできず
次の体験レッスンで使用する
教材選びの参考にすると
説明された

子供が好きそうな
プリントを宿題代わりにもらって帰宅

すっかりやる気になっている
わが子は、その日のうちに
すべて終わらせてしまった

次回まで1週間あくけれど
モチベーションがもつかどうかが
ちょっぴり心配な
2020年6月25日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


子供のモチベーションより、親の欲をコントロールする方が難しいかもしれない





2020/06/24

研妻哲学163・子育て支援センターを初めて利用。新型コロナの影響も

日本の子育て支援センター

家から歩いて行ける距離に
子育て支援センターがあることは
引っ越してきた当初から知っていた

けれど
なかなか行く機会がなかった

そんな中
最近は上の子を幼稚園に預けたあと
下の子が体力を持て余すように
なってきた

幸いなことに子供の微熱は比較的
短時間で平熱に下がり、
鼻詰まりもなくなって
夜もぐっすり眠ることができて
元気いっぱい

そこで思い切って
はじめて子育て支援センターを
利用してみようと閃いたわけだけれど

新型コロナウイルスの影響で
どこもしばらくの間
お休みしていたらしい

6月に入って徐々に再開しているが
時間の短縮だったり
室内はNGで園庭のみだったりで
いろいろと制約があるようだ

ということが
いざ行こうと思って
調べてみてわかってきた

今の時期は
夏の強い日差しや
梅雨の悪天候もあるので
室内で遊ばせたい気持ちがあるけれど

最寄りの支援センターは
時間を短縮して園庭のみ
開放しているようなので

とりあえず上の子を預けたあと
下の子を連れて行ってきた

支援センターの建物に到着すると
入り口がわからない

これはよくあることで
海外で森の中の幼稚園に上の子を
通わせるときも、園の入り口が
わからず周辺の山道をウロウロと
何回か往復してしまった

そんなことを思い出しながら
保育園に隣接する支援センターの
周辺を行ったり来たりして

ようやく入り口を発見

こうして書いていると
今後は事前に入り口を調べて
おけばいいのだと気がついた

暑い中、どうにか到着すると
2人の支援員が迎えてくれた

そしてどうやら
私たち親子がこの日
最初の1組だということが判明した

多い日でも3組の親子と言っていたので
とてもこじんまりとした印象だ

検温をして氏名を書いて
手洗いと消毒をして
名札をもらった

園庭には乳幼児向けの遊具が
いくつかあり、きれいな砂場があった

そもそも海外で子育てしていた頃は
砂場をキレイとか汚いとか
そういった目でみたことがなかった

けれど日本のお母さんたちは
砂場がきれいかどうかを
きちんと意識していることを知り
私もそういう視点を持つようになった

遊び始めるときと、帰るときに
水道で手洗いと消毒ができるので

近所の公園より衛生的な環境で
遊べることがわかった

わが子も貸切状態の
支援センターを満喫できた様子

また時期をみて
利用させてもらおうと思う
2020年6月24日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


気にするか気にしないか、常識は視点で大きく変わるのかもしれない




2020/06/23

研妻哲学162・子供に風邪の初期症状。休むときの変化

子供が風邪で休むとき

なんだかくしゃみの回数が
多い気がする、と思っていたら
翌日に微熱と鼻詰まりのわが子

6月頭に登園が再開してから
通っている園からのお便りでは
風邪の症状がみられたら
家で休養するように書かれている

特に今はこんな時期なので
風邪の症状には
いつもより敏感

すぐに幼稚園へ休むことを伝えた

朝から一日中
子供たちのお世話で家にいる日に
かぎって、夫から仕事で遅くなると
連絡が入った

こういうとき
近くに身内がいたらな
と思う

いるだけできっと安心感が
違ってくるのではないか
と想像する

そんなことと一緒に
次の日、熱が下がっていても
鼻水がでていたら
休ませるべきかを考える
2020年6月23日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


新しい日常は、子供の休み方も変えたのかもしれない






2020/06/22

研妻哲学161・美容室でマスクはいつ外す?そのタイミング

美容室でマスク

6月3日に美容室に行くタイミングを
逃してしまった話を書いた

約3週間後、
とうとう美容室に行くことを
実現できた

産休・育休明けの担当美容師さんとは
半年以上ぶりの再会

顔見知りの少ない土地で
少しでも馴染みのある顔は
やっぱりどこか安心感がある

この美容室は家から近いので
予約時間の直前まで家事をしていた

家をでるとき、ふと
ヘアカットの最中はマスクをどうするか
という疑問が頭をかすめた

マスクをしたまま
髪を切ってもらえるのだろうか?

家からマスクをつけていくので
どのタイミングで外すのか?

それとも外さないのか?

なんて考えながら
子供を連れて美容室に向かった

とりあえずマスクをつけたまま
到着すると、検温をして
手の消毒をしたあと
靴底の消毒もしてもらった

席に案内されると
今日のリクエストの確認を行い
いざヘアカット!

というこのタイミングで
透明ビニールのマスク袋が運ばれてきて
つけていたマスクをその袋へしまった

外出時にマスクを外して人と
会話をするのはいつぶりだろう

ちょっとした緊張感がはしった

2020年6月22日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


新しい日常は、新しい連帯感を生むのかもしれない







2020/06/21

研妻哲学160・海外の個人主義と日本の内輪重視。違いはどこから?

日本の内輪と、海外の個人

どちらも家庭以外の外面、
いわゆる外側での振る舞いを
意味していると捉えた場合

日本と海外の違いがどこから
生まれるのか

おそらくは、
早いと誕生して数ヶ月で
その違いを生む環境に
身を置かれることになるのではないか

というのも、主に欧米など
海外では生後数ヶ月の赤ちゃんでも
1人で寝ていられるように
親がベビールームや子供部屋を
用意するのが主流となっている

日本では海外のスタイルがだいぶ
入ってきているとはいえ
まだまだ親子で川の字になって
寝ている家庭も多いようである

小さい頃から1人でいる訓練を
受けてきた海外の人と

小さい頃から肌が触れ合う
環境にずっと身を置いていた
日本の人とでは

人との接し方、
距離の置き方に
違いがでてきても
おかしくない

むしろ違いが出ない方が
おかしく感じられるもの
なのかもしれない

どちらが優れているとか、
どちらがわるいとか
そういうことではない

人それぞれ相性があると思うので
どっちがいいと断言できるものではない

ただ、海外育児を経て
日本で子供を通して保護者と
かかわりを持つようになった今
多少これらの事が影響しているように
感じることがある

たとえば、
子供の送り迎えのシーン

海外ではあまり経験しなかったけれど
日本では帰るときに他の親子を
待つ傾向がみられる

これを「日本の待つ美徳」と
勝手に呼んでいる

どうやら待つ行為が、
好意と受け取られるようである

待ち人が来てやがて
複数の親子がグループとなり
帰り道を歩いていく

この光景は、小さい頃から家族と
肌が触れ合う環境に置かれていた
ことを連想させる

つまり内輪と認めた間柄の者同士、
離れないことを心地よく感じる
ように肌が覚えているのだろう
と想像できる

言い換えれば、
この内輪以外は外側となる

なので待たないとどうなるかは
簡単で、内輪ではない
という事を示す行為になるようだ

もし日本の子育てに奮闘している
海外の人がいたら、そっと
耳に入れるのもわるくないだろう

一概にこうと
言い切れる話ではないけれど
多少は関係しているのではないかと
思えてくる
2020年6月21日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


日本と海外の内輪と外側の捉え方は、随所に影響しているのかもしれない





2020/06/20

研妻哲学159・急に「塾に行きたい」と言い出した子供。その理由

塾に行きたい子供と焦る親

ある日突然
塾に行きたい
と言い出したわが子

きっかけは1冊の絵本だった

ふと図書館に立ち寄り
たまたま目についた絵本の
タイトルが、ちょうど季節的に
今にぴったりだと思ったので
内容を確認せず借りてきて
ある晩、子供が寝る前に
一緒に読んだところ

塾に行きたい
と言い出したのだ

その絵本は園児のわが子より
ちょっと大きい小学生の話だった

そこでたまたま登場した塾が
新鮮で心惹かれた様子で
どうやら急にやる気になったようである

今のところ
音楽の習い事は続いているけれど、
勉強系の習い事は短期間で
やめてしまった経験がある

というのも、
日本語に飢えていた海外育児の間に
日本語で学べる塾に
強い憧れを抱いた親の私は
帰国後、意気揚々と早速子供を
通わせてみたのだ

そうして勉強系の習い事に
通わせた結果、
幼稚園で描いてくる絵が
真っ黒になってしまったのだ

それまではカラフルな絵を
描く子だったので、これは相当
プレッシャーがかかっているのではないかと
親としても反省させられる部分があり、
思い切ってやめることにした

その後しばらくして描いた絵は
もとの色とりどりの絵に戻っていた

そんな過去の出来事があるので、
今回は本当に続くのかなと思う一方
せっかくやる気になっているのだから
この気持ちが続くうちに
通わせた方がいいのではないかと
焦る親の私

夫は子供のやりたいようにさせればいい
というスタンスなので
一応通わせることに許可がおりたところで
早速、体験学習に申し込んでみた

もしかしたら教室に直接通えるのは
暑い期間だけになってしまうかもしれない
と思うと、ちょうどやる気になっている
今がとても大事になってくる

寒い時期になり、第2派がくるとなれば
通えなくなるだろうし

もし子供のやる気が続かなくても、
それはそれでよしとするつもりでいる

大事なのは、今のやる気

「今」の重みが急に増してきた
2020年6月20日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


「今」をどう認識するかで、「行動」が変わるのかもしれない






・絵本
書名:もうすぐ夏休み(絵本の時間 26)
作:那須正幹、絵:永田萠
発行所:ポプラ社
発行年:2003年





2020/06/19

研妻哲学158・園児、外遊び時のマスク着用義務が緩和

外遊びとマスク

雨と暑さが気になる
園庭での外遊び

ようやくマスクをはずしてもよい
ことになったらしい

それまではこまめに水分補給を
するために休憩が挟まれいたようで
やりたい遊びを途中で
中断しなければならないことに
不満を持っていたわが子

今ではマスクをはずし、
外の空気をすいながら
遊べることを楽しんでいる様子

室内ではマスクが欠かせないけれど
園庭でマスクがはずせるようになり
気分も緩む2020年6月19日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


小さい変化の先に、何かが待っているのかもしれない





2020/06/18

研妻哲学157・夏休み短縮。終業式は8月の予定。どうなる秋冬

短縮夏休みが遠い

先月、園からのお便りで
夏休みが8月のお盆前後の
約2週間に短縮されることを知った

そしてつい先日、夏休み前の
最終登園日についてのお知らせが
届いた

今のところ、2020年の今年は
終業式が8月に入ってから
行われる予定だそうだ

確定した日時が記載された手紙を
改めて眺めてみると、今年は
なんだか違うのだな
ということを実感する

例年なら梅雨があけたら
もうすぐ夏休みだけれど
今年は梅雨があけても
しばらく登園が続く

夏休みを遠くに感じる

1学期の終業式が8月に
予定されているというのは、
これまで日本で教育を
受けてきた日本人は
経験したことが
ないのではないだろうか

とても歴史的であるだけでなく
保護者の間では不安の声も
ないわけではない

夏休みが短縮になること自体については
特に問題がない私でも、
毎日の送り迎えには多少不安がある

マスクの扱いも見直しが必要な
熱中症対策に加えて

うだるような暑さの中、
小さな手をひいて
毎日登園できるかと聞かれたら
大きな声でイエスと答える自信はない

まだ6月なので、8月はちょっと遠くに
感じるけれど、夏の心配を通り越して
秋冬に来るといわれている第2派についても
考えずにはいられない
2020年6月18日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



サマータイムに夏休み短縮、夏は変化の季節かもしれない









2020/06/17

研妻哲学156・どこへ行ってもよそ者の私。外側と内側の違い(日本と海外)

よそ者としての振る舞い

これは海外で帯同生活を始めたときから
一種の生活上のテーマとなっている

なぜなら、住む場所が目まぐるしく
変わり、どこへ行っても
私はよそ者なのだ

今思えば、
海外にいた頃はまだましだった

状況を飲み込むのは簡単だった

同じ土地で暮らしていても
そもそも国や人種が違うという
前提があったおかげで
おや?と思う事があっても
正しいかはさておき、
原因をそれらのせいにして
心をなだめることができた

そしてなんといっても
集団ではなく、個人を大事に生活できた

けれども日本で初めての育児が
始まると、周りは同じ日本人という
前提に甘えすぎて、
自分がよそ者としての境界線が
時折わからなくなってしまう

そしてよそ者であることを
忘れてうっかり内側へ入り込むと
ばつのわるい出来事が起こるもの

いい意味でも、わるい意味でも
そんな気がしている

特に海外の個人重視の環境から
日本の集団重視の環境へ移り住むと
境界線の引き方が非常に難しい

海外では個人として振る舞い
周りの人はほぼ全員外側の
人間で、内側の人間は家族だけだと
認識できるけれど、
日本では外側にいても集団の中の
ひとりとして振る舞い
家族以外にも、外側の中で
内輪グループという
内側を形成している人がいる

そしてその形成されている
複数の内輪グループの境界線は
非常に見えにくい

時には重なっていることもある

注意深く観察していたら完全に
変な人の扱いを受けそうなので
それはできない

つまり
あくまでもよそ者として外側を
歩いているつもりでも
ふとした瞬間に、誰かの内側、
内輪グループに片足を
踏み込んでしまうことがあるのだ

海外ではどこまで行っても外側で
人目を気にせず済んでいたのに
日本ではちょっと歩くと
誰かの内側に入り込んでしまうため
人目が気になって仕方ない

そして内側と見せかけて
外側ということもよくあることだと
思うし、その逆もあるように感じる

日本特有の集団意識のある中で、
小さな内輪グループの存在は
避けて通れない

その既に形成されている内側へ
入ろうと思ったら、したでにでる
方法が一般的であるけれど

そうすると距離が近すぎて
周りの全体像や、
いいところが見えにくくなることもある

となると、日本の場合は
内輪グループと適切な間隔を保ちつつ
外側でしなやかに生きていく
という道がひらけてくるように思う

最近はこれがよそ者が居心地よく
暮らす秘訣のような気がしてならない
2020年6月17日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


よそ者として経験することにも、何か意味があるかもしれない






・参考文献
書名:河合隼雄のカウンセリング講座
著者:河合隼雄
出版社:創元社
発行年:2000年



2020/06/16

研妻哲学155・日常の何気ない出来事にも意味があることを実感した話

日常の出来事の意味

ついこの間、毎日の登園に
マスクは何枚必要かについて
書いたばかり

その時のまだ記憶に新しい
予備マスクを泥でドロドロに
してしまったわが子の出来事を
きっかけに

予備の予備まで持たせて
登園していたところ

ちょうど同じクラスの親子と
道でばったり会った

お互いこれから登園する

今日もマスクで蒸れて暑いね
なんて何気ない会話をしていたら
お友達のお母さんが、自分の子供が
マスクをつけていないことに気づいた

そして目の前で
持ち物の予備マスクを探し始めたが
どうやら入れ忘れてしまった様子

わが子に多めに持たせたマスクの中に
未使用のマスクもあったことを
思い出し、差し出すことにした

そのお友達に使ってもらう流れになった

わが子のお友達のお母さんは
家に引き返してマスクをとってくる
こともできただろうけれど
その手間を省くことができたようだ

ドロドロのマスクに衝撃を受けた
出来事がなければ、予備のマスクは
1枚だけを持ち歩き、誰かに譲ることは
できなかっただろう

日常の何気ない出来事にも
意味があったのだと
思わされる出来事となった

そして降園のときには
わが子が好きなデザインの袋に
新しいマスクが入れられて
私たち親子を待っていた

言ってみれば、新参者の私たち親子と
長年この土地に住んでいる先輩親子の
見えない仕切りが一瞬
溶けたような気がした
2020年6月16日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


意味を見出すきっかけは、日常に転がっているのかもしれない




2020/06/15

研妻哲学154・任期付き研究者夫に、次の仕事はあるのかを考える

任期満了後を考える

契約が満了を迎える前、
数年に1度訪れる
次の仕事があるのかという問題

実際には、数年どころではなく
常日頃から脳裏で小さな声をあげている

まるで頭の中に小さなヒトが住んでいて
事あるごとに、
「次の仕事はあるのか」と
ささやいているようでもある

その理由はライフステージによって
変わってくるけれど、

今はなんといっても子育て
という親としての役割が外せない

夫の海外修行時代も家族で
乗り越えてきた背景があるので
現在も単身赴任はあまり考えていない

となると、子供の学びの場も
夫の職場がどこになるかに
大きく左右されることになる

研究者として首が繋がっても
繋がらなくても、どちらにせよ
引っ越しはすることになるだろう

そのため、
「お友達と同じ小学校にいける?」
と子供に聞かれたとき、
同じとは限らない可能性があることを
正直に答えるようにしている

任期付きの仕事の
なんと儚く脆いことかと
何度おもったことか
今となっては計り知れない

夫が海外ポスドク研究員のとき
採用試験は不合格で
実験も失敗が続き
言葉の壁がある現地の生活においても
数々のトラブルに悩まされ、
苦悩した時期、
「もうここまでだ」と思う度に
研究者夫は妻の私にこう言い聞かせた

「高く飛ぶために
 今は低い体勢を維持している」

「だから辛いのは当たり前」

「ここまで悪いことが続いたので
 何かいいことが待っているはず」だと
信じて揺るがなかった

私がもう限界ではないかと口にすると
「限界は自分で思うよりもっと先にある」
のだともよく言っていた

当時を回想してみえてくることは、
研究者夫は私が想像していたよりも
遥かに強い精神力を持っている
ようであるということ

夫にはそれを裏付ける
もう一つの決定的なエピソードも
あることを思い出さずにはいられない

ならばこの精神の強さはどこから
来ているのか、いくつか
考えられる点に加えて、
もっと探ってみたいとも思う

辛く苦しい環境の中で過ごす
という点においては、

ナチスの収容所に入れられるという
壮絶な経験をした精神科医フランクルの
言葉が刺さる

彼の言葉から気づかされたことは、
苦悩は戦う相手ではないということ

研究の仕事がどんなに大きくても
夫自身の使命が果たせるか
が問題であること

そして業績という言葉の捉え方は
私を励ましてくれた

言ってみれば、
仕事をやめて海外へ帯同するのは
職業上の業績を手放すことにも繋がるので
人を労ることも業績だというフランクルの
言葉にどこか救われた私がいる

研究者として次の仕事が見つかるかは
相変わらず現時点ではわからないので
今は今できることをしていくしかない
という現実と向き合う
2020年6月15日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


仕事が不安定なときは、相手を労るという業績を伸ばすときなのかもしれない





・参考文献
書名:『夜と霧』ビクトール・フランクルの言葉
著者:諸冨祥彦
出版社:コスモス・ライブラリー
発行年:2012年




2020/06/14

研妻哲学153・園児、登園にマスクは何枚必要かを考える。予備も

登園時のマスク

「毎日マスクをつけて登園する」と
口にするのは簡単だけれど

その言葉の中身は案外
詰まっている

まず朝登園したら、
マスクをつけたまま
ロッカーで持ち物を整理して
トイレにも行き
マスクのまま外遊びをして
つかの間の休憩でいったん外して
またつけて遊ぶ、そして
お弁当のときにまた外して
食べ終わったらまたつける
そしてつけたまま午後の活動へ

という1日の流れがある

その中で、マスクが汚れずに
過ごせたら奇跡的な1日だ
といえることを最近知った

梅雨で雨が続いた泥のある園庭で
遊ぶと、まだ乾いていない土を触り
その手でマスクを触ってしまい
茶色く汚してしまうのだ

そこで予備のマスクの登場となるわけ
だけれど、予備のものは
普段使いなれているものでなければ
予想を上回る結末を迎えることになる
ということを学んだ

月曜からの登園に備えて
予備マスクの予備も用意する
2020年6月14日、日曜日の記録

始まったばかりの
新しい日常に慣れるまで
もう少し時間がかかりそう



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


試行錯誤を繰り返し、時間をかけて慣れていく過程にも、意味があるのかもしれない





2020/06/13

研妻哲学152・梅雨入りと好奇心と安全確保。2020年を考える

雨と子供と安全

暑くなってきたと思ったら
梅雨入り

早いもので今年も残り半年

2020年の上半期は
緊急事態宣言という歴史にも
記憶にも残る半年となった

2020年の下半期はどうなるだろう

予想していなかったことが
起きたばかりなので

これからもきっと
予期せぬ出来事と遭遇するのだろう
という予想をたてることはできる

そんなことを想いながら
毎朝小さい手を引いて歩く

久しぶりの大雨に
子供たちはイヤな顔を見せない

レインコートや傘を喜び
水たまりを長靴で踏むことを楽しむ

この時、傘は雨除けの役目を
果たしていない

雨に濡れてでも
大人と同じように大きく開いた傘を
持って歩くことに意味を見出している様子

レインコートのフードを被せると
蒸れるようで、汗と雨とで
髪の毛はびしょ濡れ

けれどもそんなことにはお構いなしで
雨水の流れを体中で観察するわが子

雨に打たれながら
子供の赴くままに
好奇心と安全確保が大事な
2020年6月13日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


親の予想を飛び越えて、いつの間にか成長しているのが子供なのかもしれない





2020/06/12

研妻哲学151・新しい日常生活。幼稚園、習い事、図書館も再開

新しい日常生活

幼稚園や習い事、図書館までもが
再開して2週目となる今週

やっと体力が戻ってきた

日常が戻ってすぐの頃は
普段しないお昼寝を
していたわが子

再開当初は気力でなんとか
乗り切っていた部分があるけれど

2週目の今はお昼寝をしなくなり
最近は親子でだいぶ動けるように
なったことを実感する

登園も、習い事や図書館に行く際も
マスクは欠かせなくなった

わが子が通う園では
食後に歯を磨く習慣があったものの
お弁当が再開する直前で
歯磨きはしないことに決まった

飛沫感染のリスクを少しでも
減らしたいという園の判断だった

送り迎えで親同士が
顔を合わせる時間も減り、
今学期の行事はほぼ全て中止
健診も中止

今後の予定もあくまでも
予定であることに過ぎないのは
今では皆の共通認識となった

またいつ変更するかわからない

変化に対応する経験値が積み重なる
2020年6月12日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


変化に適応する経験が、人を強くしなやかにするのかもしれない





2020/06/11

研妻哲学150・画家の傾聴力。複数の役割を持つ、クリムト編

画家から学ぶ傾聴

女性の肖像画を数多く描いてきた
オーストリアの画家、クリムト

クリムトがモデルの女性を描いている間
2人がどんな会話をしていたのか
気になる人もいるのではないだろうか

肖像画に描かれている女性は
しっかりとした眼差しで
こちらを見ている

この視線はおそらくクリムトを
捉えていたはず

肖像画のモデルたちは
年齢も職業も様々で
親子で来ている場合もある

絵を描き始めるときや
描いている最中
そして描き終わってからも
何かしら言葉を交わしていたはず

画家は描きながら
きっと彼女たちからの問いかけにも
応えていたであろうと思われる

ごく自然に相手から話させることこそが
対話に繋がる画家の持つ傾聴の底力のような
気がしてならない

モデルたちは彼に
画家の役割以外の役割も
重ねていたのではないだろうか

描かれた女性が後に離婚している
ケースが多いことから
もしかしたらクリムトに
悩みを打ち明けていた
可能性もうかがえる

果たしてこの画家が
よき理解者であったかどうかは
定かではないけれど、

ウィーンの男性社会にいちもつを抱え
知を女性に置き換えた天井画「哲学」は
その悲しい結末とは裏腹に
当時の一部の女性の心を掴んでいたはず

心と体を分裂させるような感覚を
持っていたとされるクリムト

同じ時代を生きた精神分析家として
知られるフロイトとの交流があったら
歴史をさらに彩ったことだろう

ビデオ通話より電話の方が想像力が
はたらくように、映像よりも
絵画集の方が空想を色鮮やかに染める
2020年6月11日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


物事の本質が隠れるように、職業本来の役割もまた、隠されているのかもしれない






・参考文献
書名:グスタフ・クリムトの世界 女たちの黄金迷宮
解説監修:海野弘
出版社:パイ インターナショナル
発行年:2019年



2020/06/10

研妻哲学149・謙虚な対話で問題を把握する多文化対話。ソクラテスに学ぶ

多文化対話の初回面談

この日は初めてお目にかかる
日本在住の外国の人にオンラインで
話を聴かせてもらった

相手側の対話の目的を
カウンセリングでは来談目的と呼び
実際に話を聴く中でカウンセラーが
みつけた本来の目的を主訴と呼ぶ

この来談目的と主訴は
一致することもあれば、
しないこともある
そして、短い時間では
みえてこない場合もある

今回はいま困っていることを、
家族のためにどうにかしたいから
私に相談したいということだった

けれども話を聴かせてもらううちに
家族のためだけではないことが
トンネルを抜けるようにみえてくる

聴く側が謙虚な姿勢で対話を
重ねることで、相手の抱えている想いに
複数の角度から対峙できるようになり
全体像が薄っすらと姿を現す

これは自分で考えることを重視した
ソクラテスやプラトンの教えの基本にも
当てはまるようだ

対話の最後に
本当にありがとうと感謝されると
至らないことが多い未熟者でも
少しは相手の心に寄り添う事が
できたのではないかと思える
2020年6月10日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


新しい出会いが、新しい学びを運んでくるのかもしれない






・参考文献
書名:教養としての哲学
著者:小川仁志
出版社:PHP研究所
発行年:2015年




2020/06/09

研妻哲学148・英語教育の低年齢化。母語で学べる日本、先人に感謝

いずれ皆が先人となる

英語学習者が低年齢化する昨今

少しの間だけ目を閉じて
まだ自分が生まれる前の日本に
想いをはせてみる

そうすると海外の言葉や学問を
一生懸命に日本語に翻訳している
先人たちの後ろ姿が浮かんでくる

哲学であれば、ギリシャ語やドイツ語を
昔の日本人たちが、未来の私たちのために
日本語という母国語で学べるよう
言葉を丁寧に置き換える作業をしている

翻訳中の先人に後ろから声をかけて
インタビューをすることができたら
どんなにいいだろう

世界的にみても
母国語で様々な教育が受けられる国は
限られている

そんな状況の中
英語学習を推し進める流れにあることを
時代の逆行だと表現する人もいる

仮にそうであったとしても
この流れを止めるのか
この流れにのるのかは
その人自身が判断することといえる

訳された言葉も
正確な翻訳ではないと
言い出す人がでてくるものだが
その「正確な翻訳とは」一体何をもって
そう呼ぶのかという
定義から見直さなければならない

なぜなら正確な翻訳の認識は
人によって異なるものであるし

正確でないとしたら
自然な言い回しの翻訳になっているか
どうかというのも
議論されがちだけれど

いずれにおいても
批判の対象ではないだろう

人は皆、異なる感覚器を
持っているので、同じ言葉をきいても
その受け止め方は
異なっていて当たり前のはず


いずれ皆が先人となる


故人の概念は変化するかもしれないが
これだけは確実にいえる
2020年6月9日、火曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


どうせなるなら、感謝されるような
先人を目指すといいのかもしれない





・参考文献
書名:日本語の哲学へ
著者:長谷川三千子
出版社:ちくま新書
発行年:2010年




2020/06/08

研妻哲学147・言語が思考に与える影響。外国人が日本語を学ぶと?

日本語を学ぶと、行動が変わる

家事や育児の合間に、
ライフワークを通じて外国の人々と
オンラインで対話を重ねていくと
非常に勉強になることにでくわす

海外の人が日本語を学ぶことで
人を思いやる気持ちや、共感する
気持ちを学んだという

そしてそれが相手を喜ばせる
自発的な行動へと繋がった話を
聴かせてもらった

そのような考えに至る
素晴らしい人物だと
改めて敬意の念を抱くとともに

日本語特有の
空気を読む
言葉の力

日本人のおもてなし精神や
ホスピタリティの源に
触れられたような気分に浸った

海外生活では常々
言語を学ぶことは文化を学ぶことだと
感じていた

私の場合、学んだ傾聴の力を
外国の人々との対話で活かす際に
彼らにとって母国語ではない日本語で
話しを聴く場合と
日本語以外の共通言語で話を聴く場合とで
それぞれの言葉の力による影響を
少なからず受けていることに
気づかされる

まさに言語が思考に与える影響といえる

カウンセリング技法に関する
日本語で書かれた本を多く読み、
実際に合格した試験もあるけれど
それだけでは外国の人々と対話をする上で
本当に意図する意味合いを理解するには
まだ何か足りない点があると実感している

たとえば相手が日本人の場合と
そうでない場合、同じように言葉を
返しているつもりでも
言葉の届き具合が全然違うのである

その答えと自分なりの対応を探るべく
早速、傾聴に関する洋書を注文した
2020年6月8日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


語学は行動を変えるのかもしれない





2020/06/07

研妻哲学146・ウエディング業界の博学者は「共感」から愛を生む

博学者が見つめる未来

さまざまな業界にカリスマと
呼ばれる人物がいる

ウエディング業界の
カリスマと呼ばれる人物と
出会ったのは私が18歳の頃

以来、恩師のひとりとなり
折に触れてこの女性博学者の
背中から学んだことを思い出している

▼恩師が執筆した最新記事
プレジデントオンラインのサイトへのリンク

今日はこの記事を読んで感じたことを
ここに記録していこうと思う

私の恩師は今、ウエディング業界から
スペシャリストと呼ばれるスタッフや
お客様が離れてしまう流れを受け止め、
未来に備えて活動することで
アフターコロナ(ポストコロナ)と
向き合っている様子がうかがえる

新型コロナで人々が3密を避ける
ようになった今、結婚式に呼ばれて
大勢で集い祝う機会は
確実に減ってきている

けれども、今よりもっと先の未来を
想像してみると

ウイルスと共存する道を手に入れた
未来の人々は、これまでとは
異なるかたちで再び盛大な
結婚式を挙げる可能性がある

その時、
今のウエディング業界に
それを実現させる体力があるだろうか

結婚式やホスピタリティについて
学びたい新人は、思うように
教えを乞うことができるだろうか

自粛生活で私たちは思うように
買い物もできなくなり、その不便さを
痛感したばかり

人と人との間だけでなく
時と時との間にも
間隔ができているように感じる

つまり教える側には
教えるタイミングがあり

教わる側にも
教えてもらうタイミングがあり

そこにタイムラグが
生じているという現実である

これはウエディング業界に限らず
たとえば農業にも当てはまる

日本の農家では高齢化が進み
昨年まではどうにか人を集めて
なんとかできた農作業が
今年は人を集めることさえも
難しく、年齢的にも体力や気力の
限界を感じずにはいられない状況

それでも若者は、今はできないけれど
いずれは農業を受け継ぎ、
次の世代へ繋げたいと
思っているかもしれない

そうなると、本当にやる気になった時には
もう教えてくれる人がいない可能性がある

教える側のタイミングは「今」であって
教わる側のタイミングは「未来」なので

ここにもタイムラグが生じてしまう

そういった差を少しでも縮めるために
博学者は動いているのかもしれない

人々が筋肉を鍛えるのと同様に、
ウエディング業界が再び注目されたときに
業界人が力を発揮できるよう、
筋力トレーニングができる環境を整え、
提供しているようにも見受けられる

なぜそんなことができるのだろうか

それはきっと、未来の人々に
共感しているからできること
のような気がする

相手を思いやる「共感」は愛を生み
人々がお互いに傷つけあうことがないよう
倫理観を支える土台となる

テロが多発した海外では
「思いやり」を重視した教育が
注目を集めているくらい
未来に向かう現在の生活に
なくてはならない
大事な要素となっている

駆け出しのカウンセラーや傾聴者が
最初に学ぶことも共感であり
日常生活にも活かせることばかりである

愛を生む究極のホスピタリティを
教えてくれる博学者は
自らの実践を通してその重要性を伝え
私たちをより平和な未来へと
導いてくれる気がしてならない




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


共感力の授業は、主要科目と同じくらい大切なのかもしれない






・参考文献
書名:究極のホスピタリティを実現する「共感力」の鍛え方
著者:安東徳子
出版社:コスモ21
発行年:2017年

書名:魔法の「共感力」レッスン
著者:安東徳子
出版社:コスモトゥーワン
発行年:2010年




2020/06/06

研妻哲学145・論文数の減少、博学者に学ぶ

減少する論文の数

日本の論文数は減少しているらしい

そんな現実と向き合ったからなのか
若手研究者は先生から論文の
数を増やすように指導される場合が多い

その先生も同じように育てられた
という背景がある

とにかく論文を出すことが
評価された時代を生き抜いてきた
先生方は特にその傾向が強いけれど

今はひとつの専門分野に特化した
研究の論文はなかなか進まないらしい

もうすでに昔の研究者が行っている
というのが言い訳のひとつに加えられる

となるといくつかの分野を
横断的に捉える研究が増えてくるのが
自然なかたちに思える

たとえばカウンセリングの実践に
役立つ研究に、心理学の側面以外の
脳科学やニューロサイエンス
といった異分野から
アプローチしている有名な学者もいる

研究や論文に限った話ではなくなるけれど
(会社員などにも当てはまる)
ひとつ専門分野を持ったら
繋がる他の分野からも
探求していくスタイルが
主流になりつつあるのかもしれない

かつてのダヴィンチや
日本で天才と呼ばれる博学者たちも
異なる分野の点と点を繋げてきた

哲学を起源とする科学を
心理の側面へと1周まわってまた
昔に戻ってくるような感覚を覚える
2020年6月6日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


学び続ける生き物の代表が人間なのかもしれない





・参考文献
書名:私的カウンセリングの発達
著者:福原眞知子
出版社:朝日新聞出版
発行年:2012年




2020/06/05

研妻哲学144・オンライン授業の利点。今は亡き先生の授業も

オンライン授業撮影で思うこと

外出自粛の大きなうねりの中で
あちらこちらでオンライン授業が
注目を集めるようになった

私のまわりのでも、ちらほらと
授業の撮影話が聞こえてくる

それは苦労話とともに

教える側の苦労はさておき
教わる側の利点としてひとつ
言えることは

先生がご存命でなくても
自分が受けたいと思ったら
授業が受けられるということ

たとえばある大学の有名な先生の
本に感銘を受けて、その先生の
授業をぜひ受けてみたい、
話を聞いてみたい
と思ったとき

既にその先生は亡くなられている
場合もある

特に大学で有名になるまでには
長い年月を要するケースが多いため
こういったことが起こりやすい

そんなとき、これからの未来では
その先生のオンライン授業を
受けることができるかもしれない

さらに故人AIなどが登場したり
頭脳が残せたりするようになれば
死の概念も変化する可能性がある

そうなると、教える側もその側面を
意識した構成にする重要性を
無視することはできないだろう

教えることで教わることがある現実と
どう向き合うか、未来に想いを馳せる
2020年6月5日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


いつだって可能性を全否定してはならないのかもしれない



2020/06/04

研妻哲学143・美容室に行くタイミングを完全に逃してしまった話

新しい土地で生活を始めるときに
つきものなのが
美容室や病院探し

またいちから探して
客や患者としてある程度
お互いを知り関係を築いていくのは
それなりに労力を要する

美容室は、今の場所に引っ越してきたとき
近所でキッズスペースのあるところを
見つけたので、しばらくの間そこに
親子で通っていた

そこで初めて担当してくれた美容師さんが
子供にも慣れていて、私たち親子の
お気に入り美容師さんとなっていたけれど

このお気に入りの美容師さんが
産休に入るタイミングあたりで
新型コロナウイルスの影響が強まり
それからすっかり足が遠のいてしまった

頑張ればなんとか親が子供の髪を
自宅で切ることはできたけれど
自分で自分の髪の毛を切るのは難しい

まだ会社に勤めていた頃であれば
毎日それなりに身だしなみにも
気をつけていて美容室にも
今より気軽に立ち寄れたけれど

毎日の家事と子供の送り迎えで
おしゃれから遠のいてしまった今

唯一馴染みのある美容師さんが
まだ産休中でいないとなると
知っている人がおらず
さらに行きづらい

けれども
そろそろ本格的に美容室再デビューを
検討しなくてはならない
2020年6月4日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*

物理的に距離を置くと、心理的にも距離ができるのかもしれない



2020/06/03

研妻哲学142・延期されていた入学式、入園式がついに!気づいたこと

2ヶ月遅れの入学式・入園式

ついに、やっと実現するときがきた

半袖の子供たちと一緒に
入学式と書かれた看板の前で
写真撮影の列に並ぶのは
長袖ジャケットの親たち

女の子たちはカーディガンを着ずに
半袖ワンピースでドレスアップ

男の子たちはジャケットを着ずに
白シャツでビシッときまっていた

私の家には、海外から引っ越してきた際に
アパレルショップの店員からのアドバイスで
購入した厚手のコートが眠っている

当時、入学や卒業式シーズンはまだまだ
肌寒いからとおすすめされたコート

その存在を思い出さずにはいられない

そんなに昔のことではないのに
すっかり変わってしまった現実

これがもし9月入学だったら、親の服装も
準備し直す必要があることを実感する
2020年6月3日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


私たちの生活は、変化の連続なのかもしれない






2020/06/02

研妻哲学141・第2波への不安と登園再開。園のルールや決まり事の変化

先月までずっとお休みだったので
今月から急に慌ただしくなった園生活

九州の学校のニュースなどを目にすると
気が気でない

明日は我が身
という言葉が頭をよぎる

第2派に備えたいが
具体的にどうするのがいいのか
模索する日々

そんな心配と向き合いながら
検温をして登園する
2020年6月2日、火曜日の記録

今までのルールや決まり事が
どんどん壊されていく
というか、なくなっていく

たとえば、今までは必須だった
先生による家庭訪問が
今年は任意に変わり
希望しない家庭ばかり

学年の親が集まり役員を決める
PTA集会もなくなった



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


ルールや決まり事は、案外簡単に変えられるのかもしれない




2020/06/01

研妻哲学140・コロナ時代の登園スタイル(わが子の場合)

コロナ時代の登園スタイル

子供の登園が本格的に再開して
朝のバタバタが戻り
新型コロナが生まれる前との
違いがいくつか見えてきた

身支度に新しく検温が加わり
制服が不要になった

保育室に入ったあと
着替えで密集するのを
避けるためらしい

そしてマスク着用による
熱中症を防ぐため
水筒が毎日の必須アイテムになった

降園は皆一斉だったけれど
時間差でバラバラに
親が迎えにいくスタイルに変わった

今までは迎えにいったときに
親は待たされることが多かったので
この新しい時間差式はありがたい

ちょっとずつ、確実に
変化したわが子の登降園スタイル

初めて予備のマスクを持たせて登園した
2020年6月1日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


いつの間にか
子供たちの学びの場の変化が成長にどう影響するのか
という壮大な研究に参加しているのかもしれない





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