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2020/09/02

学生彼氏と社会人彼女カップルその後/続き・研妻哲学233

すれ違う学生彼氏と社会人彼女


別れるしかない?


大学院入試に向けて
彼はひたすら忙しくなっていく

彼女にはその忙しさが
よくわからない

一体なんでそんなに忙しいのか
疑問を抱くようになる

彼は大学に行けば
研究室にこもり

家に帰れば
論文を読み
院試に必要な願書や
その他の応募書類を準備する

こんな感じで
大枠では理解できるものの
それぞれの工程を追求して考えると
彼女との時間も
少しはつくれるのではないかと
思えてくる

それでも時間がないという彼

彼女はいつなら
彼氏の時間があるのかを考えた

答えは簡単で、
食事をする時間
部屋を片付ける時間
洗濯をする時間
家から大学までの移動時間

これらの時間は
どんなに忙しくても
多少は手元に残る時間

ならば一緒に食事をして
移動時間を活用できるようにと
ひとり暮らしの彼の家の
鍵をもらうことにした

自炊して一緒に食べれば
デート代もだいぶうく

家事を手伝う時間も
大切なふたりの時間だ

やがて大学院入試の
合格祈願がデートになり

七夕の時期には
街中に出現する大きな笹の木に
合格を祈る短冊をそっと飾った

刻々と入学試験日が近づいてくる

いつもは穏やかな彼が
ピリピリしているのが
空気を通して伝わってくる

机に向かっている彼には
声をかけづらいので
緊張感を持った背中と
椅子の背もたれだけが
目に焼きつく

ひとまず
自然消滅的に別れる
可能性も大いにあったふたりは
無事に院試当日を迎えることになる

そんな過去を振り返る

2020年9月2日、水曜日




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



自分で導いた答えを盾に生活すると、後悔する回数は少ないかもしれない





2020/09/01

彼氏の大学院入試、社会人の彼女は・研妻哲学232

学生彼氏の大学院入試

社会人彼女が応援するまで


彼が大学を卒業したら
就職をすると思っている彼女

お互い就職したら
いよいよ結婚の2文字が
色濃く浮かび上がる

ところが
就職活動をせずに
大学院へ進みたいという彼氏

これは結婚を遠ざけるための
口実なのかと
悪魔がささやく

しかも目指すのは東大

すぐ近くで聞こえていた
結婚という響きが
どんどん遠ざかる

就職せずに
大学院に進みたいと言うのだから
収入は期待できない

これからも引き続き
デートにお金はかけない

平等に、対等に
外食したら折半だ

院試を控えている彼氏は
どんどん忙しくなる

ただでさえ
夜遅くまで研究室に残ることが
多いため
彼女との時間は
ますます削られていく

デートにはお金どころか
時間さえもかけられなくなった

社会人として働く彼女も
残業が深夜に及ぶこともある

帰る方向が同じ
直属の女性上司と一緒に
終電で帰宅する日も増えていく

ふたりの生活が
すれ違うことは目に見えていた

そんな過去を振り返る

2020年9月1日、火曜日の記録

(つづく)



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


過去の初々しい日々を振り返ると、未来だった「今」の捉え方が変わるかもしれない





2020/08/07

研妻哲学207・子供の頃、断定的な先生が信頼できなかった話

子供時代の先生

まだ幼い子供だった頃

断定的な先生の言葉に
ひそやかな疑問を抱いていた
時期があった

肯定的な話ならまだしも
可能性はゼロではない話に
きっぱりと完全否定する先生がいると
態度には出さないものの
心の内側は沈んでいった

もちろんこういった
たぐいの先生は少数だった

子供に疑問を抱かせる
といった面においては
この先生方の存在意義は
少数ではあるけれども際立ってくる

あれから月日が流れ
大人になり
子を授かり
育児書などに触れてみると
当時の先生方が断定的だった理由が
少し見えてくるようになった

どうやら幼い子供には
白黒はっきりさせてあげたほうが良いと
書いてある育児書が存在するとわかった

おそらく当時の先生も
「子供」の私のために
白黒はっきりさせてくれたのだろうと
推測することもできる

つまり
育児書との付き合いには
子供によって
相性があることがうかがえる

最も無難で
正解があるとするなら
それに最も近いような姿勢はきっと
「子供を子供扱いしないこと」ではなかろうか

可能性を全否定する先生には
体の側面にはださないものの
内側の奥の方では
ふつふつした感情が
火山のマグマのようにわいたこともあった

可能性を否定する人と
可能性を否定しない人

信頼に値するのはおそらく後者

子供の頃から可能性に
いささかこだわりのある子
だったのかもしれない

大人になった今も
研究者夫を含め
人生を可能性に賭けるような
生活を送っている

2020年8月7日、金曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


信頼できる相手かどうかの判断軸に、可能性の扱いを加えてもいいかもしれない






2020/06/29

研妻哲学168・自己中な大人の話。その人は不安と向き合っていた

自己中な大人

まだ新婚の頃の話

かつてフルタイムで
勤務していた私

夫の海外修行が決まった矢先

勤務先に退職することを告げて
業務の引き継ぎと同時並行で

海外帯同の準備を進めなければ
ならなかった

業務の引き継ぎ
退職の手続き
引っ越しの荷造り
不動産屋のやりとり
航空券の手配
海外生活の情報収集
現地の言葉の習得
ビザに関する書類準備

といった渡航に関する
あらゆることが
頭を目まぐるしく駆け回っていた

そんな理由で
私はかなり自己中心的な
振る舞いをしてしまうようになっていた

当時を振り返ると
とても恥ずかしい

穴があったら入りたいくらい
自分のことばかり考えていた

言い換えれば
自分のことを考える余裕しかなかった

つまり
大きな環境変化を間近に控えて
強い不安にさらされ
自分のことしか
考えられなくなっていた

なのでいつもなら仕事の話で
盛り上がる会議直後の雑談さえも
うまくできず

とんちんかんな返しを
してしまったことを
今でも覚えている

当時の同僚には
申し訳ない気持ちが
今でも残る

自分が自己中になってきたら
不安を抱えていないか
今一度、確認したい

たまたま手にした1冊の本で
恥ずかしい研妻の過去を振り返った
2020年6月29日、月曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


ちょっと自己中な人がいたら、不安と向き合っていないか考えてみるのもいいかもしれない




・参考文献
書名:幸せになる勇気
著者:岸見一郎、古賀史健
出版社:ダイヤモンド社
発行年:2016年



2020/06/17

研妻哲学156・どこへ行ってもよそ者の私。外側と内側の違い(日本と海外)

よそ者としての振る舞い

これは海外で帯同生活を始めたときから
一種の生活上のテーマとなっている

なぜなら、住む場所が目まぐるしく
変わり、どこへ行っても
私はよそ者なのだ

今思えば、
海外にいた頃はまだましだった

状況を飲み込むのは簡単だった

同じ土地で暮らしていても
そもそも国や人種が違うという
前提があったおかげで
おや?と思う事があっても
正しいかはさておき、
原因をそれらのせいにして
心をなだめることができた

そしてなんといっても
集団ではなく、個人を大事に生活できた

けれども日本で初めての育児が
始まると、周りは同じ日本人という
前提に甘えすぎて、
自分がよそ者としての境界線が
時折わからなくなってしまう

そしてよそ者であることを
忘れてうっかり内側へ入り込むと
ばつのわるい出来事が起こるもの

いい意味でも、わるい意味でも
そんな気がしている

特に海外の個人重視の環境から
日本の集団重視の環境へ移り住むと
境界線の引き方が非常に難しい

海外では個人として振る舞い
周りの人はほぼ全員外側の
人間で、内側の人間は家族だけだと
認識できるけれど、
日本では外側にいても集団の中の
ひとりとして振る舞い
家族以外にも、外側の中で
内輪グループという
内側を形成している人がいる

そしてその形成されている
複数の内輪グループの境界線は
非常に見えにくい

時には重なっていることもある

注意深く観察していたら完全に
変な人の扱いを受けそうなので
それはできない

つまり
あくまでもよそ者として外側を
歩いているつもりでも
ふとした瞬間に、誰かの内側、
内輪グループに片足を
踏み込んでしまうことがあるのだ

海外ではどこまで行っても外側で
人目を気にせず済んでいたのに
日本ではちょっと歩くと
誰かの内側に入り込んでしまうため
人目が気になって仕方ない

そして内側と見せかけて
外側ということもよくあることだと
思うし、その逆もあるように感じる

日本特有の集団意識のある中で、
小さな内輪グループの存在は
避けて通れない

その既に形成されている内側へ
入ろうと思ったら、したでにでる
方法が一般的であるけれど

そうすると距離が近すぎて
周りの全体像や、
いいところが見えにくくなることもある

となると、日本の場合は
内輪グループと適切な間隔を保ちつつ
外側でしなやかに生きていく
という道がひらけてくるように思う

最近はこれがよそ者が居心地よく
暮らす秘訣のような気がしてならない
2020年6月17日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


よそ者として経験することにも、何か意味があるかもしれない






・参考文献
書名:河合隼雄のカウンセリング講座
著者:河合隼雄
出版社:創元社
発行年:2000年



2020/06/15

研妻哲学154・任期付き研究者夫に、次の仕事はあるのかを考える

任期満了後を考える

契約が満了を迎える前、
数年に1度訪れる
次の仕事があるのかという問題

実際には、数年どころではなく
常日頃から脳裏で小さな声をあげている

まるで頭の中に小さなヒトが住んでいて
事あるごとに、
「次の仕事はあるのか」と
ささやいているようでもある

その理由はライフステージによって
変わってくるけれど、

今はなんといっても子育て
という親としての役割が外せない

夫の海外修行時代も家族で
乗り越えてきた背景があるので
現在も単身赴任はあまり考えていない

となると、子供の学びの場も
夫の職場がどこになるかに
大きく左右されることになる

研究者として首が繋がっても
繋がらなくても、どちらにせよ
引っ越しはすることになるだろう

そのため、
「お友達と同じ小学校にいける?」
と子供に聞かれたとき、
同じとは限らない可能性があることを
正直に答えるようにしている

任期付きの仕事の
なんと儚く脆いことかと
何度おもったことか
今となっては計り知れない

夫が海外ポスドク研究員のとき
採用試験は不合格で
実験も失敗が続き
言葉の壁がある現地の生活においても
数々のトラブルに悩まされ、
苦悩した時期、
「もうここまでだ」と思う度に
研究者夫は妻の私にこう言い聞かせた

「高く飛ぶために
 今は低い体勢を維持している」

「だから辛いのは当たり前」

「ここまで悪いことが続いたので
 何かいいことが待っているはず」だと
信じて揺るがなかった

私がもう限界ではないかと口にすると
「限界は自分で思うよりもっと先にある」
のだともよく言っていた

当時を回想してみえてくることは、
研究者夫は私が想像していたよりも
遥かに強い精神力を持っている
ようであるということ

夫にはそれを裏付ける
もう一つの決定的なエピソードも
あることを思い出さずにはいられない

ならばこの精神の強さはどこから
来ているのか、いくつか
考えられる点に加えて、
もっと探ってみたいとも思う

辛く苦しい環境の中で過ごす
という点においては、

ナチスの収容所に入れられるという
壮絶な経験をした精神科医フランクルの
言葉が刺さる

彼の言葉から気づかされたことは、
苦悩は戦う相手ではないということ

研究の仕事がどんなに大きくても
夫自身の使命が果たせるか
が問題であること

そして業績という言葉の捉え方は
私を励ましてくれた

言ってみれば、
仕事をやめて海外へ帯同するのは
職業上の業績を手放すことにも繋がるので
人を労ることも業績だというフランクルの
言葉にどこか救われた私がいる

研究者として次の仕事が見つかるかは
相変わらず現時点ではわからないので
今は今できることをしていくしかない
という現実と向き合う
2020年6月15日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


仕事が不安定なときは、相手を労るという業績を伸ばすときなのかもしれない





・参考文献
書名:『夜と霧』ビクトール・フランクルの言葉
著者:諸冨祥彦
出版社:コスモス・ライブラリー
発行年:2012年