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2020/08/07

研妻哲学207・子供の頃、断定的な先生が信頼できなかった話

子供時代の先生

まだ幼い子供だった頃

断定的な先生の言葉に
ひそやかな疑問を抱いていた
時期があった

肯定的な話ならまだしも
可能性はゼロではない話に
きっぱりと完全否定する先生がいると
態度には出さないものの
心の内側は沈んでいった

もちろんこういった
たぐいの先生は少数だった

子供に疑問を抱かせる
といった面においては
この先生方の存在意義は
少数ではあるけれども際立ってくる

あれから月日が流れ
大人になり
子を授かり
育児書などに触れてみると
当時の先生方が断定的だった理由が
少し見えてくるようになった

どうやら幼い子供には
白黒はっきりさせてあげたほうが良いと
書いてある育児書が存在するとわかった

おそらく当時の先生も
「子供」の私のために
白黒はっきりさせてくれたのだろうと
推測することもできる

つまり
育児書との付き合いには
子供によって
相性があることがうかがえる

最も無難で
正解があるとするなら
それに最も近いような姿勢はきっと
「子供を子供扱いしないこと」ではなかろうか

可能性を全否定する先生には
体の側面にはださないものの
内側の奥の方では
ふつふつした感情が
火山のマグマのようにわいたこともあった

可能性を否定する人と
可能性を否定しない人

信頼に値するのはおそらく後者

子供の頃から可能性に
いささかこだわりのある子
だったのかもしれない

大人になった今も
研究者夫を含め
人生を可能性に賭けるような
生活を送っている

2020年8月7日、金曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


信頼できる相手かどうかの判断軸に、可能性の扱いを加えてもいいかもしれない






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