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2020/08/05

研妻哲学205・ベルリンに集う人々から、安全な奴隷と危険な自由を考える

ベルリンの人々

世界はコロナ禍

たまたまドイツのニュース映像が
目に入った

ネットのニュース映像を
テレビの画面に映していたら
ベルリンの様子が流れてきた

ベルリンの中心地

ウンター・デン・リンデンと
書かれた道路標識

ブランデンブルク門周辺

そして
マスクをしない人々が
大勢、至近距離で
比較的穏やかに集まっている

働く警察官の後ろ姿も
共に映し出された

ドイツ生活で張りつめていた
私の心を癒やしてくれた
ベルリンの街並みを
こんなかたちで再び
眺めることになるとは
全く予想していなかった

このニュース動画を
日本の自宅で
小さい子供たちのお世話をしながら
横目で追いかけたので
解釈に誤謬が交じっている
可能性は大いにあるけれど

おそらく一言であらわすと

「安全な奴隷より、危険な自由を求む」

という人々の強い思いが
絡み合った結果だろうと
推測できる

日本のメディアでは
見かけないニュース

あくまでも個人目線で
思ったことを書く

ドイツと日本の
決定的な違いのひとつに
宗教的背景が挙げられる

言ってみれば
ドイツはもともとの生活に
いささか宗教的な制限が存在する

たとえば
日曜日はスーパーが閉まるため
食料品の買い物に制限があるとも言える

ほかには
静寂にする時間帯が
決められている地域も多いため
掃除機や洗濯機の使用にも制限がある

仕事を休む義務をきちんと守るため
もともと休日が多い
ということは、仕事時間にも
制限があることになる

飲食店の営業にも
たしか細かい決まりや制限が
あったように記憶している

一見なんともないように見られがちな
これらの制限は
実際に生活してみると
思った以上に心を圧迫してくる

ましてや
日本の自由な生活を
知っている日本人にとっては
慣れるまで時間がかかる

実際に日本を旅したドイツの知人は
日曜日も買い物が楽しめて
日本は自由だと言っていた

今回のベルリンのニュースは
自由な国の日本からは
想像できないような人々の
嘆きでもあるように感じる

一方で、
ドイツで暮らしていた頃の
いくぶん制限のある暮らしを
思い返すと
今回ベルリンに集まった人々の
気持ちを理解できる部分も
多少うきでてくる

コロナ禍以前から
制限に囲まれた
いわば窮屈な生活をしていたら、
新たに制限が追加された生活を
さらに続けることは耐え難く
危険と隣合わせでも
自由を求めたくなる気持ちが
わきでてくるのだろうと想像がつく

2020年8月5日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


人類の手によって作られた制限が、一周まわって人々の首に手をかけるようになったのかもしれない





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