海外帯同生活の孤独
現地で夫と一緒に暮らしていても
ひとりぼっちの孤独から
逃げきることはできなかった
家族がいても
拭いきれない喪失感と戦う日々
研究者夫が海外修行をしている間
妻はひとり置いてけぼり
ヨーロッパの照明の暗さと
見事に調和するような精神状態で
薄暗い部屋に取り残された
それはまるで
修行僧のような
外界から遮断された生活
定年退職したかのような
社会全体からある一定の
距離を置かれた生活
現地の言葉を
頭に叩き込みたくても
気力が追いつかない
何年も経った今なら
いずれ来るべき生活が
早く訪れただけだとわかる
たとえば
夢中で育児をしてきて
子供の手が離れたとき
自分をふと振り返る瞬間
あるいは
仕事に復帰できたとして
定年退職の年齢にさしかかり
第2の人生を見つめるとき
そういった人生の転機には
おそらく喪失感や孤独感を覚えるだろう
海外帯同で得た
喪失感や孤独感は
どのみち割けては通れない
学校や会社、地域社会で行われる
恒例儀式のような
日常の通過点
孤独と対峙し
自分の内面を深く探る時間は
誰にでもいつかやってくる
新型コロナウイルスによる
デジタル化についても
いずれ来るべきものが来たと
言われている
喪失感や孤独に限らず
新しいウイルスにいたるまで
予期せぬ突然の来訪者は
強いインパクトを残す
残された痛みを帯びた現実と共に
どう過ごすかに
人間性がにじみでてくる
そこに対処法があるなら
ただただ
自分の道を進むのみ
過去を嘆き、未来を憂いていては
時間がいくらあっても足りないと
やがて気づく
現在ほど大切なものはないと
先人が教えてくれる
2020年8月9日、日曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
強烈な来訪者が残していった現在と、ひたすら向き合っていくしかないのかもしれない