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2020/07/08

研妻哲学177・教師とカウンセラーの共通点と本質を考える

肩書きと本質

有名な精神科医や哲学者がよく
カウンセラーと教師の
最終目標は同じだと言っている

教育と心理支援は
どちらも相手の自立を助ける
役割があるのだと

そんな視点に立つと
先生や講師という仕事の本質は
カウンセリングに似ていることが
よくわかる

たとえば
見た目は先生でも
中身はカウンセラー
という場面によく遭遇する

さらにたとえば
ある言語を先生として
教えることになったとしよう

目の前にやってくる
生徒はたいてい自信がなさそうに
見える

知らない言葉を教わるのだから
その言語でうまく自分を
表現できなくて当たり前なのに

言葉を知らないというだけで
自信のかけらがどこかへ
飛んでいってしまうようである

けれども時間をかけて
少しずつ言葉を覚え、
自分を表現できるようになると
顔つきや表情が変わってくる

生徒に自信のかけらが舞い戻り
エネルギーに満ち溢れてくる
瞬間というものがあるのだ

そもそも心の問題というのは
うまく自分を表現できないことが
引き金になるらしい

となるとやはり
先生や講師が言葉を教えて
生徒がうまく自分を表現できるようになる
という本質は、カウンセリング的要素を
非常に多く含んでいるように思う

2020年7月8日、水曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



肩書きはいつも本質を表現しているとは限らないのかもしれない







・参考文献
書名:ロジャーズの中核三条件 <一致> カウンセリングの本質を考える
監修者:村山正治
出版社:創元社
発行年:2015年、2019年






2020/06/08

研妻哲学147・言語が思考に与える影響。外国人が日本語を学ぶと?

日本語を学ぶと、行動が変わる

家事や育児の合間に、
ライフワークを通じて外国の人々と
オンラインで対話を重ねていくと
非常に勉強になることにでくわす

海外の人が日本語を学ぶことで
人を思いやる気持ちや、共感する
気持ちを学んだという

そしてそれが相手を喜ばせる
自発的な行動へと繋がった話を
聴かせてもらった

そのような考えに至る
素晴らしい人物だと
改めて敬意の念を抱くとともに

日本語特有の
空気を読む
言葉の力

日本人のおもてなし精神や
ホスピタリティの源に
触れられたような気分に浸った

海外生活では常々
言語を学ぶことは文化を学ぶことだと
感じていた

私の場合、学んだ傾聴の力を
外国の人々との対話で活かす際に
彼らにとって母国語ではない日本語で
話しを聴く場合と
日本語以外の共通言語で話を聴く場合とで
それぞれの言葉の力による影響を
少なからず受けていることに
気づかされる

まさに言語が思考に与える影響といえる

カウンセリング技法に関する
日本語で書かれた本を多く読み、
実際に合格した試験もあるけれど
それだけでは外国の人々と対話をする上で
本当に意図する意味合いを理解するには
まだ何か足りない点があると実感している

たとえば相手が日本人の場合と
そうでない場合、同じように言葉を
返しているつもりでも
言葉の届き具合が全然違うのである

その答えと自分なりの対応を探るべく
早速、傾聴に関する洋書を注文した
2020年6月8日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


語学は行動を変えるのかもしれない





2020/06/06

研妻哲学145・論文数の減少、博学者に学ぶ

減少する論文の数

日本の論文数は減少しているらしい

そんな現実と向き合ったからなのか
若手研究者は先生から論文の
数を増やすように指導される場合が多い

その先生も同じように育てられた
という背景がある

とにかく論文を出すことが
評価された時代を生き抜いてきた
先生方は特にその傾向が強いけれど

今はひとつの専門分野に特化した
研究の論文はなかなか進まないらしい

もうすでに昔の研究者が行っている
というのが言い訳のひとつに加えられる

となるといくつかの分野を
横断的に捉える研究が増えてくるのが
自然なかたちに思える

たとえばカウンセリングの実践に
役立つ研究に、心理学の側面以外の
脳科学やニューロサイエンス
といった異分野から
アプローチしている有名な学者もいる

研究や論文に限った話ではなくなるけれど
(会社員などにも当てはまる)
ひとつ専門分野を持ったら
繋がる他の分野からも
探求していくスタイルが
主流になりつつあるのかもしれない

かつてのダヴィンチや
日本で天才と呼ばれる博学者たちも
異なる分野の点と点を繋げてきた

哲学を起源とする科学を
心理の側面へと1周まわってまた
昔に戻ってくるような感覚を覚える
2020年6月6日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


学び続ける生き物の代表が人間なのかもしれない





・参考文献
書名:私的カウンセリングの発達
著者:福原眞知子
出版社:朝日新聞出版
発行年:2012年




2020/04/22

【研妻哲学100】緊急事態宣言15日目。毎日哲学した感想

自分なりに毎日哲学すること

全国緊急事態宣言6日目の今日
2020年1月から開始した「研妻哲学」が
ついに100回目を迎えた

100回記念として、
「自分なりに毎日哲学する」ことに
ついて触れていきたい
あくまでも「自分なりに」である

もともとは研妻精神として始まったが
日々の何気ない出来事や思ったことを
私の人生観を交えて毎日更新していく
うちに、哲学していることに気づき
その後は研妻哲学とすることにした

正直なところ、100日目を
緊急事態宣言下で
迎えることになるとは
微塵も思っていなかったけれど
予想外のことが起こるのが人生である

毎日欠かさず続けて感じるのは
自分なりに考え抜くことを
積み重ねてきた重み

単なる自己満足に過ぎないが
「塵も積もれば山となる」の
チリツモ思考で、何でも
重ねれば重くなるものだと感じている

そして毎日自分なりに哲学して
良かったことは、
悩む回数が減ったこと

無駄に悩まなくなった
と言うべきところだが
悩むことにそもそも無駄が
あるとは言い難い

なにか悩み事がでてきたとき、
過去にも同じようなことで
悩んだ経験があると
過去にアウトプットされている
自分なりの考え方を振り返ることで
案外すっきりすることもある
という意味で、
悩む回数が減るのである

たとえば、家事育児などに加えて
やるべきことが多すぎるようなとき
もっとゆっくりしたいけれどできない
という悩みがでてくる

そんなとき、
「やるべきことがある」ということは
「やるべきことがない」より
よっぽどましである
ということを過去の自分の言葉から
拾い上げることができるので

このように過去の出来事に遭遇した自分と
その時に記録した言葉を振り返ることで
目の前にやるべきことがある状況と
やるべきこと自体に感謝の気持ちが
わいてくるようになる

ちなみにこれは海外での帯同生活で
経験した喪失感から得た人生観であり、
既に記録済みだ

こんなふうに過去に悩んだことに対して、
再び悩まなくて済むようになる
という事に気づき始めた
「研妻哲学」100回目

ぜひ自分なりに考え抜くことを
積み重ね、いつかその重みを
感じとってもらいたい
と誰かに勧めたくなるほど
毎日哲学することは
今この瞬間を生きることでもある

今この瞬間に心にわいてくるものは
哲学だけにとどまらず、カウンセリングでも
大切にされている



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



毎日哲学することの醍醐味は、今この瞬間を生きる自分を噛みしめることかもしれない





2020/04/17

【研妻哲学95】緊急事態宣言10日目。今しかできないこと

緊急事態宣言下の今しかできないこと

緊急事態宣言の対象が全国になって1日目
わが家は特定警戒都道府県に住んでいる

日本の特定の地域を対象とした
緊急事態宣言が、その対象地域を
全国へひろげたり、国民への現金給付が
検討されたりしている中、
家庭ではできることを模索する日々が
続いている

これまでの人生、特に20代の頃は
多少頑張ってでも
「今しかできないこと」を意識して
過ごしてきた

たとえば、初産という不安と
向き合いながらも、日本語も英語も
ほとんど通用しない海外で
出産しようと決意したのは、
このモットーのような
言葉の力に従ったから

海外生活が期限付きであることが
わかっていたから、いつまでかは
決まっていなかったけれど、
海外に住んでいるその時にしか
できないことをしようと思った

本当は20代だけ頑張って、
30代になったら
頑張らないつもりだった

今しかできないことを強く意識して
過ごすのは20代だけのつもり
だったのだが
考え方の癖のようなものが
できてしまったのか、
20代を過ぎた今でも
効力を弱めたものの継続中である
適度に力を抜きつつも、
今もなお、言葉の力を受けている

そして今、今しかできないこととして
緊急事態宣言後の記録を、あくまでも
個人的な目線で更新している

自分が生きている中で、
緊急事態宣言にでくわす可能性は
きっととても低いはずなのに
今現実のものとなっているのだから
貴重な時間でもあるはず
と考えている

その貴重な時間というのは
子供にとっても同様なはずなので

宣言がでてから1週間が経ち、
まだ幼いとはいえ、
子供の学習についても
きちんと考え直す必要性を感じている

わが子がきちんと通えていたのは
2020年の2月いっぱいまでで
先月の3月は1日しか通えていない
今月の4月は0日だ

延期になっていた入園式、入学式、
始業式は急きょ中止が決まった

毎日変わる状況に、
毎日変わらない家庭学習を
組み込むことの
重要性を感じるようになっている

これまでは臨時という言葉に
甘えていたけれど、
臨時が常時になった今
子供にとっての今しか学べないことを
もっと考えたいと
強く思うようになった、
緊急事態宣言から10日目の記録


ちなみに今朝は変な夢をみた
首から小さな消毒液をぶら下げて
ことあるごとに手を消毒する人々が
町を出歩く様子である

夢と現実の境が曖昧となった今、
夢と現実の区別がつかない
子供目線からも
今しかできないことを
見つけていきたい

そうやって一生懸命考えて探すことが
きっと今しかできないこと




(メッセージ)
ここまで読んでくださり
どうもありがとうございます
答えを求めて読み進めて下さった方には
申し訳ない気持ちです
結局今しかできないことってなんだ?
と一人ひとり考えて頂くことが
大事なのではないかと思います

このような状況の中で、今しか
できないことを考えるのも、おそらく
今しかできないのではないでしょうか

経済が打撃を受け、お金の価値が
見直される中、自分の頭で考えたことが
信用するに値するはずです

カウンセラーが相談者に解決策を
指示せず内省を促すのと同様に、
読んで下さった人が、何かを考える
きっかけになりましたら幸いです

その考えることの助けがほしい方は
傾聴の訓練を受けた私に話すことで
ご自身と対話するように、考えを深めて
いけるかもしれません
それが多文化対話士の
社会的な役割であるはずです

多文化対話ルームについて>>



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


今しかできないことを考えるのも、今しかできないかもしれない


大人目線と子供目線の今しかできないことは、夢と現実ほどの違いがあるのかもしれない



2020/04/08

【研妻哲学86】海外とちょっと違う緊急宣言。多文化対話は続く

緊急宣言と多文化対話


いよいよ日本でも東京を中心に
緊急事態宣言が発令された

海外とちょっと違うのは、
罰則がないこと
要請であって禁止ではないこと
営業停止した場合の補償整備など
が挙げられる

6週間後を夢見て、1ヶ月程度
生活が制限されることになる

そんな中、毎日のニュースを横目に
オンラインで多文化対話の時間を
確保するようにしている

これまで学んできた傾聴や
カウンセリングの実践の場でもあり
相手の笑顔や笑い声がエネルギーとなり
ライフワークとなりつつある
大切な時間

日本時間の早朝に行っているため
アメリカ辺りでは夕方に、
ヨーロッパでは夜寝る前の時間帯

眠いにも関わらず「新しいことを学びたい」
という相手を前に、私もたくさんのことを
学ばせてもらっている

学びのスタイルは相手の数だけあることも
この多文化対話を通して学んだ

そして対話の最後にもらう感想を読む限り
潜在的に話を聞いてもらいたい学生が
多いように感じる

激変する日常とは対照的に、
ひっそりとしなやかに、家事育児に
多文化対話という変わらない時間が
私らしく過ごせる大事な時間

本来であれば介護施設で話をきく
傾聴ボランティアに参加したかったが
これはこんな時期なので叶わない
機が熟すのを待つことにする




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



顕在化していないけれど潜在的ニーズを感じる「多文化対話士」という新しい肩書きを創造してもいいかもしれない


緊急事態宣言の中で、多文化対話士がひっそりと幕を開ける日
2020年4月8日





2020/04/04

【研妻哲学82】アルバイトを失った海外の大学生

バイト先が休業中の海外大学生

北米に住む大学生とオンラインで
対話したときのこと

その時間は本来であれば、飲食店で
アルバイトをしていた時間だったという

飲食店は政府から休業するよう
要請されており、
隠れて営業しているのが
見つかれば罰せられてしまう

そのためアルバイトを失った状況だ
フルタイム勤務の従業員には保証があるが
パートタイムの学生に保証はない

大学の授業は全てオンラインに
すでに切りかわっており
仲間と集まって語り合う機会もない

日本の飲食店が開いていることを知ると
それが非日常であるかのような反応だった

飲食店が営業していることが
日常だったのは既に過去の出来事となり
飲食店が営業していないことが
日常になった今を生きている学生

対話の最後に、私と話ができて
楽しかったと感想をくれた

新しい時代を、新しい日常と生きる
そんな学生は私に新しい学びを
与えてくれる先生のような存在でもある

学生の話を聴くうえで
過去の価値観が作り上げた肩書きは
そっと過去に置いておくことにしよう




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


こだわらず、とらわれず、しなやかに生きる

新しい社会の価値観は、もうすぐそこまで来ているのかもしれない