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2020/04/30

【研妻哲学108】緊急事態宣言23日目。秋入学、9月新学期と

秋入学、9月新学期という選択肢


最初の緊急事態宣言から23日目
日本全国の緊急事態宣言から14日目

全国に宣言がだされてから
2週間が経った

最近の日本は9月入学とか、
9月から新学期とか
そんな選択肢が浮上している

ちょっと前に夏休み短縮の
覚悟をしていたところに
新しい風が吹いた

ゴールデンウィークも
変化、変化の非日常が続いている

非日常が日常の今
旅行に行かなくても非日常を
味わえている
そんな日々

もともと旅行することが
日本ほど一般的ではない
国も世界には存在する
そんな国に生まれていたら
今の状況をどう感じるだろう

そんなふうに考えていると
物理的な移動はできなくても
思考は旅することができるような
気分になれる

アメリカの研究にあったように
ウイルスが高温多湿に弱いとしたら
秋という時期がどう影響するのか
考えてしまうけれど、時期を問わず
オンラインという形であっても
何かしら「始める」ことに
意味があるのだろう

子供の始業式は既に延期が
繰り返され、なかなか「始める」ことが
許されない現状
先生方も大変な思いをしているはず

秋入学・9月新学期になってもならなくても
目の前のことに淡々と向き合う今

ふと子供が通う園からもらっていた
4月の予定表が目にとまる
本来であれば今月は始業式だけでなく
家庭訪問や保育参観が
予定されていたと書かれている

半年後の2020年9月に
実現となるのだろうか

予定はあくまでも予定である2020年
何が起こるかわからない2020年
秋の景色はどんな色合いの絵になるだろう



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



向き合うべきものがあると、振り回されないのかもしれない


体は移動しなくても、思考は旅を続けられるかもしれない




2020/04/29

【研妻哲学107】緊急事態宣言22日目。何気ない日常の幸せと

何気ない日常の幸せと忘れ物


最初の緊急事態宣言から22日目
日本全国の緊急事態宣言から13日目

いつものように自宅で朝食を
済ませた後、久しぶりに
朝の早い時間帯に
散歩を兼ねて、最寄りの
人がいない公園へ出かけた

子供の小さな手を握り
人通りの少ない道を歩いていく

遠く離れて暮らす祖父母に
なかなか会えない寂しさからか
たまにすれ違う見知らぬご年配の人へ
マスク越しに声をかける子供

相手がマスクの下で喜ぶことを
知っているかのようなこの態度に
親は少々驚きながらも
些細な心の交流の重さを
噛みしめて歩き続けた

一定の間隔はあっても
心が繋がったような気がした

そうして誰もいない公園へ着くと
スマホを忘れてきたことに気づく

この公園へ行くときに
スマホを忘れたことは
今まで一度もなかった

そしてスマホだけにとどまらず
腕時計もすっかり付け忘れていた

普段なら子供たちが走り回る様子を
スマホで撮影して過ごすのだが
この日はそれができない
帰る時間を知らせる時計もない

仕方なく子供に誘われるがままに
いつも以上に小さな背中を
走って追いかけた

時計がないので、帰るタイミングは
子供の体力の消耗具合で判断する

消費したエネルギーが、
運動不足のお腹に届くことを願いつつ
他の人が来る前に公園を後にした

日本全国の緊急事態宣言から
もうすぐ2週間が経つ頃の
何気ないわが家の日常の記録

食べて、遊んで、笑って、眠る
何気ない日常の幸せは
きっとこんな感じなのだろう



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



忘れ物をしてもいいときもあるのかもしれない




2020/04/28

【研妻哲学106】緊急事態宣言21日目。英BBCの変化から

海外ニュース番組の変化から考える


一部地域の緊急事態宣言から21日目
日本全国の緊急事態宣言から12日目

イギリスBBCをTV画面で久しぶりに観た
話題のニュースの合間に
スポーツコーナーが挟まれた

コーナーが始まって
最初に画面に登場したのは
ゲーム機を持った人の両手

あれ?
スポーツニュースだったはずだが?

と一瞬思考が停止したものの
すぐにオンラインのスポーツだとわかった

番組内容もわりとすぐに他の
マラソン延期などへ切りかわったが
スポーツが枠を越えた場面に遭遇し
時代の節目に自分が存在している
実感が持てた瞬間となった

画面いっぱいのビアガーデンが
人で賑わう映像が過去のものとなった今
ビールが飲めない私でも憩いの場を
恋しく想う

それと同時にスペインで親子が
久しぶりに外で楽しそうに
遊べるようになった光景に心が和む

そして番組の余韻とともに、
進行役の低い声や日本とだいぶ異なる
立ち振舞いが瞼に残る

常識やマナーが異なる国々で
マスク姿だけが共通している
最初の緊急事態宣言から3週間

ドイツの花粉の時期にマスクをせず
我慢して過ごした日々が懐かしい



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



常識はいつまでも常識のままではいられないのかもしれない






2020/04/27

【研妻哲学105】緊急事態宣言20日目。社会不安と治安と

社会不安と治安と心の安定


一部地域の緊急事態宣言から20日目
日本全国の緊急事態宣言から11日目

最初に緊急事態宣言がだされてから
3週間が経とうとしている

前にも書いた通り、3のつくタイミングは
精神的変化が起こりやすいので
より一層、心に気を配りたい

もともとは異文化への適応において
注意喚起されていた話だが
個人的には今の状況に通じる部分が
あるのではないかと考えている

そして最近は日本にいながらも
海外の小さな田舎町で
過ごした日々が思い出される

日本で海外生活を送っているような

適応力が試されている、そんな感覚

たとえば、この春から日本も
レジ袋が一般的に有料化されて
エコバッグの代わりに
リュックを背負って生活必需品を
買いにいくことが多くなった

お店によっては、日本の狭いレジで
お会計前にエコバッグへ袋詰めするように
お願いされる場面もあり、
この今までとは違う生活に訪れた
不便さが、まさしく海外生活
そのものであるように感じている

それだけでなく、今私たちが戦っている
感染症による治安への影響も懸念される

実際に海外で社会不安がもたらす
治安の変化を目の当たりにした
経験上、だいぶ早い段階から
用心して過ごしているが
この点もまた、日本より治安に
気を配る必要があった
海外生活のようである

感染症、経済、精神、治安、
どれも一部に特化した最適化が
全体最適に繋がるとは限らない

今は偏りによるバランスを
取り戻そうとする感情や行動が、
注目を集める時期ともいえそうだ




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



バランスの定義は猫の肉球のようにふにゃふにゃだから、つい触って確かめたくなるのかもしれない






2020/04/26

【研妻哲学104】緊急事態宣言19日目。私のGW過ごし方

ゴールデンウィーク、私の過ごし方


一部地域の緊急事態宣言から19日目
日本全国の緊急事態宣言から10日目

早い人ではゴールデンウィークが
始まっている
SNSでは、がまんウィークと
呼ばれているらしい

昨日も家の窓から見える
近所の歯医者の裏口の扉が
開け放たれていた

私はといえば
行動範囲はすっかり狭くなり、
この町から出なくなって
何日になるのか、もはやわからない

歩く距離が減り、気づけば
お腹まわりにお肉がついてきた
今までちょっと大きめだと思っていた
ズボンが、ちょうどよくなってきたのだ

手放そうか迷っていたズボンだったので
ひとまず残しておいてよかったと言える

そんな状況で迎える2020年の
ゴールデンウィークは
緊急事態宣言の真っ只中

引き続き
外出を自粛することが求められる

お腹のお肉を気にしつつも、
この連休中にしたいことを考える

まずはちょっと難しい歌を
覚えることに挑戦すると決めて
早速取りかかっている
幼い子供と一緒に楽しめるだけでなく
最初から最後まで歌詞を覚えたら
小さな達成感も得られる予定だ

2020年今年のゴールデンウィークは
自宅で毎日少しずつ取り組めて、
最後に小さな達成感を味わえることに
いくつか挑戦して過ごすつもりだ

手ごたえのない外出自粛の日々に
小さな達成感が心に栄養を
運んでくれるのではないだろうか

お腹まわりのお肉については
またあとで考えよう



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


やっぱり毎日の積み重ねが大事かもしれない




大型連休中、家で心に栄養を与える過ごし方


毎日少しずつ取り組むことで、小さな達成感を栄養として心に届ける





2020/04/25

【研妻哲学103】緊急事態宣言18日目。外出自粛中の家庭学習

外出自粛が続く、未就学児の家庭学習

日本全国に緊急事態宣言が
出されてから9日目
未就学児と外出を自粛する日々が
続いている

毎日のニュースで報じられる日本の
感染者数は相変わらずの横ばい

都内のスーパーは規制が強まり
連日TV画面から伝わってくる情報で
ウイルスをより身近に
感じるようになった

5月のゴールデンウイーク明けに
子供は再び登園できるのだろうか
という疑問が拭えない

となると、家庭で学習できることは
なるべく学んでおく方が
親の安心感に繋がる

お昼寝をしなくなった上の子と
まだお昼寝が必要な下の子

習い事にも行けなくなってしまった今、
まずは下の子がお昼寝をしている時間を
上の子の家庭学習の時間にすることにした

どのみち静かに過ごすわけなので
文字を覚えたり、簡単な計算をして
過ごすにはちょうどよさそうである

幼児の集中力は長くないので
短い時間の中で飽きないように
工夫を凝らしながら、その日の気分に
あわせて取り組んでいく

もともと本を読んだり絵を描いたり
工作をしていることに加えて、
語学は遊びながら触れる程度
音楽は楽器に触れる時間を
つくるようにしていて
たまに図鑑や動画などで
生き物に熱い視線を送っている

どれも遊び半分だけれど
小学校の科目になんとなく
置き換えてみると
国語
算数
道徳(物語を通して)
生活(理科)
音楽
図工
英語
に触れている感じがしてくるので

これからは
体育
生活(社会)
がわが家の家庭学習の課題に
なりそうだということが見えてくる

ざっと整理ができた、緊急事態宣言18日目

未就学児と外出自粛の生活リズムが
やっと掴めてきたところで
ゴールデンウィークを迎える




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


整理してみると、次の行動がとりやすいのかもしれない





2020/04/24

【研妻哲学102】緊急事態宣言17日目。身のまわりの変化

日本全国の緊急事態宣言8日目


一部の地域を対象とした緊急事態宣言から
17日目となる今日
特定警戒都道府県にあるわが家の
身のまわりの変化を記録したい

スーパーやコンビニのレジに
ビニールシートが張られていることが
当たり前になってきた
日本全国の緊急事態宣言から8日目

家の近くの飲食店が、次々と
デリバリーを始めた
ポストにはそのチラシが届く

近所の歯医者は従業員の出入口の
扉が時折開け放たれるようになった
歯科医院のスタッフが廊下を
行ったり来たりする様子がわかる
3密を避けるための換気だろう

子供の予防接種で久しぶりに訪れた
小児科では、受付の小窓に小さな
ビニールシートが貼られているだけでなく
受付スタッフがメガネの上から更に
透明なフィルムで顔を覆っていた
この光景は今までに見たことがない

近所のドラッグストアでは相変わらず
マスクは売られていない
その後は液体ハンドソープも品切れとなり
今ではアルコール除菌の棚も
スッカラカンだ
固形石鹸が棚の下の方で存在感を
光らせている





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



ないものを想うより、あるものでどうするかを考える修行なのかもしれない





2020/04/23

【研妻哲学101】緊急事態宣言16日目。子供の新型コロナ遊び

日本全国の緊急事態宣言7日目


日本全国が宣言の対象となって
1週間が経ったこのタイミングで
特定警戒都道府県のわが家に
ある変化が訪れた

ついに子供が、遊びの中に
新型コロナを登場させたのだ

今まではなかった遊び方に
やや動揺する親の私

比較的短い時間で他の遊びに
変わったので大袈裟に語る
ことではないけれど、

家の中で、子供が積み木で
大きな家を作って
遊び始めたと思っていたら

積み木で小さく区切った部屋に
小さい人形を並び始めると、
「新型コロナでみんな家にいるところ」
と教えてくれた

どうやらあまり外に出られないから、
積み木で作った家の中で遊んでいるらしい

現在の状況を幼いなりに
理解していると示してくれた瞬間だった

もしかしたら積み上げた積み木が
あくまでも家の中であって、子供自身は
外にいる気分を味わっていたのかもしれない

外へ出られず、家の中で遊ぶことの
我慢を表現しながら、自然と気持ちに
折り合いをつけていたのだろうか

外で遊びたいという願望と我慢が
入り乱れる積み木の新型コロナ遊びだった

そんな子供に驚かされた、
全国の緊急事態宣言から1週間の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



理解していないようで、理解しているのかもしれない





2020/04/22

【研妻哲学100】緊急事態宣言15日目。毎日哲学した感想

自分なりに毎日哲学すること

全国緊急事態宣言6日目の今日
2020年1月から開始した「研妻哲学」が
ついに100回目を迎えた

100回記念として、
「自分なりに毎日哲学する」ことに
ついて触れていきたい
あくまでも「自分なりに」である

もともとは研妻精神として始まったが
日々の何気ない出来事や思ったことを
私の人生観を交えて毎日更新していく
うちに、哲学していることに気づき
その後は研妻哲学とすることにした

正直なところ、100日目を
緊急事態宣言下で
迎えることになるとは
微塵も思っていなかったけれど
予想外のことが起こるのが人生である

毎日欠かさず続けて感じるのは
自分なりに考え抜くことを
積み重ねてきた重み

単なる自己満足に過ぎないが
「塵も積もれば山となる」の
チリツモ思考で、何でも
重ねれば重くなるものだと感じている

そして毎日自分なりに哲学して
良かったことは、
悩む回数が減ったこと

無駄に悩まなくなった
と言うべきところだが
悩むことにそもそも無駄が
あるとは言い難い

なにか悩み事がでてきたとき、
過去にも同じようなことで
悩んだ経験があると
過去にアウトプットされている
自分なりの考え方を振り返ることで
案外すっきりすることもある
という意味で、
悩む回数が減るのである

たとえば、家事育児などに加えて
やるべきことが多すぎるようなとき
もっとゆっくりしたいけれどできない
という悩みがでてくる

そんなとき、
「やるべきことがある」ということは
「やるべきことがない」より
よっぽどましである
ということを過去の自分の言葉から
拾い上げることができるので

このように過去の出来事に遭遇した自分と
その時に記録した言葉を振り返ることで
目の前にやるべきことがある状況と
やるべきこと自体に感謝の気持ちが
わいてくるようになる

ちなみにこれは海外での帯同生活で
経験した喪失感から得た人生観であり、
既に記録済みだ

こんなふうに過去に悩んだことに対して、
再び悩まなくて済むようになる
という事に気づき始めた
「研妻哲学」100回目

ぜひ自分なりに考え抜くことを
積み重ね、いつかその重みを
感じとってもらいたい
と誰かに勧めたくなるほど
毎日哲学することは
今この瞬間を生きることでもある

今この瞬間に心にわいてくるものは
哲学だけにとどまらず、カウンセリングでも
大切にされている



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



毎日哲学することの醍醐味は、今この瞬間を生きる自分を噛みしめることかもしれない





2020/04/21

【研妻哲学99】緊急事態宣言14日目。芸人の底力、大笑い

日本全国の緊急事態宣言5日目

特定警戒都道府県のわが家

自宅で過ごす時間がさらに増えた2週間

外に出て人に会い、笑って過ごす
時間が減った2週間だが

たまたまつけていたTVに
たまたま映っていた芸人が
たまたま全身を使った芸を披露していて
遠く離れた面識のない私を
心の底から笑わせてくれた

こんなふうに大笑いしたのは
いつぶりだろうか、という疑問が
わきあがるくらい、まさに
芸人の底力を感じた瞬間である

ある程度計算された芸の中に
計算できない部分が加わって
大勢の人々を魅了する仕事

この仕事を全身を使って表現し
やり遂げる勇ましい姿に
尊敬やどこか憧れのような気持ちも
見え隠れするほどだ

こんな時期だからこそ、
お笑いやユーモアを駆使して
緊急事態という現実と向き合いたい
という気持ちにさせてくれる芸人たち

笑うことの大切さに気づかせてくれた
芸人さんたちの存在がありがたく
その笑い声がいつまでも心に鳴り響く
一部地域対象の緊急事態宣言から14日目



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



大笑いを忘れかけてしまったら、芸人パワーに頼るのもいいかもしれない


誰かを応援するとき、面識の有無は関係ないのかもしれない




2020/04/20

【研妻哲学98】緊急事態宣言13日目。コロナで疲れない心

日本全国の緊急事態宣言から4日目


もうすぐ東京を中心とした
一部の地域に緊急事態宣言が
出されてから2週間が経つ

特定警戒都道府県に住んでいるので
日々の推移は確認するようにしている

東京の感染者の推移を追うと
多少の増減はありながらも
横ばいのようだ

もうすぐ2週間というひとまずの区切りに
ここで新型コロナによる影響で
生活に疲れがでてくることに
触れたいと思う

個人的には海外生活、異文化への適応が
ヒントになるのではないかと考えている

母国に住んでいながらも、外出自粛や
一斉休校などで一変した私たちの
日常生活は、それまでの文化ではないような
生活を余儀なくされているという点で
海外生活にも繋がるのではないだろうか

よく現地の生活に慣れるには、
3がつく時期を意識するようにいわれている

海外での異文化生活が始まって
3日目
3週間
3ヶ月
3年
のタイミングで精神的な変化が
起きやすいらしい
ホームシックなどがその代表例だ

となると、やっと2週間と思っていても
本当に心が乱されるタイミングは
もう1週間後の3週間である
という予測がつくので
まだまだ気が抜けないという現実に
向き合わなければならない

緊急事態宣言がだされる前から
自粛生活をしていた人は
もう既に3週間目に突入している
可能性があるので、ちょうど今が
疲れがでやすい時期かもしれない

心の動きに敏感になる、海外生活への
適応を一通り経験している人は
もしかしたら今の状況に対する
心の免疫を持っているのではないか
とも考えられる

先が長いなと感じたら
相次ぐ休業要請で静かになった今なら
聴こえてくるであろう小鳥のさえずりに
耳を傾け、ただ淡々と目の前のことに
向き合う日々を受け止めるのもいいだろう

少なくともそうしている私は
あまり疲れていないと認識している

この先どうなるかわからないけれど
きっと今できることは、受け止めること

そして体だけでなく、
心の免疫にも気を配る心構えも加えたい
心や脳がちょっとおかしくなると、
体にも影響がでてくるものである

休業要請でさらに静かになった日本の
小さな町に小鳥のさえずりが戻ってきた
一部を対象とした緊急事態宣言から13日目

よく聴こえるようになった小鳥たちの歌声は
海外の田舎町での生活と、そこで
噛み締めた様々な気持ちを思い出させる

乗り越えたと思っていた異文化生活が
いつの間にか舞い戻っていたことに
気づかされる全国緊急事態宣言から4日目



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



小鳥のさえずりは住んでいる土地を選ばず、人々を癒してくれるのかもしれない


心の免疫にも気を配ることが、体の免疫にも繋がるのかもしれない





2020/04/19

【研妻哲学97】緊急事態宣言12日目。研究者とウイルスと絵画

日本全国が緊急事態宣言になり3日目


ウイルスという目に見えないものと
対峙する日々が続いている

研究者はウイルスが入り込んだ細胞を
大きな画面で分析する
研究者が細胞を見つめる様子は、まるで
絵画にみとれているようでもある

顕微鏡で写しだされる、
肉眼で捉えることが難しい相手は
その中身をよく知らない私とって
芸術作品のようである

私だったら自分の好きな色の白衣を着て
顕微鏡を覗きたいな
なんてどうでもいいことも
頭に浮かんでくる中

美術館で来館者が絵画と対話するように、
研究者はウイルスが入った細胞たちと、
その先に想いを馳せながら
対話しているようにみえる

その目でみえる絵は、事前の情報でだいぶ
変わってくる

研究者にはウイルスが細胞で
増えていく絵に見えても
私のように研究者でない者には
芸術的な作品に見えているように
知っているか、知らないかで
見える世界が変わってくる

同じものをみていても、
全然違うものを
見ていたり
感じていたりする

こういったことは研究の世界に限らない
ビジネスの世界では一般的に
外資系企業は日本企業より議論が長い
と言われている

異なるバックグラウンドを持つ者たちは
事前に持っている情報や知識、経験が
異なるので、同じものを見ていても
全く違う見方をしている可能性がある

そのため、話し合うことで
お互いを理解していくのである
相手との違いが、対話を深めていく




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



相手は自分と違う、という前提が対話を深めるのかもしれない




2020/04/18

【研妻哲学96】緊急事態宣言11日目。特定警戒都道府県の今

日本全国が緊急事態宣言になり2日目


特定警戒都道府県内にあるわが家だが
町の中心地から離れているせいか
外の自粛ムードは緩い印象を受ける

子供の用事があったので
昨日は朝の通勤時間帯を
過ぎた頃に子供たちを連れて外へ出た

それまで外出を控えていたので
久しぶりの子連れ外出となった
体力の衰えも多少感じながら
小さな手をとり、
外の空気をマスク越しに吸った

電車には乗らないけれど、目的地が駅の
先だったので駅周辺を歩いたところ
マスクをつけずに駅の中へ向かう
大人たちとすれ違った

特定警戒という言葉を遠くに感じさせる
そんな瞬間だった

特定警戒都道府県と言われたばかりの
特定警戒都道府県のとある町の様子は、
これまでと差ほど変わらないという現実

対策を意識して行動に移す人と
そうでない人の二極化とも捉えられる

迫りくるゴールデンウィークに向けて、
町の様子はどう変わるのだろう

緊急事態宣言とか、特定警戒都道府県とか
そういったシールが増えた
日本全国への緊急事態宣言から2日目

子供のシール遊びを横目に、今と向き合う




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


シールの粘着力を決めるのは自分かもしれない



2020/04/17

【研妻哲学95】緊急事態宣言10日目。今しかできないこと

緊急事態宣言下の今しかできないこと

緊急事態宣言の対象が全国になって1日目
わが家は特定警戒都道府県に住んでいる

日本の特定の地域を対象とした
緊急事態宣言が、その対象地域を
全国へひろげたり、国民への現金給付が
検討されたりしている中、
家庭ではできることを模索する日々が
続いている

これまでの人生、特に20代の頃は
多少頑張ってでも
「今しかできないこと」を意識して
過ごしてきた

たとえば、初産という不安と
向き合いながらも、日本語も英語も
ほとんど通用しない海外で
出産しようと決意したのは、
このモットーのような
言葉の力に従ったから

海外生活が期限付きであることが
わかっていたから、いつまでかは
決まっていなかったけれど、
海外に住んでいるその時にしか
できないことをしようと思った

本当は20代だけ頑張って、
30代になったら
頑張らないつもりだった

今しかできないことを強く意識して
過ごすのは20代だけのつもり
だったのだが
考え方の癖のようなものが
できてしまったのか、
20代を過ぎた今でも
効力を弱めたものの継続中である
適度に力を抜きつつも、
今もなお、言葉の力を受けている

そして今、今しかできないこととして
緊急事態宣言後の記録を、あくまでも
個人的な目線で更新している

自分が生きている中で、
緊急事態宣言にでくわす可能性は
きっととても低いはずなのに
今現実のものとなっているのだから
貴重な時間でもあるはず
と考えている

その貴重な時間というのは
子供にとっても同様なはずなので

宣言がでてから1週間が経ち、
まだ幼いとはいえ、
子供の学習についても
きちんと考え直す必要性を感じている

わが子がきちんと通えていたのは
2020年の2月いっぱいまでで
先月の3月は1日しか通えていない
今月の4月は0日だ

延期になっていた入園式、入学式、
始業式は急きょ中止が決まった

毎日変わる状況に、
毎日変わらない家庭学習を
組み込むことの
重要性を感じるようになっている

これまでは臨時という言葉に
甘えていたけれど、
臨時が常時になった今
子供にとっての今しか学べないことを
もっと考えたいと
強く思うようになった、
緊急事態宣言から10日目の記録


ちなみに今朝は変な夢をみた
首から小さな消毒液をぶら下げて
ことあるごとに手を消毒する人々が
町を出歩く様子である

夢と現実の境が曖昧となった今、
夢と現実の区別がつかない
子供目線からも
今しかできないことを
見つけていきたい

そうやって一生懸命考えて探すことが
きっと今しかできないこと




(メッセージ)
ここまで読んでくださり
どうもありがとうございます
答えを求めて読み進めて下さった方には
申し訳ない気持ちです
結局今しかできないことってなんだ?
と一人ひとり考えて頂くことが
大事なのではないかと思います

このような状況の中で、今しか
できないことを考えるのも、おそらく
今しかできないのではないでしょうか

経済が打撃を受け、お金の価値が
見直される中、自分の頭で考えたことが
信用するに値するはずです

カウンセラーが相談者に解決策を
指示せず内省を促すのと同様に、
読んで下さった人が、何かを考える
きっかけになりましたら幸いです

その考えることの助けがほしい方は
傾聴の訓練を受けた私に話すことで
ご自身と対話するように、考えを深めて
いけるかもしれません
それが多文化対話士の
社会的な役割であるはずです

多文化対話ルームについて>>



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


今しかできないことを考えるのも、今しかできないかもしれない


大人目線と子供目線の今しかできないことは、夢と現実ほどの違いがあるのかもしれない



2020/04/16

【研妻哲学94】緊急事態宣言9日目。期間延長の可能性

日本の緊急事態宣言、延長の可能性

あの宣言から1週間が経ち、既に
この先を危ぶむ声が聞こえてきそうな
9日目、ついに期間延長の可能性が
出てきたそうな

現在のところ、延長を議論するだけなので
あくまでも延長の可能性ということのよう

この日本の状況を、100年後の人々は
どのように捉えるのだろう

今から100年後に自分が生きている
可能性はとても低い
となると、きっと答え合わせはできないまま

自分が存在するかわからない世界に
想いを馳せると、自分が確実に存在している
今この瞬間の存在感が増してくる

そしてこの瞬間の積み重ねである1日が
とても限られたものに感じられる

一人ひとりに与えられた時間は有限なのだ
どうせ期限付きなのだから、焦ることはない

研究者の夫は常に任期付き、期限付きの
雇用なのだが、日々目の前の小さな
やるべきことに気をとられているせいか
よくもわるくも焦る様子を感じさせない

他に気をとられることで、
焦らないでおくのも
ひとつの手かもしれない

今日1日を、今この瞬間を
愛しく感じながら過ごしても
いいのではなかろうか




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



毎日が大切なので、毎日更新しているのかもしれない










2020/04/15

【研妻哲学93】緊急事態宣言8日目。夏休み短縮の覚悟

長い春休みと、短い夏休み

あの緊急事態宣言から1週間が経ち
どうやら今年は夏休みが短くなるらしい
ということがわかってきた

春は臨時休校が続き、もはやどこからが
春休みで、どこからが臨時休校なのか
わからなくなってきた2020年の春

早くも次の季節が心配になる
夏の暑さに耐えられるか
朝の登園はなんとかしのげても
お迎えの時間帯は非常に暑い

ここは特に暑い地域だということを
海外から引っ越してきたあとに知った

わが家はエアコンのない海外生活から、
エアコンが欠かせない日本生活に激変した

小さい子供を連れての送り迎えに、
あの夏の異常な暑さが心配になり
暑さ・熱中症対策を考え始める
緊急事態宣言から8日目

そういえば、子供の習い事のスケジュールも
お盆前後の休みがなくなっていたような
気がする

青森や秋田など東北の夏の風物詩である
お祭りも中止が既に決まっているようだ

今年の夏はいつもと違う、ということを
今から覚悟しておこう



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



今年の夏は対策の数が増えるのかもしれない


私たちの生活は変化の連続なのかもしれない









2020/04/14

【研妻哲学92】緊急事態宣言7日目。ストレスのその先

自粛生活とストレス、ウイルスとその先


日本の対象地域に緊急事態宣言が
発出されてから1週間が経つ今

緊急事態宣言の対象地域かそうでないかに
関わらず、休業要請の影響で営業を
自粛するところが更に増えてきた7日目

この自粛生活に密接に関わるストレス

私のストレスの最初の山は、緊急宣言が
出される前だった
宣言前から自主的に自粛生活を送っていた
ことも影響してか、自分では
気づかないうちにストレスを
ためてしまっていた

恥ずかしい話だが、自分ではそれなりに
コントロールしているつもりだった

これはおそらく、無意識のうちにストレスを
遠ざけていたに過ぎない
視界に入らないようにしていただけで
本当は抱え込んでいたのだ

ストレスもウイルスと同様に
気づかないうちにやってくる
そして周囲の人にも影響を及ぼすことがある

自分が感染しているかもしれないと
意識した行動を心がけるのが大事なように
自分の心身は今ストレスを抱えている
かもしれないと労りながら、自分を
大切にすることも大事といえそうだ

そうした生活の先に、自粛との均衡が
保たれていく日々があるように
感じる1週間であった

そしてもし周りにストレスと向き合っている
人がいたら、身の危険を感じるような
例外は別ものとして、できる限り
今のその人の言動をただ淡々と、
いつもより大きな心で受け止めたいものだ



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


ストレスもウイルスも移さない、と心掛けるのもいいかもしれない






2020/04/13

【研妻哲学91】緊急事態宣言6日目。ウイルスと人間の共通点

ウイルスと人間の共通点


新型コロナウイルスは、ある日突然
生まれて私たち人間の身体をつかって
生き延びようとしている

私たち人間も、ある意味である日突然
生まれてこの世界を生き延びようと
毎日呼吸している

ウイルスも人間も、生きる
ただ今日を生きる、という共通点がある

もちろん私も人間なので、
これ以上大切な人の命を失わないよう
気をつけて生活しているが

ウイルスに気持ちがあるならば
この世に存在を認められたと思ったら
悪者扱いされ、たまったものではないだろう

このように人間以外の存在にも
心や気持ちがあるとする考え方は
とても日本的だ

たとえば海外で子育てをしていたとき
幼い子供がテーブルを噛んでいた場合
「そんなことしたらテーブルが悲しむよ」
と、噛まれたら痛くて悲しいだろうという
モノの気持ちを表現して叱るのは
私を含む日本人の母親くらい

持ち前の日本人特有の考え方をしてみると
ウイルスの気持ちと人間の気持ちが
同じ生きたいというのならば、
目的は一緒なので戦うのではなく
「共存」に行き着くはずだ

悲しみと痛みを伴うウイルスと
人間との戦争は既に
始まっているようであるが
同じ目的を持って生まれたもの同士
きっと共に生きていくのだ

抗体やワクチンが行き渡る頃に
終戦を迎え、共存の道を辿るのだろう

GoogleとAppleが手を組んだように
ライバルや競争相手は
いつまでも敵でいるわけではない
特に会社を離れたら尚更だが

人類の敵といわれるウイルスも
いつまでも敵にしておくより
組める手を見つけて共に
平和に生きたいものだ

医療従事者や関係者はもちろんのこと
その手を探すため、ウイルスと日々
対話している研究者にも敬意を表したい

ウイルスの気持ちに想いを馳せながらも
大切な人の命を考える、
緊急事態宣言6日目




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



共通言語を持たない相手との対話ほど、難しいものはないのかもしれない






2020/04/12

【研妻哲学90】緊急事態宣言5日目。免疫・抗体の証明書

日常生活と免疫・抗体の証明書


生きているとなにかと求められる、証明書

海外で帯同生活を開始するときや、
滞在許可証(ビザ)を取得するときと
更新するときにはアポスティーユと呼ばれる
公的な証明書が必要だった

これは東京で働いていた頃、会社帰りに
外務省まで出向いて申請し、そのあと
別途ドイツ語に翻訳してもらい、
研究者の夫との婚姻を証明するための
証明書となった

現地で病院にかかるときは、公的保険に
加入できるようになるまでの間
健康保険に加入していることがわかる
証明書を持参して受診していた

日本でも海外でも家を借りる際には
収入の証明書も提出した

出産した子供と飛行機に乗るために
パスポートを取得するには
出生証明書が必要だった

なにかと証明書が必要な私たちの人生に
最近また新しい証明書が加わる
可能性があるようだ

それは免疫の証明書、抗体の証明書だ

新しいウイルスがもたらす、新しい証明書

日本に浸透するかわからないけれど
ヨーロッパだけでなくアメリカでも
既に活用が検討されているらしい

日常生活の変化は、証明書にまで影響を
及ぼす、そんな緊急事態宣言5日目の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



生活が変わるように、証明書も変わるのかもしれない








2020/04/11

【研妻哲学89】緊急事態宣言4日目。ベーシックインカム

ベーシックインカムと未来の幸せ基準

哲学的には、幸せの基準が
お金の人は幸せになれないらしいが

仕事がいつまで休みになるかわからず
収入源を失うことで自分の一部を失い
お金が入ってこない不安を抱え
幸せが遠退いているように感じる人もいる

そんな現実を目の当たりにすると
ベーシックインカムの概念が頭をよぎる
そして再びお金がなかった時代に
想いを馳せるわけだが

不幸せを感じる人が増えると
おそらく治安がわるくなる
数年前のドイツがまさにそうであった
大勢の難民移民を受け入れ、
不安に耐えられなくなった人々が
暴徒化した
その後も対立する立場同士のデモが
時折続いており、市民にその都度
注意が促されている

日本とドイツの国民性の違いがあるにせよ
このように不安から暴動が起きるのは
心理学的にもいえることである

そんな経験から、ベーシックインカムは
少なくとも治安維持の側面で
その存在感をますのではないだろうか

怠けてしまうのではないかといった
声が聞こえてくるが、地震などの自然災害が
多いとなると、その存在感を尚更
眩しく感じるだろう




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



ベーシックインカムによって哲学的な幸せの基準を持つ人が増えるかもしれない






2020/04/10

【研妻哲学88】緊急事態宣言3日目。コロナから学ぶこと

新型コロナウイルスからの学び

人と人とが、距離をとるように
注意を促されている
1.5メートル、できれば2メートル

心の距離だけでなく、物理的にも
こうして距離ができることで
人間関係も変わってくるだろう

実際に人付き合いは、ある程度
距離が保たれる方がうまくいくように
現実とも距離がとれると、私たちの不安は
少し軽くなるのではないかと思う

心を癒してくれる絵画が近すぎると
よくわからないように
現実が近すぎてよく見えないと、不安になる
現実が過去のものになると、距離ができるので
見渡しがよくなるものだ

美術館や博物館の展示物は
たいてい直接触れられないように
囲われていて、来館者が
近づきすぎないように配慮され、
展示物との間隔が設けられている

現実と人付き合いとコロナに
共通して大切なのは「距離」といえそうだ

距離という言葉に何かしらネガティブな
印象を持つ場合は、「間隔」と言っても
よいだろう

この間隔の重要性を学んだ、
緊急事態宣言から3日目の夜




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



不安な現実と向き合う今、現実との間隔調整が大事かもしれない




2020/04/09

【研妻哲学87】緊急事態宣言2日目、研究者夫と子供との生活

緊急事態宣言から2日後、わが家の生活

研究者の夫は新しい実験をしておらず
既に着手していた実験をどうするか、
という問題を抱えている

幼い子供たちは家で過ごす時間が長くなり
母である私と創作活動にいそしんでいる

創作といっても、たいしたものではない
絵の具やクレヨン、色鉛筆や粘土があれば
誰でも楽しめることで、ひたすら遊ぶのだが
「創作活動の時間」と呼ぶことで
取り組む際の気分が違ってくる

創作活動で出来上がったものは
普段なら「イタズラがき」で済まされて
しまうところを、「作品」として
扱われることになり、子供は自分の
作品が壁に飾られてどこか誇らしげだ

生活に必要な食料などの買い物は
マスクを嫌がる子供を連れていくのは
難しいため、なるべく夫がいるうちに
私がひとりで行くか、夫がひとりで
行くことが多くなった



緊急事態宣言で増える時間と減る時間メモ:

夫の場合
家族の時間が増え、仕事の時間が減る

子供の場合
家遊びの時間が増え、外遊びの時間が減る

妻の場合
家族の時間が増え、自分の時間が減る

家族全体の場合
家で食事する時間が増え、外食の時間が減る


こうして書き出してみると、
海外での帯同生活を
思い出さずにはいられない
子供の場合を除くと当てはまることばかり

このようにバランスが崩れていくことを
非日常と呼ぶのなら
すっかり日常だと思い込んでいた海外生活は
非日常でもあったようだ
まるで果てしなく長い旅のようだった

そして今再び、いつの間にか新たな旅が
音をたてずに始まっていたようだ

ポジティブだけでなくネガティブな
意味合いにも変身する、奥深き「非日常」



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



もしも100年後くらいにまたパンデミックなんてことになったら、100年生きると言われる今の子供たちが、100年後にこの記録を見つけてくれる可能性について考えることで、目の前の現実を遠くに感じることができるかもしれない


空想はいつだって味方なのかもしれない





2020/04/08

【研妻哲学86】海外とちょっと違う緊急宣言。多文化対話は続く

緊急宣言と多文化対話


いよいよ日本でも東京を中心に
緊急事態宣言が発令された

海外とちょっと違うのは、
罰則がないこと
要請であって禁止ではないこと
営業停止した場合の補償整備など
が挙げられる

6週間後を夢見て、1ヶ月程度
生活が制限されることになる

そんな中、毎日のニュースを横目に
オンラインで多文化対話の時間を
確保するようにしている

これまで学んできた傾聴や
カウンセリングの実践の場でもあり
相手の笑顔や笑い声がエネルギーとなり
ライフワークとなりつつある
大切な時間

日本時間の早朝に行っているため
アメリカ辺りでは夕方に、
ヨーロッパでは夜寝る前の時間帯

眠いにも関わらず「新しいことを学びたい」
という相手を前に、私もたくさんのことを
学ばせてもらっている

学びのスタイルは相手の数だけあることも
この多文化対話を通して学んだ

そして対話の最後にもらう感想を読む限り
潜在的に話を聞いてもらいたい学生が
多いように感じる

激変する日常とは対照的に、
ひっそりとしなやかに、家事育児に
多文化対話という変わらない時間が
私らしく過ごせる大事な時間

本来であれば介護施設で話をきく
傾聴ボランティアに参加したかったが
これはこんな時期なので叶わない
機が熟すのを待つことにする




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



顕在化していないけれど潜在的ニーズを感じる「多文化対話士」という新しい肩書きを創造してもいいかもしれない


緊急事態宣言の中で、多文化対話士がひっそりと幕を開ける日
2020年4月8日





2020/04/07

【研妻哲学85】食料危機と食料ナショナリズム。農家は脳か?

食料ナショナリズムと農家


新型コロナウイルスが猛威をふるう前から
日本では経済の幼児化、逆行が叫ばれていた

そして最近、再び食料危機が話題になっている
食料ナショナリズム、自国で生産した食料は
自国民で消費するというもの
いうなれば国単位の地産地消である

輸出を制限され始めたのはマスクだけでなく
どうやら食料も対象となっていくようだ

他国から食料を輸入できないとなると
自国で生産して消費していくことになる
生産するのは主に農家たちだ

ここでもまた時代が逆行しているような
錯覚に陥るのは気のせいだろうか

農家が生産する食料を食べて、私たちの
身体は作られる
もちろん脳も

脳をはたらかせるためには、農家の存在が
欠かせない




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



農家は脳かもしれない



(こんな時期なのでこういうノリにも挑戦)






2020/04/06

【研妻哲学84】マスク着用の違い、日本と海外の日常

海外でマスク着用は非日常


日本ではマスクをつけて外を出歩くことは
一般的であるが、海外で生活する中で
マスクをつけて外を出歩いている人に
出会ったことはなかった

まだ新型コロナが話題になる前
日本に住むアフリカ出身の研究者が
珍しくマスクをつけていたので
声をかけたら、母国でマスクをするのは
病院くらいだと言っていた

海外の人がマスクをつけて外を
出歩くのは日本くらいだった
そんな日常が変化のときを迎えた
トランプ大統領もマスク着用を
勧めるといった発言をした

推奨するだけで、マスク姿で
出歩いてはいないが
海外の人々にとって、マスクをつける
という非日常が、日常になりつつある

その昔、古代や中世の人々には
夢と現実の差がなかったという
ことばを覚えたばかりの幼子のようだ

日常と非日常が入り乱れる今
これは夢か現実かという概念が
なかった時代に、想いを
馳せることができそうだ



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



夢と現実を区別する概念を持たない幼い子供のような、心からわきでるものに従うときなのかもしれない






2020/04/05

【研妻哲学83】ニーチェが歩いた、ドイツの町を歩いた感想

ニーチェとライプツィヒとワイマール


哲学者ニーチェは、ドイツ
ライプツィヒ大学でも学び
ワイマールで生涯に幕をおろした

この2つの町は、私もよく通った町であり
何度か訪れては、散策を楽しんだ町であるが

ライプツィヒといえば作曲家バッハで、
ワイマールといえば文豪ゲーテであるため
この二人の影に隠れたニーチェは
現地では非常に目立たない存在であった

ライプツィヒに降り立てば、色鮮やかな
バッハの旗が風に靡き、教会に入れば
バッハが描かれた美しいステンドグラスが
出迎えてくれる

ワイマールに降り立てば、広場の
目立つところにゲーテの立派な銅像が
置かれていて、晴れた日には大勢の
人々がその銅像の前で記念撮影を楽しみむ
さらに進んでいくと、庭付きの
ゲーテハウスで優雅に私たちを
出迎えてくれる

ライプツィヒとワイマール
どちらもニーチェのニの字もないが
ニーチェは確かにその町にいた
その町で呼吸をしていた

さらにはピアノの超絶技巧でも有名な
作曲家リストもワイマールに縁があり
リストの娘とニーチェは実際に
面識があるのだが
これもまたほとんど知られていない

ドイツでニーチェが隠れキャラ状態である
理由は、ドイツの歴史とニーチェの不遇を
知る人なら察するだろう

私が感じた町の様子は、私の目や耳しか
感覚できないように
一緒に行った家族が感じた町の様子は
家族それぞれが持つ五感でしか感覚できない
全く同じ感覚を持つには、
全く同じ目や耳が必要になる




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



同じ感覚を持たないから、対話の深みがますのかもしれない








・参考文献
書名:ニーチェ ツァラトゥストラ/NHK「100分de名著」ブックス
著者:西 研
出版社:NHK出版
発行年:2015年







2020/04/04

【研妻哲学82】アルバイトを失った海外の大学生

バイト先が休業中の海外大学生

北米に住む大学生とオンラインで
対話したときのこと

その時間は本来であれば、飲食店で
アルバイトをしていた時間だったという

飲食店は政府から休業するよう
要請されており、
隠れて営業しているのが
見つかれば罰せられてしまう

そのためアルバイトを失った状況だ
フルタイム勤務の従業員には保証があるが
パートタイムの学生に保証はない

大学の授業は全てオンラインに
すでに切りかわっており
仲間と集まって語り合う機会もない

日本の飲食店が開いていることを知ると
それが非日常であるかのような反応だった

飲食店が営業していることが
日常だったのは既に過去の出来事となり
飲食店が営業していないことが
日常になった今を生きている学生

対話の最後に、私と話ができて
楽しかったと感想をくれた

新しい時代を、新しい日常と生きる
そんな学生は私に新しい学びを
与えてくれる先生のような存在でもある

学生の話を聴くうえで
過去の価値観が作り上げた肩書きは
そっと過去に置いておくことにしよう




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


こだわらず、とらわれず、しなやかに生きる

新しい社会の価値観は、もうすぐそこまで来ているのかもしれない






2020/04/02

【研妻哲学81】休校延長、おすすめの過ごし方。悟性の熟成

おすすめは悟性と機会の熟成

海外での孤独な生活にやがて変化が
訪れて、こうして毎日文章を書いている
孤独な時期は、知識や経験を
溜め込む時期であったとも捉えられる
孤独に物を想い、母国語で学ぶことに
飢える経験をしなければ、今に至らなかった
いわば悟性の熟成期である

これに機の熟成も加えたい
何かこうであったらいいなという理想を
持っていても、その時は実現に至らないが
その数年後、実現する機会が巡ってくる
ことがある
いわば機会の熟成期である

過去を振り返り、一瞬を切り取って
文字で表現することは
絵を描くことにも似ている
絵も一瞬を切り取られたものである

もともと絵は見るだけでなく、
描くことが好きであった私は
その昔、毎日絵を描いて過ごすことに
憧れていたが、当時は実現しなかった
そんな20年前の過去の願望が
機を熟し、毎日文字を書くことに変化して
実現しているとも捉えられる

画家が絵を描かずにはいられないように
文章を書かずにはいられない
そんなあふれでる気持ちを、その昔
ドイツの哲学者ニーチェも
大切にしていたようだ

そして私の経験上、機会の熟成は
悟性の熟成がもたらしてくれるように思う

休校が延長された地域もある中で
物事を子供自身で考え、理解し、判断する
そんな自分だけの悟性を熟成させながら
過ごすのも良さそうである




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


自粛の今は自ら孤独者となり、悟性を熟成させる良い機会となるかもしれない


「我輩は人である、肩書きはまだない」と言い放ち、人々が各々の悟性を熟成させると、社会の価値観が変わるかもしれない






・参考文献
書名:座右のニーチェ
著者:齋藤 孝
出版社:光文社
発行年:2008年





【研妻哲学80】エコバッグと防犯とリュック。日独米

エコバッグから防犯を考える

いよいよ日本でも本格的に
レジ袋が有料となり、今までより更に
エコバッグを持ち歩く生活になる

ドイツでは1週間分の食料を
まとめ買いしておく家庭が多く
わが家も大きくて丈夫なエコバッグを
何個かぶらさげてよく買い物をしていた

普段のちょっとした買い物の場合は
エコバッグよりリュックが使いやすかった
大きめのリュックを背負っておけば
予定外の買い物をあいているスペースに
入れることができるので
両手をあけておける

幼い子供と手を繋いで歩くときも
小さな子供を抱っこして歩くときも
大きなベビーカーを押して歩くときも
中身がほぼ空っぽのリュックが大活躍した

ショップバッグを持ち歩かないことは
防犯の役割も果たすようで
学生からご年配の方々まで
エコバッグやリュックサック姿が多かった

アメリカ生活が長かったお姉さんは
ちょっとした外出では
お財布を持ち歩かない
1、2枚のお札をポケットに入れていた

ドイツでは子供服でも
内ポケットがついている
貴重品は内側の方が安全という
認識なのだろう

これまでの消費税増税、コロナショック、
レジ袋有料化を背景に
これからの日本の町の様子が変わるだろう

外出スタイルが見直される時期ともいえる

エコバッグ生活と外出自粛生活で
変わる日常の風景

変化の最中にいるときは
見過ごしてしまうかもしれないけれど
日常の絵は確実に変化している





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


日常が変化する事実は変化しないのかもしれない




2020/04/01

【研妻哲学79】お皿洗いが、創造的な自分の時間

家事の時間を自分の時間に


幼い子供を育てていると
なかなか自分の時間が持てないことが
悩みの種になりやすい
あるいは悩んでいなくても
もっと自分の時間が増えるといいな
と思うことがある

慌ただしく食事の準備をしているとき
食べ終わった食器を片しているとき
シャンプーを詰め替えているとき
夫の靴下を洗濯機に入れるとき
子供に遊んでと言われるとき
子供とおもちゃを片付けているとき
部屋の掃除をしているとき

子供がある程度成長するまでの間は
よくそう思っていた
何回も同じことが頭を行ったり来たりするのを
繰り返し、近頃は以前より隙間時間の
楽しみ方が身に付いてきたように感じる

キッチンで食器を洗う時間や
掃除をしている時間を
自分の時間にすることを覚えてきた
手足と頭を使い分けるイメージで
手足は動かしつつ、頭の中は何かしら
別の創造的なことを考えるようになった
「心ここにあらず」状態ともいえる





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



手足は家事をしていても、頭は違う事をしているかもしれない








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