お知らせ

▼研究者を支える妻の会「研妻会」Webサイト

▼「研妻会」インスタグラム気まぐれ更新中

2020/07/31

研妻哲学200・コロナ禍と文豪ゲーテの共通点。人生を生きやすくする哲学

祝200回記念

哲学ど素人の私が
毎日、哲学して200日目を迎えた

100回記念のときも
似たようなテーマを書いたけれど
哲学のおかげで
日々が生きやすくなった

たとえば、
評価は期待してもしょうがない
とか

人の役に立ってこそ
とか

嫉妬心にさようなら
とか

激変する2020年の要所において
指針のように私の心を軽くしてくれる

一昔前は難しすぎて
なかなか読む気になれなかったような本でも
現在はわかりやすい言葉に置き換えて
まとめられた良書が
たくさんでまわっている時代

ちょっと尻込みするような本でも
手に取りやすくなった

そんな時代の恩恵を受けて
はじめてきちんと
ドイツの文豪ゲーテについて
書かれた本と向き合うことにした

というのも、
ドイツ在住の頃は
ゲーテゆかりの地に住んでいた

現地で「ゲーテ」と言って
きちんと伝わらなかったことが
懐かしい

発音はどちらかというと
「ゴエーテ」の方が近いかもしれない

現地では毎日のように
彼の名前を
口にして過ごしていた

それにもかかわらず
ゲーテの本を
きちんと読んだことがなかった

ゲーテが生まれたフランクフルトも
ゲーテが大学で学んだライプツィヒも
ゲーテハウスのあるワイマールも
何度も訪れた

ゲーテの銅像や自画像と一緒に
記念撮影した写真は
何枚も残っている

ただただ、その土地は
ゲーテが有名だという
ミーハーな気持ちがあったことが
隠し切れない

せっかく日本で
日本語の本に
たくさん触れられる環境を得たので
ずいぶん時は経ってしまったけれど
ゲーテと対峙していこう

そんな気持ちに
ふとなった

ちなみに
最初に手にした書籍の冒頭で
今のコロナ禍にも共通するような
気づきをひとつ発見した

ゲーテが自然災害をきっかけに
神を信じるだけでなく、
自分の頭で考えることの
大切さに気づかされたように

コロナ禍の
2020年生きる私たちも
自分自身で考え直すことの重みに
気づかされているような
気がしてならない

2020年7月31日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


私の祖父の教え「生きているうちに頭を使え」は、「自分の頭でしっかり考えろ」ということだったのかもしれない






・参考文献
書名:ゲーテと人生を探そう
著者:岩村行雄
発行所:株式会社ヴァーティカル
発行年:2012年






2020/07/30

研妻哲学199・コロナ禍で子供の習い事も休み短縮

短縮夏休みと習い事

2020年の夏休みは
地域によって期間がバラバラ

同じ都道府県でも
市区町村によって
夏休み期間が変わることもある

そんな影響は
子供の習い事にも及ぶ

短い夏休みにあわせて
習い事は夏休みが
始まるまで続く

となると
送り迎えをする親も大変

天気は雨の予報で
3人分の雨具を持ち歩いていても
日差しがでてきて
晴れ間が見えることもあれば

ついさっきまで
雨なんて降っていなかったのに
急に雷が鳴りだし
突如大雨になることもある

あらゆる天候に耐える
移動手段を考え、
忍耐力が試される

上の子の習い事に
もれなく下の子もついてくるので
待ち時間の過ごし方も
それなりに段取りが必要になる

お昼寝のタイミングによっても
変わってくる

毎週休まず続くスケジュールを
子供は元気いっぱいに
こなしているが

親はそろそろ
夏休みが来ないかなと
待ち遠しく思う

2020年7月30日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


予定が天気のように変わるのが、2020年なのかもしれない








2020/07/29

研妻哲学198・幼児と科学館は、平日の午前中が狙い目

幼児と科学館

つい先日
上の子を幼稚園に預けて
下の子とふたりで
平日の午前中を
科学館で過ごした

前にも書いた通り、
もともとは近所の
子育て支援センターに
通うつもりだった

ところが
最近は雨の日が続き、
予約した日にちに
タイミングをあわせるのが難しかったため
次に行くのは予約のいらない
科学館と決めていた

開館直後は
ひとけがなく
小さい子も過ごしやすい

骨やら化石やら標本やらを
眺めて、または素通りして
泡や魚を追いかける

難しい展示物は
まだ理解できないけれど
それでいい

ボタンを押したり
まわしたりして
展示物が動く様子を
全身で観察していた

何回も消毒しながら
幼児向けコーナーも満喫

こんな時期なので
使用中止の展示物も
少なくないけれど

なかなか充実した時間を
過ごすことができた

新型コロナウイルスの影響で
滞在時間が限られているので
休日に家族みんなで
長時間滞在するのには向かなくなった

その代わり
平日にちょっとの時間だけ
子供を連れて
立ち寄るくらいが
いいのかもしれない

上の子の習い事がない日に
また立ち寄りたい場所となった

2020年7月29日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


あの手この手を模索する過程は、楽しいものなのかもしれない








2020/07/28

研妻哲学197・夫の幸せを考える。実家、地元愛の強い人

地元を愛する夫

お互い大学生の頃に
交際をスタートした私たち

彼女になった当初から
こう言われていた

「将来は地元に戻りたい」

「ついて来れないなら、早いうちにわかれよう」

その方が
傷が浅く済む
という彼なりの
思いやりだった

まだ将来設計もできていない
20歳の私は
悩みに悩んだ

友達にも
親にも
相談した

都会で生活していて
田舎へ引っ越したら
苦労するのは
目に見えている
とか

田舎の嫁は
つとまらないだろう
とか

色んな意見を
集めて

最終的には
自分で決めた

将来のことは
誰にもわからない

いま考えても
わからないから

今、この瞬間
離れたくないなら
「ついていく」覚悟で
一緒に過ごしていこう
と腹をくくった

この当時から
今を考えると、

今頃、夫の地元で
生活していても
おかしくない未来まで
時が流れた

ところが
現実は地元どころか
はるかに遠い
海外で生活することになり

帰国後も
地元からは
大学時代よりも
かなり離れた所に
住んでいる

夫の実家のある地元は
とても田舎で
仕事を見つけるのに
今も苦労している

もう10年以上前から
地元に帰りたいと
強く思っている人が
なかなか帰られずにいる

Uターン就職したい夫と、
子育ての様子をみながら
Iターン就職も視野に入れる妻

夫の横にいると
彼の幸せを
考えずにはいられない

もう私は十分
幸せにしてもらった

次は夫の番

そんなこんなで、
いつも引っ越しのことが
頭から離れない

2020年7月28日、火曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


誰かの幸せを願って過ごすと、視界がスッキリするかもしれない









2020/07/27

研妻哲学196・お財布を持たない生活。コロナ禍と淘汰

不要不急のお財布

夫の海外修行が始まってから
お財布を持ち歩かなくなった

当時、住んでいたドイツでは
ECカードと呼ばれる
銀行のキャッシュカードと
一体化したカードが
現金の代わりとなり、

電車やバスのチケット購入
カフェやレストランでのお会計
ホテルのチェックアウト時の支払い
スーパーでの買い物
郵便局から荷物を送るとき
書店での買い物
ネットショッピングのお会計
など

普段の生活で必要な支払いの
ほとんどの場面で
そのカードが使えた

ちなみに
病院に行くときは
健康保険証があれば
お金はかからない

現金で支払っていたのは
ワゴン車販売の
ケバブやソーセージを買うときと、

ドイツ人が大好きな
アイスの食べ歩きをするときくらい

大きなお財布を
持ち歩く必要性がなかった

それに加えて、現地では
お財布を持たない方が
防犯にもいいだろうと判断して
小さなポーチに
カードと小銭をまとめて
持ち歩いていた

からっぽのお財布は
家の引き出しに
入れっぱなしの状態

帰国してからは
日本のおしゃれなお店で
お会計のときに
古びたポーチを
バッグから取りだすのが
恥ずかしくて

再びお財布を
使い始めたけれど、
新型コロナの影響もあり
また引き出しの中へ戻っていった

10年以上前、
まだ結婚する前の
恋人同士のクリスマス

記念にふたりで
都内の百貨店へ
買いに行った
思い出のお財布は
今も比較的きれいな状態を保っている

2020年7月27日、月曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


お財布も淘汰される時代に残るものは、思い出なのかもしれない








2020/07/26

研妻哲学195・飲み会は日本人が本音を言える場だった、ということは?

コロナ禍で減少する飲み会

仕事や学校が終わって
みんなでワイワイ飲み会へ
という時間が減った

日本人はもともと
仕事中に
本音をあまり言わない

それを補ってきた
飲みの席

人々の憩いの場となり
癒やしてきた
居酒屋やレストラン

他人同士でも
上下関係があっても
ある程度
本音を言い合うことが
許されてきた
お酒の席

コロナ禍は
その機会を奪っていった

日本人が
腹を割って話せる場を
かっさらってしまった

飲み会があったから
保たれてきたビジネス上の
お付き合いもあった

お酒が飲めなくても
その場の空気を吸うことで
仕事仲間と繋がることができた

それらを失った今

多くの働く日本人は
同僚や上司、部下と
本音で語り合う場を
失った

心の熱を
推し量る機会を
奪われてしまった

この現実を
変えることは
非常に難しい

ならば
普段の仕事に
ほんの少し
本音を混ぜてみるのも
ひとつの方法かもしれない

いつもなら
恥ずかしくて言えないような
「感謝」や「尊敬」の気持ちを
あえて伝えてみる

そこに
否定や批判は不要不急

海外の研究者は論文で
親切な姿勢には
科学的な価値があることを発表した

ホスピタリティに満ち溢れる
居酒屋やレストランで
働くスタッフが
私たちに親切にしてくれるように

仕事仲間に
親切にしてみる

その親切を
言葉にして
しれっと伝えてみる

ちょっと照れくさいけど
これがコロナ禍を生きる
秘訣になるかもしれない

2020年7月26日、日曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


親切な本音を言う機会を奪われたら、奪い返すのもいいかもしれない









2020/07/25

研妻哲学194・引っ越しで不安な転校生と家族を、塾が救う可能性を考える

引っ越しのお助けマン

わが家の大黒柱は
任期付きの研究者

ということは
その契約が終わる頃には
また次の土地へ
引っ越さなければならない

無事に次の仕事が
見つかる保証はどこにもないが
研究者を続けるか、
続けないかにかかわらず
いま住んでいる所を離れることになる

そうなると
一番心配なのは子供のこと

幼稚園や学校を転園、転校となると
しばらくお友達ができずに
悩むのではないか
と気が気でない

そんなことを
今年はずっと考えているわけだけれど
その答えのヒントを
最近見つけた気がする

通い始めたばかりの塾が
設けてくれている
幼児向けの時間帯が
ちょうどお昼寝の時間と重なり
小学生向けの時間帯に
混ぜてもらったときのこと

いつもと違って色んな学年の
お兄ちゃんお姉ちゃんに混ざって
学習プリントで遊んできたわが子

帰宅してから
どうだったか聞いてみた

すると
「楽しかった」と、
なんともたくましい返事が返ってきた

あの環境が楽しいと思えるのなら
将来的に引っ越すとなったとき、
転校前に塾を見つけて
通うことができれば
顔見知りを増やすことが
できるのではないか

新しい転校先で
お友達がひとりもいなくて
楽しめないという心配を拭うには
完璧な方法ではないけれど、
少しは救われるのではないかと閃いた

もしかしたら塾が引っ越しの心配事を
取り除く救世主の役割を
担ってくれるかもしれないと
淡い期待を抱く
2020年7月25日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


幼い子供は、親が思っているよりも既に自分で道を切り開く力を持っているのかもしれない





2020/07/24

研妻哲学193・幼児と在宅ワークに挑戦した結果。単発の仕事でも難あり

育児と単発の在宅ワーク

フルタイムの仕事に復帰することは
既に諦めている話を以前書いたが

今回は単発のお仕事の話

会社経営をしている大先輩ママが
ワーママは子供のお世話をしながら
自宅から会議に参加して構わない
と断言していたことをきっかけに

そろそろ下の子も言葉を理解し始めているし
上の子と一緒に少しの間なら遊んでいて
くれるかなと期待して

試しに夫が仕事で不在の日中に
ほんの数分だけ仕事の電話にでてみることにした

それまでは仕事に限らず読書なども含めて
ひとりの時間が必要なときは
もっぱら自分の時間が
確実に確保できる早朝の時間帯だけで
済むようにしていたけれど

現状どこまでできるかを把握するため
子供たちが起きている間に
自宅で単発の仕事の電話に対応してみた

その結果、心が折れそうになった

リビングルームに子供たちを残し、
書斎のような部屋へ私だけスマホを持って移動

いざ電話が始まると
早くも廊下の先から
下の子が泣き叫ぶ声が聞こえてきた

用件を済ませて急いでリビングルームに戻ると
安心感からか今度は上の子が泣き出した

下の子が泣いていたので、
おそらく上の子は我慢していたのだろう

泣き顔の子供たちを抱きしめながら、
これはまだまずいと実感した

下の子の機嫌がいいときだったり
お昼寝のタイミングだったりすると
いいかもしれないけれど、
家にいても私の姿が見えないのは
子供たちにとって相当ストレスになるようだ

かといってリビングルームでは
仕事にならないことを悟った

この初めての試みにより
わが家の場合はまだ当面の間、
これまで通りに過ごすのがよさそうだとわかった

子供たちの成長と共に模索が続く

ちなみに若者は電話が苦手と聞くけれど
メールで済ますこともできる内容を
今回あえて電話で対応したのには理由がある

コロナ禍で人と接する機会にも
制限があり、相互理解を深めるには
電話の方が適していると判断した

もちろん毎回ではないけれど
ビジネスメールだと簡素になり
相手の心の熱を感じとることはできないが
電話なら口調や受け答えから
かすかに感じることができる

まさにコロナ禍で抜け落ちている
部分ではないかと思っている

まだ縫い合わせる前に
落としてしまったキルトを拾い上げて
大きなキルトに繋ぎ合わせるような
作業ともいえる
一見なんでもない無駄なような時間が
今は人々を繋げているのではないだろうか

外出するにも、仕事するにも
何かと制限がつきまとう
2020年7月24日、金曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



制限は新しい可能性に挑戦させてくれるのかもしれない







2020/07/23

研妻哲学192・私立か公立か。幼稚園も無償化の影響で人気に偏り

人気の幼稚園

2019年秋から保育料の無償化がスタート

その影響もあってか
昨年から新しく幼稚園に通う家庭は
公立より私立を選ぶ傾向があったようだ

そのため周りの幼稚園は
私立の園児数が伸び、
公立は減少傾向にある

日本の今住んでいる地域では
今年もその傾向が強く、
公立幼稚園より私立幼稚園が人気だ

つまり極端に表現すると
私立は密になりがちだけれど、
公立はソーシャルディスタンスを
比較的保ちやすいともいえるが

外出自粛中も私立は独自の対策をとった上で
公立よりも早い段階で登園を再開していたので
一概にどちらが良いとは言えない

ただひとつ変わらないのは
どこへ行っても自分は自分であること

どちらの環境に置かれても
わが家はわが家

公立へ通わせて教育面が足りないと心配なら
家庭で補うことを検討し
私立へ通わせて無償化以外の費用が心配なら
家計を見直す機会となる

置かれた環境で自分がどうするか、
子供がどうしたいかを考えるだけのこと

周りを変えたくなったら
まずは自分がどう変われるかを考えるのが
いいのかもしれない

どちらの道も、将来の幸せを保証するものではない

どちらの道になっても、幸せは自らつくりあげるもの

2020年7月23日、木曜日(4連休初日)の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


周りが変わることを考えるのは時間の無駄かもしれない









2020/07/22

研妻哲学191・幼児とお出かけ。科学館と子育て支援センター

科学館と子育て支援センター

幼児を2人連れてお出かけとなると
迷子対策が必要になる

夫が仕事でいないときに
母親の私がひとりで子供を連れて
外出すると、たいてい上の子が
あちこち行きたがり
下の子がついていけなくなる

時には下の子に気を取られているうちに
上の子の姿がいつの間にか
見えなくなってしまうこともある

そんな事態に備えて
最近はお出かけ先を選ぶポイントに
行動範囲が把握できる場所かどうかが
加わった

そこで候補にあがってくるのは
やはり目の行き届く子育て支援センター

園児の上の子は年齢制限でひっかかるため
下の子と一緒に利用できる所は少ないが

上の子を幼稚園に預けたあとに
下の子だけを連れていくにはちょうどいい

行動範囲は安全なフロアのみに
制限されており、高い仕切りや
危ないものもほとんどないため、
保育士さんとちょっと話をしている間も
子供の様子を簡単に把握することができる

だが最近の新型コロナウイルスの影響で
気軽に立ち寄れる場所ではなくなってしまった

事前予約が必須のため
前もってスケジュールを考えて
空き状況を確認して予約しておいたとしても

子供の急な発熱といった体調不良で
結局キャンセルしなければならないこともある

その後すっかり回復して元気になった頃には
予約がないので行きたくても行けない状況だ

となると、利用するのを少しためらってしまう

そこで代わりのお出かけ先
候補として思いついたのが科学館

ここも利用にはやはり制限があるが
予約制ではないため、行きたいタイミングで
気軽に立ち寄ることができる

子育て支援センターほど近い場所にはないので
移動に少し時間をかける必要はあるが
子供へのいい刺激となることを期待している

そしてなんといっても
科学館に通うことは、父親である
研究者夫の職業理解に繋がるかもしれない
という側面もあるような気がしている

こうして可能性をいくつか
模索するようになった背景には
私の祖父の言葉が影響しているかもしれない

生前によく言われたのは
「頭は生きているうちに使うのですよ」
というセリフ

子供の頃に
ちょっとうまくいかないことがあって
おじいちゃんに助けを求めると
よく言われたこの言葉をきっかけに
まだ見ぬ孫のことを考える
2020年7月22日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


孫に残したい言葉が、ここにあるかもしれない







2020/07/21

研妻哲学190・子供の夏風邪。日本とドイツ、対応の違いを考える

日独・子供の夏風邪対応

この時期に子供が夏風邪をひくのは
よくある話

例年と違うのは
周りにいつも以上に気をつかうということ

発熱の症状もある夏風邪の場合

日本とドイツで
その対応の違いが見えてくる

日本の対応について私が知っているのは
基本的に風邪の症状があっても
小児科を受診するかは保護者次第であること

小児科へ行くか行かないかにかかわらず
通っている園や学校は休むように
決められている場合が多く

今までならこのくらいは平気と思われる
レベルの症状(鼻がちょっとでるなど)でも
休ませるか悩むし
なんといっても周りの保護者に気を遣う

ドイツで今の時期に風邪をひくと
私の知る地域では
まず小児科の予約が必要になる

なぜなら
新型コロナウイルスの検査を受けて
陰性と判断されないと
登園や登校ができないからだ

この場合は多少症状が残っていても
陰性結果と共に登校するとなれば
堂々とできるのかもしれないが

日本の私がいる地域では
基本的に検査は医師が必要だと判断したときに
受ける流れがあり、
さほど必要でないと判断されれば
風邪の症状が回復するまで
待たなければならない

日本でも最近は強く希望すれば
検査を受けられるのかもしれないが

目の前の医者がしなくていいと言っているのに
どうしてもしてほしいとお願いするのは
よっぽどの場合でない限り
言い出しにくい空気がある

この根底にはやはり
自分と相手が対等ではない日本の
お客様は神様という精神や
謙遜が美徳とされる文化が
繋がっているのではないだろうか

海外の主な国々の文化では
お店のスタッフと客は
基本的に対等な姿勢でかかわっていく

そのためお互いが主張しやすい
環境だとも言えるが
日本の場合は上下関係ができると
どちらか一方は主張しにくくなる文化だ

日本は今
着々と検査数を増やしており、
翌日には旅を促すキャンペーンの開始が
予定されている

しかも東日本は新幹線が来春あたりまで
半額という誘惑とたたかう
2020年7月21日、火曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


今の我慢が報われるかどうかより、幸せな未来に近づいていくイメージを描けるかが大事かもしれない









2020/07/20

研妻哲学189・お盆、実家への帰省を諦めた話。夏休み2020

お盆の帰省

ヨーロッパ在住の頃は
実家までドアtoドアで
24時間かかった

片道に丸1日かけて
トラムやバス、電車に
飛行機を乗り継ぎ
往復していた

移動途中で電車やバスに
乗り遅れそうなときには
スーツケースをゴロゴロと
すごい音をたてながら
ダッシュしたこともある

子供が1人生まれたら
乳児の負担を少しでも
軽減できるように
移動にもう1日プラスして
ゆっくりと、休憩を挟みながら
片道に2日かけて移動した

子供がもう1人増えたら
さらにもう1日プラスして
乳幼児のお世話をしつつ
合計3日かけて大陸を跨いだ

当時の家から空港まで
離れていたこともあり
ヨーロッパで飛行機に乗る前に
1泊して、帰国後に空港近くで
もう1泊して子供たちに十分な
睡眠をとらせるようにした

時差ボケや睡眠不足は
体調だけでなく機嫌もわるくするので
そのための対策だった

それがやっと日本で
生活できるようになり
帰省に24時間〜3日も
かからなくなって
よかったなと思っていたら

新型コロナウイルスの影響で
そもそも帰省を見直すことに
なってしまった

実家へ帰るには
感染者が増えている都道府県を
経由する必要があるためだ

中には親から帰省をとめられている
人もいるらしく

それを知った私の実家は
帰省を諦めることに反対するどころか
むしろ賛成だった

2020年7月20日、月曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


実家が近いけど遠い存在に感じることが、自律の一歩なのかもしれない







2020/07/19

研妻哲学188・子持ち主婦の「朝活」は4:45起床、5時スタート

私の朝活

自分で言うのもなんだけど
どうやら私は
朝活に向いているタイプ

思い返せば、
外資系企業に勤めていたとき
自分の英語の拙さに
打ちひしがれて
毎朝、出勤前に英語の
オンラインレッスンを
受講していた

今では
すっかり抜けてしまったけれど
当時はその結果、英語の試験で
目標にしていた点数を
とることができた

この頃は他にも
少し早めにオフィスに
到着できるくらい
朝が早いときは
あえてオフィスに
直行しなかった

会社の最寄り駅で
満員電車を降りたら
近くのカフェに立ち寄り
少し勉強してから出社していた

そんな習慣を体が
まだ覚えているようで
今年は朝活が続いている

現在の朝活は
早いときは
4:45起床、
5時からスタートする

知り合いのお母さんは
もっと早くから起きて
朝活しているとも聞いた

小さい子を育てる朝型の母親が
自分の時間を確保できるのは
やはり早朝の時間帯になるようだ

とはいっても、毎日
早起きしているわけではない

自分が疲れそうなタイミングは
予め休むと決めて
朝活の予定を入れないように
気をつけている

無理せず、細々と嗜むくらいが
ライフワークを楽しむには
ちょうどいいようだ

朝活後は
子供のお弁当を準備したり
朝ごはんの支度にとりかかる

朝活で心身のエンジンがかかると
ご飯が早く出来上がったり
子供たちが目覚める前に
夫の話に耳を傾ける余裕も
でてきたりする

こうした小さな良い事が重なると
日頃のちょっとしたストレスは
いつの間にかどこかへ
消えてしまっている

出産育児で忘れかけていた
朝活を、再び定着させてくれた
たくましく生きる女性研究者に
心から感謝する
2020年7月19日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


朝活の友は、人生の友かもしれない





2020/07/18

研妻哲学187・海外から本帰国後、ついやってしまう私の習慣

海外から日本へ、生活習慣

海外かぶれ

なんて言葉が聞こえてきそうな話

海外から本帰国して
だいぶ日が経ったけれど

いまだに残っている習慣が
いくつかある

たとえば
日本でお店に入ったとき
「いらっしゃいませ」とか
「こんにちは」と
声をかけられると
私も「こんにちは」と
挨拶を返すようになった

何年も前、
東京に住んでいた頃は
仕事の途中にコンビニで急いで
お昼ご飯を買うとき
そんな挨拶をした記憶はない

そしてお会計のときも
最後に店員さんに
「ありがとうございます」と
言わずにはいられなくなった

ちなみに買う気がないのに
お店に入ることが
すっかり苦手になってしまった

かつては都会の商業施設で
ウィンドウショッピングや、
実際に入店しても
何も買わずにお店をでることも
あったのに

今では何か買うお目当ての
商品がないと、お店に
入りづらくなってしまった

これはきっと海外で
入店時にほぼ毎回、
店員さんに挨拶をするのに
何も買わずにでる
というのは後ろめたく感じてしまい
そういうことをあまりしないように
なった名残だろうと思う

「何か買います!」と
心の中で思っているときでないと
入店時に店員さんに
堂々と挨拶できなかったことを
思い出す

それと病院

たとえば子供の歯の定期検診で
歯医者に行くとき

毎回数ヶ月ぶりということもあってか
診察券の存在をすっかり忘れて
受診してしまう

受付の人が良い人で
何も言われないと
検診を終えて歯医者を出てから
ハッとする

そういえば診察券を
持ってくるの忘れてた
と、後になってからよく思う

これも海外の病院で診察券が
なかったことが影響している

2020年7月18日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


習慣化をうまく使えるといいのかもしれない





2020/07/17

研妻哲学186・そろそろ小学校探しと幼稚園探しを本格化するか迷う話

小学校と幼稚園探し

小学校に入学するのは
人生で一度きり

そう考えると
この機会に色んな小学校を
知りたい気持ちもわいてくる

となると
上の子(園児)を連れて
いくつか見学に行けそうな
小学校を見つけたいところ

だけれども
新型コロナウイルスの影響で
見学会を開催しているところは
少ないようだ

下の子は幼稚園のプレを
掛け持ちしたいが
できるのかはまだわからない

いま上の子が通っている
ちょっと遠いところにある幼稚園と
家から近いところにある幼稚園の
ふたつの園で迷っているので

両方のプレに通わせてみて
子供の様子をみて
子供が気に入った方に
入園させたいところ

じっくり選びたい気もするが
入学・入園したあとに
引っ越す可能性もあるわけで

そうなると
体力的にも金銭的にも今
力を注ぐより
引っ越し後のために余力を
残しておくべきか迷う

2020年7月17日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


選択肢は多ければ多い方がいいとは限らないのかもしれない




2020/07/16

研妻哲学185・子供を保育園に預けて仕事するか迷う話。幼稚園と逆方向で

保育園か幼稚園か

上の子が海外の幼稚園(プレ)に
通いだした年齢になった下の子

家で私と二人だけで過ごすより
プレスクールのようなところで
わいわい過ごした方が
楽しめるのではないかとも思う

上の子は現地の幼稚園で
色んなことを学び、
家ではできないような遊びも
たくさんさせてもらっていた
ことを考えると

このまま日本の幼稚園に入るまで
ずっと私がめんどうをみるかたちで
よいのだろうかと悩む

いっそのこと
保育園に預けて
フルタイムの仕事を探してみるか
とも思うけれど

近くに身内がいない環境だと
子供が熱をだしたときに
仕事を休みづらいだろうな
という考えが頭の中を
ぐるぐるまわってしまい

結局
正社員の職を探すのも
保育園を探すのも
いまひとつ勇気がでてこない

それに加えて
最寄りの保育園は
上の子が通う幼稚園とは
家を挟んで真逆の方向にある

運よく希望の保育園に
入れたとしても、
子供たちが幼稚園と保育園に
バラバラに通うことになる

今でさえも送り迎えに
四苦八苦しているのに
逆方向の送り迎えがプラスされたら
どうなるのだろうと思うと
やっぱり一歩が踏み出せない

そもそもフルタイムの仕事は
もう何年もの間していないので
仕事探しから始めなければならない

かわいい子供と過ごすのは
いいのだけれど、子供にとって
より良い環境を考えると
どうなのかと考えてしまうこの頃

新型コロナウイルスによって
人との接触に制限がある中で
小さい子供の心身の発達も
少なからず影響を受けるはず

現時点ではたとえば
子育て支援センターは
週に1回までと制限があり

乳幼児向けの習い事は
密を避けることを考えると
難しい面が多い

夏と言えばプールだったけれど
今年は幼稚園も学校も支援センターも
水遊びはNGとされている

このようにある程度、
制限されるようになった環境において
未就園児をのびのび育てるには
どうしたらよいかに思いを馳せる
2020年7月16日、木曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


結局は「勇気」と「覚悟」を持てるかどうかなのかもしれない




2020/07/15

研妻哲学184・欧州では経験しなかった、傘が壊れるほど毎日雨が続く

連日の雨

先週から引き続き
今週も雨の日が続いている

ヨーロッパ在住の頃は
滅多に傘をささなかった

子供と一緒にレインコートを
着ることはあっても
毎日傘をさすほど雨に
降られた記憶はない

日本の梅雨は
こんなに晴れ間が
見えないものだっただろうかと
疑いたくなるくらい

太陽が隠れたきり
顔をださない日々が続く

こんなに日を浴びないでいると
欧州の長い冬を思い出す

当時住んでいたドイツでは
冬季に季節性のうつ病になる人が
一定数いると聞いていた

日本もこんな天気が続くと
気分が落ち込む人が
いてもおかしくないだろう

毎日雨の中
子供の送り迎えをしていたら
帰国時に一緒に持ち込んだ
長年愛用している傘が
ついに壊れてしまった

なかなか買いかえるタイミングを
掴めずにいたので
いい機会なのかもしれないが
買いに行くにも傘をさす必要がある

そして雨がちょっとの間
やんだと思っていたら
ちょうど送り迎えの時間帯に
どしゃ降りになる

2020年7月15日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


自然が私たちに何かを訴えかけているのかもしれない





2020/07/14

研妻哲学183・育児仲間は必要かを考える。乳幼児健診の質問項目で

育児仲間

2020年の今年は新型コロナウイルスの
影響で、子供が受ける予定だった
乳幼児健診が中止になった

代わりにアンケート用紙が数枚
自宅に届き、回答した用紙を
返信用封筒に入れて
郵送するのだけれど

その質問項目のひとつに
こんな内容が書かれていた

「育児仲間はいますか?」

答えに迷った

そもそも海外の乳幼児健診で
そんな質問をされたことはなかった
ように記憶しているし

多くの時間を過ごしてきた海外では
同じ幼稚園に通う先輩ママに
色々と助けてもらっていた

仲間というより、
お世話になりっぱなしだった

慣れない海外の幼稚園ルールを
教えてもらったり
大きい子たちの学校の話を聞いたり
現地の言葉でわからないところを
助けてもらったり
週末は家族ぐるみで食事にも出かけた

現地の幼稚園に入るまでの間は
乳児とふたりきりの時間が多く
孤独を感じながらの子育てだった

日本での育児よりも
まだ海外で育児をしていた
期間の方が長い今

新しい日本の土地で
育児仲間と呼べるような
ママはいるのだろうかと自問した

近所に住んでいるママには
幼稚園の忘れものを
ちょうど自分の子供を連れて行く
タイミングだからと言ってもらい
代わりに届けてもらったり

道で会えばちょっと話し込んでみたり
幼稚園で使う手作りのものを
もらったり、家にお邪魔したりと
思い浮かぶことはあるけれど

たとえば
幼稚園以外で頻繁に連絡を取り合って
遊ぶようなお友達親子はいないし
こんな時期なので大勢の親子で
食事に出かけることもないわけで
お友達家族と買い物なんてのも
日本に帰ってからは一度もない

となると
育児仲間という言葉がもし
一緒に買い物に行ったり
一緒に食事をしたり
一緒に遊ぶ約束をしたり
することを示すならば

育児仲間はいない
ことになるのではないか

自らそのような状況を作りだしている
可能性も大いにある中

今のコロナウイルスの状況から
そもそも育児仲間の定義を
全てクリアするのは難しいのではないか
とも思うわけで

つまるところ
育児仲間をつくることを
焦る必要はないのだという結論に達した
2020年7月14日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


育児仲間という存在は幻想かもしれない




2020/07/13

研妻哲学182・理想的な人生最後の一瞬を考える

幸せな人生最後の瞬間

朝早く起きた日

早朝に訪れた自分の時間を
堪能したあと

水筒やお弁当の準備をして
朝食を済ませ
食器や洗濯物を片付ける

検温や子供の身支度をせかし
掃除機をかけて
子供の送り迎えをして

お昼ご飯をたくさん食べると
そのあとは眠気がやってくる

なんだか眠くなってきたなと
子供たちとお昼寝の時間帯に
一緒にゴロゴロする

すると
ニコニコ笑顔のわが子が
キャッキャッ言いながら
横になっている私の顔を
覗き込んでくる

とても愛しい天使のような微笑み

その瞬間にふと
これが人生最後の瞬間だったら
とても穏やかで心地よいだろうな
という思いが駆け巡る

今までそんなこと考えなかったけれど
それくらい幸せな瞬間だった

理想的な最後の一瞬の
候補のひとつなった

何気ない日常に訪れた
ほんの一瞬の記録

引っ越しの多いわが家なので
終の棲家がどこになるかわからない

自宅か施設か予期できない中で
そろそろ親の介護も視野に入る時期

まずはどんな人が
介護に関わる仕事をしているのか
本を手にとる

すると実に多様な
バックグラウンドを持った方々が
活躍されていることがわかる

もしかしたら
今年の新型コロナウイルスや
大雨という自然災害が
予期せぬ事態の代表となり
最後の一瞬を意識させたのかもしれない

もちろん
こういった価値観は変わる可能性がある

けれども現時点では
これが私の理想である

2020年7月13日、月曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



絵画から飛びだした天使の微笑みに召されたいのかもしれない







・参考文献
書名:100歳時代の新しい介護哲学
編集者:久田恵、花しげ舎
出版社:株式会社現代書館
発行年:2018年、2019年




2020/07/12

研妻哲学181・まだ来ない夏休み。早くも宿題が配られた話

短縮夏休み

2020年の今年の夏休みは
幼稚園も2週間だけとなる予定

夏休み開始まで
まだ日にちがあるけれど
早くも夏休みの宿題のような
シールワークブックが配られた

天気や体調、予定などを記録して
夏休みの思い出を絵にしたり
ちょっとした工作ができる
幼児向けのもの

例年なら
もう夏休みムードが
漂う時期なのだろうが
今年はまだ1ヶ月近く
登園日が残っている

それでも宿題のシールブックは
すでに夏休みに突入したかと
思わせるようなアイテム

夏の登園日数が増えて
毎朝の準備に検温が
増えたと思っていたら、
夏休みのシール貼りも増えた

2020年の夏休みは
きっとあっという間に
過ぎるだろうと思われる
2020年7月12日、日曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


シールブックも驚く夏休みの短さかもしれない










2020/07/11

研妻哲学180・子育て支援センターが予約制に変更。雨の日の室内遊び

子育て支援センターで室内遊び

雨の日が続く7月

幼稚園に上の子を預けたあと
下の子を連れて
保育園が隣接している
子育て支援センターに
立ち寄った

利用するのは今回で2回目

前の週に予約していた

前回は園庭のみだったが
今回は室内遊びのみの利用で
初めて予約制になったとのこと

新型コロナの影響で
利用者を制限したいのと
把握したいという
思惑があるのだろう

身内が近くにいないわが家にとって
子育て支援センターなどは
家族以外の人と交流を持つ
貴重な機会でもある

いつもとは違う環境で
普段遊び慣れていないおもちゃで
先生と遊ぶのは
下の子も楽しかった様子

公立の支援センターということで
予算内で子供たちが楽しめるようにと
ありがたいことに
先生の手作りのおもちゃが
数多く置かれていた

2020年の夏はどこも
プールがNGとされているようで
支援センターも例年行っている
水遊びを今年は自粛しているらしい

ただ利用者が
ほとんどいないようで
私たち親子は貸切状態だった

一時保育の案内ももらったけれど
まだ利用する勇気がでない
2020年7月11日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


誰かの休日は誰かの出勤日、敬意を忘れてはならないのかもしれない





2020/07/10

研妻哲学179・ドラッグストアに日常が戻った話。除菌も液体石鹸もコロナ前

ドラッグストアの日常

家で使っている
キッチン用アルコール除菌が
もうすぐきれそうだけど
ドラッグストアの棚に
その姿が見えなくなって
買えなくなって
もう数ヶ月が過ぎた

いま使っている残りが
なくなってしまったら
次いつ買えるかわからないと思い
ちょっと遠慮がちに使っていたところ

ふと子供のオムツを買いに立ち寄った
ドラッグストアの陳列棚が目に入る

なんと、キッチン用アルコール除菌が
棚にこれでもかというくらい
並んでいるではないか

しかもアルコール除菌だけでなく
ちょっと奥へ進むと
帰国後ずっと愛用している
泡になる液体石鹸までもが
コロナ騒動前と同様に
たくさん並べられていた

ついに、ついにこの日が来たかと
心の中で噛みしめながら
お目当てのオムツの他に
キッチン用アルコール除菌と
ついでに子供たちのちょっとした
おやつを買ってお店をあとにした

緊急事態からだいたい3、4ヶ月あれば
ひとまず日常ムードが
漂うのかもしれないが
大雨という自然災害が
再び日常を奪っていく
2020年7月10日、金曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


日常はもろいものなのかもしれない





2020/07/09

研妻哲学178・幼児向け塾はいつからがいいのか。入会してみた話

幼児、塾に正式入会

日本の幼稚園に少しなれてきた頃

ガッツリお勉強系の幼児向け塾に
恐る恐る足を踏み入れたわが子

この頃はまだ海外生活の影響で
親の私にとって
日本の子供たちが通う
日本語で学べる塾は
憧れだった

海外で子育てしていた間
近所には日本語で学べる環境がなく
大都市にある子供向け教室に
夢を抱いていた

そんな親の意向で
帰国早々、日本の幼児向け塾を
訪れたわけだけれど
本人の気持ちは追いつかず
続かなかった

ところが月日が流れ
前にも書いた通り、
とあるきっかけで子供が
自分から塾に行きたいと言い出した

このチャンスに今度は
ガッツリ系ではない
子供が好きそうな雰囲気の
最寄りの幼児向け教室の
体験授業を受けてみたところ

先生が優しい!
楽しいからまた行きたい!

と言うのでついに正式に
通うことになった

つまるところ
子供がやる気になったときが
「はじめどき」なのかもしれないと思う
2020年7月9日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


子供の好奇心はさまざまな事を教えてくれる先生なのかもしれない




2020/07/08

研妻哲学177・教師とカウンセラーの共通点と本質を考える

肩書きと本質

有名な精神科医や哲学者がよく
カウンセラーと教師の
最終目標は同じだと言っている

教育と心理支援は
どちらも相手の自立を助ける
役割があるのだと

そんな視点に立つと
先生や講師という仕事の本質は
カウンセリングに似ていることが
よくわかる

たとえば
見た目は先生でも
中身はカウンセラー
という場面によく遭遇する

さらにたとえば
ある言語を先生として
教えることになったとしよう

目の前にやってくる
生徒はたいてい自信がなさそうに
見える

知らない言葉を教わるのだから
その言語でうまく自分を
表現できなくて当たり前なのに

言葉を知らないというだけで
自信のかけらがどこかへ
飛んでいってしまうようである

けれども時間をかけて
少しずつ言葉を覚え、
自分を表現できるようになると
顔つきや表情が変わってくる

生徒に自信のかけらが舞い戻り
エネルギーに満ち溢れてくる
瞬間というものがあるのだ

そもそも心の問題というのは
うまく自分を表現できないことが
引き金になるらしい

となるとやはり
先生や講師が言葉を教えて
生徒がうまく自分を表現できるようになる
という本質は、カウンセリング的要素を
非常に多く含んでいるように思う

2020年7月8日、水曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



肩書きはいつも本質を表現しているとは限らないのかもしれない







・参考文献
書名:ロジャーズの中核三条件 <一致> カウンセリングの本質を考える
監修者:村山正治
出版社:創元社
発行年:2015年、2019年






2020/07/07

研妻哲学176・海外大型ベビーカーを日本で使うときに注意すること

海外製の大型ベビーカー

海外から日本に引っ越すとき
大きなベビーカーをどうするか
ずいぶん悩んだ

現地の数少ない日本人ママは
段差に強いという理由で
海外製の方が押して歩きやすいと
教えてくれた

このアドバイスが決め手となり
海外生活の思い出と一緒に
海外製大型ベビーカーは
日本のわが家にやってきた

ところが
日除けのカバーと
レインカバーを
持ってくるのを
うっかり忘れてしまった

試しに日本のベビーカー用の
レインカバーを買ってつけてみるが
サイズが微妙にあわない

小雨ならなんとか大丈夫だけれど
最近のような大雨が続くと
座っている子供が濡れてしまう

しかも子供がそのカバーを嫌がり
手や頭を出してしまうので
結局つけていても
あまり意味がない

なので対策を考えてみた

嫌がるレインカバーは
サイズも合わないし
チャックがちょっと壊れかけている

ということで
思い切って使わないことにした

代わりにドイツの幼稚園で
使っていた泥んこ遊び用の
つなぎのズボンを履かせて
ちょっと暑そうなので
上は防水ジャケットではなく
日本の薄いレインコートを着せた

足元は長靴なので
これで一応全身がカバーされる

そこにお気に入りの
小さな傘を持たせれば
ベビーカーは多少雨にあたるけれど
子供は雨を除けられることに気づいた
2020年7月7日、火曜日の記録

笹の葉につけた子供の七夕の飾りとともに




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


なければないなりになんとかなるのかもしれない






2020/07/06

研妻哲学175・乳幼児健診も中止。発育について返信用封筒で

2020年の乳幼児健診

家のポストに見慣れた色の
封筒が入っていた

この色は役所の封筒だと
ひと目でわかる

予防接種の案内だろうと思い
封を切ると
「乳幼児健診」の文字が見えた

健診の案内かと思って
手紙を封筒から取り出すと
普段は入っていない
返信用封筒がでてきた

あれ?と思いつつも
手紙をひろげると
乳幼児健診「中止」と
書かれている

小さな赤ちゃんの健診は
中止になったというのを
周りのお母さんから
聞いていたけれど

もう赤ちゃんの時期を
過ぎたわが子の年齢も
中止の対象だとは知らなかった

中止の代わりに
日常生活や発育の様子について
普段お世話している人が
記入してくださいと
書かれたアンケート用紙が
数枚入っていた

これを期日までに
返信用封筒に入れて
ポストに投函する流れだ

そして後日、保健師などから
電話がかかってくる可能性が
あるらしい

新しい乳幼児健診の様式といえる

ちなみにわが子が生まれた
ドイツでは、風邪の症状があれば
小児科でコロナ検査を
受けることになるらしい

あっという間に
世界が変わったことを実感する
2020年7月6日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


変化が続いているときは話題に困らないのかもしれない




2020/07/05

研妻哲学174・結局PTAの係になったら。本部役員と先生の間で

初めての日本のPTA

つい先日、
立候補した(かたちになった)
PTAの係の仕事が
新型コロナの影響を受けて
なくなった話を書いたばかり

それが突然、状況が変わり
なくなったと思っていた係の仕事が
復活することになった

仕事が他の役員に吸収されないことに
なったので、その仕事を担当する
PTAの係も舞い戻った

結果、その小さな係を担当させて
もらえることになった

この一連の流れを経験して
ひとつ学んだことがある

それは、基本的にPTAに何かしら
立候補するときは、たいてい
親しい間柄のお母さんたちが
事前に話をつけた上で
担当が決まっていくということ
(いわゆる内輪)

今回私はひとりきりで立候補した
かたちになったのだけれど
(どうしてもやりたかったわけではない)

それは稀なケースであることが
後からなんとなくわかってきた

仲の良いお母さんたちで
やっていきたいという保護者の意図と
その枠よりも幅広いお母さんたちの
意見も巻き込んでいきたいという
先生方の意図が交錯しているように思う

実際のところ、もっともらしい理由が
添えられて担当させてもらえることに
なったわけだけれど

私見では、保護者の内輪で
決められた内容と先生の意向が
異なったことによる
状況の変化だったのだろうと思われる

まだ係の仕事は始まっていないけれど
今回既にとてもいい経験をさせてもらった

なぜなら、どうやら日本のPTAは
そもそも立候補が少ない
またはいないのが前提で
主に上の立場に立つ保護者の声かけで
内輪グループが連なっていき、
構成されるらしい
ということを知ることができたからだ

こうしてひとまずPTAに
かかわっていくことになったけれど
ほどよい関係を維持するには
内輪グループの輪郭の上に立つのが
よいのではないかと考えられるので
その内側へ入ってお邪魔をしないように
注意していきたい

そして私を含む外側に位置する
保護者へのかかわりは公平を心掛ける

すなわち、永世中立国のスイスのように
中立的なポジションが理想である

カウンセラーとその相手のような
色々深い話はするけれど
親しいかどうか聞かれたら
ちょっとよくわからないような
そんな関係が理想的かもしれない

そんな心構えに加えて

2020年という
良くも悪くも記憶に残る年に
一緒に係をやらせてもらうママ達と
絆を深めていく機会を与えてもらった
とも捉えている

ありがたい機会に恵まれたと
感じていたら、なんとここまで
書いたタイミングで
先生とクラスの代表保護者との間で
認識に相違があることがわかり
未入園児がいない人に
担当してもらう必要があることが判明

たしかにマスクのできない
未入園児を連れて
係の作業をするのは
リスクのある話

おかげで幼稚園について知る
いい機会となったわけだけだけれども
結局PTAの係にならなかった話に
なってしまった
2020年7月5日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



対話で深まる絆もあるのかもしれない






2020/07/04

研妻哲学173・海外から日本のママ社会への適応、まず最初に覚えたこと

日本のママ社会

海外から日本へ引っ越す際
待機児童の問題から
保育園は諦めていたわが家

抗わず幼稚園に通うようになり
そこで初めて日本のママ社会に
触れることができた

それまでの親同士の会話といえば

ハイ
ハロー
ハウ アー ユー?
から始まるのがお決まりだった

あとはたまにドイツ語が
混ざる程度の環境だったけれど

いま日本で通っている幼稚園は
そんな挨拶をする環境にはない

最初は
おはようございます
こんにちは
の他になんて挨拶すればいいのか
思い浮かばなかった

ところがしばらくすると
同じクラスのお母さんが
「お疲れ様」と
声をかけてくれるようになり

そこで初めて、
親同士の挨拶でも
「お疲れ様」と言うことを知った

朝の登園は
「おはよう、いってらっしゃい」

帰るときは
「お疲れ様、またね」

そして「お疲れ様」は
帰るときに限らず
ちょっとしたタイミングでも
(たまたますれ違うとか)
使える便利なフレーズだとわかった

たまにわが子がお友達のお母さんに
「お疲れ様」と言ってしまうので
困るくらい、頻繁に交わされる挨拶

これらのお決まりの挨拶の型を
知る前と知ったあとでは
断然居心地も変わってくる

それと実際に生活してみると
地方は都心よりも
義理を重んじるように
感じるようになった

日本の地方のママ社会で
たとえばクラスのお母さんに
何かしてもらったら、
その恩を返すこと忘れない姿勢を
他のお母さんから学んだ

私のように海外育児からスタートして
日本の地方に初めて住むような人が
もしこれを読んでいたら、
恩返し文化が根強いことを
頭の片隅においていただけると
新しい社会に馴染みやすくなるかもしれない

そして新型コロナの影響を受けて
園児も親もマスク生活に突入した現在

いままでよりも
話しているときに
相手のお母さんの表情が
わからなくなってしまった

そこで最近は
目で笑顔が伝わるように
ほんの少し配慮をしている

たとえばマスク越しに
眩しいときのまなざしを
意識すると、そのまなざしが
意味を持つように思う

2020年7月4日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


日常の小さな交友を彩るのは、ほんの少しの心配りなのかもしれない





2020/07/03

研妻哲学172・よそ者の私の心境変化。煩わしさも人生を彩る

私はよそ者。よそ者生活

これまでも何回か触れている通り
海外生活を機に
すっかりよそ者生活が続いている

度重なる引っ越しは
人間関係にも影響を及ぼす

お世話になった人々に別れを告げ
新しい土地でこれから
お世話になるであろう人々に挨拶をする

住む場所、環境が変わるという
外的変化に
人間関係の再構築という
目には見えない内的要素が加わる

そこに煩わしさを全く感じない
と言えば嘘になる

引っ越す度に
「ああ、またか」
と心の声がつぶやく

ところが最近
年齢を重ねたせいか
小さな心境の変化が訪れた

煩わしさも、
人生を彩っているのではないか

わかれては出会いを繰り返す生活が
いずれ懐かしくなるときが
来るのではないか

たとえば年齢をもっと重ねて
おばあちゃんになって
耳が遠くなれば
交友を楽しむ余裕がなくなってしまう
可能性もある

足腰が弱まれば
歩き回って
人に会うことも
億劫になるだろう

視力が弱まれば
相手の表情を正確に読み取れるか
わからない

いずれイヤでも
交友できなくなるときがくる
可能性がある

今は多少の煩わしさを
生活の彩りと捉えて
いろんな色を楽しもうではないか
という心境に変わった

長年、環境の変化を受け止めてはきたが
ぶつぶつ言うばかりで
受け入れるまではいかなかった

けれども最近はようやくその変化を
受け入れることができるようになった
ような気がする

そんな前向きな心を持てるようになったのは
日常の対話にカウンセリングの姿勢を
とりいれることで、交友が彩られていく
様子を体感できたからかもしれない

相手の内的変化には
自分の成長が欠かせないことを学んだ
2020年7月3日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


環境の変化が続くことは、自分自身であり続けることを妨げる要因にはならないのかもしれない





・参考文献
書名:ロジャーズの中核三条件 <一致>
監修者:村山正治
出版社:創元社
発行年:2015年、2019年








2020/07/02

研妻哲学171・秋の運動会も中止決定。遠足は?

運動会は中止

例年ならもう夏休みの雰囲気が
漂っているはずの7月

今年は夏休みが遠い

梅雨の雨にうたれながら
梅雨明けの猛暑が心配になる

そして暑さが落ち着いてくる秋には
例年なら運動会が開催予定だけれど
どうやら今年は中止することが
決まったようだ

というのも
幼稚園の運動会中止は
確定してはいないが

近くの小学校の運動会は
開催しないと決定しているので
幼稚園もやらない可能性が
非常に高い

運動会のあとは子供たちが
楽しみにしている遠足が
待っているはずだったけれど

幼稚園から目的地までの
移動中の蜜が避けられない
という理由で中止が検討されている

イベントがなければ
カメラマンが入って撮影する機会も減る

撮れる写真はマスク姿で
園児たちの表情はよくわからない

となると
卒園アルバムにも影響がでてくる

目に見えないウイルスが
じわりと着実に日常生活を変えていく
2020年7月2日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


予定が確定しない中で、記憶に残る1年を生きているのは確実なのかもしれない







2020/07/01

研妻哲学170・PTAの係になりそこなった話。新型コロナで行事も縮小

PTAと新型コロナ

子供の登園が再開して1ヶ月

PTA活動もようやく動き出した

といっても私自身はPTA役員ではない

未入園児もいるため
本部役員は免除される立場

けれどもこれまで一度もPTAを
やったことがないので

今年度の残りも少ないことだし
クラスの小さな係をやらせてもらえるか
立候補してみた

もし他に候補者がいたら
そちらを優先してもらうつもりで

もし誰もいなかったら
引き受けるつもりだった

ところが、
2020年の今年は新型コロナの影響で

行事は中止か縮小せざるを得なくなり
クラスの小さな係の仕事は
他の役員に吸収されることになったようだ

こういったように急に変わるのが
今年の特徴でもある

6月からの予定表には必ず
変更になる可能性が添えられるようになり

行事も仕事内容も縮小となれば
係がなくなるのは当然のことと考えられる

新しい日常がもたらした淘汰ともいえる

係はなくなってしまったけれど、
これらは立候補したことによって
わかったことで

それまで話したことがなかった
保護者ともやりとりする機会が生まれ
こういった交友の重みを感じている

PTAの活動内容も
このように淘汰され、洗練されていくのかと
身をもって体感した
2020年7月1日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


よそ者は自ら「純粋に交友する勇気」を持つといいのかもしれない




ブログ アーカイブ