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2020/07/14

研妻哲学183・育児仲間は必要かを考える。乳幼児健診の質問項目で

育児仲間

2020年の今年は新型コロナウイルスの
影響で、子供が受ける予定だった
乳幼児健診が中止になった

代わりにアンケート用紙が数枚
自宅に届き、回答した用紙を
返信用封筒に入れて
郵送するのだけれど

その質問項目のひとつに
こんな内容が書かれていた

「育児仲間はいますか?」

答えに迷った

そもそも海外の乳幼児健診で
そんな質問をされたことはなかった
ように記憶しているし

多くの時間を過ごしてきた海外では
同じ幼稚園に通う先輩ママに
色々と助けてもらっていた

仲間というより、
お世話になりっぱなしだった

慣れない海外の幼稚園ルールを
教えてもらったり
大きい子たちの学校の話を聞いたり
現地の言葉でわからないところを
助けてもらったり
週末は家族ぐるみで食事にも出かけた

現地の幼稚園に入るまでの間は
乳児とふたりきりの時間が多く
孤独を感じながらの子育てだった

日本での育児よりも
まだ海外で育児をしていた
期間の方が長い今

新しい日本の土地で
育児仲間と呼べるような
ママはいるのだろうかと自問した

近所に住んでいるママには
幼稚園の忘れものを
ちょうど自分の子供を連れて行く
タイミングだからと言ってもらい
代わりに届けてもらったり

道で会えばちょっと話し込んでみたり
幼稚園で使う手作りのものを
もらったり、家にお邪魔したりと
思い浮かぶことはあるけれど

たとえば
幼稚園以外で頻繁に連絡を取り合って
遊ぶようなお友達親子はいないし
こんな時期なので大勢の親子で
食事に出かけることもないわけで
お友達家族と買い物なんてのも
日本に帰ってからは一度もない

となると
育児仲間という言葉がもし
一緒に買い物に行ったり
一緒に食事をしたり
一緒に遊ぶ約束をしたり
することを示すならば

育児仲間はいない
ことになるのではないか

自らそのような状況を作りだしている
可能性も大いにある中

今のコロナウイルスの状況から
そもそも育児仲間の定義を
全てクリアするのは難しいのではないか
とも思うわけで

つまるところ
育児仲間をつくることを
焦る必要はないのだという結論に達した
2020年7月14日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


育児仲間という存在は幻想かもしれない




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