お知らせ

▼研究者を支える妻の会「研妻会」Webサイト

▼「研妻会」インスタグラム気まぐれ更新中

ラベル 対話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 対話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020/07/03

研妻哲学172・よそ者の私の心境変化。煩わしさも人生を彩る

私はよそ者。よそ者生活

これまでも何回か触れている通り
海外生活を機に
すっかりよそ者生活が続いている

度重なる引っ越しは
人間関係にも影響を及ぼす

お世話になった人々に別れを告げ
新しい土地でこれから
お世話になるであろう人々に挨拶をする

住む場所、環境が変わるという
外的変化に
人間関係の再構築という
目には見えない内的要素が加わる

そこに煩わしさを全く感じない
と言えば嘘になる

引っ越す度に
「ああ、またか」
と心の声がつぶやく

ところが最近
年齢を重ねたせいか
小さな心境の変化が訪れた

煩わしさも、
人生を彩っているのではないか

わかれては出会いを繰り返す生活が
いずれ懐かしくなるときが
来るのではないか

たとえば年齢をもっと重ねて
おばあちゃんになって
耳が遠くなれば
交友を楽しむ余裕がなくなってしまう
可能性もある

足腰が弱まれば
歩き回って
人に会うことも
億劫になるだろう

視力が弱まれば
相手の表情を正確に読み取れるか
わからない

いずれイヤでも
交友できなくなるときがくる
可能性がある

今は多少の煩わしさを
生活の彩りと捉えて
いろんな色を楽しもうではないか
という心境に変わった

長年、環境の変化を受け止めてはきたが
ぶつぶつ言うばかりで
受け入れるまではいかなかった

けれども最近はようやくその変化を
受け入れることができるようになった
ような気がする

そんな前向きな心を持てるようになったのは
日常の対話にカウンセリングの姿勢を
とりいれることで、交友が彩られていく
様子を体感できたからかもしれない

相手の内的変化には
自分の成長が欠かせないことを学んだ
2020年7月3日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


環境の変化が続くことは、自分自身であり続けることを妨げる要因にはならないのかもしれない





・参考文献
書名:ロジャーズの中核三条件 <一致>
監修者:村山正治
出版社:創元社
発行年:2015年、2019年








2020/06/10

研妻哲学149・謙虚な対話で問題を把握する多文化対話。ソクラテスに学ぶ

多文化対話の初回面談

この日は初めてお目にかかる
日本在住の外国の人にオンラインで
話を聴かせてもらった

相手側の対話の目的を
カウンセリングでは来談目的と呼び
実際に話を聴く中でカウンセラーが
みつけた本来の目的を主訴と呼ぶ

この来談目的と主訴は
一致することもあれば、
しないこともある
そして、短い時間では
みえてこない場合もある

今回はいま困っていることを、
家族のためにどうにかしたいから
私に相談したいということだった

けれども話を聴かせてもらううちに
家族のためだけではないことが
トンネルを抜けるようにみえてくる

聴く側が謙虚な姿勢で対話を
重ねることで、相手の抱えている想いに
複数の角度から対峙できるようになり
全体像が薄っすらと姿を現す

これは自分で考えることを重視した
ソクラテスやプラトンの教えの基本にも
当てはまるようだ

対話の最後に
本当にありがとうと感謝されると
至らないことが多い未熟者でも
少しは相手の心に寄り添う事が
できたのではないかと思える
2020年6月10日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


新しい出会いが、新しい学びを運んでくるのかもしれない






・参考文献
書名:教養としての哲学
著者:小川仁志
出版社:PHP研究所
発行年:2015年




2020/06/08

研妻哲学147・言語が思考に与える影響。外国人が日本語を学ぶと?

日本語を学ぶと、行動が変わる

家事や育児の合間に、
ライフワークを通じて外国の人々と
オンラインで対話を重ねていくと
非常に勉強になることにでくわす

海外の人が日本語を学ぶことで
人を思いやる気持ちや、共感する
気持ちを学んだという

そしてそれが相手を喜ばせる
自発的な行動へと繋がった話を
聴かせてもらった

そのような考えに至る
素晴らしい人物だと
改めて敬意の念を抱くとともに

日本語特有の
空気を読む
言葉の力

日本人のおもてなし精神や
ホスピタリティの源に
触れられたような気分に浸った

海外生活では常々
言語を学ぶことは文化を学ぶことだと
感じていた

私の場合、学んだ傾聴の力を
外国の人々との対話で活かす際に
彼らにとって母国語ではない日本語で
話しを聴く場合と
日本語以外の共通言語で話を聴く場合とで
それぞれの言葉の力による影響を
少なからず受けていることに
気づかされる

まさに言語が思考に与える影響といえる

カウンセリング技法に関する
日本語で書かれた本を多く読み、
実際に合格した試験もあるけれど
それだけでは外国の人々と対話をする上で
本当に意図する意味合いを理解するには
まだ何か足りない点があると実感している

たとえば相手が日本人の場合と
そうでない場合、同じように言葉を
返しているつもりでも
言葉の届き具合が全然違うのである

その答えと自分なりの対応を探るべく
早速、傾聴に関する洋書を注文した
2020年6月8日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


語学は行動を変えるのかもしれない





2020/05/23

【研妻哲学131】分散登園へ向けて。コロナで登園自粛して思うこと

新型コロナウイルスの影響で
子供が通っていた園がお休みとなり
みえてきたことがある

それは、やっぱりバランスが大事
だということ

登園自粛になる前は
毎朝ごはんを食べさせ
着替えるようにしむけて
家をでるだけでも一苦労で
このバタバタだけでも結構大変

なので園がお休みの日は
登園でせかされないし
子供をせかさなくていいという
嬉しい一面があった

ところが休園がはじまり
その期間がどんどん延長されると
毎朝のバタバタが恋しくなってくる

毎日登園するだけで大変だったので
それがなくなると楽になるはずが
ずっと休みとなると話は別なのである

ないものねだりで
隣の芝は青くみえるものだということ

結局はバランスが今のわが家には
大事なようである

幸い宣言解除の方向で
ようやく分散登園が始まることがわかった

1クラスが3つのグループにわけられての
分散登園

当分お弁当を持たせることは
できないようだけれど
登園を心待ちにしていた子供にとって
貴重な経験となるだろう

塞ぎがちだった心に
明るい一筋の光が差し込んできた
2020年5月23日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


バランスの内訳は人それぞれ、わかりあえないからこそ対話が大事なのかもしれない



2020/05/06

【研妻哲学114】宣言延長で問われる存在価値。対話の栄養不足

緊急事態宣言の最終日となるはずだった
2020年5月6日
現実は甘くなかった

特定警戒都道府県に住んでいるわが家は
宣言延長が当然のことのような状況

まだ宣言がだされる前、
ある試験の受験を申込んでいたけれど
日程が近づくにつれてウイルスの影響が
色濃くなり、本来なら返金されない
受験料も今回は特別に
戻ってくるということでキャンセルした

次はいつ受けられるかわからない事態になり
本当に必要な受験だったのか
今一度、試験の価値が問われている

これはよく言えば「洗練」
少しよくない言い方だと「淘汰」である

そんな言葉遊びはほどほどに
波はあといくつくるか
わからないけれど、ひとまず収束後に
向けて準備するときが来たように思う

未来を見据え、未来を生きる子供と
一緒に学べるものと出会えたら
自粛生活の鮮やかさが増すだろう

たくさん学んだ子供は将来
多くの役割を担っていく
役を演じるとも捉えられる

よく人は演じて生きていると
言われている
これは役者に限らない

たとえば職業であれば
警察官は警察官役を演じ、
看護師は看護師役を演じ、
店員は店員役を演じて働くことで
社会は成り立っている

家庭であれば最初は子供として過ごし
成長して親になれば親を演じる

役割の数はひとつに絞るより
複数ある方が健全な精神を保ちやすい
ことは前にも触れた通りであるが 
演じる時間が長くなるほど
演じる必要のないふとした瞬間の
素の部分の重みが増してくる

演じるためと、素の自分のため
その両方にバランスよく栄養を
行き渡らせるのは案外難しいかもしれない
どちらも対話という食べ物を咀嚼するから

子供が健やかに成長するには親だけでなく
祖父母や学校、地域社会の人たちとの
対話も欠かせないと考えているが
自粛生活でその機会が奪われ
対話による栄養が不足しがち

且つその対話の栄養は体と同じように
噛むだけでは吸収されないのである



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


人は演じて生きる、生き物なのかもしれない





2020/04/19

【研妻哲学97】緊急事態宣言12日目。研究者とウイルスと絵画

日本全国が緊急事態宣言になり3日目


ウイルスという目に見えないものと
対峙する日々が続いている

研究者はウイルスが入り込んだ細胞を
大きな画面で分析する
研究者が細胞を見つめる様子は、まるで
絵画にみとれているようでもある

顕微鏡で写しだされる、
肉眼で捉えることが難しい相手は
その中身をよく知らない私とって
芸術作品のようである

私だったら自分の好きな色の白衣を着て
顕微鏡を覗きたいな
なんてどうでもいいことも
頭に浮かんでくる中

美術館で来館者が絵画と対話するように、
研究者はウイルスが入った細胞たちと、
その先に想いを馳せながら
対話しているようにみえる

その目でみえる絵は、事前の情報でだいぶ
変わってくる

研究者にはウイルスが細胞で
増えていく絵に見えても
私のように研究者でない者には
芸術的な作品に見えているように
知っているか、知らないかで
見える世界が変わってくる

同じものをみていても、
全然違うものを
見ていたり
感じていたりする

こういったことは研究の世界に限らない
ビジネスの世界では一般的に
外資系企業は日本企業より議論が長い
と言われている

異なるバックグラウンドを持つ者たちは
事前に持っている情報や知識、経験が
異なるので、同じものを見ていても
全く違う見方をしている可能性がある

そのため、話し合うことで
お互いを理解していくのである
相手との違いが、対話を深めていく




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



相手は自分と違う、という前提が対話を深めるのかもしれない




2020/04/13

【研妻哲学91】緊急事態宣言6日目。ウイルスと人間の共通点

ウイルスと人間の共通点


新型コロナウイルスは、ある日突然
生まれて私たち人間の身体をつかって
生き延びようとしている

私たち人間も、ある意味である日突然
生まれてこの世界を生き延びようと
毎日呼吸している

ウイルスも人間も、生きる
ただ今日を生きる、という共通点がある

もちろん私も人間なので、
これ以上大切な人の命を失わないよう
気をつけて生活しているが

ウイルスに気持ちがあるならば
この世に存在を認められたと思ったら
悪者扱いされ、たまったものではないだろう

このように人間以外の存在にも
心や気持ちがあるとする考え方は
とても日本的だ

たとえば海外で子育てをしていたとき
幼い子供がテーブルを噛んでいた場合
「そんなことしたらテーブルが悲しむよ」
と、噛まれたら痛くて悲しいだろうという
モノの気持ちを表現して叱るのは
私を含む日本人の母親くらい

持ち前の日本人特有の考え方をしてみると
ウイルスの気持ちと人間の気持ちが
同じ生きたいというのならば、
目的は一緒なので戦うのではなく
「共存」に行き着くはずだ

悲しみと痛みを伴うウイルスと
人間との戦争は既に
始まっているようであるが
同じ目的を持って生まれたもの同士
きっと共に生きていくのだ

抗体やワクチンが行き渡る頃に
終戦を迎え、共存の道を辿るのだろう

GoogleとAppleが手を組んだように
ライバルや競争相手は
いつまでも敵でいるわけではない
特に会社を離れたら尚更だが

人類の敵といわれるウイルスも
いつまでも敵にしておくより
組める手を見つけて共に
平和に生きたいものだ

医療従事者や関係者はもちろんのこと
その手を探すため、ウイルスと日々
対話している研究者にも敬意を表したい

ウイルスの気持ちに想いを馳せながらも
大切な人の命を考える、
緊急事態宣言6日目




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



共通言語を持たない相手との対話ほど、難しいものはないのかもしれない






2020/04/08

【研妻哲学86】海外とちょっと違う緊急宣言。多文化対話は続く

緊急宣言と多文化対話


いよいよ日本でも東京を中心に
緊急事態宣言が発令された

海外とちょっと違うのは、
罰則がないこと
要請であって禁止ではないこと
営業停止した場合の補償整備など
が挙げられる

6週間後を夢見て、1ヶ月程度
生活が制限されることになる

そんな中、毎日のニュースを横目に
オンラインで多文化対話の時間を
確保するようにしている

これまで学んできた傾聴や
カウンセリングの実践の場でもあり
相手の笑顔や笑い声がエネルギーとなり
ライフワークとなりつつある
大切な時間

日本時間の早朝に行っているため
アメリカ辺りでは夕方に、
ヨーロッパでは夜寝る前の時間帯

眠いにも関わらず「新しいことを学びたい」
という相手を前に、私もたくさんのことを
学ばせてもらっている

学びのスタイルは相手の数だけあることも
この多文化対話を通して学んだ

そして対話の最後にもらう感想を読む限り
潜在的に話を聞いてもらいたい学生が
多いように感じる

激変する日常とは対照的に、
ひっそりとしなやかに、家事育児に
多文化対話という変わらない時間が
私らしく過ごせる大事な時間

本来であれば介護施設で話をきく
傾聴ボランティアに参加したかったが
これはこんな時期なので叶わない
機が熟すのを待つことにする




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



顕在化していないけれど潜在的ニーズを感じる「多文化対話士」という新しい肩書きを創造してもいいかもしれない


緊急事態宣言の中で、多文化対話士がひっそりと幕を開ける日
2020年4月8日





2020/04/05

【研妻哲学83】ニーチェが歩いた、ドイツの町を歩いた感想

ニーチェとライプツィヒとワイマール


哲学者ニーチェは、ドイツ
ライプツィヒ大学でも学び
ワイマールで生涯に幕をおろした

この2つの町は、私もよく通った町であり
何度か訪れては、散策を楽しんだ町であるが

ライプツィヒといえば作曲家バッハで、
ワイマールといえば文豪ゲーテであるため
この二人の影に隠れたニーチェは
現地では非常に目立たない存在であった

ライプツィヒに降り立てば、色鮮やかな
バッハの旗が風に靡き、教会に入れば
バッハが描かれた美しいステンドグラスが
出迎えてくれる

ワイマールに降り立てば、広場の
目立つところにゲーテの立派な銅像が
置かれていて、晴れた日には大勢の
人々がその銅像の前で記念撮影を楽しみむ
さらに進んでいくと、庭付きの
ゲーテハウスで優雅に私たちを
出迎えてくれる

ライプツィヒとワイマール
どちらもニーチェのニの字もないが
ニーチェは確かにその町にいた
その町で呼吸をしていた

さらにはピアノの超絶技巧でも有名な
作曲家リストもワイマールに縁があり
リストの娘とニーチェは実際に
面識があるのだが
これもまたほとんど知られていない

ドイツでニーチェが隠れキャラ状態である
理由は、ドイツの歴史とニーチェの不遇を
知る人なら察するだろう

私が感じた町の様子は、私の目や耳しか
感覚できないように
一緒に行った家族が感じた町の様子は
家族それぞれが持つ五感でしか感覚できない
全く同じ感覚を持つには、
全く同じ目や耳が必要になる




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



同じ感覚を持たないから、対話の深みがますのかもしれない








・参考文献
書名:ニーチェ ツァラトゥストラ/NHK「100分de名著」ブックス
著者:西 研
出版社:NHK出版
発行年:2015年