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2020/04/08

【研妻哲学86】海外とちょっと違う緊急宣言。多文化対話は続く

緊急宣言と多文化対話


いよいよ日本でも東京を中心に
緊急事態宣言が発令された

海外とちょっと違うのは、
罰則がないこと
要請であって禁止ではないこと
営業停止した場合の補償整備など
が挙げられる

6週間後を夢見て、1ヶ月程度
生活が制限されることになる

そんな中、毎日のニュースを横目に
オンラインで多文化対話の時間を
確保するようにしている

これまで学んできた傾聴や
カウンセリングの実践の場でもあり
相手の笑顔や笑い声がエネルギーとなり
ライフワークとなりつつある
大切な時間

日本時間の早朝に行っているため
アメリカ辺りでは夕方に、
ヨーロッパでは夜寝る前の時間帯

眠いにも関わらず「新しいことを学びたい」
という相手を前に、私もたくさんのことを
学ばせてもらっている

学びのスタイルは相手の数だけあることも
この多文化対話を通して学んだ

そして対話の最後にもらう感想を読む限り
潜在的に話を聞いてもらいたい学生が
多いように感じる

激変する日常とは対照的に、
ひっそりとしなやかに、家事育児に
多文化対話という変わらない時間が
私らしく過ごせる大事な時間

本来であれば介護施設で話をきく
傾聴ボランティアに参加したかったが
これはこんな時期なので叶わない
機が熟すのを待つことにする




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



顕在化していないけれど潜在的ニーズを感じる「多文化対話士」という新しい肩書きを創造してもいいかもしれない


緊急事態宣言の中で、多文化対話士がひっそりと幕を開ける日
2020年4月8日





2020/03/31

【研妻哲学78】外出自粛に、ルーチンのすすめ

ルーチンという、変わらない安心感

日々刻々と変わる状況下において
日々変わらない何かを実行することは
健全な心を保つ秘訣となるようだ

不安定な環境が続く毎日の中で
何かしら同じことを繰り返し
実行するルーチンワークが
僅かながら心に平穏を
与えてくれる可能性がある

実際に私がこうして毎日ブログを
更新するのも、
そういった意味を持ち始めている
さらに大きな理由としては
いつもそこにいる安心感を
届けるためである
いつもそこにいる安心感を
届けたい相手が
いるからにほかならない

さらにこの場合のルーチンは
自分のためだけでなく、
できれば誰か他の人の役に
ほんの少しでも立つ方がいい
続けやすくなるだけでなく
時折内省することを促されるだろう
つまり自分と静かに対話する
時間の創造に繋がる
自分による、自分のための、行動対話

幼い子供が自分のためだけに
有り余るエネルギーを発散させるのは
なかなか難しいが、自分や身近な親以外の
祖父母や先生のためとなると
取っ散らかっていたエネルギーが
穏やかに変容して創作活動に
没入する様子を目の当たりにした

何をルーチンとするかを
自分に問いかけ
心の声に素直に従い
ほんの少し誰かのために
続けてみることを
外出自粛を機に考えてみるのも
わるくないだろう


今これを読んでいる人の心が
少しでも穏やかであることを
願ってやまない





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


不安定で不確実なときこそ、いつもと変わらない何かがあるといいかもしれない


可能性に賭けられる、行動対話力を持っているといいかもしれない





2020/03/28

【研妻哲学75】海外での帯同生活で知った、行動対話の重要性

世界に通じる、行動対話力


研究者の多くは長年学業に励んでいる
大学に長く通ったという事実だけで
優秀な方と思われがちである
そして海外で研究生活をスタートさせると
大きな壁にぶち当たる研究者も少なくない

日本で研究内容が優秀だと判断された
研究者が、柔軟な適応力を持った
優秀な人物である保証はない
うかつにも研究内容への評価を自己評価に
繋げていると、現地で痛い目にあう

受けてきた教育も
暮らしてきた国の文化も異なる人々と
仕事をすることになる海外挑戦において
自分の言い分に納得してもらう必要に
迫られる機会が多くなる

その時に求められるのが、行動対話力である
行動力だけでなく、対話力だけでもない
繋がりを重要視している

自分とは大きく異なる価値観を持った
相手と仕事をしていくには
行動と対話を通じて理解し合う
時間を持つことが大切である

しかもその相手は
同業者だけにとどまらない
現地の受け入れ先のスタッフから始まり
新しく住む家の不動産、家主
仕事上お付き合いが発生する業者スタッフ
提携企業、タクシー運転手、
家電量販店、レストラン、
カフェなどの店員
そのほかビザ申請から銀行口座の開設
郵便局窓口でのやりとり
スマホなど必需品の購入や契約といった
日常生活において、常に誰かに
はたらきかけるという小さな行動と
そこでの対話が求められる

大きな町ではある程度アプリやAIが
代わりになってくれるかもしれないが
小さな町や、電気や電波が
使えない状況がくれば、やはり
行動して対話することが重要になる

さらには初対面となる現地の同僚と
親睦を深めるのにも、この小さな行動と
対話が役に立つ

学会に参加すれば尚更のこと
加えてリトリートと呼ばれる研究合宿では
寝ても覚めても対話を求められる
環境に身を置くことになる
ほぼ初対面という隣の研究室の相手と
楽しく談笑する余裕を持てるだろうか

小さく行動した先に待っている
1対1の対話に慣れておくといいと言える
意外と疎かにされがちで
研究に没頭していると忘れがちな行動対話

海外に限らず、新しい環境に身を置き
適応していくには、行動対話力が試される
ここでの対話は、対面に限らない
オンラインでの対話も含まれる




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


非日常の今こそ、行動対話力を鍛えるのもいいかもしれない






2020/03/26

【研妻哲学73】親子の対話で知る、子供の成長

親の心配と、子供の成長。対話の記録


遠方に住む祖父母になかなか会えず
近所の公園で遊んでばかりのわが子
たまにはいつもと違う大きな公園に
連れて行くことにした

母の私は久しぶりに両腕が筋肉痛になり
その痛みを騙しながら
この文章を書いている

公園に着くと
まだわが子には早すぎるかなと
思わせる大きなアスレチックがあり
そこで遊びたいと言いはる子供

わが子より大きな子供たちが
勢いよく遊んでいる丸太でできた
アスレチックの前まで来た

母は何本も重なる丸太の途中まで
行ったら引き返すように言った
まだ小さいわが子には
丸太を全部渡り歩いてその先にある
梯子をおりるのは困難だと判断していた

それでも
どうしても進みたいと言う子供と
丸太の上で親子の対話が始まった
「途中で戻ってきなさい」という
親の私に対して
子供がこう答えた

「やりたい事に
 最後まで挑戦するのが
 大事だと思う」

まさかこんなセリフが出てくると
思っておらず、この一言で
丸太のアスレチックを最後まで
やり抜くことを許可することになった

結局梯子のところで
多少親がサポートすることになるのだが
最後までやり遂げてしまった
子供はご満悦
自信に繋がったようだ

この時、私はある対話を思い出していた

海外生活中に現地の
スーパーマーケットで
買い物をしている最中
ヨーグルトを買ってとねだる子供
好きなものをひとつ選ぶように言うと
ふたつ持ってきた

母「ひとつって言ったけど、
  なんでふたつ持ってきたの?」

子「こっちは飲むヨーグルトで、
 「こっちは食べるヨーグルト」

つまり、ひとつずつと言いたいらしい

まるで一休さんのとんちのようであった




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


子供のとんちで、成長に気づくのかもしれない





2020/03/24

【研妻哲学71】物理とカウンセリング。未来の変え方

物理とカウンセリング


物理は小さな初期値の違いが
大きく異なる結果を
導きだすことがある

カウンセリングは
最初の返答の一言が
カウンセリング全体の流れを
大きく変えることがある

まだドイツに住む前
まだ夫が日本で研究していた頃
英語を勉強していた私は
夫と待ち合わせした大学近くで
カフェ勉しながら待つことにした

するとそのカフェに外国人女性が
入ってきた
この女性が注文と会計を済ませ
席につくところを視界に入れて
席に着いたタイミングで
英語の練習を兼ねて声をかけた

「お隣の席、座っていいですか?」

この出会いがきっかけとなり
連絡先を交換して
その後改めて駅で待ち合わせをして
東京を案内することになった

お蕎麦屋さんで一緒に食事をした後
日本のお土産選びから靴といった
普段の買い物まで付き合い
記念のプリクラを撮影する仲になった

後にこの女性が
ドイツ人物理学者だと知った

この時、この数年後に
ドイツに住むことになると知っていたら
ドイツ語がわからず苦労することになると
未来が予測できていたら
どんなに良かったことだろうと
悔やんでも仕方がない





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


今も昔も「初めが肝心」なのと、「後悔先に立たず」なのは変わらないのかもしれない


過去は変えられないが、未来は行動(アクション)して対話(会話/チャット)することで、変えられるのかもしれない