親の心配と、子供の成長。対話の記録
遠方に住む祖父母になかなか会えず
近所の公園で遊んでばかりのわが子
たまにはいつもと違う大きな公園に
連れて行くことにした
母の私は久しぶりに両腕が筋肉痛になり
その痛みを騙しながら
この文章を書いている
公園に着くと
まだわが子には早すぎるかなと
思わせる大きなアスレチックがあり
そこで遊びたいと言いはる子供
わが子より大きな子供たちが
勢いよく遊んでいる丸太でできた
アスレチックの前まで来た
母は何本も重なる丸太の途中まで
行ったら引き返すように言った
まだ小さいわが子には
丸太を全部渡り歩いてその先にある
梯子をおりるのは困難だと判断していた
それでも
どうしても進みたいと言う子供と
丸太の上で親子の対話が始まった
「途中で戻ってきなさい」という
親の私に対して
子供がこう答えた
「やりたい事に
最後まで挑戦するのが
大事だと思う」
まさかこんなセリフが出てくると
思っておらず、この一言で
丸太のアスレチックを最後まで
やり抜くことを許可することになった
結局梯子のところで
多少親がサポートすることになるのだが
最後までやり遂げてしまった
子供はご満悦
自信に繋がったようだ
この時、私はある対話を思い出していた
海外生活中に現地の
スーパーマーケットで
買い物をしている最中
ヨーグルトを買ってとねだる子供
好きなものをひとつ選ぶように言うと
ふたつ持ってきた
母「ひとつって言ったけど、
なんでふたつ持ってきたの?」
子「こっちは飲むヨーグルトで、
「こっちは食べるヨーグルト」
つまり、ひとつずつと言いたいらしい
まるで一休さんのとんちのようであった
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
子供のとんちで、成長に気づくのかもしれない