緊急事態宣言から2日後、わが家の生活
研究者の夫は新しい実験をしておらず既に着手していた実験をどうするか、
という問題を抱えている
幼い子供たちは家で過ごす時間が長くなり
母である私と創作活動にいそしんでいる
創作といっても、たいしたものではない
絵の具やクレヨン、色鉛筆や粘土があれば
誰でも楽しめることで、ひたすら遊ぶのだが
「創作活動の時間」と呼ぶことで
取り組む際の気分が違ってくる
創作活動で出来上がったものは
普段なら「イタズラがき」で済まされて
しまうところを、「作品」として
扱われることになり、子供は自分の
作品が壁に飾られてどこか誇らしげだ
生活に必要な食料などの買い物は
マスクを嫌がる子供を連れていくのは
難しいため、なるべく夫がいるうちに
私がひとりで行くか、夫がひとりで
行くことが多くなった
緊急事態宣言で増える時間と減る時間メモ:
夫の場合
家族の時間が増え、仕事の時間が減る
子供の場合
家遊びの時間が増え、外遊びの時間が減る
妻の場合
家族の時間が増え、自分の時間が減る
家族全体の場合
家で食事する時間が増え、外食の時間が減る
こうして書き出してみると、
海外での帯同生活を
思い出さずにはいられない
子供の場合を除くと当てはまることばかり
このようにバランスが崩れていくことを
非日常と呼ぶのなら
すっかり日常だと思い込んでいた海外生活は
非日常でもあったようだ
まるで果てしなく長い旅のようだった
そして今再び、いつの間にか新たな旅が
音をたてずに始まっていたようだ
ポジティブだけでなくネガティブな
意味合いにも変身する、奥深き「非日常」
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
もしも100年後くらいにまたパンデミックなんてことになったら、100年生きると言われる今の子供たちが、100年後にこの記録を見つけてくれる可能性について考えることで、目の前の現実を遠くに感じることができるかもしれない
空想はいつだって味方なのかもしれない