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2020/06/21

研妻哲学160・海外の個人主義と日本の内輪重視。違いはどこから?

日本の内輪と、海外の個人

どちらも家庭以外の外面、
いわゆる外側での振る舞いを
意味していると捉えた場合

日本と海外の違いがどこから
生まれるのか

おそらくは、
早いと誕生して数ヶ月で
その違いを生む環境に
身を置かれることになるのではないか

というのも、主に欧米など
海外では生後数ヶ月の赤ちゃんでも
1人で寝ていられるように
親がベビールームや子供部屋を
用意するのが主流となっている

日本では海外のスタイルがだいぶ
入ってきているとはいえ
まだまだ親子で川の字になって
寝ている家庭も多いようである

小さい頃から1人でいる訓練を
受けてきた海外の人と

小さい頃から肌が触れ合う
環境にずっと身を置いていた
日本の人とでは

人との接し方、
距離の置き方に
違いがでてきても
おかしくない

むしろ違いが出ない方が
おかしく感じられるもの
なのかもしれない

どちらが優れているとか、
どちらがわるいとか
そういうことではない

人それぞれ相性があると思うので
どっちがいいと断言できるものではない

ただ、海外育児を経て
日本で子供を通して保護者と
かかわりを持つようになった今
多少これらの事が影響しているように
感じることがある

たとえば、
子供の送り迎えのシーン

海外ではあまり経験しなかったけれど
日本では帰るときに他の親子を
待つ傾向がみられる

これを「日本の待つ美徳」と
勝手に呼んでいる

どうやら待つ行為が、
好意と受け取られるようである

待ち人が来てやがて
複数の親子がグループとなり
帰り道を歩いていく

この光景は、小さい頃から家族と
肌が触れ合う環境に置かれていた
ことを連想させる

つまり内輪と認めた間柄の者同士、
離れないことを心地よく感じる
ように肌が覚えているのだろう
と想像できる

言い換えれば、
この内輪以外は外側となる

なので待たないとどうなるかは
簡単で、内輪ではない
という事を示す行為になるようだ

もし日本の子育てに奮闘している
海外の人がいたら、そっと
耳に入れるのもわるくないだろう

一概にこうと
言い切れる話ではないけれど
多少は関係しているのではないかと
思えてくる
2020年6月21日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


日本と海外の内輪と外側の捉え方は、随所に影響しているのかもしれない





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