オンライン授業撮影で思うこと
外出自粛の大きなうねりの中で
あちらこちらでオンライン授業が
注目を集めるようになった
私のまわりのでも、ちらほらと
授業の撮影話が聞こえてくる
それは苦労話とともに
教える側の苦労はさておき
教わる側の利点としてひとつ
言えることは
先生がご存命でなくても
自分が受けたいと思ったら
授業が受けられるということ
たとえばある大学の有名な先生の
本に感銘を受けて、その先生の
授業をぜひ受けてみたい、
話を聞いてみたい
と思ったとき
既にその先生は亡くなられている
場合もある
特に大学で有名になるまでには
長い年月を要するケースが多いため
こういったことが起こりやすい
そんなとき、これからの未来では
その先生のオンライン授業を
受けることができるかもしれない
さらに故人AIなどが登場したり
頭脳が残せたりするようになれば
死の概念も変化する可能性がある
そうなると、教える側もその側面を
意識した構成にする重要性を
無視することはできないだろう
教えることで教わることがある現実と
どう向き合うか、未来に想いを馳せる
2020年6月5日、金曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
いつだって可能性を全否定してはならないのかもしれない