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2020/09/09

新しい物々交換の時代は、わけあう暮らし・研妻哲学240

視界を変えると見えてくる、物とモノの交換


砂漠ガイドと環境キャラバン


日本にいると
なかなか視界に
入ってこない世界がある

たとえば
飲み水も植物もない
砂漠の世界

日本で最も近いのは
コロナ禍で一時注目を集めた
鳥取の砂丘かもしれないが
海外の砂漠とは
ラクダの役割が
多少異なるようだ

連日のように
新規感染者数ばかりが
視界に入るような
新しい日常をおくっている
日本という世界がある

その一方で
無謀とも捉えられかねないような
砂漠で植物を育てようとする
環境キャラバンという世界がある

モノがあふれる世界と
モノがなさすぎる世界

後者には
「砂漠ガイド」という
日本では聞きなれない職業が存在し
キャラバンの隊員たちが
列をつくって
水や植物を運ぶ後ろ姿は
ピラミッドをつくりあげた
古代エジプト人の後ろ姿を
彷彿とさせる

視界をそんな映像が独占するとき
思う事がある

コロナ禍で
人々の行動範囲が狭くなると
小さな地域単位の社会で
消費を済ませるようになる

ということは
砂漠ガイドが
砂漠にしかいないように
各地域によって
存在する職業が異なることになる

そのひとつの突破口として
オンライン上の「やりとり消費」がある

無形スキルの売り買いなどをさしている

物を売るだけでなく
無形の特技なども
売ることができるため
住んでいる地域と
オンライン上の地域という
2種類の地域を持つ人も少なくない

さらに思う

昔の日本は
狭い地域社会で
物々交換をしていたのではないか

ご近所さんに
醤油をわけてもらったら
そのお礼にお米をわけるような
暮らしぶりも想像できる

誰かに何かをしてもらったら
今あるものの中から
今できる範囲でお礼をして
わけあう暮らし

手で触れることができる物でも
手では触れることができないモノでも
生きていくには
もう十分すぎるくらい
日本は既に持っているのだろうと思う

2020年9月9日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



一般的に仕事と呼ばれるモノが一時的になくても、分け合う物/モノは既に手の中にあるのかもしれない





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