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2020/05/31

【研妻哲学139】研究者夫と出会って14年、人生は旅だと実感

夫と出会って14年

たまには立ち止まって
夫との歩みをざっと振り返ってみる

14年という月日を
0歳の子が14歳に成長する年月と
捉えると、時間の重みをより感じる

交際期間は長かったけれど
出会ってから交際するまでは
短かったように記憶している

いざ結婚してみると
さすらいの研究者だけあって
生活そのものが長い旅のように感じる

任期が切れる前に
次の受け入れ先を見つけては
引っ越しをして新たな土地へ移り住む

これを繰り返してきた

住み始めてから
その新しい土地を知る術が
旅そのものだった

旅にはハプニングがつきもので
毎回その土地、その地域特有の文化に
戸惑うことも多かったけれど

どうにかこうにか夫婦で乗り切り
気がつくと14年も経っていた

果てしなく長い、夫婦の人生の旅

移動する時に運べる荷物には
当然限りがあるので

夫が研究者を続けるうえで
妻が諦め手放したものもある

いくつかあるけれど
両手で抱えきれないのだから
仕方がないと言い聞かせ
旅を続けてきた

今はそういう時なのだと
自分で納得して受け入れることにした

老後までには戻ってくると信じることで
現実と理想のバランスを探る
2020年5月31日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


納得して自ら諦めたことは、いつか戻ってくると信じていてもいいかもしれない



2020/05/30

【研妻哲学138】イヤイヤ期は成長の証でも。家事からの解放

イヤイヤ期と家事

どうやら下の子が
イヤイヤ期に片足を突っ込んだようだ

いやー!
という叫び声が以前より
大きく激しくなった

おもちゃの取り合いで
上の子に負けたとき
特にその傾向がみられる

買い物をしていても
ベビーカーに乗りたくないときの
抵抗が激しく力強くなった

子供が成長するにつれて
親の私の体力は奪われていく気がする

次の自粛生活があるならば
それまでに体力が戻ることを願う
2020年5月30日、土曜日の記録


この前は未就学児ふたりを相手に
余裕が消えてなくなりそうだったので
久しぶりにデリバリーを注文し
食事の準備という家事の
プレッシャーから解放されることで
とりいそぎ心身のバランスを確保して
子供と向き合うことができた

このデリバリーを実現する前
手料理派の夫は乗り気でなかった

なのでその日は見送ることにした

その代わり
育児でどれだけ私が手一杯かを
説明し、ある程度わかってもらい
後日私のタイミングで
家事から解放される機会を設けた


大切な子供のために
自分も大切に



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


相手を大切にするためにまず自分を労る、というのは良い言い訳になるかもしれない





2020/05/29

【研妻哲学137】園児も分散して登園開始。

園児の分散登園開始

送り迎えの蒸し暑さで、
外出自粛でお腹まわりに
ついたお肉が溶けそうになる

ちょうどいいと言えば
ちょうどいいけれど、
今はまだ5月

マスクをしているせいか
既に夏を感じる

真夏が恐ろしい

しかも今年は園児も夏休み短縮で
2週間くらいしか休みがない

となると、猛暑の中
送り迎えをしなくてはならないはず

夏の日差し、暑さ対策にも
頭を悩ませる
2020年5月29日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


生きるとは、悩むことなのかもしれない






2020/05/28

【研妻哲学136】任期付き研究者夫と育児。引っ越し合計6回

任期付き雇用の育児

日本の9月入学案は
見送られることになったようだ

これで一安心と言いたいところだけれど
研究者の夫は任期付き雇用のため
数年以内にまた引っ越す可能性がある

これまで夫とは海外を含めて
6回の引っ越しを経験してきた

見知らぬ土地で生活するというのは
近くに身内がいないということなので
出産前は精神的負担がかかり
出産後は肉体的負担もかかる

いま園児のわが子が小学校に入学するとき
わが家はどこに住んでいるだろうか

もし小学校入学前に
また引っ越すことになると
わが子は生まれてから小学生になる前に
3回引っ越すことになる

英語の授業が小学校で始まり
出身を聞かれたら、きっと答えに
困るだろう

生まれた国か国籍か
日本で最初に住んだ場所か
どのように答えるのか
できる限り
子供自身に考えてもらおうと思う

子供が大人になる頃には
引っ越し生活が落ち着いていることを願う
2020年5月28日、木曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


引っ越した数は、思い出の数かもしれない





2020/05/27

【研妻哲学135】子連れ買い物の気まずさと罪悪感

幼い子供たちを連れて買い物にいくと
お店の壁の張り紙が目にとまる

なるべく1人で買い物してほしい
という注意書き

そしてマスク着用を促す言葉が続く

そんな文言を見かけると
一気に肩身が狭くなる

そして罪悪感もわき上がる


最近は2歳未満の子供のマスク着用は
危ないというニュースもあるので

張り紙にせめて
2歳未満の子供はマスク着用の対象外と
添えてもらえると気持ちは少しましに
なるけれど

そもそも子供は連れていかない方が
いいのだろう

お店によって対応が異なる
2020年5月27日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


新しい時代を生きる子供たちの新しい経験が、新しい日本の未来をつくっていくのかもしれない





2020/05/26

【研妻哲学134】未就学児も夏休み短縮、どうする猛暑

覚悟していた夏休み短縮

いざ決定すると、身震いする

今年の夏は、平年より暑くなる
というニュースも流れる

日本の猛暑

体がまだ慣れていない

夏バテの覚悟も必要になる

ただでさえ、園児の上の子の送り迎えに
未入園児の下の子の付き添いで
四苦八苦しているところ

夏の日差しが覆いかぶさる

緊急事態宣言が全国的に解除されてから
一夜あけた2020年5月26日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


無理は禁物、ということを忘れてはいけないかもしれない




2020/05/25

【研妻哲学133】誰も私を知らないところに行って、実際に住んだ感想

誰も私を知らないところに行きたい

長い人生、時にはそんな風に
思う事もあるだろう

特に若い学生の頃は、そんな衝動に
駆られる人がいてもおかしくない

大人になり、家庭の事情で
実際に誰も自分を知らない
土地で生活をしてみると

理想と現実はだいぶ違うものだった

学生の頃は学生仲間がいたけれど
大人になるとそう簡単に仲間はできない
(できるまで時間がかかる)

当時まず最初にわき上がったのは
惨めな感情

私をよく知る人々が暮らす
日本を遠く離れ

海外の小さな田舎町に引っ越すと
私を知る人は誰もおらず

日本語も通じない

一気に何もできない自分と
出会うことになった

無力な自分
惨めな自分

普通の生活を営むことが難しかった

理由は、まずその土地のことが
よくわかっていないから

どこに行けば、何が買えるのか

ゴミの分別や捨て方も日本と違う

どの駅からどっちの方向の電車に
乗ればいいのか

バスに乗りたくても
チケット売り場がわからない

窓口やお店で言葉が通じない

そんな私の横を
楽しそうに連れ立って歩く
現地の人たち

晴れていても、私のところだけ
雨が降っているような感覚だった

外を歩いているときに
私の名前を呼び、声をかけてくれる人は
誰もいない

誰も私を知らない土地に来たのだから
仕方のないことだけれど
心はどんどん塞ぎこんでいく

誰も私を知らない土地に行きたいと
一瞬でも思った学生の頃の自分に
教えてあげたい現実

それでもこの経験に感謝している
2020年5月25日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


新しい土地に根をおろすのは苦労を伴うけれど、自分だけの花を咲かせることができるかもしれない





2020/05/24

【研妻哲学132】暑くてもマスクの日々

外を歩くと
マスクを外したくなるくらい
暑さを感じる

マスクをしているから
暑さを感じやすくなっているのも
あるのだろう

それでも
マスクを外す
勇気はでないけれど

熱中症対策の
水分補給のときは
マスクを外して
気分も少しリフレッシュ


最近はようやく
マスクが店頭に並ぶようになった

布マスク2枚入りが100円ショップでも
売られるようになった

この調子で消毒液や液体石鹸も
店頭に並ぶことを願う
2020年5月24日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


全てに効く完璧な対策はないのかもしれない






2020/05/23

【研妻哲学131】分散登園へ向けて。コロナで登園自粛して思うこと

新型コロナウイルスの影響で
子供が通っていた園がお休みとなり
みえてきたことがある

それは、やっぱりバランスが大事
だということ

登園自粛になる前は
毎朝ごはんを食べさせ
着替えるようにしむけて
家をでるだけでも一苦労で
このバタバタだけでも結構大変

なので園がお休みの日は
登園でせかされないし
子供をせかさなくていいという
嬉しい一面があった

ところが休園がはじまり
その期間がどんどん延長されると
毎朝のバタバタが恋しくなってくる

毎日登園するだけで大変だったので
それがなくなると楽になるはずが
ずっと休みとなると話は別なのである

ないものねだりで
隣の芝は青くみえるものだということ

結局はバランスが今のわが家には
大事なようである

幸い宣言解除の方向で
ようやく分散登園が始まることがわかった

1クラスが3つのグループにわけられての
分散登園

当分お弁当を持たせることは
できないようだけれど
登園を心待ちにしていた子供にとって
貴重な経験となるだろう

塞ぎがちだった心に
明るい一筋の光が差し込んできた
2020年5月23日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


バランスの内訳は人それぞれ、わかりあえないからこそ対話が大事なのかもしれない



2020/05/22

【研妻哲学130】宣言解除で心は軽く、身は重く慎重に

緊急事態宣言が
北海道や関東は月末には解除するとみられ
関西はついに解除された

解除が向こう側からやってくると
やはり気分が違うもの

緊急事態宣言がどれほど重かったのか
思い知らされる

自分では大丈夫と思っていても
精神的な負担は潜んでいるのだと
思い知らされる

誰かに「大丈夫?」と聞いて
「大丈夫」と答えられたとき
本当に大丈夫なのか
改めて考えてみてもよさそうである

宣言解除の方向で心は軽くなるけれど
身は慎重に動かすべきだと思われる
2020年5月22日、金曜日の記録


言語化されない気持ちにも
目を向けられるような
優しいおばあちゃんになりたい



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


言葉の裏にある気持ちは、読み解かれないものなのかもしれない




2020/05/21

【研妻哲学129】9月入学案、未就学児と母親の戸惑い。クラスのお友達と別の学年に?

日本では9月入学に関するニュースが
飛び交っている

いくつか案が紹介される

ふと、あることに気づく

わが子は夏以降の生まれで
仲良しのお友達は夏以前の生まれ

ということは、今は同じ学年でも
小学校に入学すると違う学年に
なってしまう可能性がある

今通っている園は、海外から日本に
引っ越してきたときに
時間のない中で慌てて決めた
という背景がある

そのため、帰国後の生活が
ある程度落ち着いたタイミングで、
家からもっと近いところに
転園することをわが子に
提案したことがあった

けれどその頃にはもう仲良しの
お友達ができていて、そのお友達と
離れたくないという理由で
転園はしないことになった

そのくらいお友達の影響が強い今
学年が変わってしまう可能性があることに
戸惑いが全くないと言えば嘘になる

様々な問題や全体最適を考えるべきところ
あえて取っ払って子供側から言えることは
いっそのこと入学する年度を
選べるといいのかもしれない

既に小学校入学準備を開始していて
読み書き計算をある程度している子供を
持つ親の中には、同じ学年の
夏までに生まれたお友達と
同じ時期に入学させたいと考える家庭も
あるのではないだろうか

方針が決まってしまえばそれに従うだけ
という現実と向き合う2020年5月21日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


いくつかある選択肢の中から子供が自ら選ぶ経験も大切かもしれない


(選ぶときに真剣に考え抜く経験)



2020/05/20

【研妻哲学128】海外移住、海外出産で英語力より大事だったもの

英語力より大事なもの

研究者夫の仕事の都合で
海外移住した際
私たち夫婦の英語力は
乏しいものと捉えていた

移住先で生活していく中で
現地の言葉も少しずつ覚える
ようにはなったけれど

英語力、現地語力より
大事なものがある気がしている

それはよく言えばおおらかさで
ちょっとよくない言い方だと
無頓着さ

自分のことを誰も知らない土地で
言葉も通じないとなると、
小さなことで傷つくことも多くなる

そんなとき、いちいち気にして
引きずっているようでは心身ともに
もたなくなる

ある程度のおおらかな性格
ある程度の無頓着な気質
身を助けたと思っている

こういった性格や気質は
もともとのものに加えて
幼児期の過ごし方も
影響するように思う

それに加えて観察力・直観力
あるとよさそうである

言葉が通じなくても
周りの人の様子を観察することで
自分がどうするべきかが
見えてくる場面にたくさん遭遇した

観察した結果、選択肢が多い場合は
直観で判断することもあった

そういった面でも
観察する理科や感性の美術といった
主要科目から外れがちな分野の
重要性がうかがえる



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


人生に不必要な学びはないのかもしれない




2020/05/19

【研妻哲学127】文系女子の私がプログラミング言語を学んだ最初の感想

文系の私がプログラミングを学んだときの
最初の感想は

名前をつけるということは、
支配・管理することに繋がる
ということ

プログラミング言語に限らず
産んだ子供に名前をつけるのも
そういった側面がある
ということだった

そもそもこの感想を持ったのは
今から数年前、まだフルタイムの
仕事に就いていた頃の話

ずいぶん前の感想になるけれど
プログラミングを学んでいる最中も
どうしてもこういった思考が
頭に浮かんできてしまうので
肝心のプログラミング知識の
定着度は定かでない

このように何かつい考えてしまう
という点は
研究者の夫も少し似ている

彼の場合はユーモアと呼んでいる
冗談に、時折
頭を支配されているようである




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


つい頭に浮かんできてしまうものがある人は、冗談を言わずにはいられない人の気持ちも理解できるかもしれない




2020/05/18

【研妻哲学126】登園自粛中、幼児の家庭学習。私の捉え方

未就学児の家庭学習

登園自粛が長引く今

長期に及ぶお休みで、わが子は
今まで読めなかった文字が
読めるようになり、
今まで書けなかった文字が
書けるようになった

気のせいかもしれないけれど
毎朝登園するというバタバタが
なくなったおかげなのか
親の私も比較的落ち着いて
子供と向き合えている気がする

そんないい面もあるけれど
未就学児2人と長い時間を
過ごすリビングルームは
ごちゃごちゃしていて
片づいていない状態が
当たり前となってしまった

夫が散らかった部屋に
耐えられないような人だったら
夫婦関係が危険にさらされて
いたであろうと考えるほど

上の子が塗り絵をしようとして
色鉛筆セットを持ってくると
下の子が全部ばらまく

子供が遊んでいるレゴをうっかり
踏んでしまって痛みに耐えながら
オムツを交換したり

棚に並べてある絵本を
落として遊んだりすることもある

そんな取っ散らかった部屋でも
唯一きれいにしているのは
大きいテーブルの上

食事、読書、勉強、遊びなど
なんでも使っている

個人的に勉強は遊びの延長だと
捉えているので、遊ぶところと
学ぶところを厳密にわけていない

勉強は新しいことを知る遊び

そんな感覚で子供に教えることを楽しみ
子供自身も知ることを楽しめるのが
わが家の理想




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


まだ勉強という概念がよくわからない未就学児は、遊びの延長として勉強する時期かもしれない





2020/05/17

【研妻哲学125】突然鳴り響く火災報知器が教えてくれたこと

緊急事態宣言下の特定警戒区域のわが家

ある日突然、家の火災報知器が鳴り響いた

ただでさえ緊急事態なのに、
さらなる緊急事態を知らせる音に
心は動揺を隠せなかった

たまたま家族全員が家にいる
時間帯だったので

下の子は夫が抱きかかえ
上の子と私は手をつなぎ
こんな時期なので一応マスクをつけて
慌てて外へ一時避難

近所の人々も続々と避難を始めて
警察と消防が原因を調査してくれた

この時、日本では警察と消防の連携が
海外よりも強い印象を受けたが、
たまたま住んでいた海外の地域が
連携が薄かっただけかもしれない
という話は置いておいて話を戻すと

最近外出する機会が減り、遠出もしない
日々に慣れてしまい
家の中が一番安全だと思っていた
矢先に起きた出来事

これまでの思い込みを改める
きっかけとなった

家にいても避難せざるを得ない
状況もあるということを
火災報知器が教えてくれた

避難するための防災バッグについて
真剣に向き合う時を告げられた気がした

ウイルス対策に暑さ対策、
火の用心が加わった2020年5月




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


一番安全とか、絶対安全とかは、幻想かもしれない

と思っておくといいかもしれない



2020/05/16

【研妻哲学124】海外移住。一晩で手に入れたものを一晩で失い、一皮むけた

海外移住で一皮むけた話

研究者の夫と海外で生活していたとき

家財道具を一切持たずに海外移住した

まず最初に研究施設を通じて
なんとか手配できたのは、
古くてボロボロのゲストハウス

最初の1年ほどお世話になったあと、
運よく部屋を引き継いでくれる
夫の同僚があらわれた

いよいよゲストハウスに別れを告げ
引き継ぐ部屋へ引っ越す当日

引っ越し先の部屋に着くと、
夫の同僚が残していった家財道具一式が
出迎えてくれた

ついでに日本人だったら考えられない
くらいの量のゴミもたんまり残っていたが
これは文化の違いとしてすぐに
受け入れることにした

こうしてその日まで自分たちのものでは
なかった家財道具一式を、一夜にして
手に入れたのだ

その日まで散々他人のものとして
認識していたものが、一式そろって
自分たちのものになるというのは

なんとも不思議な感覚だった

自分のものと他人のものの区別って
そもそもなんなんだと考えさせられ、
そもそも人は何も持たずに
産まれてくることにまで考えが及んだ

ここで一時この思考を停止させ

部屋も一気に広くなり、
片づけや掃除をおえて、すっかり
自分たちの住まいだと言えるように
なった頃

深夜に突然、水道管が破裂したのである

寝室、浴室、台所、ダイニング、リビングルーム、
ゲストルーム、全ての部屋が浸水し、
この日以降、住めなくなってしまう

こうして一夜にして住む家を失った

一晩で手に入れたものを、一晩で失ったのだ

この出来事は、私たち夫婦にとって
一皮むけた経験となった



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


他人のモノも自分のモノで、自分のモノも他人のモノなのかもしれない




2020/05/15

【研妻哲学123】マスクをつけて公園で遊ぶ子供、熱中症寸前?広がる格差

新型コロナウイルス対策として
未就学児の上の子に
どこへ行くにもマスクを
つけるように伝えている

そんな中、晴れた日に近所の公園に歩いて
向かい、走り回って遊んでいたわが子

帰る頃に顔を覗くと
マスクからはみ出る頬がかなり赤い

熱中症なのか、日焼けなのかも
わからないくらい

普段はここまで顔が赤くなることはないので
おそらくは日差しによる水分蒸発が原因

5月の日差しを甘く見ていたことを反省

ウイルス対策に暑さ対策、水分補給といった
気を配る対象が増えた2020年

今年ももう半分が過ぎようとしている

過ぎようとしている半分のうち
さらに半分は自粛で時が止まったかのよう

止まっているように見える期間も
一瞬は確実に積み重なっているので
何を積み重ねたかが、格差を広げるのだろう

一瞬を積み重ねることの価値に気づくときが
いつか子供たちにも来ることを願う
2020年5月15日



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


一瞬は意外と重いのかもしれない





2020/05/14

【研妻哲学122】西洋哲学者・思想家、アーレントとハイデガーの不倫関係から

アーレントとハイデガー

ドイツを舞台に記録されている
この二人の間柄には衝撃を隠せない

途中でこれ以上踏み込むのはやめようと
関連書を飛ばし読みしたくらいなので、
しばらくの間、こうして書くか迷っていた

有名な大学教授、哲学者・思想家の不倫
こういった不誠実な人間性は受け止めるのに
時間がかかる

このような卑劣な側面がなければ
ここまで有名になっていなかったのだろうと
思うと、ある意味で意味のあることだったと
捉えることができるけれど
正妻の立場からすれば、非常に酷なもの

しかも人生の終盤、
妻はアーレントに助けられる
三角関係の三人ともが歳を重ね
亡くなる前にハイデガーとアーレントを
再び会わせたのは妻だった

正妻の意地ではないけれど、そんな意地を
微塵も感じさせないハイデガーの妻

ミステリー小説の読後感やお化け屋敷に似た
恐怖が残るストーリーから
妻の意地の張り方を考えずにはいられない




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


意地にも張り方があるのかもしれない





・参考文献
書名:アーレントとハイデガー
著者:エルジビェータ エティンガー
出版社:みすず書房
発行年:1996




2020/05/13

【研妻哲学121】外出自粛の散歩。自動販売機から学べること

緊急事態宣言が出される前

まだ日常の生活様式に大きな変化が
訪れる前は、自動販売機で何かを
買う機会が少なかった私たち親子

それが一変

外出自粛で小さな子供を連れて
買い物をしずらくなった今

自動販売機の存在のありがたみを
感じている

公園や近所を散歩している途中に
小さな子供たちと一緒に
気軽に買うことができる

店内に入る必要がないだけでなく
子供たちにとって、自動販売機で
何かを買うこと自体が
ちょっとしたイベントになっている

子供たちにとっての非日常のようである

あちらこちらに自動販売機がある国は
おそらく日本くらいではなかろうか

海外生活で見かけた自動販売機は
駅構内や屋内に限られ、たいていは
鎖に繋がれていた

鎧のような柵をまとっている
自販機にも出会った

鎖に繋がれず、鎧もまとわず
外の空気を自由に吸える
自動販売機がある国に
昔の人たちが残してくれた安全な暮らしを
未来を生きる子供たちに
引き継ぎたいものである




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


私たちの暮らしは、今は生きていない人たちにも支えられているのかもしれない


今を生きている私たちは、まだ生きていない人たちを支えることができるかもしれない





2020/05/12

【研妻哲学120】研究者夫との出会い。運命的だと言える理由

研究者夫と出会う前から
いくつか接点があったことに
出会ってから気がづいた

その接点を通り越して振り返ると、
のほほんとした研究者夫との
出会いが、運命的なものだと
後付けできそうな気がしてならない

夫が彼氏になる前よりずっと昔
まだお互いが出会う前
全然接点がない頃に、ある一定の期間
お互いの家が近かったことが
あとになって判明した

もしかしたら近所のスーパーや駅などで
すれ違っていたかもしれないし
同じ電車に乗っていた可能性だってある

二人とも気づいていないだけで
実はお互いを認識する前から
出会っていたのではないかとさえ
思えてくる

お互いの視界に入りつつも、
きっとただ気づかなかっただけなのでは
ないかと

そこでお互いの存在を認識するような
出会いが生まれなかったから
その後、大学生となった二人は
アルバイト先として同じお店を選ぶことで
きちんと出会うように仕向けられた
のではないかという不思議な感覚

まるで天から操り人形のように
操られていたのではないかという
変な考えも浮かぶほど、縁を感じる

心理学的にも、共通点が多いと
親近感や好意を抱きやすいと言われている

これを運命と言えば、ロマンチックに
聞こえるから面白い

勘違いだとしてもそう思うことで、
繋がりが深くなっていくこともある

どう認識するかで、態度が変わり
現実の景色が変化するのだろう




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


運命の出会いはあるかないかではなく、気づくか気づかないかなのかもしれない





2020/05/11

【研妻哲学119】働き方が変わる時代を生きていると実感した話

買い物の推奨時間と検温

生活必需品を扱うお店に
買い物をしに行ったときのこと

最近はお昼すぎから16時までの
時間帯が混雑を避けられるという
理由で、なるべくその時間に
買い物するように促されているため
その時間にお店で商品を選んでいた

すると突然、館内アナウンスで
従業員は検温するようにと流れた

買い物客が少ない時間帯に
働く人が検温することになっている
ことを初めて知った

おそらく検温して熱があるとわかれば
すぐに休むことになっているのだろう

新しいウイルスが間接的に生んだ
新しいルール、働き方

働き方が変わる時代を生きていると
実感させらるる2020年5月11日




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


いい方向に変わるかは、自分たち次第かもしれない





2020/05/10

【研妻哲学118】新型コロナと日本昔話から学べること

新型コロナと日本昔話

かさじぞう
鶴の恩返し
三年寝たろう
といった、よく知られている日本の昔話の
主人公はたいてい貧しい

若者もおじいさんもおばあさんも
現代の我々の暮らしぶりとは
ほど遠い生活様式であることがわかる

それが昔の日本を代表するような
生活だったのだろうと想像がつく

昔と今の当たり前の境目は
はっきりしないけれど

いつしか当たり前は当たり前では
なくなることだけは確かなようだ

ということは、今の私たちの
何気ない当たり前だと思っている
日常生活は、そもそも
変化するものであると知っておくと
健全な心を保ちやすいのかもしれない

ウイルスも変異するように
この世に存在する限り
変化の連続なのだろう




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


今この瞬間も、変化しているのかもしれない





2020/05/09

【研妻哲学117】就職活動がうまくいかない、正しく評価されない時

うまくいかない、評価されない

就職活動がうまくいかない
第一志望の採用試験に落ちる
第一志望の職種に就けない
面接で何回も落とされる
なんとか就職したものの、
評価制度が曖昧で居心地が良くない

どれも経験して言えることは
たくさん受かる必要などなく
どこか1社に受かればいいのであって
落ちた回数と同じ数だけ悲しむ
必要はないということ

なんだか結婚のようだけれど
その1社が見つかるかは相性なのだということ

逆に落ちたら相性がよくなかった
ことがわかってよかったと思っても
いいくらいだということ

そして人事評価で居心地の良くない思いを
する時はたいてい人間関係に不穏があるとき
なので、自分と相手の評価が異なっている
ことが浮き彫りになっているだけであり
仕事に対する評価と、自分の内面への
評価は切り離しておくといい

たとえ仕事が評価されなくても
自分の内面や存在価値はそもそも評価の
対象外なので相手にあれこれ言われる
ことではなく、自分で判断すれば良いこと

仕事への評価が腑に落ちなくても
相手は自分と違って当然と思えば
納得できる部分もでてくる可能性がある

相手の自分に対する評価が、
いつも正しいとは限らないことは
よくあるのだろうと思うし
日本の哲学者も断言してくれている

ほかに不況といった自分の力では
どうにもならないことで
苦労することもある

就職難で希望職種ではないけれど
置かれた場所で奮闘してみたら
誰かが認めてくれた
なんてこともある

やっと評価してもらえる仕事に
出会えたと思ったら、
結婚相手の都合で退職することに
なることだってある
退職してしまえば、そもそも
評価制度なんてものはないので
その制度があるだけでもありがたかった
ことを実感させられることもある

どんな状況にせよ、向き合うべきものは
選考結果ではなく人事評価でもなく
今この瞬間を生きる自分




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


哲学者の言葉が、救世主になるかもしれない





・参考文献
書名:哲学人生問答 17歳の特別教室
著者:岸見一郎
出版社:講談社
発行年:2019年






2020/05/08

【研妻哲学116】休校延長の影響。家庭学習教材まで品薄に

長引く自粛生活で、家庭で学習できる
身近な教材までもが品薄状態

書店だけでなく、100均のものまで
棚にあるはずの本やポスターが
お店によっては見あたらなくなり
幼児向けの学習ドリルも
残り少なくなっていた

マスクや消毒液に加えて、子供の
家庭学習用の教材までもが
こんな事態になるとは
何が起こるかわからないものである

ますます予測が難しくなるこれからの社会

店頭になくてもインターネット上に
教材はたくさんあるし
なければ作るという楽しみもある

どんな学習スタイルが子供に合うのか
これからの未来に合うのか
模索する日々が続く2020年5月8日




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


これまでが足りすぎていたのかもしれない




2020/05/07

【研妻哲学115】宣言延長で登園日が来園日に変わった園児たち

登園日ではなく来園日

春休みとゴールデンウイークの区別が
つかないくらい長い休園が続いている
園児のわが子

ついに登園日という存在が遠のき
来園日と呼ばれるものに
様変わりしてしまった

登園してお友達と一緒に
保育室で過ごすのではなく
ただ来園して先生から絵本などの
モノを受け取り、すぐに帰宅するという日

そんな日が、なんだか哀愁を放っている

このもの悲しさは、近所のご年配の人にも
共通している

隣に住むおばあちゃんは、新型コロナの
影響が強まる前と今では別人のようである

わが家が海外から引っ越してきた直後
たまたま近所のお店で見かけて立ち話を
したのをきっかけに、顔をあわせる度に
よく子供たちにも優しい言葉を
かけてもらっていた

遠く離れて暮らす実家の祖父母に代わり
身近で子供の成長を一緒に喜んで
くれているような、心温まる存在

ところが今となってはマスク越しに
間隔をとって会釈するだけの間柄となり
やはり寂しさは拭えない

身内がいない海外生活においても
周りのお年寄りの優しさに
助けられてきたわが家

若者に優しい気配りのできる
おばあちゃんに、私もなりたい

理想のおばあちゃんを目指して
研鑽していく2020年5月7日




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


自分で決めたことに自分なりに向き合っていくのもいいかもしれない





2020/05/06

【研妻哲学114】宣言延長で問われる存在価値。対話の栄養不足

緊急事態宣言の最終日となるはずだった
2020年5月6日
現実は甘くなかった

特定警戒都道府県に住んでいるわが家は
宣言延長が当然のことのような状況

まだ宣言がだされる前、
ある試験の受験を申込んでいたけれど
日程が近づくにつれてウイルスの影響が
色濃くなり、本来なら返金されない
受験料も今回は特別に
戻ってくるということでキャンセルした

次はいつ受けられるかわからない事態になり
本当に必要な受験だったのか
今一度、試験の価値が問われている

これはよく言えば「洗練」
少しよくない言い方だと「淘汰」である

そんな言葉遊びはほどほどに
波はあといくつくるか
わからないけれど、ひとまず収束後に
向けて準備するときが来たように思う

未来を見据え、未来を生きる子供と
一緒に学べるものと出会えたら
自粛生活の鮮やかさが増すだろう

たくさん学んだ子供は将来
多くの役割を担っていく
役を演じるとも捉えられる

よく人は演じて生きていると
言われている
これは役者に限らない

たとえば職業であれば
警察官は警察官役を演じ、
看護師は看護師役を演じ、
店員は店員役を演じて働くことで
社会は成り立っている

家庭であれば最初は子供として過ごし
成長して親になれば親を演じる

役割の数はひとつに絞るより
複数ある方が健全な精神を保ちやすい
ことは前にも触れた通りであるが 
演じる時間が長くなるほど
演じる必要のないふとした瞬間の
素の部分の重みが増してくる

演じるためと、素の自分のため
その両方にバランスよく栄養を
行き渡らせるのは案外難しいかもしれない
どちらも対話という食べ物を咀嚼するから

子供が健やかに成長するには親だけでなく
祖父母や学校、地域社会の人たちとの
対話も欠かせないと考えているが
自粛生活でその機会が奪われ
対話による栄養が不足しがち

且つその対話の栄養は体と同じように
噛むだけでは吸収されないのである



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


人は演じて生きる、生き物なのかもしれない





2020/05/05

【研妻哲学113】母の日ギフトを子供と準備。新型コロナにどう配慮

母の日と新型コロナ配慮

最初の緊急事態宣言から28日目
日本全国の緊急事態宣言から19日目

昨日が月曜で、今日が火曜ということを
忘れてしまいそうなゴールデンウィーク

母の日が近づいてきた

毎年何がいいのか頭を悩ませる
母の日ギフト

ふと昨年家に祖父母が遊びに
来たときに美味しいと言っていた
名産品を思い出す

早速準備に取りかかる
それと一緒に孫から何かもらったら
嬉しいだろうと思い、
文字の練習も兼ねて祖母宛に
簡単なメッセージをわが子に
教えながら書かせることにした

ちょうどお気に入りのシールを
貼りたがっていたので
書いたメッセージに貼って
孫によるデコレーションもできた

おやつ休憩を挟んで
時間をかけて練習した結果
書けるようになった揺れているような
文字が色とりどりのシールに意外と合う

だんだん上手に書けるようになってきた
ことを孫も自覚し、喜ぶ様子から
小さな達成感を味わえたことがうかがえる

プレゼントに孫のメッセージをつけて
あとは配送の手配をするだけ

ただでさえ新型コロナウイルスの影響で
大変な状況にあると思われる
配達してくれる人のことを想うと
仕事が集中するであろう母の日に
日付指定するのは忍ばれる

どんな配慮や心配りがいいのか
二重に頭を悩ませる2020年の母の日準備

こうしてまた何気ない1日が過ぎていく




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


何気ない1日はプレゼントより重いのかもしれない







2020/05/04

【研妻哲学112】スマホでオンライン帰省。スマホ発売延期の影響

オンライン帰省の試み

最初の緊急事態宣言から27日目
日本全国の緊急事態宣言から18日目

宣言が延長される
特定警戒都道府県のわが家

テレビCMでも近隣の県が
都道府県をまたぐ往来をしないように
呼びかけてくる

ということで、オンライン帰省を
することになった

グループ通話を開始したものの
海外にいる時から使っている
古いスマホなので、すぐに熱をもつ
充電もなくなる

子供が久しぶりに祖父母と会話し
グループ通話にはしゃいだ
最初の30分以降は
充電をしながら、保冷剤をスマホの
背面にあてての帰省となった

新しいウイルスがもたらす
新しい帰省スタイル

ちなみに子供が生まれる前から
使っているスマホは、本来であれば
既に新しくなっているはずだった

今使っているボロボロのスマホは
春に発売予定の新しいスマホに
変わっているはずだったのだけれど
外出自粛の影響もあって
発売が延期されている

新しいスマホ用に用意したカバーだけが
手元に虚しく残る

延期が延期を呼ぶ2020年5月4日



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


「ないものはない」と割り切ることも大事かもしれない




2020/05/03

【研妻哲学111】欧州の夏のような日本。海外ポスドク夫、家電なし生活の思い出

海外ポスドク夫と夏の思い出

最初の緊急事態宣言から26日目
日本全国の緊急事態宣言から17日目

気温が上昇し、春を通り越して
夏が来たような暑さの日本

まだ夏本番ほどの湿気がないので
ヨーロッパの比較的カラッとした
夏が思い出される

海外ポスドク研究者の夫に帯同して
ドイツで一番長く住んだ家には
冷凍庫がなかった

近所のスーパーで大きめのアイスを
買ったあとは急いで
食べきるしかなく、最後にドロドロの
アイスをスプーンですくっていたのも
今となっては良い思い出

当時ないものは冷凍庫だけでなく
電子レンジもない
トースターもない
炊飯器もない
テレビもない
という「ないない生活」だった

夏の暑い部屋で、お鍋をぐつぐつさせて
吹き出る汗と一緒に溢れるお湯を眺めながら
お米を炊いたこともある

妻の私は早く日本に帰りたかったので
いつ日本に帰ってもいいように
物をなるべく持たないようにしており
家具家電は揃えていなかった

この時はいつ日本に戻って生活できるか
未定で、1年後になるかもしれないし
2年後、または3年目以降になるかもという
状況から、常に仮の住まいに身を置く生活

家電は必要最低限のまま暮らす方が
身動きがとりやすいと判断し
不便でもさほど苦には思っていなかった

冷凍庫、あったらいいなーくらいの
軽い感じでいる方が現地に縛られず
精神的にも気楽に過ごせた

きっと真逆の人もいるだろうが
私の場合は根無し草スタイルの方が
居心地よく感じていた

早く日本に戻りたいけれど
海外で頑張る夫について現地での
生活をまっとうしなくては、という
心の負担を、物を持たない生活に
置き換えることで、少しでも心の重荷を
軽く感じたかったのだろうと思う

私なりのバランスの取り方だった

その頃に比べれば今は自粛とはいえ
エアコンと炊飯器が欠かせない日本で
かなりまともな生活が送れている

日本で新たに借りた家で
海外修行時代にエアコンがなく、
ただただ暑さに耐えていた日々を
懐かしく感じながら
エアコンの掃除を始めた夫

そんな夫を横目に私は
子供たちの相手をしながら
ダイニングテーブルを片付ける

折り返し地点に来た
ゴールデンウイーク中のわが家の1日は
こうしてまた過ぎていく

日本の今住んでいる土地の
夏のうだるような暑さが
今からちょっと恐ろしくなる
2020年5月3日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


不便や物足りない生活の捉え方は人それぞれかもしれない






2020/05/02

【研妻哲学110】独ルフトハンザと日ANA、子連れ飛行機の記録・乳幼児2人

ルフトハンザとANA

最初の緊急事態宣言から25日目
日本全国の緊急事態宣言から16日目

日本の緊急宣言が1か月延長される
と言われている

そんな状況の中、
つい数年前までわが家の帰省に
欠かせなかった航空業界の
緊迫感が伝わってくる

ドイツのルフトハンザも多額の
公的支援を求めているらしい

日本からドイツへ引っ越す際は
ANAだったが、ドイツから日本に
引っ越してくる際は
ルフトハンザにお世話になったわが家

当時ANAはバシネット
(ベビーベッド)の料金が
航空券に含まれていたように
記憶しているが、ルフトハンザは
追加料金が必要だったので、
ドイツの家で引っ越し作業に
追われながら、ルフトハンザに
電話で問い合わせた

ドイツ語で問い合わせる自信は
なかったので、英語対応してくれる
担当者に繋がるまで多少時間を
要したものの、担当者に繋がったあとは
比較的スムーズに座席とベッドの予約、
追加料金の支払い手続きが完了した

搭乗当日は子供たちに
飛行機のぬいぐるみや、塗り絵の
色鉛筆までプレゼントしてくれて、
子連れに優しい印象を受けた

バシネットを設置するため
一番前の座席を指定するのは
ANAもルフトハンザも同じだが
座席の広さは圧倒的に
ルフトハンザの方が広かった

広いのは座席だけでなく
乳児を寝かせるバシネットも
大きかったので、窓際に座る
大人が通路に出るのが大変だった

ANAは子供のベッドも小さいので
大人の移動も比較的しやすい

ルフトハンザではバシネットに
下の子を寝かせ、座席の
前のスペースで上の子が多少
遊んで過ごすことができた

乳幼児との飛行機移動は
何をしても大変なものだけれど
座席の広さをとるか、
移動のしやすさをとるか
お好み次第といったところ

ドイツでわが家がよく使っていた
空港は、道路沿いにルフトハンザの
黄色い旗が靡くフランクフルト空港

ドイツといえばルフトハンザ
ルフトハンザといえばドイツ
といったように脳裏に強く
紐づけられている

そんな航空会社が(航空業界に限らず)
ほんの数年で様変わりしたことを
改めて身近に感じた
2020年5月2日の記録

行きたいところには
行っておいた方がいい
会いたい人には
会っておいた方がいい
という昔の人の教えが
心に鳴り響く




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



行きたいところに行けて、会いたい人に会えていた日々の重みを感じるための、非日常なのかもしれない









2020/05/01

【研妻哲学109】緊急事態宣言と休校さらに延長。育児への影響

宣言延長で長引く外出自粛の子育て


一部地域の緊急事態宣言から24日目
日本全国の緊急事態宣言から15日目

全国で宣言が延長される方向らしい

そんなニュースに続いて
子供が通う園から、お休みの延長を
知らせるメールが届いた

未就学児2人と外出を自粛する生活が
長引くことになるお知らせ

さらに続いて、申し訳なさそうに
優しそうな担任の先生から
直接電話がかかってくる

資料の受け取りで顔をあわせたのは
1度だけの先生が、電話越しに
子供にも少しだけ挨拶してくれる
優しい先生の声を聞いた子供は
早く先生と遊びたいと言い出す

緊急事態宣言下の
特定警戒都道府県のわが家の1日は
こうしてまた過ぎていく

ゴールデンウィークが始まった
最近のわが家周辺への影響としては
家から少し歩いた先にある
比較的大きな公園に
朝の時間帯から人の姿をよく
見かけるようになった

公園の駐車場は鎖が掛けられ、
車で来ることはできないので、
近所の人々が思い思いに過ごす
場所となっている

この町から出ない生活が
子供のストレスにならないように
考えながら過ごす日々

この際、小さい子供たちの写真を
毎日たくさん撮って記念にしようか

普段着ないような素敵な子供服を
着せて、家の中で過ごすことで
気分転換させようか

食事の準備はやってみたいと言うので
料理は既に手伝わせているし
あとまだ試してないのは裁縫くらいか

といったように、親の想像力が
試されている気分
幼い子供よりも親に影響しているような
そんな感覚

そろそろ臨時休館中の図書館の本を
返却箱に入れていかないと

結婚してからずっと車のない生活をしている
私たち夫婦にとって、1度に大量の本を
背負って返却することは足腰の
負担になるが、図書館の休館も
延長となればまた返却日も
延長されるのだろうか

延長が延長を呼ぶ、2020年5月1日




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



親子で想像力を鍛える時期なのかもしれない





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