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2020/11/18

研妻の本音。肩書きは授かりモノ?・研妻哲学310

肩書きをなくした研妻が思うこと


研究者の夫の肩書きも授かり物?


たとえば
医師の資格を持っていても
医者と名乗らない研究者がいる

カウンセラーの資格があっても
それが肩書きではない人もいる

いわゆる教師と呼ばれる人の業務は
教育の枠を曖昧にさせるほど
多岐にわたる

人に親切にすることや
純粋に興味を持って話を聴くことに
肩書きは大きな意味を持たない

家族との時間を大事にすることに
肩書きはいらないのと似ている

「私は人間である、肩書きはまだない」
と言えば、夏目漱石的にきこえるかもしれない

しばらくの間、
特にこれといった肩書きがないことに
悩んだりもした

特に海外帯同中は
出会う人のほとんどが博士やPhD、
ドクターと呼ばれる人々で
肩身の狭い思いをしたこともある

ドイツでは
メールの署名や手紙の宛名、
家の表札にまでDr.やMedなど
博士や医師をあらわす敬称が
記載される場合があり

自分だけFrauという
「女性のなになにさん」を意味する敬称で
周りを意識せざるをえない状況が続いた

そうしてだんだん
そのネガティブな時間が
もったいないなと気づくようになる

自分はなんの研究者でもないけれど
研究者の夫を
1番近くで研究して
支えることはできる

そんなこんなで最近は
自分に今できることで
人の役に立ち、平和に少しでも貢献できるなら
肩書きはなくていいことにした

正確に言えば
見つかるまで、あるいは
授かるまでの間
何もなくていい
という今の価値観に至った

見つからない可能性も
授からない可能性も
両方受け入れる

人生観や仕事観、価値観は
変化するものだから
いずれ変化するときまでは
この価値観でいく

何もなければ
悩まずに済む

ふっと肩の力が抜けて
自分の好奇心に素直になれると
翌朝の予定にワクワクしながら
夜の眠りにつく
新しい自分に出会った

2020年11月18日、水曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



肩書きは社会からの授かりモノかもしれない






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