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2020/09/30

悩み事は99歳になった自分を想像すると小さくなる・研妻哲学261

人生に悩みはつきもの


日常の悩み事と私の対処法


たいていの悩み事は
99歳になった自分を想像してみると
小さくなっていく気がする

たとえば
身近な人とのかかわりで
ちょっと引っかかることがあっても
それを99歳になってもなお
同じ熱量を持って
悩んでいられるだろうか

自分も周りも
どうなっているかわからない

悩み事をなくす方法はひとつ

悩まないこと

気にしないこと

それでも
悩んでしまう悩み事には
想像力という武器を用いる

99歳の自分を想像して
問いかけてみる

たいていの悩み事は
99歳の自分に聞いてみると
小さく軽くなっていく

2020年9月30日、水曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



高貴な人は空想の世界を生きると言うけれど、平凡な私は想像の世界を生きているのかもしれない

想像の世界を仮想現実に置き換えると、まさに人生そのものがゲームになるかもしれない

人生はゲーム以上にゲームかもしれない






・参考文献
書名:99歳一日一言
著者:むのたけじ
出版社:岩波書店
発行年:2013年、2016年






2020/09/29

コロナ禍で試される、自分を維持する力。自分維持力と脱孤独感・研妻哲学260

自分という自己と自我


孤独と孤独感を区別する


実際は孤独ではないのに
孤独だと感じてしまう
孤独感に悩まされる

そんな経験がある人も多いはず

コロナ禍ではさらに
人と距離を置くようになり
孤独ではなくても
ますます孤独感を抱えがち

たとえば
家族と一緒に住んでいても
ずっと孤独感を抱えているとか

逆に一人暮らしでも
職場で同僚たちと一緒に
仕事をしているとか

実際は家族や同僚との
かかわりあいの中で生活しているので
周りから見ると孤独ではないはずなのに
自ら孤独感を生み出してしまう

そんなときは
自分を維持する力が試される

自分の芯となる自我
それを包む自己

この二つに乖離があったり
満たされないと感じるときに
孤独感を生み出しやすい

学生の頃に
海外留学先でこんなことを実感した

日本を離れて
遠い異国という
大きな環境の変化の中に入れば
自分が根っこから
変わるのではないかと期待したが
実際はどこへ行っても
自分は自分以外の何者でもなかった

表向きな自己表現は変わっても
私という自我は相変わらず
自分を形成している

自我は変わらなくても
自己は変わるものだと捉えて
変化を自覚する

変わる自分と変わらない自分の
両方の心の声に耳を傾けて
満たされない部分を満たしていく

すると
孤独感が生まれにくくなり
自分を保ちやすくなる

2020年9月29日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



自分を維持するために、孤独感を生みにくくする「自分メンテナンス」をしておくのは大事かもしれない






2020/09/28

約15年後に世界の若者を精神的に繋げるであろう新型コロナ・研妻哲学259

新型コロナが繋げる世界を考える


世界中の人々が経験したパンデミック


たとえば今10歳の子供が
15年後には25歳になっているわけで

そう考えると
10年後、15年後は
今の子供たちが成人し
新しい家庭を
築きあげる人もでてくる頃だと言える

歳の差のある結婚とか
国際結婚の場合
ジェネレーションギャップだとか
国や文化の違いから
子供の頃に何が流行ったかの
話題になると
共有できるものがなくて
会話がかみあわないため
ノスタルジーを
夫婦一緒には味わえないもの

ところが
これからの若者には
新型コロナによるパンデミックという
とてつもなく大きな共通点が
既に出来上がっている

これまでだったら
精神的な繋がりが薄くなりがちだった
結婚スタイルでも
今の子供たちが成人して家庭を持つ頃には
結びつきをより強固なものに感じさせる
経験を既に持っていることになる

2020年9月28日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



パンデミックのような非常事態は、世界の若者の精神的な結びつきを強固なものにするかもしれない





2020/09/27

趣味があわないはずの夫との意外な共通点・研妻哲学258

夫との共通点


幼少期に夢中になった遊び


もともと性格が正反対というか
趣味が合わないことは
以前も触れた通り

何かと真逆に位置することが
多かった夫

ところがつい最近
意外な共通点を発見した

なんと
幼少期に夢中になった遊びが
同じだった

お互い小学校入学前に
塗り絵に
没頭していた時期があることが判明

しかも
その塗り方までが一緒だった

10年以上
一緒に生きてきて
初めて発見した共通点

長く一緒にいても
知らないことは
想像以上に多いだろうということを発見した

2020年9月27日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



夫婦でもまだまだ知らないことだらけ、「よく知る相手」は、よく知らない部分に目をつぶっているだけかもしれない






2020/09/26

ポスドクの結婚。無職、学生結婚した夫の場合・研妻哲学257

ポスドク彼氏との結婚を考える


無職の院生時代に学生結婚した研究者夫


わが家の場合、
大学を卒業して社会人になったのは
彼女が先だった

そして
職を得た女性が次に目指したのは
結婚だった

というわけで
どういうわけか彼氏は
学生のうちに結婚することになった

当時の彼、夫に職はない

院生として研究に励んでいた

その後、数年間
海外でのポスドク修行に
ついて行くことになるのだけれど

後から考えると
よくそんな状況で結婚したなと
自分でも思う

若さゆえの勢いも否めない

何よりも大きな影響力を放つのは
住む場所がコロコロ変わること

ポスドクとの結婚には
引っ越しという
環境の変化がおまけでついてくる

結局のところ
様々な困難にあうたびに
経済力や愛よりも
まずは自分を維持するための精神力で
乗りきってきたような気がする

思うようにいかない事の方が多い
結婚生活であることを
覚悟してしまえば
大概のことは
乗り越えられるのかもしれない

その覚悟が遅れて
苦しんだことも
今となっては思い出

2020年9月26日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



結婚生活も研究も、うまくいかない事がうまくいく事の土台になっているかもしれない





2020/09/25

コロナ禍の幼稚園。健康診断は再開、運動会は中止・研妻哲学256

コロナ禍の日本の幼稚園


小さな変化



春から中止になっていた健康診断が
ようやく徐々に再開される

およそ半年遅れの健康診断

マスク着用や分散登園は
相変わらず続いているけれど
やっと以前の生活が
少し戻ってきたような気がする

しかし運動会や発表会は
基本的に中止が決まっている

その代わり
参観というかたちで
幼稚園全体ではなく、
学年毎に密を避けて
何かしら小さなイベントが
計画されているようだ

もう何年も通っている保護者にとっては
これが大きな変化なようだけれど
もともとのスタイルを
あまり知らない新参者にとっては
こういうものなのか
といった印象を受ける

2020年9月25日、金曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



変化は受け手次第、受け取り方次第かもしれない








2020/09/24

コロナ禍で出会った自然に感動するのは若返りと加齢の印か・研妻哲学255

コロナ禍の大自然


山と太陽と蛙


久しぶりに視界に
飛び込んできた山には
太陽光が川のようにさしかかっていた

この山は
これまでに何度も見ている山

そして山の裾野に広がる
自然の景色は
絵画以上に絵画だった

けれども
その土地に長年住んでいる人に聞くと
いつもと変わらないと言う

自然はこれっぽっちも
変わっていないのに
私の心は変わっていた

見慣れているはずの
山の景色に感動したのは
おそらく初めてだった

自然に感動を覚える自分に
気づいたのは
この時だけではない

何気なく歩いていると
子供が蛙を見つけた

久しぶりに生きた蛙を
間近で見た

その時、とても久しぶりに
生きた緑を見た気がした

色が生きているという
不思議な瞬間

生き物の色にも感動した

まるで自分が子供になって
初めて見るかのような感覚

と、捉えれば
童心に若返ったことになるだろう

感動しやすく涙もろくなった
と捉えれば
歳をとっただけとも言える

コロナ禍で着実に変化している

2020年9月24日、木曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



絵画のような景色を維持できるのは人の手かもしれない






2020/09/23

子育ての目標設定をしてみたい。5年後、10年後を考えたい・研妻哲学254

子育ての目標設定に挑戦したい


5年後、10年後から今をみたい


コロナ禍以前から
予測のつかない未来に
どう対応していくかが
問いただされていたことを思い出す

企業に経営目標があるように
子育ての目標設定もしてみたいと
思いつつ、なかなか
じっくり考える時間を持てずにきた

子供とみっちりベッタリ
くっついていられる時間は
意外と短いことを考えると

5年後、10年後の
子供の姿を想像して
どうありたいかを考えることは
今を大切にすることに
繋がるのではないだろうか

そう考えると
やはり一度はじっくり熟考してみたい

先が見えない中で
目標設定をするのは
容易ではないけれど

最終的に目標が決められなくても
考える課程に意味があるように思う


最近やっと
スケジュール帳のカレンダーと
向き合うスキマ時間を
確保できるようになってきたので
そろそろ本格的に
妄想を膨らませてみたいと思う

となると
やはり住む場所がどうなるかも
関わってくる

夫の任期付き雇用がどうなるのか

次はどの土地へ引っ越すことになるのか

それはいつなのか

いくつかのパターンで
子育ての5年後、10年後の目標を
考えてみたい

2020年9月23日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



わずかな余裕が持てるようになっても、考えることは子供のことばかりになるのが親なのかもしれない





2020/09/22

コロナ禍の子連れ移動、行くも行かぬも心労と罪悪感・研妻哲学253

子連れ外出、子連れ移動


コロナ禍の心労と罪悪感


ただでさえ大変な
子連れでの移動

コロナ禍では
できれば避けて通りたいところ

けれども
複数の事情が重なり
子連れ移動せざるを得ない
状況になった

久しぶりの長距離移動

これまでとは違う
コロナ禍の子連れ移動

体力の問題以上に
気疲れがひどい

手指を消毒して
おもちゃを除菌シートで拭く

ひたすらマメに消毒する

そしてマスク

子供はすぐに汚す

自分だけでなく
子供たちの分の
予備のマスクの
さらに予備のマスクまで
持ち歩く

自分と子供の消毒とマスクに
これでもかというくらい
気を配っていたら
心労がひどい

朝晩の少し冷え込む
秋の空気に疲れを癒やす

2020年9月22日、火曜祝日(秋分の日)の記録





*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



行っても行かなくても複雑な心境を味わうのがコロナ禍の特徴かもしれない









2020/09/21

新しい生活様式と外出自粛が変えた親の価値観・研妻哲学252

2020年が変えた価値観


私の親の変化


10年以上前

田舎から上京してきた
彼との交際を、
都会と呼ばれる
エリアに住んでいる
私の親は
あまりよく思っていなかった

長い交際期間の間には
それを理由に
距離を置いた時期もある

いずれ田舎に帰りたい人なので
それなりの覚悟をきめて
結婚に踏み切った

とは言っても
結婚を反対されていたわけではない

いつになるかわからないけれど
田舎で嫁として暮らすことが
不安で心配だったようだ

それでも最後は
自分を曲げずに
将来の田舎暮らしを覚悟して
今に至るわけだけれど

そんな生活に対する捉え方が
今年の外出自粛や
新しい生活様式を受け入れていく中で
大きく変化したようだ

10年以上前には
考えられなかったことが起きた

もう田舎で暮らすことを
なんとも思っていないようだ

私の親の捉え方、価値観は
確実に変わっていた

変わらない大自然を前に
変わる価値観を見つめると
自分も変わっていることに気づく

2020年9月21日、月曜祝日(敬老の日)の記録




 *淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



自分の価値観の変化は、大自然の捉え方で把握できるかもしれない









2020/09/20

私が新卒入社した会社で先輩から学んだこと・研妻哲学251

新卒入社で学んだこと


上司ではなく、先輩の教え



新卒で入社した会社に
頭の回転が速いことで
存在感が際立っていた
ひとりの女性がいた

綺麗なロングヘアの
その女性は
私の先輩という立場

最初は恐れ多くて
あまり会話ができなかった

ゆっくり時間をかけて
仕事上の問題を
議論していくうちに
その先輩の頭脳に惚れた

時に鋭い批判的な意見を
堂々と言い放つところは
私ごときには
到底真似できなかった

そういった彼女のスタンスは
どこか哲学的な面影を
落としていた

学問として
哲学を極めている専門家には
これは違うと言われそうだけれど
当時、新入社員だった私にとって
それは十分、哲学的だった

彼女の言葉で
今でもたまに思い出す一節がある

偉い地位にいる人が
本当に偉いとは限らない


この言葉は、今も色あせない

普遍的な本質をつくことが得意な
実に先輩らしい言葉

そんな当時をふと思い出す

2020年9月20日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



地位は偉い人になるための必須要件ではないのかもしれない







・参考文献
書名:哲学の教科書
著者:中島義道
出版社:講談社
発行年:2001年、2012年




2020/09/19

本帰国後のとまどい。日本語を書く、聞く技能の衰え・研妻哲学250

帰国後の日本語問題


日本語が書けない、聞きとれない問題


バタバタと本帰国をして
すぐに子供の入園手続きを
開始した

ところが
入園書類を読み進めるも
なんだか日本語を読むことに
時間がかかってしまう

意味のわからないドイツ語を
一文字、一単語ずつ
丁寧に読んでいたせいか
どうやらその読み癖が
ついてしまったようだ

流し読みできていた日本語までも
一文字ずつゆっくり追ってしまう

しかも
子供の名前を漢字で書く機会も
ほとんどなかったため
そこでの小さなつまづきも感じていた

そんな戸惑いの中
さらに追い打ちをかけたのは
漢字

漢字を書くという動作から
何年も離れていたせいか
いざ、書こうと思っても
最初はなかなかうまく書けない

手が浮くような
漢字を習いたての
小学生になったような
変な感覚がつきまとう

そんな感覚を振り切るように
必死に日本語を書いた記憶がある

とまどいはそれだけではない

日本のスーパーの店員さんの言葉が
すんなり頭に入ってこないのだ

ドイツのスーパーのレジで
店員さんが何を言っているか
わからなかったのと同様の事態が
日本でも起こるとは

これはかなりの想定外の出来事

自分でもどうかしていると思った

けれども
やはり母国というだけあって
すぐに慣れる

最初はとまどったが
すぐに勘をとり戻した

そんなまごついた
本帰国直後を思い出させる
卒入学の季節到来

2020年9月19日、土曜日の記録



 *淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



一時的に自分を見失うような出来事は、案外よくあるのかもしれない





2020/09/18

子供の友達関係の変化と心の発達。親修行の話・研妻哲学249

子供の友達関係


幼児期の心の発達


日本での生活が
すっかり落ち着いてきた頃

子供のお友達の関係に
変化がでてきた 

そして
その変化に
少し戸惑っている様子のわが子

親はうすうす感じてはいたものの
先生から直接話を聞くまでは
ふんわりと捉えるだけだった

それまで
これといった大きな問題もなく
親しいお友達と平穏に
過ごしてきたわが子だったので
漠然とたいしたことないだろうと
構えていた

ところが
先生からの話をきっかけに
対話を重ねていくと
涙を流し始めたわが子

親が思っていた以上に
子供の心は揺れていた

その内容は
発達段階に沿ったもの

せっかく傾聴の訓練を
受けているのだから
ここで実践しないでどうする
と、自分に言い聞かせ
子供の話に
真剣に耳を傾ける

すると
親の話も聞くようになり
親への質問内容も変わってきた

今はきっと
子供の心の発達にとって大事な
そういう時期なのだ

これまでに
人生はうまくいく事ばかりではない
ということを
茨の道を歩んでいる研究者夫から
散々学んできている私

つまるところ
ヒトとはそういう生き物なのだ
という話の結末になった

2020年9月18日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



子供の心の発達を間近に見るのは、親修行でもあるのかもしれない




2020/09/17

海外ポスドク夫の就活で、妻の心が折れた話・研妻哲学248

海外ポスドク夫の日本就活


クリスマス深夜の面接


ドイツでの研究生活が
長引いてくると
帰国へのタイムリミットを
感じるようになった

気持ちばかりが
焦る中
海外にいながら
日本の就活を始めるが

海外から日本で
就職するための活動をするのは
思っていた以上に難しいと
徐々にわかってきた

得られる情報量が
少ない中で
なんとか手にした
面接日程は
ドイツではクリスマスにあたる

しかも時差があるので
開始時間は
ドイツ時間の真夜中、
深夜だった

そのオンライン面接を受けるため
夫はクリスマスの深夜に
バスに乗って研究室へ向かった

まだ赤ちゃんだった子供の泣き声が
面接中に入らないように
という配慮から
外は氷点下の気温でも
ラボへ行くことにした

そもそも面接してもらえること自体が
貴重な機会なので
大概のことには目をつぶることにした

けれどもやっぱり
努力が実らないと心は折れる

不採用の結果に
もう日本で暮らせないのではないかと
肩を落とした

そんな冬の思い出が
呼び起こされる
秋の気配が訪れた

2020年9月17日、木曜日の記録

  


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*




苦労が消化されている事に気づくのは、笑い話になる時かもしれない







2020/09/16

物を消費するより「コト消費派」な理由を考える・研妻哲学247

ブランド品より経験を買う


私がコト消費派である理由を考える


アルバイトをきっかけに
ある程度
まとまった金額を
自分でどう使うか
真剣に考え始めた学生時代

もともとブランド品に
あまり興味がなかったせいか

貯めたお金は
旅行代や留学費用に消えた

つまり
ある期間が過ぎると
手元に残る物はほぼない

旅行であれば
帰宅後に残るものは
旅の思い出

留学であれば
帰国後に残る物は
海外経験から得た経験値

高級なものを
身に着けたいわけでもなく

高級なものを
家に置きたいわけでもない

思春期を過ぎる前は
お年玉で
物を消費することは
たしかにあった

それも
常識の範囲内に留まる

思春期から
少し成長すると
あとになって
なんでこんな物を
私は買ったのだろうかと
不思議に思うことが
多くなってきた

もともと人は何も持たずに
誕生するわけで
その逆も同様といえる

物で外を固めるより
事で中を満たしたい

それが唯一のモノであるように
感じるというのが理由だと思う

2020年9月16日、水曜日の記録



 *淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



物事はそもそも儚いからこそ、普遍的な内側に重きをおきたいのかもしれない








2020/09/15

現場で働く高齢者の横顔から考える大切なこと・研妻哲学246

働く高齢者


近所で見かけたワーキンググランパ


秋の空気に変わり始めた
ある朝
いつものように
身支度を済ませて
子供たちと家をでた

小さな手を握り
トボトボと歩いていく

すると
普段は大型車があまり
行き来しない道に
何やら機材をつんだ
トラックを発見

近くには作業員と思われる
30代から40代くらいの男性が
3人くらい
トラックを囲むように
立っていた

どうやら
今からトラックを
作業する場所の駐車場へ
移動させようとしている様子

「あ、ちょっとすみません」

と、立っていた男性作業員に
突然声をかけられ
私たち親子は
そのトラックが
無事に駐車スペースに
おさまるところを
見届けることになった

目の前で
トラックの周りに立つ
30代くらいの
比較的若手の男性作業員が
声を張り上げて
誘導し始める

私には暗号のように思える
用語を
大きな声で
トラックの運転手に伝えて
駐車する方向を調整していく

傍からみると
ちょっと乱暴にも聞こえるような
誘導の声かけで

トラックがだんだん
近づいてきた

そこでやっと
運転手の姿が目に入った

それまでは
大きな荷台の部分が
邪魔をして
運転席は見えなかったが

やっと見えた
運転手の横顔は
おじいちゃんだった

まさに
働く高齢の男性

一瞬
ちょっと違和感を感じる私

色んな思いが込み上げる

あれれ、
小さい頃
年寄りには優しくするように
言われて育ったのではないだろうかと

幼い頃に
教えられたことが
通用しない未来が
来てはいないだろうかと

実際は作業員同士が
年齢に関係なく
仲の良い間柄で
和気あいあいと
仕事をしているかもしれない

ちゃんとそれぞれに
役割が決められていて
重い機材を運ばない代わりに
運転手をしているだけかもしれない

けれども
この瞬間だけを切り抜くと
高齢者が若者に委縮しながら
働いているようにも捉えられたのだ

自分も将来
高齢者になったら
若者に委縮するのだろうか

今から準備できることを考える

2020年9月15日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



年齢に関係なく、尊重を態度にだすことが重要かもしれない






2020/09/14

試される研究者夫の教養力・研妻哲学245

研究者と教養


夫の場合


苦難の連続だった
海外修行をおえて
ようやく日本で
研究者として
任期付きの職を得た夫

これまでとは違う環境に
身を置くようになったことで
ある変化が夫の背中を
押しているようである

それは
周りの人の教養力の大きさ

普段のちょっとした
何気ない会話で
気づかされる教養の違いを
以前よりも
色濃く感じているらしい

これはもちろん
夫本人ではなく
夫の周りにいる人たちの
教養が素晴らしいということ

やっと
慣れ親しんだ日本での
生活が始まり
一息つけたと思っていたら
また新しい山が姿をみせた

ここで
これまでの歩みを
妻目線で
ざっくり振り返ってみる

大学の学部生時代
大学院の修士時代
大学院の博士時代
ポスドク時代
任期付き研究者の今
というように
夫のそれぞれの時代を
振り返ってみても
今が一番
教養力を試されているように見える

女の勘を働かせると
おそらくここから先は
ある程度の教養が伴わないと
飛躍するのは難しいだろう

飛躍することが
幸せを保証するとは限らないけれど
未来志向の
アドラー心理学なら
おそらくこんなふうに考えるだろう

「ならばどうするか?」

変化しなければ
いずれ職を失う可能性がある
という現実に向き合い
今できることを考える

妻目線で
今すぐにできること

まずは
子供の読書環境だけでなく
夫の読書環境にも
気を配った方がいいかもしれない

2020年9月14日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



教養という土台は、子供の頃よりも大人になって専門性を持ったときにスポットライトを浴びるのかもしれない





・参考文献
書名:定年後の人生を変えるアドラー心理学
監修:八巻 秀
出版社:講談社
発行年:2018年






2020/09/13

相性が合わない人と出会った時の対処法・研妻哲学244

ちょっと相性が合わないなと感じた時


私の対処法


学校や職場、最近は
オンラインも含まれるかもしれない
多数の人とかかわる場において

あれ?なんだかこの人とは
ちょっと合わないな
なんて気づく瞬間がある

なぜ
どうして
という言葉が
一時、頭の中を占拠する

そんなとき
こう思う

この人との出会いは
私に何を
学ばせようとしているのだろう?

その人のことを
どうしても考えてしまう状況は
ひっくり返せば恋愛のようである

ちょっと自分の口には
合わない味だと思い込んでいる
ホットケーキがのったフライパンを
ひっくり返すと
大好きな味になっているようなもの

物事に
良い面と悪い面の
両方が存在するのと同じように
自分の気持ちを受け止める

こんなとき
私はよく
結婚式で新郎新婦の親が見せる
嬉しいような、悲しいような
なんとも言えない表情を思い出す

子供の結婚を受け止める親の
少し涙ぐんでいるようにも見える
あの胸にささる横顔

そして
その出会いから
何が学べるかを考える

2020年9月13日、日曜日の記録



 *淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



物事の二面性は、新郎新婦の親の心情に似ているかもしれない





2020/09/12

子供の習い事と親の負担を考える・研妻哲学243

幼児の習い事


ピアノと塾と親の送迎


小学校入学前の子供が
習い事に興味を持つと
たいていの親は
通わせてあげたいと考える

わが家も色々迷った

今も迷っている状態だけれど
最終的に子供の希望で
通うことになったのは
音楽教室と塾

いま思えば
通い始めるのは簡単だった

毎週の送迎や付き添いに
もれなく下の子もついてくるので
やってみると
続けていくのは
なかなか大変だとわかってきた

さらに
毎週宿題がだされると
それを子供が取り組むように
しむけるのも親の役目となる

塾の宿題に
ピアノの練習

どちらも親の働きかけが
必要だと思われる年齢の子供

奇跡的に
こちらがしむけなくても
子供が自発的に
宿題をやり始めると
成長を感じるが
いつもそううまくいくとは限らない

言葉や数字は
親も日常的に触れているので
教えるのも気楽だけれど

音譜は言語と同じで
離れていると忘れてしまうもの

親が興味を持って
楽器を演奏すれば
子供も弾きたがる

そうでないと
子供は練習から遠ざかる

そんなわけで
まずは親の古い記憶を
呼び起こす必要がある

譜面読みは何年ぶりだろう

子供に習わせているつもりが
親が習っているようである

少なくとも
そんな心構えで取り組むと
子供の上達が早まるような気がする

さらに
プールに行っているお友達の影響で
わが子も一緒に習いたいようだけれど
親としては2つで十分な上に
家からのアクセスが不便であることを理由に
なかなか習い事の数を増やせずにいる

2020年9月12日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



幼い子供の習い事は、親の習い事でもあるかもしれない





2020/09/11

子供が漢字を学び始めるのは小学校入学前からでも良い理由・研妻哲学242

未就学児からの漢字学習


早すぎるのかを考える


外出自粛期間中に
幼児向け漢字ドリルに
取り組んだわが子

その時は
親が思っていた以上に
楽しんでいた

復習はしていないので
今はお気に入りの漢字だけが
うっすら記憶に残っている様子

それでも
漢字の成り立ちの絵本に
興味を持つようになったのは
大きな進歩だと感じている

そこでちょっと目線を上げてみる

子供目線ではなく
周りの目線を考えると
小学校入学前に
漢字を覚えるのは
早すぎるのではないかという
視線がつきささる

さて
ここでちょっと中国の
子供たちのことを思い浮かべてみる

日本の小学生が
入学前にひらがなやカタカナに
ある程度、触れてから
新1年生になるように
中国の小学生も中国語に
ある程度、触れてから
小学校に入学する

そう
漢字の中国語

幼児が漢字に触れることが
意外と当たり前になっている
国があるという現実

捉え方や結論は
人の数だけあり
それぞれ変化していく

(アメリカNYに祈りをささげる)

2020年9月11日、金曜日の記録


 *淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



目線を変えると、新しい思考が浮かぶかもしれない





2020/09/10

大人の私のアサガオ観察日記・研妻哲学241

朝顔


大人の観察日記


春に朝顔の種を3つ
もらってきたわが子

土と植木鉢を用意して
早速、種をまいてみた

水やりを始めて
何日か経ったある日
無事に3つとも芽がでた

ここまでの成長に
大きな差はみられなかった

けれども
育ち方はだんだんと変わっていった

つるが伸びないうちに
早々に花を咲かせた種もあれば

つるがひたすら伸びるばかりで
全然花を咲かせない種もある

さらにもうひとつは
つるが十分に伸びてから
秋の気配を感じる頃になって
ようやくつぼみをつけた

まさに三者三様で
三者三葉と書きたいところ

こうしてひとつひとつの種から
成長の異なる芽が育つのは
ヒトに似ている

花を咲かせて
また新しい種をつける時期も
それぞれで異なる

朝顔から人生の多様性を感じた

2020年9月10日、木曜日の記録


 *淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



植物は人生の先生かもしれない





2020/09/09

新しい物々交換の時代は、わけあう暮らし・研妻哲学240

視界を変えると見えてくる、物とモノの交換


砂漠ガイドと環境キャラバン


日本にいると
なかなか視界に
入ってこない世界がある

たとえば
飲み水も植物もない
砂漠の世界

日本で最も近いのは
コロナ禍で一時注目を集めた
鳥取の砂丘かもしれないが
海外の砂漠とは
ラクダの役割が
多少異なるようだ

連日のように
新規感染者数ばかりが
視界に入るような
新しい日常をおくっている
日本という世界がある

その一方で
無謀とも捉えられかねないような
砂漠で植物を育てようとする
環境キャラバンという世界がある

モノがあふれる世界と
モノがなさすぎる世界

後者には
「砂漠ガイド」という
日本では聞きなれない職業が存在し
キャラバンの隊員たちが
列をつくって
水や植物を運ぶ後ろ姿は
ピラミッドをつくりあげた
古代エジプト人の後ろ姿を
彷彿とさせる

視界をそんな映像が独占するとき
思う事がある

コロナ禍で
人々の行動範囲が狭くなると
小さな地域単位の社会で
消費を済ませるようになる

ということは
砂漠ガイドが
砂漠にしかいないように
各地域によって
存在する職業が異なることになる

そのひとつの突破口として
オンライン上の「やりとり消費」がある

無形スキルの売り買いなどをさしている

物を売るだけでなく
無形の特技なども
売ることができるため
住んでいる地域と
オンライン上の地域という
2種類の地域を持つ人も少なくない

さらに思う

昔の日本は
狭い地域社会で
物々交換をしていたのではないか

ご近所さんに
醤油をわけてもらったら
そのお礼にお米をわけるような
暮らしぶりも想像できる

誰かに何かをしてもらったら
今あるものの中から
今できる範囲でお礼をして
わけあう暮らし

手で触れることができる物でも
手では触れることができないモノでも
生きていくには
もう十分すぎるくらい
日本は既に持っているのだろうと思う

2020年9月9日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



一般的に仕事と呼ばれるモノが一時的になくても、分け合う物/モノは既に手の中にあるのかもしれない





2020/09/08

コロナ禍の保育参観・研妻哲学239

幼稚園の保育参観


ニューノーマルと呼ばれる
新しい日常を過ごしている私たち


コロナ禍で春の保育参観は
中止になったけれど
残暑が残る9月の保育参観は
無事に実施された

熱中症対策として
マスクを外すことを
許された子供たちが
園庭で外の空気を吸いながら
思い思いに遊ぶ

その脇で
大勢の保護者がいる手前か
先生方はマスクをしたままの
姿が目立った

9月とはいえ
まだまだ残暑が厳しいこの時期に
マスクをしたまま体を動かすのは
蒸し暑くもなるし大変だろうと思う

けれども
幼稚園側は保護者に対して
送り迎えの際にマスク着用を
呼びかけている手前
園側がマスクをつけないというのは
いささか許されないような
雰囲気が漂っているのかもしれない

もはやウイルスは視界から
さらに見えないところに追いやられ
人々がつくりあげるその雰囲気、
空気感が私たちの行動を変えている

2020年9月8日、火曜日の記録


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


雰囲気や空気感は、時に科学を飛び越えてしまうのかもしれない





2020/09/07

帰国後、子供のドイツ語に冷汗・研妻哲学238

幼児のドイツ語


日本語で誤解を招きかねない


パワーショベルと髪の毛に要注意


帰国のために
移動を開始する前日まで
現地のバイリンガル保育幼稚園に
通っていたわが子

朝8時から夕方5時まで
ドイツ語と英語で過ごす毎日だった

そのためか
ドイツの自宅から
空港までの移動の間や
飛行機の機内でも
ドイツ語と日本語がまざり
時には英語の歌を口ずさんでいた

そんなごちゃまぜの
炊き込みご飯状態の頭で
スタートした日本での新しい生活

日本で新しく借りた部屋に
慌ただしく業者の人が出入りする

その脇で
突然
「ばがっばがっばがっばがっ」と
連呼しながら走り出すわが子

人によっては
「ばかっばかっばかっばかっ」にも
聞こえるではないか

この行動の背景を言い訳として
説明すると

ドイツの幼稚園の窓から
パワーショベルが動く様子が
見えたため、子供たちが
それを見ては
「ばがー、ばがー」と叫んで
大はしゃぎして遊んでいた
その名残である

パワーショベルは
ドイツ語で「バガー」
最後の音は「カ」に聞こえることもある

日本の新しい部屋で
作業をしてくれる業者の人の隣で
一歩間違うとバカに聞こえる
ワードを連呼して動き回っていることになる

その失礼極まりない子供の態度に
冷や汗を隠せなかった私

バガーとバカは紙一重だった

それともうひとつ

家族で買い物にいったときのこと

エスカレーターですれ違う
男性の頭を指さして
「ハゲ」と言うわが子

ハッと息をのむ夫と私

慌てて「ハーレ、髪の毛ね」と
フォローするも
内心穏やかではない

髪の毛はドイツ語で「ハーレ」

Rはガラガラ音かスカスカ音になるので
「レ」は「ゲ」や「ケ」に聞こえる

そのため
「ハーレ」と言うと
「ハーゲ」に聞こえることもある

子供の悪意のない
無邪気で紙一重なドイツ語に
振り回された時期を振り返った

台風の甚大な被害がでないことを祈る

2020年9月7日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


振り返ると共感されない物語は、やがて個人を動かす燃料になるかもしれない





2020/09/06

移民を受け入れた先の日本の未来予測・研妻哲学237

移民大陸ヨーロッパから日本を予測


イギリスBBCと、ドイツDW


今日は少しだけ
前置きを書きたい

以前も書いたように
海外でアジア人差別的な経験をしてから
私は人種差別をしないと強く決めている

もしこれから書く内容が
差別的に捉えられてしまっては
意に反するうえに大変申し訳なく思う

前置きはここまで

今日のテーマはここから

最近は家事や育児の合間の
ちょっとしたスキマ時間に
海外ニュースを視聴している

主に移民大陸ヨーロッパの
イギリスBBCニュースや
ドイツのDWニュースだ

そこでふと気づいたことがある

ニュースを読み上げる
黒人のアナウンサーの
存在が目立っているのだ

ここ数年は
妊娠・海外出産・引っ越しなど
個人的な事情で
世界の情勢を追うどころではなかった

かすかに残っている
数年前の記憶の中に
今ほど黒人のキャスターが
活躍していた映像は
浮かんでこない

移民がたびたび社会問題になる
イギリスやドイツのニュース番組という
最前線で活躍している彼らから
ひとつの可能性としての日本の未来が
ほんの少し予測できそうな気がする

ここからはもしもの話で
実際はどうなるかわからない日本の未来を
移民大陸ヨーロッパから予測してみる

あくまでも推測になるが
もし日本が全面的に移民を
受け入れるような未来がきた場合
世代がかわっていけば
そのうち異国から来た
移民女子アナが誕生する可能性も考えられる

本当の意味での平等な社会というのは
たとえば日本にゆかりのない
ニュースキャスターが
日本の報道番組で
活躍できる社会なのかもしれない

コロナ禍で揺れるグローバリズム、
AIロボットがニュースを読む時代に
欧州の報道番組の移り変わりから
様々な肌の色を持つニュースキャスターが
日本でニュースを読み上げる
未来が来る可能性も
ゼロではないはずという個人的予測

2020年9月6日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



平等の基準は、人の数だけあるのかもしれない




2020/09/05

私の暮らしのひそやかな楽しみ・研妻哲学236

秋を感じる植物


朝顔と秋


アサガオいうと夏の印象が強い

夏に向けて種を蒔き
夏につるを巻きつけ
夏にきれいな花を咲かせる 

そんな夏の花が
秋をとても身近に感じさせてくれる
時期が訪れた

9月にもなると
だんだん種のふくらみが
はっきり、くっきり
見てとれるようになる

花は咲いた後にも
しっかり役割を果たしている

まだまだ
あの黒い見慣れた種の状態には
程遠い緑色のふくらみだけれど
あさがおに種がつきはじめると
秋を感じる

この種がかたく真っ黒になるのが
最近のひそやかな暮らしの楽しみである

夏の植物が、秋の植物になる瞬間だ

日本で久しぶりに会う顔ぶれの中に
朝顔がいた

2020年9月5日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



土が違えば草木が異なるように、国が違えばヒトが異なるのかもしれない





2020/09/04

海外から本帰国、日本に適応してきたと思う瞬間・研妻哲学235

本帰国後の適応


通院の受付窓口


乳歯がまだ綺麗に残っている
幼いわが子を引き連れて
小児歯科を訪れた

歯科検診とフッ素塗布を
お願いした

本帰国後、これまでに数回
お世話になっている歯医者だが
いつも診察券を忘れてしまう

毎回そのことに気づくタイミングが
少しずつ早くなっていた

最初は検診をおえて
家に着いてから
そういえば診察券を
持って行かなかったなと思いだし

その次は歯医者の
受付窓口で保険証を渡すときに
そういえば診察券という
存在を忘れていたと思いだす

帰宅前に気づくのは
私にとっては大きな成長の一歩

最近になってようやく
家をでる前に気づくようになった

診察を受けるには、
診察券が必要だ

診察券がない異文化から
なかなか抜け出せなかった私が
やっとその世界を飛び出した瞬間だ

ゆっくりと着実に日本文化に
適応しているような気がする

2020年9月4日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



誰かが忘れ物をしたら、その背景に潜む世界に思いをはせるといいかもしれない






2020/09/03

小学校のオンライン説明会・研妻哲学234

 親子で勉学の秋


まだまだ厳しい残暑が続く中
幼稚園に上の子を預けて
自宅に戻ったあと
以前から気になっていた小学校の
Webサイトに再びアクセスしてみた

そこで見つけた
小学校説明会の動画コンテンツを
リビングルームのテレビに繋げて
視聴することにした

事前予約もいらず
下の子を部屋で自由に遊ばせながら
気楽に説明会の様子を確認できるのは
大変ありがたい

一通り説明が終わったあとの
質疑応答まで視聴できて
とても参考になった

他の保護者の意見は
引っ越してきた新参者にとって
新しい視点ばかりだった

もっと横の繋がりを
広げた方がいいのだろうかと
思うのと同時に
自宅にいながら
なんだか得した気分だ

たまたまこの小学校が
自宅から通いやすい場所にある
という理由で覗いたサイトだったけれど
資料をもらって
子供と一緒に見てみようという
気持ちになった

2020年9月3日、木曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



視聴者の行動を促すのは、高度な動画編集技術よりも内容の密度かもしれない









2020/09/02

学生彼氏と社会人彼女カップルその後/続き・研妻哲学233

すれ違う学生彼氏と社会人彼女


別れるしかない?


大学院入試に向けて
彼はひたすら忙しくなっていく

彼女にはその忙しさが
よくわからない

一体なんでそんなに忙しいのか
疑問を抱くようになる

彼は大学に行けば
研究室にこもり

家に帰れば
論文を読み
院試に必要な願書や
その他の応募書類を準備する

こんな感じで
大枠では理解できるものの
それぞれの工程を追求して考えると
彼女との時間も
少しはつくれるのではないかと
思えてくる

それでも時間がないという彼

彼女はいつなら
彼氏の時間があるのかを考えた

答えは簡単で、
食事をする時間
部屋を片付ける時間
洗濯をする時間
家から大学までの移動時間

これらの時間は
どんなに忙しくても
多少は手元に残る時間

ならば一緒に食事をして
移動時間を活用できるようにと
ひとり暮らしの彼の家の
鍵をもらうことにした

自炊して一緒に食べれば
デート代もだいぶうく

家事を手伝う時間も
大切なふたりの時間だ

やがて大学院入試の
合格祈願がデートになり

七夕の時期には
街中に出現する大きな笹の木に
合格を祈る短冊をそっと飾った

刻々と入学試験日が近づいてくる

いつもは穏やかな彼が
ピリピリしているのが
空気を通して伝わってくる

机に向かっている彼には
声をかけづらいので
緊張感を持った背中と
椅子の背もたれだけが
目に焼きつく

ひとまず
自然消滅的に別れる
可能性も大いにあったふたりは
無事に院試当日を迎えることになる

そんな過去を振り返る

2020年9月2日、水曜日




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



自分で導いた答えを盾に生活すると、後悔する回数は少ないかもしれない





2020/09/01

彼氏の大学院入試、社会人の彼女は・研妻哲学232

学生彼氏の大学院入試

社会人彼女が応援するまで


彼が大学を卒業したら
就職をすると思っている彼女

お互い就職したら
いよいよ結婚の2文字が
色濃く浮かび上がる

ところが
就職活動をせずに
大学院へ進みたいという彼氏

これは結婚を遠ざけるための
口実なのかと
悪魔がささやく

しかも目指すのは東大

すぐ近くで聞こえていた
結婚という響きが
どんどん遠ざかる

就職せずに
大学院に進みたいと言うのだから
収入は期待できない

これからも引き続き
デートにお金はかけない

平等に、対等に
外食したら折半だ

院試を控えている彼氏は
どんどん忙しくなる

ただでさえ
夜遅くまで研究室に残ることが
多いため
彼女との時間は
ますます削られていく

デートにはお金どころか
時間さえもかけられなくなった

社会人として働く彼女も
残業が深夜に及ぶこともある

帰る方向が同じ
直属の女性上司と一緒に
終電で帰宅する日も増えていく

ふたりの生活が
すれ違うことは目に見えていた

そんな過去を振り返る

2020年9月1日、火曜日の記録

(つづく)



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


過去の初々しい日々を振り返ると、未来だった「今」の捉え方が変わるかもしれない





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