お知らせ

▼研究者を支える妻の会「研妻会」Webサイト

▼「研妻会」インスタグラム気まぐれ更新中

2021/01/05

日本とドイツ、博士号の捉え方。アジア人の距離の取り方を考える・研妻哲学358

日独、博士号取得の人との距離の取り方


書き言葉と話し言葉で異なる関係


ドイツではメールの署名や
封書の宛名だけでなく
家の表札にまで
Dr.やMedといった
学歴や医者である事がわかる肩書きを
名前の頭に記載する人が多い

メールの署名を見ただけで
その人が博士号を取得しているのか
修士の人なのか
学部であれば
どんな分野の学部を卒業したのかが
ひと目でわかるようにしておくよう
上司から指示されることもある

そんな外的要因を並べると
学歴社会なのか?
人との距離の取り方に厳しいのか?
と思いきや

実際に人と対面する際には
そういった肩書きの違いによる
距離を感じることは
ほとんどない

それは外国人としてドイツに滞在する
日本人の私にとって
最初は戸惑いつつも
だんだん心地の良いものに
変わっていった

ちなみにドイツ語には
日本語の敬語にあたるような
非常に丁寧な言い回しが存在する

これは日本以外の国において
とても珍しいこと

たいていは
丁寧語はあっても
敬語がない場合がほとんどである中

ドイツ語には
敬意を表す表現が数多くある

日本と同様に敬語を使うドイツ

よく日本人の気質と
ドイツ人の気質が似ている
といわれるが、その背景は
歴史的な部分以外にも
そういったところに
隠されているように感じる

ところが、
似ている点がある一方で
全然違う部分がある

それは
先生を先生と呼ばないところ

そして
上司を呼び捨てにするところ

たとえば
夫がドイツの研究室で
働いていた時
上司のことは呼び捨てだった

周りの同僚も同じように
目上の人を呼び捨てる

仕事の相談をしたいとき、
上司に話しかけるときに
敬称をつける人はいない

英語圏もそうかもしれない

私が一時通った大学の語学コースでは
教授を先生と呼ぶ代わりに
日本語の「さん付け」にあたる
呼び方が使われていたけれど

後に夫の研究室付属の
ドイツ語コースに転校したとき
博士号を持っているドイツ語の先生は
呼び捨てで呼ばれていたので
私も同じように呼び捨てで
会話させてもらった

このように
書き言葉では厳密に違いがわかるのに
話し言葉になると違いが隠れる

話しているだけでは
全然わからないので
書けるときにはきちんと書いておく

そんな流れや気持ちが
署名や表札に
あらわれているのではないかと
個人的に感じるものがある

例外として補足すると
ドイツ人同士だともっと厳しく
敬語か丁寧語かタメ語か
どれを使うか迷う場面に
たくさん遭遇するらしいけれど
日本人という外国人の私に
厳密な違いを求めてくる人はいなかった

ちなみに冒頭で書いた
家の表札に肩書きをつける人は
博士号か医者の人しか
まだ見たことがないけれど

表札に含めるほど
ドイツでは博士やドクターを持っていると
インパクトが強い

ポスドクをしてから
普通に企業に就職するのは
日本よりも一般的だという印象を受ける

さらに視点を移動させると
アジアの中でも日本語は
そういった面では距離をとりやすい
言語だともいえる

中国語や韓国語には
親しくなった家族以外の人を
家族であるかのように呼ぶ
呼び名がたくさんあり
敬語がない分
距離を縮めやすい言語だとも
捉えられるからだ

こんなふうに早朝から
言語の違いによる
人との距離について考えてみた

2021年1月5日、火曜日の記録



(時事メモ)
首都圏にまた緊急事態宣言がだされるかもしれない



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



言語的・文化的違いがある人を、根っこから理解しようとしたら、相手の言語について学ばないとならないのかもしれない



言語や文化が異なる相手を、理解したと思うのは勘違いである場合が多いのかもしれない





ブログ アーカイブ