海外帯同生活と自粛生活が似ている
新型コロナ時代と海外帯同の共通点
研究者夫の仕事が
海外に決まった数年前から
現在に至るまで
私個人の生活は
さほど変わっていない点がある
帯同生活といっても
よく耳にする
駐在の方々とは若干立場が異なる
語弊があるかもしれないが
仮に経済的にも
駐在が華やかなイメージだとすると
研究者の海外移住は
かなり地味な部類に入ると思う
という前置きが醸し出す通り
ここから先は
ヨーロッパの冬の空のように
どこか薄暗い雰囲気の中で
読んでもらえると
より一層伝わるものがあるかもしれない
要するに言いたいことは、
生活環境(住む国)は
大きく変わっても
中身(暮らし)はさほど
変わっていないのではないかという事
新型コロナの感染拡大が
はじまる前から
海外で
帯同生活していた時期から
そもそも
日本の家族や友達には
会いたくても会えない
祖父母に会うのも
年に1回会えれば
かなりいい方
それまで就いていた仕事は手放し
正規雇用の仕事は諦めた
妊娠・出産の数年間は
遠出を我慢
医療機関を受診するときは
目に見えない壁がたくさんあり
交友関係がごく限られた生活
こういった点だけに目を向ければ
個人的な私生活は
大きくは変わっていないようにも
捉えられる
そのため
海外で私が経験した帯同生活と
コロナ禍の自粛生活は
似ているように感じられなくもない
もちろん
私とは状況が異なる方もいる
もちろん
新型コロナの
人の生死が関わる点は
大きな違いだ
今回の着眼点はそこではなく
視点をかなり低くした
あくまでも
私個人の生活において
かつ
その私生活の
帯同生活と自粛生活において
似ているところを
いくつか発見しただけ
という話
これまでは
「海外生活どうでした?」
と、聞かれると
「つらい」の一言で
返していたけれど
その辛さがどんな辛さか
さらにもう一言加えて
説明できるようになった
ちなみに
いま現在まで
その辛さが
続いているのかと問われたら
そういうわけでもない
今後はわからないけれど
新型コロナが始まる前から
既に自粛生活に近い
暮らしぶりだったので
単純に慣れてしまったのと
遠い昔に
一通り打ちひしがれ
自分なりの打開策を
手に入れていたからだと思う
首都圏に続き
緊急宣言がだされた
2021年1月14日、木曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
今度、「海外生活どうでした?」と聞かれたら、「自粛生活のようでした」と、答えればいいのかもしれない
(新しい共通言語を手に入れた気がする)