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2021/01/31

電球が切れた。そのとき研究者パパは?・研妻哲学384

妻がみた、研究者夫らしい行動


電球の取り替え作業で


家のお風呂場の電球が切れて
つかなくなってしまった

電球の買い置きはない

夫が切れた電球を取り外し
サイズを確認する

近所の電気屋さんで
新しい電球を購入して

早速
取りつける

スイッチを押す

あれ?
おかしい
電気がつかない

何回か押す

やっぱりつかない

古い電球とは違う
LEDにしたから?

電球が切れたのではなく
そもそも電源に問題がある?

いくつか湧き上がる
疑問を抱えたまま

さくさく検索し始める
頼もしい夫

最近
子供にばかり気をとられ
ちょっぴり霞んでいた
夫の魅力を
再発見したような
気分を味わう

どうやら接触の問題だとわかると
その探した情報をもとに
作業を始める

その背中が
ますます頼もしく見える

手間をかけて
電気がつくようになると
夫が謎の行動をとる

せっかくついた電球を
また外してしまった

え?と妻

そんな私に夫は
問題が本当に接触不良だったのか
古い電球をまたつけて
確かめるという

手間暇かけて
新しい電球を取り付けたあとでも
確かめたいことがあれば
実験のように試す姿勢

たまにしかお目にかかれない
研究者らしい夫の姿をみた気がする

2021年1日31日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



一緒に住み、小さな発見が重なると、それが結婚生活の重みになるのかもしれない





2021/01/30

仕事や学びの専門分野を変えてみた結果・研妻哲学383

自分の専門分野を自分で変える


挑戦の結果(私の場合)


大学を卒業したあと
新卒で入社してからは
転職をしても
ずっと同じ職種で働いていた

ところが
主婦になり
家庭の都合で退職

その後は
いろいろ手探り状態が続き

それまでの専門分野とは違う
新しい分野に興味を持ち

住まいが変わるタイミングで
新しい学びを始めることにした

そうして数年間
かつての専門分野から
あえて離れてみたのだけど

どうしても
最初のキャリアに
市場価値が引っ張られるようで
新しい分野ではなく
前の業界から度々声がかかった

とてもありがたいことなのに
あまり喜べない自分

そんな出来事が
何年か続いたあと
変化が起きた

新しい学びを続ける中で
新しく出会った海の向こうの人から
前の分野について
教えてほしいという声が
届いたのをきっかけに

前の業界で
まだ私に
できることがあるかもしれない
と、ふと前向きになれた

しばらく距離を
置いたのがよかったのか

もう一度
前の分野について
学びなおしてみよう
という気持ちが生まれた

2021年1日30日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



気持ちが追いつくまで、時間をかけてもいいかもしれない









2021/01/29

外国の方のお祝いで、はじめてオンラインお誕生会を開催・研妻哲学382

外国人女性研究者のお誕生会


初めてオンラインで実施


オンライン形式のお誕生会を
企画するのは
私にとってはじめての試み

どうしたものかと迷った結果

事前に(数週間前に)
ささやかなプレゼントを
郵送しておくことに

オンラインでつながっている時に
封をあけてもらう
という
とてもカジュアルなスタイル

母国を離れて
独身で仕事をしていると
自分の誕生日を
忘れてしまいがちだよね

という気持ちから
自然に生まれた
今回のオンラインお誕生会

お祝いする側も
ハッピーなひと時となった

2021年1日29日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



誰かを応援したり、お祝いしたりするのは、自分を元気づけるのかもしれない





2021/01/28

幼稚園の行事、2021年1月は直前で中止になるパターン・研妻哲学381

屋外のちょっとしたイベントも中止


2月の子供たちの楽しみも中止か延期


お正月が過ぎて
冬休みがあけ、
3学期が開始してから

予定されていた
幼稚園の行事が
直前で
中止になることが続いている

2020年の長い春休み以降、
12月に2学期が終了するまで
予め行事は中止されていて

そもそも予定表にも
記載がなかったのだけれど

2021年になってからは
一応、予定表に記載はするけども
直前で中止になる傾向にある

いち保護者の私に
内情はわからないし
それでいいと思っている

新型コロナに関する
さまざまな可能性を鑑みての
賢明な判断なのだと信じるだけ

園側の決断には
素直に従いたい

ただ
楽しみにしていた人たちの
気持ちの整理に
寄り添える人がいるのが
理想かもしれない

代わりになるような
保護者同士の憩いの場も限られる

2021年1月28日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



ほんの些細な優しいふるまいが、妙薬になるかもしれない





2021/01/27

宣言の延長の可能性について感じる事・研妻哲学380

緊急事態宣言が延長される可能性


覚悟はしていたつもり


前回の宣言と同様に
今回も延長になるんだろうな
くらいの
軽い覚悟はしていた

そうして実際に
延長論が強まりつつある

延長されてしまうと
さらに帰省できないと感じる

親も子も、
遠方にいる祖父母も
ストレスという一言では
表現しきれないくらい
かなり複雑な心境

それだけでなく
最近は自分を含め
周りの人も
その複雑な思いを
うまく隠して
普段通りの
挨拶を
かわしているようにも感じられる

2021年1月27日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



普段通りの中の、ほんの少しの違和感が本心かもしれない





2021/01/26

コロナ禍、帰省できない子育て主婦のとある1日(未就学児)・研妻哲学379

就学前の子供たちを育てる母の1日


家事、育児の毎日だけど


朝早く起きたら
ほんの少しだけ
ひとりの時間を確保

子供たちが起きる前に
お弁当作りと
朝食の準備

お弁当箱を包んだら
お箸やお椀、お皿を並べて
家族で食卓を囲む

下の子はまだ半分
夢の中にいるようだ

上の子が食べ終えたら
登園準備をするのだが
これがなかなか
思うように進まない

なんとか制服に着替えてもらい
身支度を整える

コロナ禍には欠かせない
水筒も用意

この頃には
遅く起きた下の子も
食事がおわるので
急いで身支度を済ませる

時間に余裕があれば
この辺で朝の
お勉強タイムを数分つくる

けれども
たいてい余裕はなく
食後のあと片付けは
中途半端になりがち

洗濯物を少し整理して

上の子を幼稚園に預けたら
残った家事を片付けて
食材の買い出しや公園へ出かける

用事を済ませ
家に着いたら
ホッとしたのもつかの間

幼稚園のお迎えは早い

あっという間に
上の子の帰宅時間になる

帰宅後も
子供たちの相手をしながら
夕食を準備したり

外遊びに付きあったり

習い事があれば
送迎が加わる

何かと慌ただしい

平日はほぼ
こんな感じで過ぎていく

ただただ過ぎていく

ちょっと立ち止まってみるかな

2021年1月26日、火曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



離れて身にしみる、身内の大切さ







2021/01/25

2021年1月も「残り1週間」と思えることは・研妻哲学378

1週間後の今日はもう2月


来週のことを考えられる余裕


子供たちが
今よりも幼い頃

毎日その日一日を
過ごすので精一杯だった頃

カレンダーや手帳を
眺めている余裕はなかった

「来週の今頃は
もう翌月なのね」なんて
思うゆとりはなかった

その頃に比べると
今はカレンダーの数字を
追っていられるだけの
余力が残っている
とも捉えられる

いずれ親元を巣立っていく
小さな子供たちを前に
今日も今できることに向き合う

2021年1月25日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



大人になっても日々の小さな成長を子供のように喜んでもいいかもしれない





2021/01/24

子供の送迎を夫と交代した週末・研妻哲学377

パパが子供の送り迎え


ママはゆっくり家事


今週末は初めて
夫が上の子の習い事の送り迎えをした

その間
下の子と私は
自宅でゆっくり

家事をしたり
遊んだり

結局あまり休めなかったけど
天気もわるかったので
体力的に助かった

次回もパパの送り迎えなるか?

期待しない生活に
そんな淡い思いがよぎる

2021年1月24日、日曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*




たまには交代もいいかもしれない





2021/01/23

奨学金の返済を抱えた研究者夫との結婚経緯・研妻哲学376

たんまり残る奨学金の返済を抱えた研究者夫


奨学金と博士と結婚生活


新婚当初

博士課程をおえたばかりの彼は
身に余るほどの
奨学金の返済を抱えていた

結婚するときに
気にならなかったわけではない

結果的に
必要以上に気にとめなかったので
結婚に至ったわけだけれども

たんまり残る奨学金よりも
個人的に大きな問題を
抱えていたのが
1番の大きな理由だと思う

人によっては
大したことのない話でも
まだ20代だった私にとっては
それまでの人生で
最も大きな悩みの種でもあった

当時は奨学金よりも
将来、地方で暮らしたいという
彼の強い要望に
完全に気をとられていた

首都圏出身の私にとって
地方のかなり
のんびりした田舎での生活は
想像するだけでも
ハードルが高く
親や友人にも心配される始末

この頃は正社員で働いていて
学生の夫に収入がないのは
あまり大きな問題ではなかったので

経済的な心配よりも
将来の生活拠点のことで
心が揺らいでいた

似たような境遇の先輩が別れた
という話を聞いたのも
影響していたかもしれない

そんな環境に置かれていたせいか
奨学金のことは
遠くかすれて見えた

別れるか、
結婚するか

以前にも書いたように
ギャンブルというと大袈裟に聞こえるけど
かけ事のような結婚だったと
我ながら思う

2021年1月23日、土曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*




問題は奨学金の返済額ではなく、受け止め方かもしれない







2021/01/22

帰国後、日本で初めての育児。その後の生活リズム・研妻哲学375

本帰国後、ようやく生活リズムをつかむ


子供の成長にあわせたライフスタイルを模索


ドタバタだった
乳幼児を連れての
海外から日本への引っ越し

帰国便では上空で
下の子をバシネットに寝かせ
親の足元に敷いたシートで
上の子が遊んでいたっけなー

と、遠い記憶となった今

やっと生活リズムがつかめてきた

それまでは
行き当たりばったりなところが
多い生活を送っていたけれど

最近はようやく
子供の送迎や移動の合間に
こなせる家事が把握できてきた

子供ではなく親の方が
送迎と宿題の対応に追われて
どうなることかと
思った時期もあるけれど

長い時間をかけて
やっと要領をつかむことができた

本当にやっと
やっとここまで来た

アクティブな周りのお母さん達が
すごいなーと思うばかりで
全然追いつけていないけれど

帰国後から子供たちも
少し成長して、
生活リズムが整った今

ほんの少しだけ
周りのお母さん達に
近づけたのかもしれない

2021年1月22日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



時間がかかっても、自分でつかむことに意味があるのかもしれない





2021/01/21

幼稚園の年中、ついにデジタル教材デビューした話・研妻哲学374

迷った末のデジタル教材


就学前の子供にはまだ早い?


コロナ禍で子供の教育も
オンライン化が進んでいるらしい

就学前のわが子には
まだピンとこない話題だけれど

子供自身がなぜか気に入っている
お勉強系の習い事で
デジタル教材を
活用した取り組みが始まった

その関係で
わが子もその教材を
利用するための権限が与えられ
めでたくデジタル教材デビュー!

今年は運動系の習い事を
新しく始めたので
親としては
このお勉強系の教室は
そろそろ卒業かなと思っていた

まさか、そんな気持ちをよまれたのか?

と、疑いたくなるようなタイミングでの
デジタル学習への誘導

子供本人は楽しく通っていて
全く辞める気はないし
デジタル教材にも興味津々

まだ就学前だし
視力も気になるし
ちょっと早いかなと迷ったものの

本人のやる気が
いつまで続くかわからないので

ひとまず家庭で
オンライン学習するための
環境を整えてみることにした

はてさて
利用するときの
家庭のルールはどうしよう

まずはそんなところから決めなくては

2021年1月21日、木曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



毎日が新しい1日なのだと、子供から教えられているのかもしれない







2021/01/20

地方の暮らし。前回の緊急事態宣言との違い・研妻哲学373

2020年春の緊急事態宣言との違い


幼稚園、図書館の状況など


前回の緊急事態宣言で
わが子の通う幼稚園は休園になり

その分
夏休みが一気に短縮されたが

今回、宣言がだされても
幼稚園に通うことができている

さまざまな行事は中止になったけれど
通えるだけありがたい

さらには
前回、宣言と共に
急に休館した図書館は今回
休むことなく開館している

休館しない代わりに
本の貸し出し期間を延長して
来館者数を減らす試みがなされている

近所では
居酒屋がランチタイムに
お弁当の販売を再開

時短営業に関する
様々な報道を目にしているせいか

お店の前を通るだけで
前回よりも複雑な気持ちになる

つい最近、下の子を連れて
買い出しのついでに
居酒屋弁当を実際に買ってみたら
なかなか美味しかった

公園の駐車場は
前回は閉鎖されたが
今回は閉鎖されないようだ

いずれにしても
子供たちは元気に遊ぶことができる

前回中止された乳幼児の健診も
今回は無事に実施された

マスク生活が日常になり
引出しの中のマスクの数が
いつの間にか増えた

買い物にいくと
見慣れないマスクケースや
マスク専用の洗濯ネットなど
やたらとマスク関連商品が
目につくようになった

2021年1月20日、水曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



マスク生活もそんなにわるくないかもしれない







2021/01/19

将来の転校に備えて、親の心構えを学ぶ・研妻哲学372

借りぐらし研究者パパ


子供の転校に備えるママ


いつになるかはわからないけど
いつかやって来る

転校する日

卒業や入学のタイミングに
引っ越しがうまくあえばいいけど
そうなる保証はどこにもない
借りぐらしの研究者パパ

そんなパパについて行くママは
はやくも転校の日に向けて
心構えを学ぼうかと思いつく

そうして調べていくと
小学生くらいの子供が
新しい学校で馴染むには

こぎれいさ

これが大事らしいとわかった

大人になっても
身だしなみは大切だと言うけれど
子供の世界にも
通用するそうだ

もともと身なりに無頓着なママは
ここで気を引き締めた

わが子のためにも
もっと身だしなみに
気を遣わなくては

まずはそんな心構えを学んだ

そして次に気になるのは
学業

子供の勉強に対する
子供自身のある種の「想い」が
成績にも関係するらしいと
教育心理学の研究から
言われているそうだ

わが子が転校先で
お友達関係に時間をうんとさけるよう
勉強面は予め伸ばしてあげたい
気持ちがある

そのため
子供が勉学に対して
前向きな気持ちを持てるように
親として励ますこと

それが今からでもできる
転校準備かもしれない

2021年1月19日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



転校する子供の身だしなみを整え、励ますことが大事らしい



2021/01/18

家庭で子供のキャリア教育?健診で仕事を学ぶ・研妻哲学371

下の子の乳幼児健診に同行した上の子


健診に関わる職業を学ぶ


前回の緊急事態宣言で
前回の乳幼児健診が
中止になっていた下の子

今回も
もしかして中止?
と、思ったけれど

中止の連絡もなく
実施されることになった

ただ
実施時間が
ちょうど上の子の
送迎の時間と重なるのが問題

悩んだ結果
上の子を連れて行くことにした

どんな職業があるのか
この際、学んでもらおう
というのが理由

医者、保健師、栄養士など

健診に関わる人の職業を
子供が知る良い機会になればと思い
送迎時間を調整して
当日、一緒に会場へ向かった

その際
「家に帰ったら
学んだお仕事で
ごっこ遊びをしようね」
という約束をした

実際の健診は
流れ作業で
スタッフは自己紹介などしないので

たぶんこの人は保健師で
あの白衣を着た人は医者で
といったように
ざっくりとしか
把握できなかったけれど

どんな職業が現在あるのかも
よくわからない子供にとって
ちょっとした
キャリア教育になったかもしれない

2021年1月18日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*




長距離走の育児、たまには自己満足もいいかもしれない










2021/01/17

子供の連絡帳から未来が消え、過去の記録ノートになった話・研妻哲学370

幼稚園や習い事の連絡帳


就学前の子を持つ親が、先生とやりとりするノートの話


新型コロナが騒がれる前

園児のわが子が接する先生と
連絡帳を通して
やりとるするとき

親側から書くことは
普段はあまりないのだけれど

たとえば下の子の健康診断が
上の子のお迎え時間と重なる場合

事前に先生に相談したうえで
決まったお迎え時間を
連絡帳にメモして共有するような
ことがあった

保護者側から記入するのは
わが家の場合
そういった場面くらい

そのような親発信の場合、
子供の先生とやりとりする連絡帳は
そんな未来の約束事とも呼べる予定を
お互い把握しておくものだった

それが普通だった

ところが今年は
もう予定は予定でしかないことを
痛いくらい
よくわかっているし

予定が直前まで
確定しないこともある

そのため
未来の約束事は
口頭でのやりとりに
とどまることになった

というのも
前回、下の子の健康診断は
緊急事態宣言が出された影響で
中止になっており

今回もまた
緊急事態宣言がでたことにより
直前まで予定が確定しない

連絡帳はもっぱら
先生による子供の様子を
記録した内容に変わった

つまり
わが子の連絡帳から
未来の予定についての
やりとりがなくなり、
過去の記録専用ノートとなった

2021年1月17日、日曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*




人の役割も変わっていくのだろう







2021/01/16

自粛生活は「老後の準備」と位置づけられる話・研妻哲学369

自粛生活中にできること


肩書きから離れる練習に最適


現在、働き盛りの世代にとって
自粛生活は前途多難

それでも時間は過ぎていく

どうせ過ぎるのなら
何か新しい視点から
取り組んでみるのもわるくない

もしもそんなゆとりが持てたなら

たとえば
「老後の準備」

経済的な準備が
全てではない 

老後に
最も大きな変化を迎えるのは
おそらく心境

心の動き

多くの場合
仕事をしていた人は
職業人としての肩書を失い

改めて
自分自身の価値が
問われることになる

本当の人間力が露呈される

どこかに属して生きてきた人は
どこにも属さない生き方を模索する

そのときに戸惑う人が多いことは
特に若い世代において
あまり知られていない

どこかの名誉会長とか
どこぞの名誉教授とか
もう生涯現役を宣言してるとか

この話の限りではない方もいるけれど

ひとまずはそんなわけで
自粛生活は
現役世代の肩書や組織から
いったん距離を置き
身一つの自分を
客観的に見る良い機会と
捉えてみるのもいいかもしれない

20代で
定年退職後の生活を
疑似体験した私としては
何者でもない自分を
受け入れる練習は
しておいても損はないと思う

2021年1月16日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



何者でもない自分を受け入れるのは、思ったより時間がかかるかもしれない






2021/01/15

研究者パパ「自分の子供は研究者にならなくていい」の巻・研妻哲学368

研究者夫の育児観


自分の子供に研究者の道を勧めない理由


医者の子供が
医者の道へ進むのは
わりとよく聞く話

研究者の子供が
研究の道に進むのも
全くないわけではない

母数は少ないが
その場合
たいていの子供は
親とは違う専門分野を選ぶ

有名な海外の学者(フロイト)は
子供も同じ道に進んだが
彼らのように
親子で同じ分野を研究することは
大変珍しい

そんな現実はさておき
「親子で同じ道もいいんじゃない?」
と、冗談を交えて夫に言ったことがある

すると
わが家の研究者パパは、
本人が望めばその限りではないと
前置きがつくかたちで
「それは勧めない」
という回答だった

理由は一目瞭然

このブログを最初の頃から
読んでくださっている方は
既にご承知の通り

研究者の道のりは
非常に険しい茨の道

進んだ先で
トゲが刺さり、そのまま
何年か過ごすこともある

そんなパパ自身の
海外での苦労を思い返すと
わが子に簡単には
すすめる気になれないようだ

帯同する家族として
ずっと見てきた立場上
その気持ちは
よく理解できているはず

私としても
「子供の人生は子供のもの。
応援はしても、介入はしない」と
心掛けている手前

わが子に「研究者になれ」とは言わない

そんなふうには言わないけれど
実際は笑いながら軽いノリで
似たような道もいいかもねー
くらいのことを言ったかもしれない

2021年1月15日、金曜日の記録


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



就学前の子供が将来どんな道を志すのか、今は親の「わくわくタイム」として楽しむのがいいのかもしれない






2021/01/14

海外での帯同生活とコロナ禍の自粛生活、その共通点(個人的な話)・研妻哲学367

海外帯同生活と自粛生活が似ている


新型コロナ時代と海外帯同の共通点


研究者夫の仕事が
海外に決まった数年前から
現在に至るまで

私個人の生活は
さほど変わっていない点がある

帯同生活といっても
よく耳にする
駐在の方々とは若干立場が異なる

語弊があるかもしれないが
仮に経済的にも
駐在が華やかなイメージだとすると
研究者の海外移住は
かなり地味な部類に入ると思う

という前置きが醸し出す通り
ここから先は
ヨーロッパの冬の空のように
どこか薄暗い雰囲気の中で
読んでもらえると
より一層伝わるものがあるかもしれない

要するに言いたいことは、
生活環境(住む国)は
大きく変わっても
中身(暮らし)はさほど
変わっていないのではないかという事

新型コロナの感染拡大が
はじまる前から

海外で
帯同生活していた時期から

そもそも
日本の家族や友達には
会いたくても会えない

祖父母に会うのも
年に1回会えれば
かなりいい方

それまで就いていた仕事は手放し

正規雇用の仕事は諦めた

妊娠・出産の数年間は
遠出を我慢

医療機関を受診するときは
目に見えない壁がたくさんあり

交友関係がごく限られた生活

こういった点だけに目を向ければ
個人的な私生活は
大きくは変わっていないようにも
捉えられる

そのため
海外で私が経験した帯同生活と
コロナ禍の自粛生活は
似ているように感じられなくもない

もちろん
私とは状況が異なる方もいる

もちろん
新型コロナの
人の生死が関わる点は
大きな違いだ

今回の着眼点はそこではなく
視点をかなり低くした

あくまでも
私個人の生活において

かつ
その私生活の
帯同生活と自粛生活において

似ているところを
いくつか発見しただけ
という話

これまでは
「海外生活どうでした?」
と、聞かれると

「つらい」の一言で
返していたけれど

その辛さがどんな辛さか
さらにもう一言加えて
説明できるようになった

ちなみに
いま現在まで
その辛さが
続いているのかと問われたら
そういうわけでもない

今後はわからないけれど

新型コロナが始まる前から
既に自粛生活に近い
暮らしぶりだったので
単純に慣れてしまったのと

遠い昔に
一通り打ちひしがれ
自分なりの打開策を
手に入れていたからだと思う

首都圏に続き
緊急宣言がだされた

2021年1月14日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



今度、「海外生活どうでした?」と聞かれたら、「自粛生活のようでした」と、答えればいいのかもしれない



(新しい共通言語を手に入れた気がする)




2021/01/13

地方のショッピングモール内アパレル店のセールに驚いた話・研妻哲学366

久しぶりに訪れた商業施設


私たち親子を驚かせた光景


氷点下になり
寒い日が続く

子供の防寒具を
買い足すため

家からアクセスしやすい
ショッピングモールを
訪れたときのこと

見慣れたフロアが目に入り

この先を進めば
お目当てのお店に着くはずだ
という気持ちで

冬のセール中のお店を
いくつか通りすぎる

すると

右のお店も、左のお店も
赤い背景に白い文字で
こちらに何か
うったえているのがわかる

ところが
以前のように
活気に満ちた
「いらっしゃいませ」という声は
聞こえてこない

それでも歩いていくと

ふと
あることに気づく

どうやら
ただのセールではなさそうだ

セールと書かれたの旗を
よくみると

売りつくしセール
と、書かれている

さらにその前に
気になる漢字の2文字があった

あっちも
こっちも

「閉店」の文字

閉店、売りつくしセール

その多さに驚く

中には

完全の文字までもが
目に飛び込んでくる

完全閉店

目に映る日常の景色が
どんどん変わっていく

2021年1月13日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



新型コロナの感染拡大と、元気を願う相手の数は比例するのかもしれない






2021/01/12

コロナ禍の子育て主婦が1年365日、毎日ブログを更新して得たもの・研妻哲学365

30代子育てママがスキマ時間で毎日ブログ更新


365日目を迎えた日の気持ち



今日はこれを書き続けて365日目

1年経った記念に
この365日の間に訪れた
小さな変化について
触れていきたい

これまでも
節目となるタイミングで
振り返ってきた

前半は
コロナ禍という非常時に
心の安定を得たり

後半は
仲間が見つかったりした

そうして1年が経ち
小さな新しい発見があった

もともと文章を書くことは
得意でもなんでもない

それでも、
下手な文章でも

毎日コツコツ書き続けていくと

読んでくれた相手に
何かしら伝わるようになるらしい
ということを
リアルに実感する出来事があった

たとえば
保護者として子供の連絡帳などに
メッセージを書く場面で

以前よりも
わりとスラスラと
伝えたいことが
書けるようになっているようで

それを読んだ先生側から
感謝の言葉をいただくといった
嬉しいことがあった

そんな出来事に出会えたのはきっと
この1年間があったおかげ

そんなふうに
自分の小さな成長を
素直に嬉しく
受け止めてみることにした

365日前には
考えられなかったけれど、

新型コロナの感染拡大は
今こうして書いている間も続いている

生活全体が
見えない敵に
支配されていくような情報の数々

そんなニュースに囲まれつつも
小さな幸せを喜ぶ思考までは
ウイルスに
もっていかれませんように

2021年1月12日、火曜日の記録


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


思考や感覚は、その人だけのものかもしれない







2021/01/11

地方住まい、幼児の習い事事情(コロナ時代の2021年、年初め)・研妻哲学364

子供の新しい習い事


週末はかなり人気の水泳教室


首都圏に緊急事態宣言が再発令され
他の都道府県の追加も
検討されているとか

地方にいても
自粛生活に
さらなる自粛思考が続く日々

遠出は思うようにできない

祖父母にも
なかなか会えない

けれども
子供は元気いっぱい

そんな事情が後押ししてか

今年から新しく通い始めた
水泳教室が
小学生くらいの子供たちに
かなりの人気

週末だったせいもあるのだろう

保護者の人数も多く
正直驚いた

通う曜日を再検討したい

2021年1月11日(成人の日)、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



さらなる自粛生活で、新しい集団がつくられるかもしれない






2021/01/10

研究者を支える「研妻会」でオンライン新年会開催。主婦の私の朝活・研妻哲学363

研妻会のオンライン新年会


早朝5時すぎに開始し6時頃に終了


昨年11月に続き
今年初めてとなる研妻会を実施

自宅からオンラインで繋がり
久しぶりのおしゃべり

生活環境がガラッと変わった方も
早朝から自分の時間を大切にしている方も
早起きしてくださり
実現したオンライン新年会

話題は
育児から
限られたひとりの時間に
取り組んでいることまで

小一時間があっという間

遠くに住んでいる人と話す機会は
新しい視点を取り入れる
とても貴重な時間

家庭優先の会なので
日々の生活に支障をきたさない程度に
こういった場を大事にしていきたい

2021年1月10日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



研妻会では、人生を彩る貢献感や所属感に触れることを大切にしたいもの





2021/01/09

園児に国語辞典とふせんを買い与え、親子で調べ学習開始・研妻哲学362

子供に言葉の意味を質問されても説明に困る


幼児と辞書で調べることにした話


先日、地球の環境問題について
学べる施設を訪れたときも
子供の知らない言葉が
たくさんでてきた

普段の生活でも
「これどういう意味?」と
よく聞かれる

以前は適当に
知っている範囲で説明していたけれど

早くも?
説明に困るようになってきたので
思いきって
子供用に辞書を買うことにした

今回、はじめての国語辞典

幼児向け

ということで
オールカラーを探した

たまたま近所の個人書店から
ポイント2倍のお知らせが
届いていたので
子供たちを連れて立ち寄った

すると
棚に1冊だけ
全てカラーの国語辞典が残されていた

数年前の
ちょっと古い辞書だけれど

最近はオールカラーの国語辞典を
入荷していないと言っていたので
最新版ではないものを購入

帰宅後
早速ひらいてみると、
小学校で学ぶ漢字の一覧表や
子供向け辞書の使い方などが
紹介された冊子が付録としてついていて

なかなか良い買い物をした気分

辞書をひくのは
まだ子供ひとりではできないので
親の私は隣で
お目当ての言葉に導く役目

見つけたら
子供は好きな付箋を貼ることができる

貼るのが好きなので
結構ノリノリ

調べた言葉の意味を読み上げるのは
私がしているが
そのうち子供自身で
読んでもらいたい気持ちがある

2021年1月9日、土曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*




「デジタル学習だけ」あるいは「アナログ学習だけ」と、決めなくていいのかもしれない








2021/01/08

緊急事態が解除されたら、孫の顔を見せに帰省したい話・研妻哲学361

首都圏に再び緊急事態宣言


落ち着いたら実家の祖父母を孫と訪れたい


実家のある首都圏に
再び緊急事態宣言が出されることになった

1年以上
帰省できていないので

そろそろ孫を連れて訪れたいところ

そんなタイミングで再び続く
帰省自粛に
外出自粛に
時短営業

マスクで口元を隠して
外を歩く人は
なんてことない顔つきに見える

けれども実際は
さまざまな感情が渦巻いている

2021年1月8日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



緊急事態宣言の発令で試されるのは、人の倫理観かもしれない






2021/01/07

幼児とステイホームを楽しむ、水鉄砲の計算ゲームとパズル遊び・研妻哲学360

首都圏の緊急事態宣言が決まるとされる日


わが家のステイホーム遊び


引っ越しを繰り返していると
前の家にはあったオモチャが
今の家にないことも多い

わが家の場合
それは水鉄砲

今の家に住むようになってからは
初めてとなる水鉄砲を
たまたま100円ショップで見つけて
買うことにした

ちなみにドイツで水鉄砲が
3個で100円で売られているのは
見たことがない

日本の物価というか
100円ショップの凄さを感じた

その晩

子供たちと早速
お風呂で遊び始める

的は私

両方向から水がとんでくる

お腹も背中もくすぐったい

慌てて的の代替案を提案することにした

お風呂のタイルに貼ることのできる
かけ算シートを
湯船の置かれていない方の
壁に貼って準備完了

私が言う数字を
水鉄砲で狙うゲームにした

下の子はそれで良かった

上の子は物足りない様子

そこで
たし算と引き算の
簡単な問題をだして計算させるという
ワンステップを急いで追加

答えを水鉄砲で当てるゲームにした

子供でもわりと
達成感が味わえるようで
思った以上に夢中になっていた

お風呂上がりには
子供の歯科検診の帰りに
立ち寄った書店で購入した
パズルにしばらく没頭

わが家に新しく加わった
ステイホーム遊びのメモとして

2021年1月7日、木曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



子供の相手をするのは、どこまでも続く線路のように先が見えないけれど、それがいいのかもしれない








2021/01/06

わが家のお正月休みの過ごし方。地球環境やSDGsを親子で学んだ日・研妻哲学359

子供たちと地球の資源を考えた日


幼児にも容赦なく難易度の高い質問をされる


2021年の年明け

お正月休み

冬休み最終日

夫の仕事始めの前日

家族で近場におでかけした帰り道

地球環境やSDGsについて
学べる施設を訪れてみた

限られた資源、エネルギーについて
子供も大人も学べる場所

小学生になると
学校の行事でここに来館することは
後になってから知った

この施設の存在は
以前から知っていたけれど
実際に足を運ぶのは
この日が初めて

閑散としたエントランスを抜けると
子供たちが
すぐ近くの展示物に
駆け寄った

初めて見る展示物を前に
子供にどう教えていいのか
モタつく私たち夫婦

すると
そんな様子をみかねた
館内の淑女スタッフが
私たち家族に
優しく声をかけてくれた

初めての来館だと伝えると
館内を一通り案内してくれることに

最初はあまり
乗り気でなかった上の子も
案内のおかげで
次第に楽しいと言うようになった

丁寧に説明を受けたあと

最後にスタンプラリーの用紙を
専属スタッフに渡す際

地球の資源に関する
クイズが出題された

それが大人でも難しい
難易度高めの問題だった

それでも
幼児に容赦ないスタッフ

よく理解できずに
立ちすくむわが子

そんな様子の子供に対し
さらに詳細を
丁寧に説明してくれるスタッフ

大変ありがたいことに
専門的な言葉もバシバシ使って
真面目に質問内容について
細かく説明してくれた

こんなふうに地球資源、
特に水が大事だと
学んできたのに

帰宅後のキッチンで
夕食の準備中

うっかり

沸騰したお湯が腕にハネて
慌てて冷水を
かけ流した自分を恥じた日を振り返る

2021年1月6日、水曜日の記録



(日本の時事メモ)
首都圏に緊急事態宣言が
再び出されると言われている前日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



大人が子供扱いせず、真剣に伝える姿勢が大事なのかもしれない








2021/01/05

日本とドイツ、博士号の捉え方。アジア人の距離の取り方を考える・研妻哲学358

日独、博士号取得の人との距離の取り方


書き言葉と話し言葉で異なる関係


ドイツではメールの署名や
封書の宛名だけでなく
家の表札にまで
Dr.やMedといった
学歴や医者である事がわかる肩書きを
名前の頭に記載する人が多い

メールの署名を見ただけで
その人が博士号を取得しているのか
修士の人なのか
学部であれば
どんな分野の学部を卒業したのかが
ひと目でわかるようにしておくよう
上司から指示されることもある

そんな外的要因を並べると
学歴社会なのか?
人との距離の取り方に厳しいのか?
と思いきや

実際に人と対面する際には
そういった肩書きの違いによる
距離を感じることは
ほとんどない

それは外国人としてドイツに滞在する
日本人の私にとって
最初は戸惑いつつも
だんだん心地の良いものに
変わっていった

ちなみにドイツ語には
日本語の敬語にあたるような
非常に丁寧な言い回しが存在する

これは日本以外の国において
とても珍しいこと

たいていは
丁寧語はあっても
敬語がない場合がほとんどである中

ドイツ語には
敬意を表す表現が数多くある

日本と同様に敬語を使うドイツ

よく日本人の気質と
ドイツ人の気質が似ている
といわれるが、その背景は
歴史的な部分以外にも
そういったところに
隠されているように感じる

ところが、
似ている点がある一方で
全然違う部分がある

それは
先生を先生と呼ばないところ

そして
上司を呼び捨てにするところ

たとえば
夫がドイツの研究室で
働いていた時
上司のことは呼び捨てだった

周りの同僚も同じように
目上の人を呼び捨てる

仕事の相談をしたいとき、
上司に話しかけるときに
敬称をつける人はいない

英語圏もそうかもしれない

私が一時通った大学の語学コースでは
教授を先生と呼ぶ代わりに
日本語の「さん付け」にあたる
呼び方が使われていたけれど

後に夫の研究室付属の
ドイツ語コースに転校したとき
博士号を持っているドイツ語の先生は
呼び捨てで呼ばれていたので
私も同じように呼び捨てで
会話させてもらった

このように
書き言葉では厳密に違いがわかるのに
話し言葉になると違いが隠れる

話しているだけでは
全然わからないので
書けるときにはきちんと書いておく

そんな流れや気持ちが
署名や表札に
あらわれているのではないかと
個人的に感じるものがある

例外として補足すると
ドイツ人同士だともっと厳しく
敬語か丁寧語かタメ語か
どれを使うか迷う場面に
たくさん遭遇するらしいけれど
日本人という外国人の私に
厳密な違いを求めてくる人はいなかった

ちなみに冒頭で書いた
家の表札に肩書きをつける人は
博士号か医者の人しか
まだ見たことがないけれど

表札に含めるほど
ドイツでは博士やドクターを持っていると
インパクトが強い

ポスドクをしてから
普通に企業に就職するのは
日本よりも一般的だという印象を受ける

さらに視点を移動させると
アジアの中でも日本語は
そういった面では距離をとりやすい
言語だともいえる

中国語や韓国語には
親しくなった家族以外の人を
家族であるかのように呼ぶ
呼び名がたくさんあり
敬語がない分
距離を縮めやすい言語だとも
捉えられるからだ

こんなふうに早朝から
言語の違いによる
人との距離について考えてみた

2021年1月5日、火曜日の記録



(時事メモ)
首都圏にまた緊急事態宣言がだされるかもしれない



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



言語的・文化的違いがある人を、根っこから理解しようとしたら、相手の言語について学ばないとならないのかもしれない



言語や文化が異なる相手を、理解したと思うのは勘違いである場合が多いのかもしれない





2021/01/04

21世紀初頭の任期付き研究者夫との結婚生活を味わいたい話・研妻哲学357

21世紀初頭に出会い、結婚した研妻の話


思い出深い、21世紀初頭の記録


まだ帰国できるかわからない時期に
開始したこのブログ

いつの間にか帰国できることになり
今は日本のデスクで書いていることに
自分でも驚くくらい
時の早さを感じる

数年前までは
家を一歩でれば
日本語が通じない環境で書いていた

それが一変

使っているデスクも
部屋の壁も
コンセントの形も
窓から見える景色も
外を歩く人の言語も
天候までもが
ガラッと変わった

常に変化する環境に身を置きつつも
芯の変わらない私

そのコントラストも変化していく中

こうして日本で
生活できるようになるまで
本当に様々な経験をした

けれども
過ぎてしまえば
何もなかったかのようにも感じられる

そのくらい
あっという間

たくさんの事があったけれど
何もなかったことになるような
そんな感覚

21世紀初頭は、
研究者になる前の夫に出会い
研究者の卵だった夫と結婚し
研究者になった夫と家庭を築いた

私にとって大切な時代

自分たちで選んだ
結婚の道を味わい尽くす時代

大変でつらいことを受け流し、
家族との時間を過ごす様子が
まだ見ぬ誰かのこころに
通じるものがあるかもしれない

もしかしたら
22世紀を生きる人にまで
届く何かがあるかもしれないし
ないかもしれない

そんな可能性の中を生きる

2021年1月4日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



遠い未来を見つめながら、今を楽しめるかもしれない




2021/01/03

年末年始もオンライン帰省。プログラミング遊びで年賀カード作り・研妻哲学356

オンライン帰省と、わが家の新しいご挨拶の話


子供のプログラミング遊びでお年賀カード作成


昨年のお盆に引き続き
年末年始もオンライン帰省となった

オンライン帰省と呼ぶと
少し特別に聞こえるが
普段から電話で
孫の顔をみせているので
日常の延長ともいえる

ちょっと変えたところは
子供と小さな新しい挑戦をしたところ

年始は昨年までと違い
子供が作った
簡単なプログラミング作品を
お年賀のメッセージカード代わりに
してみることにした

私たち親子にとっては
初の試み

年末のまったりしていた時期

自転車の補助輪を外す練習に加えて
再び幼児向けプログラミングで遊んだ

上の子が好きなキャラクターを選び
動きをつけて、写真を取り込み
あけましておめでとうの文言を入れて
メッセージカードとして作成し
撮影した動画を保存

年明けに
祖父母に送ることにした

スクラッチジュニアで作った作品を
共有する1番簡単な方法
個人的には、スマホで
直接撮影してしまうことだと思っている

操作画面からそのまま共有しようと思うと
受け取る側の相手も
スクラッチジュニアを
インストールしておく必要があるけれど

スマホで撮影してしまえば
相手側の準備はいらない

スマホ撮影にも2種類あり
画面を直接カメラ撮影する方法と

レコード機能や
レコードアプリを使う方法

今回私たちは後者を選び
スマホに入っている
レコード機能付きのアプリを通して
作ったカードの動きを録画撮影した

録画ボタンを押して開始し
スクラッチジュニアのスタートボタンを押し
終了するときには停止ボタンを押す

すると
どうしても動作の前後に
変な間ができるが
それが気になる場合は
動画編集でトリミングすることもできる

親のサポートよりも
子供のやる気が1番の要になる

2021年1月3日、日曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



小さな子供の、小さな挑戦も応援したい





2021/01/02

研究者夫の幼少期から、わが家の幼児教育を考えたい話・研妻哲学355

未就学児のわが子の教育環境を考える


参考にするのは研究者夫の幼い頃の経験?


今年はより一層
家族に重きを置く年にしたいと
現時点ではそう感じている

特に就学前の子供との時間を
大事にしたいと思うようになった

ということで
お正月早々、頭の中は
子供のことでいっぱい

いやがられない程度に
バランスもみながら
一緒に学んでいきたいところ

そんなわけで
幼児教育と呼ぶほど
きちんとしたものではないが
子供の成長に合わせた
教育にも関心がないとは言い切れない

そこで参考にしたいのは
一応、博士号を取得している夫

ところが彼の場合
(世代的にも?)
いわゆる幼児教育というものを
受けていない

田舎でのびのび育ったので
家の庭や近所で
遊んでばかりだったらしい

もーう

丑年だからではなく
そんな言葉しかでてこない

ある程度はドリルのようなものを
やっていた記憶があるようだけれど

夫の幼少期から学べることは
遊んでばかりでも
どうやら研究者になれるらしい
ということ

自然豊かな環境での
様々な経験を持つ夫

おそらく
その自然が
先生の役割も果たしていたのだろう

さらには親だけでなく
祖父母に加えて
近所に住む親戚といった
大勢の人に囲まれた
地元のコミュニティの中で
育ったことも大きく影響しているはず

そうして色々思いを巡らせていくと
研究者に限らず
周りの優秀な方々の幼少期が
少し気になり始める

それらを知ることは
わが子が研究者になってもならなくても
子育てに役立つような気がする

2021年1月2日、土曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



幼少期の「のびのび遊び」は教育の一部かもしれない







2021/01/01

2021年元旦に新年の抱負と、研究者夫と子供との贅沢を考える・研妻哲学354

子供との贅沢な時間を意識する2021年


新年の抱負について


このブログを
毎日更新するようになってから
もうすぐ1年が経ち
2年目に入る今年

私の生活環境を大きく変えて
価値観も変えていった夫とは
出会って14年目に入る今年

夫婦と子供で
のんびり迎えた
日本のお正月

いつもなら
というか、昨年までは
お正月といえば
新年の抱負を考えていたのだけれど

どうも今年はそんな気分とは
ちょっと違う

将来のことは
いま考えてもわからないことが多い

2021年の元日に感じることは、
様々な前提を取り除いて
ただ毎日を大切に
子供に寄り添っていきたい

そんな気持ち

これが新年の抱負と言えば
それに当たるかもしれない

それに夫の仕事は
次いつどこで見つかるかわからない

環境が変わっても
その環境が許す限り
子供との時間を
夫と楽しみたい

それが就学前の子供と過ごす
家族の贅沢な時間になると信じる

2021年1月1日、金曜日、元日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



贅沢の捉え方が変わってきたのかもしれない








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