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2020/10/31

小児科で大人も一緒にインフルエンザ予防接種・研妻哲学292

子供のインフルエンザ予防接種


母親も小児科で同時接種


いつもお世話になっている
かかりつけの小児科で
子供と一緒に
インフルエンザの予防接種をうけた

毎年打っているわけではないけれど
今年は打つことにしたわが家

夫は職場で来月うける予定なので
一緒に接種はしない

注射が怖くて
大泣きする子供たちのお世話をするために
付き添ってもらった

大人の私は1回で済むけれど
子供は2回うたなければならない

もうすぐ2回目の接種が近づく

2020年10月31日、土曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



打つか打たないか、毎年価値観が問われるインフルエンザの予防接種








2020/10/30

乳幼児とのお出かけは予測不能と不確実性に溢れている・研妻哲学291

予測不能な子供の言動


数分後は不確実の領域


幼い子供を育てている多くの人が
実感するように
子育ては思うようには
なかなかいかない

特に子供を連れてお出かけとなると
一筋縄ではいかない

つい先日も
そんな予測不可能な不確実性にあふれる
お出かけをしてきた

久しぶりに隣の県まで
電車に乗ってお出かけをする日

目的地の駅に着く前に
電車を降りることになり
結局、目的地までたどり着かなかった

最終的には
目的地を変更して
そもそものお出かけの目的も
根こそぎ変えて帰宅した

2020年10月30日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



なにかと予測不可能で不確実な子連れ外出






2020/10/29

帰国後、子供の外国語力がぐんと低下。残る物は?・研妻哲学290

幼い子供の外国語力


覚えた現地の言葉はほぼ忘れてしまった


日本に帰国して、
日本での生活が落ち着いてくると
子供が現地で培った、現地語での
コミュニケーション力が低下してきた

今となっては
どっぷり浸かったドイツ語も
ほとんど抜けてしまった様子

ところが
どうやら
外国語の単語は忘れてしまっても
外国語を使う楽しさといった心は
まだ覚えているようにみえる

この間、珍しく英語の先生が
幼稚園に遊びに来るイベントがあったとき
(めったに来ないのだけれど)

その英語の先生と
おしゃべりするのが楽しかったと
帰宅後にいろいろと話してくれた

日本語もわかる先生だったから
意思疎通は問題がなかったようで
教わった単語を使って
コミュニケーションをとる喜びは
帰国後も、
まだどこかに残っているのではないかと思う

2020年10月29日、木曜日の記録




 *淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



忘れたら、また学べばいい





2020/10/28

医者が女性だと診察で泣かない、わが子の場合・研妻哲学289

診てくれるお医者さんで態度が変わるわが子


女性医師と男性医師の違い


今はすっかりよくなり
病院に行く必要もなくなったけれど
子供が転んだときの傷の消毒に
何回か病院を訪れたときのこと

最初に診てくれたのは
男性医師だった

このときは
消毒だけでも
泣き叫んで大変だった

ところが
次に女性医師が担当になると
わが子の様子が一変

急に従順な子犬のようになり
医者にも「おとなしくて泣かないね」
なんて言われるほど
体をそらして抵抗する気配さえ消えていた

男性医師のときは
新たに看護師を呼ばないとならないくらい
嫌がって抵抗していたのが嘘のよう

女性医師のありがたみを実感した

2020年10月28日、水曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*




子育ては発見の連続かもしれない








2020/10/27

引っ越し後の楽しみは、新しい道を歩くこと・研妻哲学288

最近発見した新しい道


子供との散歩コース


つい先日、子供と散歩をしていて
「あれ?この道はどこへ繋がっているのだろう?」
と気になる小道を発見

もともと海外に住んでいたときも
新しい土地で偶然出会った美しい小道に
「素敵な小道」という名前を勝手につけて
親しみを込めて子供と歩いていた

そういう新しく素敵な小さな道を
見つけるのは、引っ越し後の楽しみでもあった

そんなことをすっかり忘れていた矢先
またふと、偶然発見した日本の田舎の小道

見つけたけれど、
実際に本当に通っていいのかわからない

念のため子供の通っている幼稚園の先生に
確認をとることにした

すると、その先生も知らなかったけれど
他の先生に聞いてくださり
後日、一般の人も歩いて問題がない道だとわかった

という背景があり
最近の散歩コースに新しい小道が加わった

2020年10月27日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



新しい道を見つけて歩く喜びが、原動力になっているのかもしれない





2020/10/26

午後5時の変化。結婚前と出産後で捉え方が大きく変化・研妻哲学287

独身と既婚、子供をもつと変化すること


夕方5時の捉え方


まだ20代で企業に勤めていたときは
夕方5時でも
「まだまだこれから感」が強く、忙しかった

「今日は残業かな」とか
「会議に遅れちゃう」とか

珍しく定時で帰れる日には
「夕食をどこに食べに行こうかな」とか

まだまだ一日の終わりを
遠くに感じていた

ところが最近では
夕方5時になると
「もうすぐ一日が終わりますよ」という
横断幕が掲げられ、その声援をうけて全力投球

夕食の準備をして
子供たちをお風呂に入れて
食事から就寝前の歯磨きまで
慌ただしく過ぎていく

同じ時刻なのに
今と昔で全然違う

2020年10月26日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



夕方5時に平穏が訪れるようになったら、今この瞬間を懐かしく思うのかもしれない






2020/10/25

祖父母の近くに引っ越したいと思う瞬間・研妻哲学286

実家が遠方のわが家の子育て


身内が近くにいない生活が続く


現在住んでいるところは
両方の実家から離れていて
移動には新幹線か飛行機が必要になる

小さい子供がいると
働きたくても躊躇せざるをえない

急な発熱に病児保育という
対応策はあるものの
利用するにはそれなりに勇気がいる

私達夫婦はふたりとも
子供の頃は祖父母と一緒に暮らしていた

その経験から
自分の子供達にも、祖父母との
あたたかいコミュニケーションを
たくさん味わってほしいという気持ちがある

それに加えて
最近はちょっとした瞬間に
周りの人の祖父母の話が
聞こえてくるようになった

子沢山のお母さんがバリバリ働ける裏に
祖父母の助けがあったり
幼稚園がおわったあと
夕食を作っているときに子供達の
遊びの相手を祖父母がしてくれたり

一緒に住んでいなくても
せめて飛行機や新幹線を利用しないで
会える距離だったらなと思いつつ

いざ理想の環境が実現したら
きっとまた新しい理想がうかんでくるもの

複数の生活スタイルを妄想する
2020年10月25日、日曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



ライフスタイル選びに正解はなく、選択肢はひとつとは限らないのだろう









2020/10/24

日本に住む外国出身の家族に関する相談事・研妻哲学285

たまに届く相談事


日本に住む予定の外国の人を奥様に持つ旦那様とその家族


国をまたぐ家族の相談事は
多岐にわたる

母国から娘や息子を送り出す
家族の心配

母国から遠く離れた日本で働く
外国の人の抱える家族の問題

家族のかたちが変わるときの
新しい悩みなど

そんな様々なストーリーに
寄り添えるようになったのは
海外生活のおかげだとも言える

自分の経験した苦労が
誰かの役に立つことがあることを実感した

2020年10月24日、土曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



どうやら苦労は、自分のためのものだけではないようだ







2020/10/23

「海外に住んでいた」事実が生む誤解・研妻哲学284

帰国後に誤解されがちなこと


海外生活の正しい理解について


日本に帰国してから
「どこから引っ越してきたの?」という
質問に少々困ることがある

もちろん正直に答えるしかないのだけれど
「海外」と聞くと驚く人も中にはいる

そしてやや羨望の眼差しを向けられることもある

ところが実際は
こちらとしては誰からも
羨ましがられるような生活は
一切送っていないという認識でいるわけで
そうすると向けられる眼差しが眩しすぎてしまう

ときには
目を向けられずに誤解されたまま
距離を置かれてしまうこともなくはない

たしかに私の場合を除けば
華やかな海外生活を
実際におくっている人もいると思う

それでもわが家の場合は
ここでもリアルに触れているように
必要最低限の家具家電に、車なしの生活

一歩外に出れば日本語は通じず
ずっと疎外感と戦ってきた

はじめての出産育児は
戸惑うことばかりで
身内が近くにいないことで苦労もした

海外生活の感想を一言で求められたら
「つらかった」になる

けれども
そんな事実はどこかに追いやられ
なかなか誤解が解かれないまま
今日も新しい一日がはじまる

2020年10月23日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



事実が事実でなくなる時があるのかもしれない





2020/10/22

幼い子供が転んで怪我。危機管理の心構えを考える・研妻哲学283

公園で転んでしまったわが子


額から流血で急いで救急を受診


上の子を幼稚園に預けたその足で
下の子を連れて
いつも行く公園より
ひとまわり大きい公園に向かった

お天気のいい秋空の下
楽しく、はしゃぐわが子

いろんな遊具を試したあと
公園の脇を歩いている途中でよろけて
転んでしまった

だいぶ体力を消耗していたことに
もっと注意してあげられなかったことを反省

この拍子におでこを地面にぶつけてしまい
小さな石ころがあたり血がでる始末

気が動転してしまいそうになる私

けれどもこのまま病院に行くと
幼稚園のお迎えに間に合わないことに気づく

傷口を確認し
なんとか平静さを装い
病院と幼稚園に電話をかける

幼稚園には、お迎え時間より
早めに行くことを伝え
公園をあとにして
近くの幼稚園へ急いだ

上の子のお友達が集まってきてしまう中
たまたま居合わせた園長先生に事情を伝えると
冷静に血が止まり始めていると教えてくれた

その一言に救われた気がしたのも
つかの間

まだ帰りたくなかった不機嫌な上の子を連れて
急ぎ足で病院へ直行

無事に医師の手当てを受けた

幸い大事には至らず(傷も小さく浅かった)
ホッとしたものの
身が引き締まる出来事となった

楽しいときほど
注意力が試される

2020年10月22日、木曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*




楽しさと危険は隣り合わせかもしれない






2020/10/21

子供のお友達のお母さんから学ぶこと・研妻哲学282

同じ幼稚園のお母さんからの学び


なにかと頼りになる先輩ママ


同じ幼稚園には
先輩ママが多い

どうやら保育無償化の影響で
はじめて通う家庭のほとんどは
他の幼稚園を選んだようだ

そんなことを入園後に知ったのは
置いておいて

この日はなにかと先輩ママから
学ぶことが多かった

上の子が最近興味を持ち出した
新しい習い事が
すぐ近所にあるけれど
実際の教室の様子はどうなのかとか

通う回数が週に1回からでもOKのはずが
実は2回が推奨されているとか

上の子よりも大きい学年の子供がいるママは
地域の情報に強い

それだけにとどまらず
他の先輩ママは
ママチャリの前後に子供を乗せて
通学路の途中で一時停止し、
なにやらスマホをいじっていた

もうすぐ1番上の小学生が帰ってくる
というタイミングでたまたま通りかかると
明るく元気に
スマホをいじっている理由を教えてくれた

その理由がガッツリ
ママ都合のもので、ママの趣味だった

小さい子供が複数いても
自分の趣味を優先させる勇気は
見習いたいもの

自分のことはすっかり
後回しにしがちであることを
再認識した

2020年10月21日、水曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



地域に強い先輩ママと話すとき、基本的・部分的に敬語の姿勢を崩さない方が敬意が伝わるかもしれない












2020/10/20

いよいよ体験レッスン当日。下の子、はじめての習い事・研妻哲学281

事前に申し込んでおいた体験授業


はじめてのレッスンの様子


いよいよ迎えた体験レッスン当日

開始時間5分前に着いた

教室に入るなり
私に抱き着く下の子

照れまくりのスタートとなった

上の子が通う幼稚園の先生には
そこまで照れないので
初めての「自分の先生」の存在に
少し戸惑った様子だった

徐々に慣れていったものの
はてさて、どうするか

内容自体はわが子も嫌いではなさそう

既に通っている先輩親子は
すっかり教室色に染まっているようにみえた

アクセスは抜群で
帰宅途中に晩御飯の材料も買える

年齢的に保護者同伴クラスなので
あとはおそらく
親の熱意次第

んー、迷う

2020年10月20日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



不要不急は迷わないけど、必要不急は難しい






2020/10/19

海外研究者夫の長期出張に子連れ同行した話・研妻哲学280

研究者夫の海外長期出張


0歳児を連れて滞在


第一子を出産して間もない頃
突然夫に出張の話が届いた

しかも短期間の出張ではなく
数ヶ月間の滞在になる見込み

はじめての海外出産をした直後

母子だけ家に残されたら
不安で仕方がない

幸い、夫のドイツ人上司は
家族の帯同を前提に考えてくれている

ということで
わが子が生後5ヶ月くらいの時期に
数か月間、自宅から離れた街に
滞在することになった

滞在先に移動するもの大変だったけれど
着いてからが更に大変

どこに行けば何が買えるのか
右も左もわからない街で
夫から頼まれた仕事で使うアイテムも
買い出しを頼まれた私は
抱っこ紐ではじめての街を歩き回った

洗濯物をするときには
地下室でコインを使用するようにと
もらった資料に書かれていたので
また抱っこ紐をして
洗濯物を抱えて降りていくと
なんとかランドリールームを
見つけることができた

ここまではよかったが
問題が発生した

通貨のコイン(1ユーロとか)ではなく、
建物が独自で使用している専用コインが
必要だった

そんなものは
どこで手に入るのかわからない

抱っこ紐の子供をあやしながら
困っていると
たまたま建物の管理スタッフが
廊下を通りかかった

このとき
どうやって助けを求めたのか
今となっては覚えていないけれど
その人が専用コインを1枚くれた

やっと洗濯物ができる!
安堵の瞬間だった

後日、専用コインの買い方を知り
(事務所のようなところで買った)
エントランスでこのスタッフを
見かけた時に
1枚コインを返却したのは覚えている

洗濯機の使い方を覚えたあとは
離乳食の準備

スーパーを探して近所を歩くが
夫の出張先なので
友人も知り合いもいない

話し相手は抱っこ紐の中で
スヤスヤ眠っている

街の中心地までは
バスで30分という微妙な距離

調子のいいときは
古城を見に行ったりもしたけれど
滞在先の部屋か、その周辺で
過ごすことが多かった

はじめましての海外の街で
はじめての離乳食をスタートするという
なかなかハードな日々

次から次へと途切れることなくやってくる
数々の小さな問題をクリアしていく
ゲームのような毎日だった
夫の海外出張同行を振り返った

2020年10月19日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



なかなか頑張ったな、自分






2020/10/18

海外研究者ポスドク修行あるある。お米は鍋で炊く・研妻哲学279

海外ポスドク研究者夫との修行生活


炊飯器はないのが当たり前


ドイツでは炊飯器を
持っていないのが一般的

買おうと思っても、
たいていの家電量販店では
売られていない

ネットで探しても
高額なものが多い

わが家にも炊飯器はなかった

炊飯器の代わりに
小さな鍋で炊くことになった

これが意外とうまく炊ける

時間をみたり
ふきこぼれを拭く手間はかかるけれど
それらを除けば
炊飯器がある生活と
さほど変わらない

おかげで感覚だけで
ごはんが炊けるようになった

運良く
海外修行2年目くらいには
先に帰国する夫の研究者仲間が
引っ越しの際に
小さな炊飯器を譲ってくれた

欧州の電圧に対応した
炊飯器をまじまじと見たのは
このときが初めて

ジャーの英語表記が
妙に懐かしい

2020年10月18日、日曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



海外から帰国したら修行が終わるなんてことはなく、今はまた新しい修行のさなか







2020/10/17

車もない、自転車もない、研究者夫の海外修行と結婚生活・研妻哲学278

車も自転車も買うタイミングを逃す


家具や家電もなかった海外での結婚生活(海外ポスドク修行)


夫が研究者として修行をするため
海外に住んでいた頃は
電子レンジも冷凍庫もテレビもなかった

もちろん車も自転車もない

一番最初に住んだところは
掃除機を毎回建物の管理者に
借りる必要があった

最初に覚えたドイツ語の文章は
「掃除機を借りられますか?」だった

そして数年の月日が流れ
帰国する数ヶ月前、
まだ本帰国がいつになるか
わからなかった頃

わけあってドイツ国内で2度目の
引っ越しを余儀なくされ
トラムと呼ばれる路面電車で
2駅先の住まいに引っ越しをした

その時はじめて
ドイツ生活において
電子レンジを使うようになり
冷凍庫付きの冷蔵庫も揃えた

生活の便利さが一気に向上

やっと日本にいたときの生活水準に
近づけることができた

そんなドイツ修行の
最初の数年に比べれば
今はだいぶ「ある」生活をおくっている

帰国してから
ついにテレビを買った
海外修行中はずっとテレビがなかった

ドイツで最後に住んだところも
テレビだけはなかった

けれども帰国した今はテレビがある

車や自転車はないけれど
意外とモノに囲まれている

2020年10月17日、土曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



なくても生活できるモノは、意外と多いのかもしれない







2020/10/16

下の子、初めての習い事。体験レッスン申し込みの話・研妻哲学277

上の子に振りまわされる下の子


下の子主役の時間確保に奔走


幼稚園の送り迎えからはじまり

上の子の習い事の送迎にも
付き合わされている下の子

そろそろ下の子が主役の時間を
増やしてあげたい

そんな思いから
家から近い場所にある教室の
体験レッスンに申し込むことにした

理由は他にもいくつかあるけれど
車のないわが家としては
自宅から通いやすいのが一番

まずは電話で問い合わせると
事務所のような教室とは別のところに
繋がった

受付の担当者に
子供の年齢と
連絡先を伝える

追って教室から連絡が来るという流れ

朝に電話をかけて
その日の午後には
教室の先生から直接電話がかかってきた

まだ会ったことのない
女性の先生の話し方や言葉づかいから
なんとなくの相性を感じる

2020年10月16日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



言語によって思考が変わるように、言葉づかいによっても思考が変わるかもしれない






2020/10/15

冬が長いドイツと、冬の気配が来ない日本・研妻哲学276

ドイツの冬と日本の冬


日本の長い秋と、ドイツの短い秋


夏が過ぎると
秋の景色を堪能できるのは
ほんのいっとき

すぐに冬が来て
翌年まで
ずーーーーーーと続く

それが当たり前だったドイツ

ところが日本に帰ってくると
夏がなかなか終わらず
夏なのか秋なのか
曖昧なまま秋に突入

この秋は、ドイツより
ずいぶん長く感じる

冬をずっと遠くに感じさせる
秋の暖かさ

9月にダウンジャケットを着ていた
あの日々はどこへ行ったのだろう

本当に冬が来るのだろうか?
と思うくらい
夏を感じさせる日本の秋

サマータイムで毎年
体内時計が少し狂った思い出も
今となっては遠い昔のこと

不思議なことに
いやだった長い冬を
身体が恋しがっている気がする

夏が暑すぎたせいなのか、
そろそろ冬の寒さや冷たさが恋しい

2020年10月15日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



引っ越しをするときは、経度だけでなく緯度にも注意





2020/10/14

日独英、最近のくしゃみ事情を考える・研妻哲学275

国によって異なるくしゃみへの対応


日本語とドイツ・英語圏のくしゃみ文化


最近、日本のスーパーマーケットで
買い物をしたときのこと

お会計のため
レジに並んでいたら
前方で買ったものをエコバッグに
詰めている女性の姿が目に入った

ふと、その女性の
ショルダーバッグについたバッジに
目をやると

「花粉症です」と書かれている

おそらく「くしゃみ対策」だろうと思われる

花粉症バッジをみたのは
この時が初めて

英語圏で、くしゃみをした人に
返す決まり文句があるように
ドイツにも決まり文句があった

その決まり文句を言うのも
言われるのも、
慣れるまでの間
どきどきしたのを覚えている

なかには、
自分がくしゃみをしたときに
その決まり文句を言われると
さらに言葉を返すのがめんどうなので
外ではできるだけ
くしゃみをしないようにしていた
という日本人もいた

やっと
くしゃみに対する変なプレッシャーから
開放されたはずなのに
新しい圧が加わったように感じる

2020年10月14日、水曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



たかがくしゃみ、されどくしゃみ





2020/10/13

住み心地を海外と比較。人口10万人以下の場合・研妻哲学274

実際に住んだ街の住み心地


日本と海外の人口10万人の違い


結婚してから引っ越しばかり

せっかくなので実体験をもとに
国内の人口10万人に満たない街と
海外の人口10万人の街を比べてみる

日本にある人口が10万人に満たない街の方が
海外の同じ人口あるいはそれ以上の街に比べて
はるかに便利だということが
実際に住んでみた感想だ

日用品の買い物から
荷物の配達・受け取りまで
日本のサービスは本当にすばらしい

たとえば不在票がきちんと
郵便ポストに投函されているだけで
感動ものである

さらにもうひとつ
最近気づいたことがある

公共事業とおぼしき工事現場まで
日本はしっかりしていると
感心させられる

工事現場の看板に
「ご迷惑おかけしております」と
お詫びの文言が記載されているのを
海外ではまだ見たことがない

そもそも看板がない工事が多かった

まちの大きさに関係なく
インフラが整っていて
どこまでも他者目線が添えられる日本

その一方で海外の田舎は
どのサービスも
担当者によって基準が
バラバラなケースが多い

日本の均一さに慣れていたから
余計にそう感じるのかもしれない

ただ、自然の多さや
遅延に対する寛容さ
いい意味で他者を気にかけないというのは
魅力にもなるので

好き勝手に比較はできるけれど
一概にどちらがいいとは
はっきり言えない

2020年10月13日、火曜日の記録



 *淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



人が異なるように、住み心地も異なるかもしれない






2020/10/12

引っ越しに備える。人口1400万人の都市から10万人の場合・研妻哲学273

引っ越しで価値観がみえてくる


未来の引っ越しに備えて、心の準備中


いつでも心は引っ越しに向かっている


またいつになるかわからない、
けれども確実にやってくるはずの
次の引っ越し準備にあたる

今後の引っ越しに備えて
これまでの引っ越しを
人口の差に焦点をあてて
振り返ってみる

最も強烈だったのは
人口1400万人から
人口10万人のまちへ
引っ越したとき

あの衝撃は忘れられそうにない

当時の生活は
買い物革命をもたらした

これを買ったら幸せな気分になれるだろうな
といった類の予感、
ワクワク感が散りばめられている世界が
本当の姿を見せつけるようになり
価値観を変えていった

最近たまたま
前に住んでいたその場所の
動画をみる機会があった

当時その場所を歩いた
感覚が戻ってくる

家の外に出ると、
鼻をさすような冷たい空気に
地面を踏み込んだ感触
道を歩く人々の影

なんの縁もゆかりもない土地に
来てしまったと
嘆いていた時期もあるけれど

離れるときには
その地名が記載されたグッズを
記念にちゃっかり買っていた

いま振り返ると
縁やゆかりなどはそもそもなくて
自分がいた場所に
いつの間にか
生まれているものだと気づく

きっとこれから住む場所にも
縁は遅れてやって来る

そんな心の準備をした

2020年10月12日、月曜日の記録




 *淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



縁やゆかりは、自分でつくるものかもしれない






2020/10/11

朝1時間の散歩で訪れた変化・研妻哲学272

毎朝の日課


子供の送迎ウォーキング


ドイツ人が散歩に行くと
1時間どころでは済まない

2、3時間
帰ってこない

ドイツ人が愛する散歩には
及ばないけれど

夏の暑さが落ち着いてから
毎朝の散歩が日課になった

日課と言っても
子供の送り迎えを兼ねて
一緒に歩くだけなので
短い距離でも
長い時間がかかる

本当は1時間もかからない道のりを
小さな子供の手をとり歩く

そうして一月くらい経つと
だんだんある変化に気がつく

気のせいかもしれないけれど
なんだか心身の調子がいい

2020年10月11日、日曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



ほんのちょっと、ほんの一瞬の積み重ねが変化をもたらすのかもしれない







2020/10/10

子育ては思い通りにならない事の訓練・研妻哲学271

予定通りにいかないのが子育て


そう思わせる出来事があった

幼稚園で参観日の練習を
たくさんして帰ってきたあと

習い事の時間が近づいてきた

いつもなら昼寝してても
起きるのに
その日は目を覚ます気配がない

仕方なく習い事の先生に
事情と休む連絡を入れる

もう疲れているのだから
仕方がないと自分に言い聞かせる

時間は刻々と過ぎていき
いよいよ開始予定の時刻

移動時間を考えると
今起きてからでは遅い

けれども
このタイミングで
目を冷ましたわが子を前に
あともうちょっとだけ
ほんの数分
早く起きてくれれば
間にあったかも
と、思わずにいられなかった

子育てはつくづく
思い通りにならないことの
訓練のように感じる

2020年10月10日、土曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



子供は親のトレーナーかもしれない





2020/10/09

久しぶりに厚底の靴を履いた結果、思い出が蘇る・研妻哲学270

数年ぶりに履いた厚底シューズ


OL時代の感覚がよみがえる


もはや死語かもしれないOL

そんな時代が私にもあった

もうとっくに忘れていた事実

オフィスの床に敷かれた
無機質な絨毯を踏む感覚も
抜けきっていた

最近までは
ぺたんこ靴で
デコボコの石畳を
大きなベビーカーを押しながら
ひたすら歩いたり

広い公園だけでなく
普段の送り迎えでも
スニーカーで
子供たちを追いかけたりと

厚底やヒールのある靴とは
無縁の暮らしが
ここ数年続いていた

そんな日々に突如
スポーツタイプの厚底シューズが
仲間に加わった

もともと企業で働いているときは
ヒールがそこそこあるパンプスを
好んで履いていたので

どこか懐かしい感じもあり
試しにスポーツタイプを履いて
外の歩道を歩いてみると
物凄く久しぶりな感覚が蘇った

普通のコンクリートでできた
歩道を歩いただけなのに
踏み込む足の先が
オフィスの絨毯に変わるような感覚

かつて
足の裏が毎日のように感じていたもの

会議に遅れそうだからと
エレベーターを待たずに
階段を駆けのぼった日

同僚と楽しく談笑しながら
歩いた長い廊下

重いノートパソコンと
お気に入りのマグカップを
一緒に持ち運び
マグカップを床に落として
割ってしまった日

上司も一緒にお昼ご飯を
買いにオフィスをでて
外の空気を新鮮に感じた日

思い出のシーンがよみがえった

2020年10月9日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



忘れていた思い出は、感覚が思い出させてくれるのかもしれない






2020/10/08

新しい運動会「運動参観」がなかなか良い話・研妻哲学269

Withコロナ時代の新しい運動会


分散型「運動参観・運動会ごっこ」


長かった夏がおわり
やっと訪れた運動の秋

中止になった運動会に代わり
幼稚園で開催された
運動参観に行ってきた

通称「運動会ごっこ」

学年はバラバラに分散され
保護者の人数にも制限があり
すべての園児が集まることはない

時間も小一時間に短縮され
種目・演目も少ない

どんなものになるかと思っていたけれど
実際に体験してみると
これがなかなか良いとわかった

まず
保護者の拘束時間が短いため
夫は朝、仕事前に立ち寄り
おわったら職場へ向かった

下の子のお世話グッズも
少なく済んだので
大きな荷物の重さを感じながら
持ち運ぶ必要もなかった

そして
他の学年が混ざらないということは
他の学年を見て学ぶというわけには
いかないけれど

自分の子供が常にでているわけで
そうなると
常に目が釘付け状態になり
ぎゅっと凝縮された濃厚な時間となった

種目が少ない分
(それでも先生は大変だったと思うけれど)
練習の時間も少なく済んだのではないか
とも推測される

顔を知らない人からの祝辞を
読み上げるアナウンスもなければ
PTAのお手伝い係の登場もなくなり
本部役員から形式だけの贈呈儀式が
瞬時に執り行われた

教職員やPTAの負担の面からみても
なかなかわるくないのでは
と思える運動参観を振り返った

清々しい気分の
2020年10月8日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



変化はわるいことばかりではなさそうだ




2020/10/07

肩書きをなくす練習が将来の孤独を救う・研妻哲学268

肩書きがなくなるとき


自分を見失う


これまで多くの人が
定年退職後に肩書きを失い
少なからず喪失感を
抱いてきたようだ

アイデンティティ・ロスとも呼ばれる
この喪失感や疎外感、孤独感を
若いうちに味わった身としては

肩書きがあるうちから
肩書きをなくす練習をしておくと
いざそうなったとき、
救いの手が早く
差し伸べられたのではないかと思える

つまるところ
自分は自分以外の何者でもない
ということを念頭に
肩書きを剥いで人と接していく

人は命名されている時点で
自由ではないと
私が感じていることは
以前も触れたけれど

肩書きの数も名前のようなもので
あればあるほど自由から
遠ざかってはいないだろうか
という視点も浮かび上がってくる

それに
どんなに偉い肩書きを持った人でも
永遠を保障されてはいない

一度、肩書きをなくしてみる練習が
将来の孤独を
ぐっと軽くしてくれるはず

2020年10月7日、水曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



肩書きは禁断・魅惑の果実かもしれない






2020/10/06

絵画からコミュニケーションを学ぶ・研妻哲学267

名画、絵画が教えてくれるコミュニケーション


癒やしの美術館・博物館


わりと絵と対話することが
苦にならないというか
好きなタイプの人は
もう気づいているらしい

絵画を前にできることと言えば
当時の歴史を振り返り
芸術家が何を伝えようとしたのか
想像をふくらませること

こちらがどんなに話しかけても
絵画は口を閉じたまま

無反応で、
言葉を口にしない

この絵画鑑賞の時間は
コミュニケーションで大事な
口にださない言葉に
耳を傾ける力を育むための
よい訓練ともいえる

想像力をフル活用して対話する時間

やはり絵画は癒しを与えてくれると
再認識した

2020年10月6日、火曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



言葉にされない言葉が最も大事かもしれない






2020/10/05

私が出会ったアゼルバイジャン人の教え・研妻哲学266

ドイツで出会ったアゼルバイジャン人に教わったこと


ドイツ生活の思い出


現地の大学のドイツ語コースに
ゲスト学生として通っていた当時

放課後に個人で
ドイツ語を教えてくれる
大学図書館員の女性に
運良く出会うことができた

私が日本語クラスを受け持っていた
大学の学生組織、学生カウンシルで
その女性はドイツ語を教えていた

まだドイツ1年目で、
もてあましていた時間を利用して
そのクラスにも通うようになった

ある日、そのドイツ語クラスに
アゼルバイジャンから来た
留学生が加わった

その学生は大学院に通っているけれど
授業が英語で受けられるコースのため
大学でドイツ語を使う機会は少ない
という話だった

それでも卒業後にドイツで
職を得ようと思ったら
ドイツ語は必須になる

そのため
ドイツ語を猛勉強しているという

そんな留学生と
たまたまクラスに向かう途中の
交差点でばったり会ったときのこと

クラスが始まる時間が迫っていた

昔は馬車が駆け抜けた石畳の続く
車通りの激しい交差点の歩道で、
赤信号を見つめながら
一緒に信号を待つことになった

遠くから車のクラクションが
時折聞こえてくる

秋の風を受け流し
早く青信号にならないかと
気持ちが焦る私に向かって
アゼルバイジャンから来た学生はこう言った

「時間を守ることより、自分の身を守ること」

そんな思い出の一瞬を振り返る
2020年10月5日、月曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



異文化の背景を知ると、もはや異文化ではなくなるかもしれない








2020/10/04

子持ち主婦のひとり生涯学習の楽しみ方・研妻哲学265

子持ち主婦が独学で楽しむ生涯学習


マイペースな学びが至福の時


幼い子供を育てている母親に
自分の時間というものは
やって来ない

自分で歩み寄って
自らつくらない限り
向こうから時間が来てくれることはない

子供のお世話で体力を消耗して
身体が休息を必要としている時は
とにかく休むための時間をつくる

体力がある程度
戻ってきて
心も落ち着きをとり戻したら
いよいよ
ひとり生涯学習の時間が始まる

上の子が幼稚園にいっていて
下の子がお昼寝をしているとき

あるいは
早朝の誰も起きてこない時間帯

または
夫が子供たちとお風呂に入っている
ほんの数分間

あらゆるスキマ時間に
すぐに本を開けるようにしておく

自分がつくりあげる
学びの時間に吸収する内容は
好奇心に素直に従う

この生涯学習は
学位の取得を目的としていない

出席を気にせず
いつでも始められて
好きなように方向転換できて
休みたいときは休む

これを生涯の友としたら
どんな自分になるか

自分を自分で試す実験を
開始したような気がする

2020年10月4日、日曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



自分でする自分のための実験もわるくないかもしれない






2020/10/03

自分の心を健全に維持するための「自分維持トレーニング」・研妻哲学264

私の「自分維持トレーニング」


環境変化に負けない自分作り


夫の海外修行をきっかけに
日本の都会から
海外の田舎に引っ越すという
大きな環境の変化を経験

新しい環境に
私を知る人は誰もいない

それなりに
自分の中では結構大きな
喪失感や孤独、疎外感を味わった

さらに今度は
産後間もない身体で
海外から
日本の見知らぬ土地に引越して
新しい生活が始まった

そこにもやはり
私のことを知っている人は
誰もいなくて
時折、
孤独感を生みだしてしまいそうになる

ただ、孤独感は孤独と違って
自ら生み出さなければ存在しない

そこで自分の一部を変えることにした

自分の根っこの部分を
変える必要はないけれど
茎や葉の部分は変えていった

徐々に孤独感を生まない体質に
変えていった

そうして最近やっと
孤独感から開放されたというか
克服できたように感じる

その過程、その方法をここでは
自分維持トレーニングと
呼んでみたい

大きく2通り

1つ目は
私の場合
こうして書くことで
毎日トレーニングを重ねている

書きながら自分と対話し
内側を満たしてあげることで
自分をメンテナンスしている

2つ目は
物事の良い面とそうでない面の
両方の視点から考える癖を
つけること

わるい面からも考えておくのは
専門用語だと
ネガティブ・ビジュアリゼーションと
呼ばれているらしい

そうすることで
「今」の捉え方が変わってくる

たとえば
戦争が始まったと想像すると
家族が一緒にいられる重みが
今とはまったく違うものになる

常にあるモノ
いつも一緒にいるヒト

当たり前になっているものが
当たり前ではなくなる場面を
心に描いてみる

もともと若い頃から
そういう思考の癖は多少あったけれど
今年はそれを意識して繰り返した

このときに
日本人の得意技とも言える
周りからどう思われるかという視点は
脇に置いておく

島国で引っ越しも他国に比べて少ない
となると、周りの人の目を
どうしても気にしながら
暮らす必要があるかもしれない

けれども
自分の心を健全に維持にするための
トレーニングにおいては
周りの視点よりも
自分がどう捉えるかの視点が
はるかに注力すべきものになる

自分以外の軸を
いったん脇に置く勇気を
筋トレするようなもの

以前も書いたように
改めて「今この瞬間」の重みを
噛みしめたい

2020年10月3日、土曜日の記録




*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



自分の心を健全に維持するトレーニングは、今この瞬間から始められるかもしれない







・参考文献
書名:良き人生について
著者:ウィリアムBアーヴァイン、竹内和世(訳者)
出版社:白揚者
発行年:2013年






2020/10/02

本当に自由な人は誰かを考える・研妻哲学263

真の自由人を考える


名前のない人


プログラミングを組むとき
名前をつけて動きを制御する

赤ちゃんが生まれれば
命名する

名前がつけられている時点で
私たちは真の自由を
手に入れることはできない

そう思うと
自由になった気分になる

2020年10月2日、金曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



不自由は自由で、自由は不自由かもしれない





2020/10/01

車のない田舎生活。徒歩移動から人生を学ぶ・研妻哲学262

車を持たない田舎での結婚生活


徒歩がもたらす人生観


海外も国内も
結婚生活の大半を田舎で過ごしている

車を購入することは
ずっと検討事項に入ってはいるものの
踏みとどまっている

小さい子供がいても
結局、現在まで車を持たずにきてしまった

車がない生活では
買い物に行った帰りは
重いエコバッグを持って
とぼとぼ歩く必要がある

徳川家康ではないけれど
荷物の重さを感じながら歩くのは
まさに人生そのものを感じるのと
似ている

将来、車を購入するまでの間
もうしばらく
荷物の重さを感じて歩きながら
人生を考えるのもわるくない

2020年10月1日、木曜日の記録



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



歩くことは心身にとって、とても奥深いものかもしれない







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