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2022/01/22

公募試験、不合格の受け止め方。大学研究者夫の場合・研妻哲学432

公募、不合格の受け止め方


わが家の研究者夫(大学教員の端くれ)の場合


国内の公募に関して
海外ポスドク時代から
何度も応募しては落とされる
その繰り返しが続いている

おかげで研妻の私も
いわゆるお祈りメールに
ずいぶん慣れてきたところ

もともとわが家の研究者夫は
浪人経験もあって
何かと不合格耐性がついている

そのせいか
公募に挑戦して不合格でも
最初からひどく落ち込むことはない
(当初は私の方が影響を受けていたかも)

それどころか
なんとなく「自分の売りどき」を
自覚しているらしい

なので不合格だった場合は
たいてい時期が熟していなかった
という捉え方をしている

そう宣言されてしまうと
研妻の私も言い返す言葉がみつからない

アカデミアに残ることだけが
人生の目的ではないので
他の道へ進むのもいいだろうと
妻の私はそんな風に捉えている

もし仮に
残る道を選択したいのならば
公募応募の対象地域を
拡大すればいいのではないだろうか

国内の他の地域から
海外へ戻る道もある

ただ夫の場合は、
生まれ故郷、ふるさとが
アイデンティティの一部を形成している

そのため、幸せ度合いは
おそらく故郷へのつながりで
変わってくる

最も大事なのはきっと、
どこの軸を満たしてあげると
自分は幸せを感じるのか
という視点

このように
不合格の通知が来たときこそ
自分の構成要素を確認する
良いタイミングだと思う

さらには
不合格をたくさん頂くほど
人の気持ちが
わかるようになるのではないだろうか
そう願わずにはいられない

大事な学生さんの気持ちを含め
うまくいかないことがあって
落ち込んでいる人がいた場合、
不合格の経験を思い出す時なのではないか

そう考えると、
不合格はわるいことばかりではない


<研妻哲学的、不合格の受け止め方>

不合格は、自分の
  • 判断軸を洗練させる研磨剤である
  • 価値観を可視化する材料である
  • 構成要素を大切にする機会である

*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


不合格は、人生に必要なアイテムなのかもしれない



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