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2022/01/31

研妻ラボ研究室長が語る、研妻ラボが目指す世界・研妻哲学438

研妻ラボの将来像について研究室長が語る


日本、海外、宇宙をつなぐ仮想ご近所空間


2018年頃からずっと頭の中にあり
心の中で何回か小さな葛藤があり
実現することも
言葉にすることも
できなかった理想の状況が
2022年1月に入ってやっと
少し言葉で説明できるようになった

そんな気がしている

研妻ラボが目指す世界

一言で表現すると
「バーチャルご近所の助け合い」
になるかもしれない

もっといい表現があるはずだけれど
まだこんな表現にとどまっている

どういうことかと言うと、
研妻会とご縁のある皆様が
ご近所のような関係性になり、
助け合って暮らす世界である

生活のすべてが
そうなるのではなくて
暮らしのごく一部と捉えてほしい

おそらく
リアルな世界とのハイブリッド型か
インターネット上か
仮想現実の中になる

たとえば、
ちょっと手伝ったお礼に
おかずのおすそ分けをもらうとか

もっと昔のたとえを使うならば
「ちょっと醤油をきらしてるから
少しくださらない?」と
気軽に話しかけられる関係性

そんなちょっとした
どこにでもあるようでないような
小さくて温かい交流

既にバーチャル用ゴーグルは
安価なものが出回っており
そのうちインターネットのように
仮想空間にも無料サービスが
どんどん登場するものと思われる

そうすると今よりも
もっと多くの人が
その空間に出入りすることができる

日本に住んでいてもいなくても
海外からも
(それこそ宇宙からでも)
バーチャル空間で
ご近所のように暮らせる日が来る

つまり、
見返りがあるとしたら
それは通貨である場合もあるだろうが
必ずしもそうとは限らない

きっと今後おばあちゃんになったら
通貨の価値観が今とは違っているだろう

現在の法律は
このような世界を想像して
つくられたものではないことは
多くの人が知っている

こういった領域への法整備には
課題が見え隠れしている

もしかしたら
ちょっとしたお礼として
その時にほしいモノ(プチギフト)を
受けとることを
時代が逆行していると捉える人も
いるかもしれない

それでも今後は
遠くの身内や仲間が
遠い存在ではなくなるはず

仮にBI社会が国内にできたら
組み合わせとしてはわるくないだろう

海外にいても
日本の仲間を身近に感じることができて
日本にいても
海外の仲間を身近に感じることができて
ご近所のように助け合って暮らせる

そんな小さくて温かい交流を実現するのは
研究者を支える多様な研妻会仲間であり
研妻ラボ活動に理解のある研妻研究員たち

それぞれの様々な得意分野を活かして
世界中のどこにいても
気軽に助け合い暮らせる空間

翌朝起きるのが
楽しみになるような研妻ラボで
一緒に実現しましょう!



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学* 



仕事が仕事でなくなるかもしれない




2022/01/30

心理学的|単身赴任の注意点メモ・研妻哲学437

心理学的、単身赴任する場合の注意点メモ


研究者にも多い別居婚


心理学者として 
おなじみ河合隼雄先生の
だいぶ古びた小さな本をみつけた

研妻会のインスタで
読書記録をしているけれど
この古本は
ばえる類ではないし、
そのような画像にする
テクニックを駆使する代わりに
文章にすることにする

ちなみに
私と河合隼雄先生の本との出会いは
子どもの頃(小学生か中学生)に遡る

当時、住んでいた家の書棚に
河合隼雄先生の本が数冊置かれていたのだ

それは全て母のものだった

それ以来
ファンでもある

さて、話を戻そう

今回みつけた古本のタイトルは
働きざかりの心理学

その一節で、
単身赴任について触れられていた

そこで単身赴任する際の注意点として
ここに記録しておこうと思おう

現在のところ
わが家は単身赴任する予定はない

けれども今後、将来的には
他の研究者家庭と同様に
一時的に離れて暮らすなんて可能性も
ゼロではないだろう

ということで
自分に向けて
注意点を書き留めておく

単身赴任する際の注意点
夫婦お互いの関心のバランス

このバランスが偏ると、
なんとその影響が子どもに出る
という話

たとえば不登校などとして
あらわれるようだ

しかも
単身赴任がおわって
数年後に発覚することもあるそう

この実例は
ちょっと衝撃的でもある

これを読んだら
単身赴任はやめておこう
と、思う人もいるかもしれない

けれど様々な理由で
単身赴任を選ぶ場合は
夫婦の関心事が
偏らないように
注意すればいいのである



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



学者が発信する内容も、数多くある視点のうちのひとつと捉えるといいかもしれない





2022/01/26

海外生活でも出会う、男尊女卑地域の出身者の話・研妻哲学434

男尊女卑地域出身の外国人材


来日後の変化


近隣で内戦が続く国の出身である
彼に出会ったのは数年前のこと

誰かと対面するとき
たまに人格と文化的背景(環境)を
わけて考えることがあるけれど
彼の場合はまさにそのケースといえる

初対面にもかかわらず
男尊女卑地域の出身であることが
その言動から読み取ることができた

さらに当時は
有名な大学の研究者という
バックグラウンドが強烈さを増していた

たいていの場合と同様に
一方的な話の展開に
受け答えが続いていく

そのような文化的背景を持つ
異国の人と会話をするのは
ある程度慣れているけれど
色々考えさせられる瞬間となった

そんな感想が第一印象だった彼と
かなり久しぶりにオンラインで
話したときのこと

あれ?前と様子が全然違う

一方的な話し方ではなくなっている

何気ないやりとりや受け答えからも
男尊女卑を感じることがなくなった

  • 私が変化したのか?
  • 彼が変化したのか?

おそらく答えは後者

日本に住み始めて
さらに日本語を覚えて
滞在が長くなるほど
日本文化に順応したのではないだろうか

ある意味
恐ろしさを感じるくらい
角が取れて、丸くなっていた彼

こんなこともあるのかと
驚くばかり

一度ネガティブな印象を持った人でも
数年後は別人のような
人柄になっている可能性があることを
学ばせてくれた異国の彼

まさに言語が変える思考の領域ともいえる


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



日本語の底力は計り知れないようだ




2022/01/25

桝アナご卒業をひっそり祝福するメッセージ・研妻哲学435

桝アナご卒業・転職おめでとうございます


ひっそりと祝福のメッセージを綴ります


わが家の大学研究員夫と
何かと共通点が多い桝アナ

そのせいか
全然関係のない研妻の私にまで
親しい身内仲間からメッセージが届き
驚くばかり

いやはや、部外者の私にまで
連絡が来るのだから
桝アナご本人への注目度合いは計り知れない

これまで研妻哲学ブログで
芸能関連の話題について書いたことは
ほとんどないけれど

桝アナは研究者になられるとのことで
誠に勝手ながら
研究者を支える人を応援するこのブログで
ひっそりと祝福させてもらいたい
そんな気持ち

今後、メディアや大学を通し
桝助教が発信されるお言葉から
いち国民として、
研妻として、
子を持つ母親として
ぜひ学ばせていただきたい


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



一人の研究者の勇気と覚悟が、学問にイノベーションを巻き起こすかもしれない




2022/01/24

大学研究員夫、社会人医学部受験の可能性を考える・研妻哲学433

うちの研究者夫、また学生に戻る可能性を考える


社会人医学部受験について情報収集


(情報をお持ちの方はぜひ教えてください)

これまで何度か触れている通り
わが家の研究者夫は
故郷回帰思考が強い

現在の専門分野で
生まれ故郷に帰れないと判断した場合
社会人として医学部編入という
新しい選択肢について
考えたいようだ

いやいや、「ちょ待てよ」という声が
聞こえてきてもおかしくない

あの苦しい海外ポスドク時代は
一体なんだったんだと
聞きたくなるけれど

現状は可能性を考えているだけであって
本当に受験するかは別問題となる

任期満了まで
あと数年あるので
検討する時間だけはある

なので色々な可能性に無作為に
思いを巡らせている

考えたり、言ったりするだけなら
簡単である

難しいのは、実行に移すこと

  • 本当に受験するのか?
  • もし受かったら妻子はどうする?
  • そもそも勉強時間の確保は?
  • 医師になった場合のその後は?

問題は山積みである

研妻の私としては
タイミングをみて
海外に戻った方が安定するのではないかと
そんな風にも思う

あんなに辛い思いをした
海外ポスドク帯同生活だったけれど
今となっては良く見えてくる部分がある

良くもわるくも
多様性に寛容な
似たような価値観の和に
触れていられる方が
居心地が良いものだと実感している



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


研究者自身よりも、支えるパートナーのケアが大事かもしれない

問題は変化の渦中にいるよりも、遅れてやってくるのかもしれない




2022/01/22

公募試験、不合格の受け止め方。大学研究者夫の場合・研妻哲学432

公募、不合格の受け止め方


わが家の研究者夫(大学教員の端くれ)の場合


国内の公募に関して
海外ポスドク時代から
何度も応募しては落とされる
その繰り返しが続いている

おかげで研妻の私も
いわゆるお祈りメールに
ずいぶん慣れてきたところ

もともとわが家の研究者夫は
浪人経験もあって
何かと不合格耐性がついている

そのせいか
公募に挑戦して不合格でも
最初からひどく落ち込むことはない
(当初は私の方が影響を受けていたかも)

それどころか
なんとなく「自分の売りどき」を
自覚しているらしい

なので不合格だった場合は
たいてい時期が熟していなかった
という捉え方をしている

そう宣言されてしまうと
研妻の私も言い返す言葉がみつからない

アカデミアに残ることだけが
人生の目的ではないので
他の道へ進むのもいいだろうと
妻の私はそんな風に捉えている

もし仮に
残る道を選択したいのならば
公募応募の対象地域を
拡大すればいいのではないだろうか

国内の他の地域から
海外へ戻る道もある

ただ夫の場合は、
生まれ故郷、ふるさとが
アイデンティティの一部を形成している

そのため、幸せ度合いは
おそらく故郷へのつながりで
変わってくる

最も大事なのはきっと、
どこの軸を満たしてあげると
自分は幸せを感じるのか
という視点

このように
不合格の通知が来たときこそ
自分の構成要素を確認する
良いタイミングだと思う

さらには
不合格をたくさん頂くほど
人の気持ちが
わかるようになるのではないだろうか
そう願わずにはいられない

大事な学生さんの気持ちを含め
うまくいかないことがあって
落ち込んでいる人がいた場合、
不合格の経験を思い出す時なのではないか

そう考えると、
不合格はわるいことばかりではない


<研妻哲学的、不合格の受け止め方>

不合格は、自分の
  • 判断軸を洗練させる研磨剤である
  • 価値観を可視化する材料である
  • 構成要素を大切にする機会である

*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


不合格は、人生に必要なアイテムなのかもしれない



2022/01/21

研妻哲学ブログ4年目。書き続けた結果・研妻哲学431

研妻ブログ4年目の変化


たまには研究者夫ではなく妻の話


いつも研究者夫のことばかり
書き留めているこの研妻哲学ブログ

たまには研妻の私自身について
触れてみようと思います

このブログが4年目を迎え
これまで書き続けた結果なのでしょうか

Webメディアのライターとして
小さくひっそりと
デビューするに至りました

「わかりやすい文章ですね」とか
「とても読みやすいです」とか
「書くのが凄く速いですね」とか
「内容がとても勉強になります」とか

そんな言葉を頂けるようになり、
家族や住んでいる地域以外で
日本語による日本社会とのつながりを
少しずつ再確認しているところです

もともと書く仕事はしたことがなく
個人的には英語によるやりとりの方が
仕事の場面においては
より簡潔で素をだせる感覚もありますが、
日本語の表現豊かな言葉たちのおかげで
新しい扉をあけることができました

とはいっても、研究者夫と同様に
期限付きで頂いている機会なので
今後のことはわかりませんが

いつも
前向きな気持ちにさせてくれる研妻会と
ご縁のあった企業様に感謝する毎日です

文化人類学者の本によると
「交換」をしない人類はいないそうなので
仕事を含めた
交換から生まれるコミュニケーションを
楽しまないと損かな、
なんて気にもなります


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


もしかしたら存在するほとんどの物事が「期間限定、期限付き」なのかもしれない






2022/01/20

海外ポスドク募集探しと、国内大学研究職探しを比較・研妻哲学430

研究者夫の求職・就職活動


海外ポスドクと国内大学研究職


まずは海外ポスドクの受け入れ先探しから
妻目線で振り返ってみます

当時の求職活動を一言で表現すると
「速攻決まりました」

秒殺、とまではいかなくとも
ヨーロッパで2カ所、研究所の候補を挙げて
そのうちの一方にわりとすぐ決まりました

決まった直後に夫には
国内の大学に残るお誘いもあったのですが
既に海外のボスとオンライン面接も終えて
メールで準備のやりとりが始まっていたため
最初に決まった方を優先させました

(海外移住直後、この判断を後悔するとは、、)

国内に残りたい場合は、
海外選考のタイミングも重要になりそうです
(先に教授と密に話し合っておくとよさそう)

ちなみに、すぐに海外ポスドクが決まったのは
研究分野が狭いことも影響していると思います

(私は詳しくないのですが、)
そもそも夫はメジャーな領域の
研究ではない(らしい)ので
海外の研究所としても
日本から応募してくる夫の存在が
珍しかったのだろうと推測できます

海外ポスドク探しのポイントは
以下のような点も抑えてみると
案外すぐ決まるかもしれません

  • 大都市を避ける
  • 研究領域ドンピシャを狙う
  • 日本から遠い国を選ぶ

実際に現地でポスドクとして数年働いた後
今度は夫が受け入れ側として
ボスと一緒に面接に加わるようになりました

帰国する際、後任を探していたのです

そうして応募者のほとんどは
研究領域に乖離がある
という事がわかってきます

その場合はボス判断で
面接に呼ばれない可能性が高まります

なので事情があって研究分野を変えて
応募するケースでは
相手を説得する材料が求められます

実例としては、それなりの理由があって
海外で大きく異なる分野の
研究所と海外大学職を得た日本人男性がいます

さて、問題は国内での大学ポジション探しです

海外ポスドクのようには
うまくいきません

まさに悪戦苦闘

いつまで経っても
もがき苦しんでいるところです

選べる立場ではないのに
日本だと欲がでて
夫が理想とする狭い地域に絞っていることが
最も影響しています

2022年現在のわが家の場合、
粘る研究者夫
頭を抱える研妻の図が出来上がっています

それこそシステムかなにかで
任期情報がオープンに共有され
パーマネントではない研究者たちが
そのDBに自由にアクセスできれば
今よりもっと求職活動は楽なモノに
なるのではないかと思うのです

スマートシティやバーチャル空間が
もっと普及したその先に
もしかしたら
そんな未来が実現するかもしれませんね

私たちの子ども世代は間に合わなくても
孫世代以降にはかたちになるでしょうか

ちょっとそれましたが、
海外ポスドク探しよりも
国内大学ポジション探しの方が
わが家の研究者夫にとっては難しい問題です



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


問題を難しくしているのは、自分かもしれない





2022/01/19

大学研究者夫が変えた奥さんの人生・研妻哲学429

大学研究者夫が奥さんの人生に与える影響を考える


任期付き・田舎暮らしのわが家の場合


ふと研妻(私)の結婚生活を振り返ると
住まいから仕事や趣味に至るまで
暮らしのすべてにおいて
夫の仕事の影響を強く受けている
という事に今さら気づく

もちろん、そうならない選択肢を
選ぶこともできたわけだけれど
あえて選んでこなかった結果

「自分は一体どこへ向かっているのだろう?」
と、疑問がわいてくるくらい
自分を見失うくらい
研究者夫の影響は計り知れない

研究の世界について
よく知っている奥さんなら
もっと違う結果を
招くことができたに違いない

けれども私はそこまでの知識もなく
経験も器用さもなく
どちらかが単身赴任の道を選ぶ勇気もなく
消去法にも似たような流れで
かれこれ10年間、
ずっと一緒に暮らしている

同棲期間を入れると約15年
同じ釜の飯をわけあっている

0歳だった子供が
15歳になる年月だと捉えると
身震いするくらい長く感じる

ところが実際
この15年を何気なく過ごしていると
本当にあっという間

恐ろしいくらい人生は短いのかもしれない

わが子もきっと
あっという間に大人の仲間入りをする

その準備をもっと
長期的な視点からできるのが理想だけれど
現実は真逆といってもいい

受け入れ大学で
雇用期間が限られているため
次の職場探しが脳裏から離れない

引越しのタイミングも
どんどん難しくなっていく

子どもが未就学児の時期までは
度重なる引っ越しも
夫婦の都合でなんとか乗り切れたが
今後はわからない

ずっと住むところが決まっていれば
子どもの教育も
もっと長期的な視点で
じっくり腰を据えて取り組めるはずなのに
正直、うまくいかないものだなと感じる

行き当たりばったりの研究者夫の生活に
わが子も既に巻き込まれているのだ

つい最近みたTV番組で、
紛争地域に暮らす難民希望の若者が
リスクを負って国を脱出することを
ゲームと位置付けていたけれど

もはや研妻の私も理論上は
似たような対処法をとっている事になるだろう

そこには
ゲーム感覚で楽しまないとやってられない
という気持ちが見え隠れする

それでも今この瞬間は(期限付きでも)
  • 大学の仕事を頂けている
  • 単身赴任はしていない
  • 帰国後の生活に慣れてきた

そんな見過ごしがちな点に焦点を定めて
「これも人生」と胸を張っていきたい

気持ちの整理にはおそらく
以下の分類が役に立つかもしれない

研妻の
努力で変えられるもの:奥さんの仕事(たぶん)
努力で変えられないもの:住む場所(夫次第)
無理して変えなくてもいいもの:子どもの教育環境
無理してでも変えたい/得たいもの
次の住まいと職場確保(夫のこだわりで難航しそう)

変えられないものと
変えなくていいものに関しては
省エネモード対応



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


どんなに影響を受けようと、私の人生は私のもの

(ごきげんに楽しみたい)





2022/01/18

研妻会の活動報告|オンライン歓迎会と新年会2022・研妻哲学428

2022年最初のオンライン研妻会


活動の記録


一年の門出にふさわしく
研妻会に新しいメンバーを迎えて
オンライン新年会・歓迎会を実施しました!

ここに備忘録として記録します

▼研妻会Webサイトも更新しました

時間帯は前回と同様に
アメリカの正午過ぎ
フランスのディナータイム後
日本の早朝(朝活的な)

あっという間の1時間です

前回は11月だったので
2ヶ月ぶりのオンラインMTGでした

女性としても母親としても尊敬できる
聡明な方に新たに加わって頂き
「はじめまして」とは思えないくらい
和やかムードを堪能

お仕事や子育て、ビジョンについて
もっとお話を聞きたいな
という気持ちを引きずりつつ

いつも不定期開催なので
次回の日程は未定ですが
今から楽しみです^^

もともとのメンバーの近況や活躍も
いつも良い刺激となり
私にとっての勉強会のような
学びの場となっています

今後の活動について気になる方は
お気軽に研妻会Webサイトから
メッセージをお送りください☆


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


和やかな和は、ひとりでは作れないらしい



2022/01/16

アメリカ、中国、ドイツ、日本のコロナ対応事情・研妻哲学427

各国のコロナ対応事情に思うこと


研妻の備忘録


2022年の1月
あれからもう2年経つのかと
振り返る代わりに
最近の私のまわりのことを記録

(このブログ全体にいえることですが
あくまでも個人の身近な話題として、
一般論ではない点をご容赦いただきたい)

日常的な海外とのやりとりの中で
各国のコロナ対応事情の違いが
もはや世界共通で
世間話の一部となっている 

たとえば、
アメリカの一部の地域では
学校に通う子ども達は
複数のグループにわけられ
感染リスクを分散した
登校スタイルが採用されており、

PCR検査は登校日にあわせて
実施する場合もあるようだ

中国の大都市では
デジタル化が進んでいるので
国民のスマホで表示できる
「健康コード」なるものが
勝手に(自動的に)更新されていく

身近に感染者がでたら
自分のコードに反映される

その電子コードには色がついていて
緑なら感染リスクほぼなし
星マークがつくとちょっと上がり
赤だと移動に制限がかかる

ロックダウンと同様に
個人の健康コード管理も
かなり徹底されている

これはもうすぐやってくる
中国のお正月(春節)にも影響する
2022年の春節は1月31日からの一週間

ドイツの一部の州では
学校の冬休みが
例年より延長されたようなかたちとなり
登校せず自宅で勉強する日が増えた

日本はというと
地方暮らしのわが家の子どもは
マスクをつけるルールはあるものの
普段通り通えている

  • 学校に通える
  • 移動できる
  • 友達に会える

たいしたことないと思っていた事が
制限されている国や地域があるという事実

コロナ対応に限らず、
日本スタンダードは
海外スタンダードではないという現実

もはや国境は問題ではなく
個人のあり方
試されているようにも感じられる


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


予測不可能な変化に対応するには、持続可能な自分軸を持つといいのかもしれない





2022/01/15

世界20カ国以上で読まれている研妻哲学ブログ(御礼)・研妻哲学426

世界中の読者の皆様へ感謝


研妻ブログ4年目へ突入


2018年頃から細々と更新してきた結果
2022年現在では世界20カ国以上から
アクセス頂いているようで本当に感謝

(詳しい国別アクセスデータ画像は
研妻会インスタから)

ここ数年で研妻仲間も増えて嬉しい限り

争いごとが苦手な平和主義者として
おばあちゃん目線で周りを応援していきたい

そんな気持ち

これからもきっと
ひっそりと
細々と
更新されていく
研妻哲学ブログ

これまでは主に
  • 学振
  • 海外ポスドク
についてが多く

今は
  • 任期付き雇用
話題がメインになっているかな

コロコロ変わるわが家の研究者夫に
人生を振りまわされつつ
どうせなら楽しんでしまおう!
というこの研妻ブログ

果たして、
  • この先、研究者夫はどこへ?
  • 子どもたちの教育は?
  • 研妻の人生は?

相変わらず「?」だらけのわが家ですが


改めまして
2022年もどうぞよろしくお願い申し上げます


(研妻会サイトへお気軽にメッセージください♪)


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



不安定だからこそ、楽しめるのかもしれない




2022/01/13

人生100年時代。研妻的過ごし方・研妻哲学425

研妻的人生100年時代の過ごし方


短距離走か長距離走か


はじめての出産時
「この子は100年生きる」と
現地の産院で言われてから数年が経った

当時はまだ「人生100年時代」という言葉は
それほど広まっていなかった(ように記憶している)

(日本にいたら、もっと耳にしていたのかも)

あれから数年が経ち
いよいよ人生100年時代が到来

ここまで寿命が延びると
どうやら終身雇用時代とは違うなと
感覚的に感じるものがある

たとえば
「大企業に勤め続けて
それまでは役職もあり大勢の人と働いていたけれど
定年退職したら周りに人がいなくなった」
なんていうちょっぴり寂しい老後になる
可能性もある

その一方で
「中小企業や個人経営で細々と食いつなぎ
これといって目立った仕事はしてこなかったけれど
地域に根差した商売を生涯現役で続けることで
常に大勢の人に囲まれて晩年を過ごす」
このようなケースも多々ある

大企業で重圧を受けながら
人生のある一定期間を仕事にあてて
老後の過ごし方を模索する道もあれば

中小企業や個人で
ライフステージが変わっても続けられるような
趣味感覚で取り組める仕事を
老後も続けていく道もある

(最近は老後の定義も曖昧だけど)

もはやどっちがいいとは言い切れない
案外どちらも似ているような気がする

しいていえば
短距離走か長距離走かの違い

人に出会うとき
その人の人生のごく一部しか知りえない

隣の芝生が青いのは
一部分しか見えてない証拠なのだろう

人生の最初から最後までをみたときに
何を感じて、どう思うか

なかなかそこまで付き合える人は
人生の中でもそう多くはない

つまりは
人生100年時代の人間関係において
付き合う人の人生の一部を切り取るのではなく
長い目でみていきたい
という私的価値観

社会的地位に左右されず、
長期的に相手の役に立てるような存在になることが
個人的な目標といえるかもしれない

そこにはきっと
肩書きや仕事の大きさは関係ない

あるのは
ひとりの人間対人間の相性

個人対個人

くっついたり離れたり、
集合のあり方がライフステージで変わる度に
アイデンティティは更新される

どんどんパーソナライズされていくのは
インターネットの世界だけではないみたい


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*


長距離走のペース配分を考慮してみるのも、人生100年時代のワークスタイルかもしれない





2022/01/12

研究者のライフワークバランスを妻目線で考える・研妻哲学424

研究者夫のライフワークバランス


研妻のワークアズライフ 


海外ポスドクとして渡独する前
夫は博士課程の院生で
妻の私はまだ会社員として
フルタイムで働いていた頃

そんな当時と、
数年経った今を比べてみる

家族が増えて
夫が家計を支える立場になると
価値観が変わってきたことに気づく

そろそろ私も社会復帰への一歩を
小さく踏み出してもいいかな
なんて考えて家族会議をしてみるも
いまいち消極的な意見が返ってくる

  • やはり立ちはだかる家事育児の壁
  • 子どもの家庭教育時間の確保問題
  • 両実家は遠方で頼れない現実
  • パーマネント職ではない雇用形態

考えることは山積みだけど
あえて考えないという選択肢を
今は選んでいるような状況

2022年1月現在、
妻の私が仕事をセーブする限り
研究者夫のライフワークバランスは
非常に良い状態といえる

夫が子育てに参加する時間も十分とれているので
私が最低限の家事育児をしていれば
ひとまず家庭は安定する

そうなると再び仕事を持ち出すためには
長期的な目線を持つしかなくなる

不安定なフルタイム研究者夫と
研妻のワークアズライフの組み合わせ

2022年はそんな生活へ挑戦する年になるかもしれない



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



仕事もライフスタイルも、相性次第かもしれない




2022/01/11

大好きな祖母の旅立ち、そして覚悟・研妻哲学423

大好きな祖母が旅立った2021年の12月


それまでの数年間を施設で過ごしていた祖母


ずっと実家から離れて暮らしていたこともあり
久しぶりの再会は静けさに包まれていた

幼い頃は一緒に住んでいた時期もあり
本当に良くしてくれた祖母に
これといった恩返しはできていなかった

そんなことが頭をよぎる中、
ひとまず子どもたち(ひ孫)の前では
悲しみを隠すことにした

そこで気がついた
祖母の施設暮らしは
意味のあるものだったのだ

残された私たちが
悲しい現実を冷静に受け止めることができるのは
心のどこかで可能性に対する覚悟ができていたから

そして目の前で
ひとりの人体が
人体ではなくなる瞬間に立ち会ったとき
新たな覚悟がうまれた



*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*



尊く奥深い介護は、悲しみを受け止める覚悟をもたらす時間なのかもしれない





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