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2022/02/26

研妻会のおかげで新事実発覚・研妻哲学448

海外研究者夫に同時期に帯同していた


研妻会のおかげでわかったこと


書きたいことはいくつかあるけれど
今回はずっと書きそびれていたことを
書いてみる

前回のオンライン研妻会で
「もしや?」と気づいてから
なかなか話題にできずにいた

話は数年前に遡る

海外ポスドク夫と帯同生活が始まった
20代の頃

それまで慣れ親しんだ
家族、友人、仕事のすべてから離れたことで
とてつもない
喪失感、孤独感、疎外感を抱えていた

誰かに打ち明けたくても
誰に打ち明けてよいかわからず

時差のある日本とのコミュニケーションに
行き詰っていた

住まいは都市部ではなかったので
日本人も少ないうえに
経済的な不安を抱えたポスドク夫に
帯同している日本人女性というのは
非常に珍しかった

当時をわかりやすく表現するならば
少し大げさに聞こえるかもしれないが
「おそらく地獄があったら、こんな感じ」
という心境だ

海外赴任や海外転勤ともちょっと違う
海外ポスドク夫の帯同生活

行き場や居場所を見失った
最初の1年は
まさに地獄のようだった

まさか自分を表現する言葉が
「研妻」だけになる日が来るとは
これっぽっちも想像していなかった

しかもこの言葉は、
夫ありきで成り立っている

そのため、
自ら「研妻」と呼ぶことについて迷い
よく考えた時期がある

そもそも
「研妻」は私のすべてを現す言葉ではない

それでも、
住まいからライフスタイルに至るまで
結婚生活のありとあらゆる部分が
研究者夫の影響を受けているので
そういった面を表現するには
適した言葉かもしれない
という考えに至った

研妻としての存在を認めるのは
多少の違和感と葛藤があるという意味で
ある種の覚悟でもあった

海外帯同生活が
スタートしたばかりの当時は
自分のような立場の人間は
ひとりだけなのではないかと
錯覚さえ覚えた

ところが、それから数年が経ち
「研妻会」が誕生して仲間が増えると、
当時の私は決して
ひとりぼっちではなかったことが
判明したのだ

なんと
同じ時期に
同年代の
同じような境遇の研妻が
隣国にいたことを知ったのだ!

ミラクル!!

当時の私が
この研妻仲間の存在を知っていたら
99%の確率で
隣国まで会いに行っていただろう

それくらい
本当にそれくらい
重大な気づきだった

共感し合える研妻が
すぐ隣の国で生活していたのに
当時は知る術をもちあわせていなかった

それでも、
もがきながら多少なりとも
動き続けていれば
こうして出会えることを知った

この事実は、
大きな励ましである


*淡々と現実を受け止める、研妻哲学* 



さまよい動き続けることに価値があるのかもしれない





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