ホテルの新しい朝食スタイル
広々とした宴会場を有効活用
地方に住んでいるわが家
春休みの子供の用事のついでに
近隣ホテルを訪れた
すると
ホテルの朝食ビュッフェが
これまでのレストランで
提供されるスタイルではなく
広い宴会場で
結婚式の披露宴でもよく使われる
丸テーブルを囲むスタイルに
変わっていたことに気づかされた
10人くらいが
座れるような大きさの丸いテーブル、
円卓に置かれている椅子は
4席のみ
テーブルクロスも布ではなく
消毒できるものに変わり
食事はホテル側が
たくさんの小皿を並べてくれているので
気に入ったお皿だけをとるスタイル
パンなどトングを使っていたものは
ホテルスタッフがお皿に並べてくれる
一度、手にしたお皿を
戻したい場合は
そのまま元の場所に戻すのではなく
ホテルスタッフに伝えるよう
メッセージカードも添えられている
朝食後、朝の時間帯だけ
解放されているラウンジに立ち寄ると
ほぼ貸切状態で
景色が楽しめるではないか
日本のホテルの宴会場やラウンジに
足を運ぶのは何年ぶりだろう
ロビーにいると
かつての活気をすべて
とり戻したわけではないのだろうと
推測できる
けれども
ホテル全体が
「そこにある安心感」を与えてくれる
2021年3日29日、月曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
「そこにある安心感」に気づくのは、新しい環境に適応するときなのかもしれない
将来の学校生活に影響する可能性
ちょっとワイルドくらいが、ちょうどいい説
有名な心理学者の先生の話によると
どうやら子供の頃に
外で自然に触れるなど
多少ワイルドに遊んだ経験があるほど
将来の学校生活が
一般的に安定したものになるらしい
けれども
小さな子供が
自然の中で安全に遊ぶには
親の助けもある程度必要になる
この幼い時期に
手助けする労力を惜しむと
将来なんらかの形で
返ってくるかもしれないという
この場合の手助けは
精神的に抑えつけるような
制限を設けることではなく
子供自身の意向を
尊重することを意味する
そんなこんなで
この学者の先生が直接的に
雨の日の外遊びを
推奨していたわけではないけれど
わが家は雨の日でも
雨具を身にまとい
子供たちと一緒に
外遊びすることがある
2021年3日21日、日曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
大人が子供に口うるさく注意するときは、「北風と太陽」を思い出すといいのかもしれない
子連れで久しぶりの水族館へ
新しい発見
密を避けるために
幼稚園がお休みになった先日
子供たちを連れて
久しぶりに水族館を訪れた
図書館で借りておいた
水族館の本を片手に
前日の夜から
楽しみにしていた上の子
当日の移動中も
下の子と一緒に眺めていた
到着して
ベビーカーを置くと
テンションがあがる子供たち
しばらく進むと
アザラシやオットセイが見えてきた
すると
オットセイが下の子を追っている様子
下の子が右へ行くと
オットセイも右へ行き
下の子が左へ行くと
オットセイも左へ泳いでくれる
下の子が立ち止まると
オットセイが戻ってくるではないか
ん?これはどういうことだ?
と、思いつつ
しばらくガラス越しに遊んだあと
ふと思った
もしかしたら
下の子の服の色に反応しているのかも
ちょうどこの日
頂き物の原色一色の
やや目立つ服を着ていた下の子
淡い色の服を着ていた上の子には
あまり反応していない様子だったので
もしかしたら
もしかするかもしれない
これはわが家にとって
新しい発見
次回はまた違う色で試してみたい
水族館の新しい楽しみ方が増えた
2021年3日20日、土曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
「不思議」は日常に転がっているのかもしれない
朝のごみ収集車で社会勉強するドイツの子ども
日本の親子との違い
わが家がドイツで暮らしていたのを
すっかり過去の出来事だと感じる近頃
ふと思い出した光景がある
まだドイツにいたころ
朝の登園時間に
小さなわが子を連れて
やや急ぎ足で幼稚園へ向かっていると
ごみ収集車が回収に来ていた
私たちが通り過ぎようとすると、
たまたま近くにいた他の親子が
回収作業がよく見える場所で立ち止まり
親が子供に何かを一生懸命に
説明している様子
そんな光景を見かけるのが
この1回だけなら記憶に残らないと思うが
その後もまた別の場所で
他の親子も同じように
ごみ収集車を眺めながら話し込んでいる
どうやら
ごみ収集作業を見学しながら
エコ意識につながるような
社会勉強をしているのだと知ったのは
あとになってからだった
帰国前に上の子と
マネした経験があったので
帰国後、下の子にも同じように
試してみた
すると
どうもしっくりこない
ドイツの作業員は
親子に見られることに慣れていたが
日本の作業員は
あまり慣れていないのだと悟った
ドイツという国でするから
しっくりくるのであって
日本で同じようにすると
異様な空気感に包まれることを
身を持って体感した
2021年3日17日、水曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
日本とドイツのエコ意識の違いは、幼い頃から生まれているのかもしれない
子供の春休みの過ごし方を考える
いよいよ帰省なるか
もうすぐ春休みを迎えるわが子
近隣へのお出かけや習い事は
既に予定に入っている
それに加えて、
ついに首都圏の宣言解除が
視野に入ってきたことで
帰省も検討できるようになった
もう長い間
おじいちゃん、おばあちゃんに
会えていない子供たち
そろそろ会わせたいな
という親としての気持ちと
そろそろ会いたいな
という子供の立場としての気持ち
今年は実際に春休みが始まるまで
まだ日にちがあるけれど
帰省を検討できるというのは
楽しいものだなと改めて感じる
2021年3日15日、月曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
帰る場所があるだけで、幸せなのかもしれない
転勤族の結婚生活もわるくない
ひとりの時間が故郷に変わるまで
以前から書いている通り
わが家の場合は
厳密に言えば転勤族とは少し異なる
研究者夫の場合、
転勤よりも転職に近い
会社の要請で引っ越すのか
研究先の契約満了で引っ越すのか
という違いがある
前者を転勤とするならば
後者を転勤と呼べないかもしれない
前者は次の仕事が確保されているが
後者は次の契約・職探しへ奔走する
いずれにせよ
仕事の都合で引っ越しせざるを得ない
という事実は共通しているので
今回はおおあまで
研究者夫の場合も
転勤族と呼ばせてもらうことにした
令和の時代では
転勤や引越しを乗り越えて
新天地でも夫婦そろって
バリバリ働く道を歩むのが
スタンダードなのかもしれないが
わが家の場合は
最終的にUターン、Iターンを
夢見ている面もあり
時代の波を眺めながら
その脇をトボトボと歩いている最中だ
結婚後に
最初の孤独と出会ったのは
海外での帯同生活をはじめた頃
その後
妊娠から出産、子育てまで続く
長い話へと繋がっていく
(長話は割愛)
さらには本帰国しても
両実家とも遠方の新天地での結婚生活
やたらと孤独がつきまとうのは
もう仕方がない
かれこれ何年も
こんな生活をしているので
ひとりの時間が
もはやフルサト化してしまった
最初の数年はそれなりに
もがいたり
あがいたりしたけれど
結局
「帰る場所は、ひとりの時間」
孤独の中だった
そう書くと
さまざまな印象を与えそうだけど
一番最初に
これに近しいことを言ったのは
おそらくニーチェ
ドイツの哲学者も
残している言葉だと思うと
説得力がでてくるような
でてこないような
なにも孤独なのは
わるいことばかりではない
もちろん外では
子供を通じて知り合った人々と
挨拶を交わしたり
一緒に遊ばせてもらう機会もあるが
ひとりの時間は
自由な学びの時間にもなる
「ベルリン」が
「ベァリン」だったときの
衝撃を思い出しながら
ドイツ語の出直し勉強もできるし
興味のある分野の本を
静かに読み進めて
別世界を旅することもできる
日中、
子供のお昼寝優先で過ごせるのは
発達にもわるくないだろう
おまけに
近所や隣県を
家族で訪れるだけで
旅行気分が味わえる
広い意味での趣味を拠り所に
ないモノよりも
あるモノに目を向けて
故郷を想う
2021年3日12日、金曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
転勤族の孤独の中には、彩り豊かな価値観が眠っているかもしれない
主婦の私の小さな価値観の変化
家庭に専念する時期
下の子との日中の過ごし方や
上の子の春休みの予定など
家庭のことに専念していて
更新があいてしまった
そのおかげなのか
家庭のことだけに
集中するのも
わるくないものだと
ようやく実感できるようになった
これまではわりと
過去の働いていた自分を
とり戻さなければというような
感覚が強かったが
最近やっと
専念できる今のうちに
思いっきり集中しておくのも
いいものだと
感じられるようになった
家庭に集中できる時期は
限られた貴重な時間かもしれないから
それでもまた
この先ふと
働きだすことがあるかもしれないし
ボランティアのような活動に
勤しむことだってあるだろう
兼業とか専業とかは
どこかへ置いておいて
コロコロ変わっていく環境の中
今はただ
目の前のことに
専念するのみ
2021年3日5日、金曜日の記録
*淡々と現実を受け止める、研妻哲学*
日々を記録していると、価値観の変化がつかみやすいかもしれない